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第3部 - 第2章 勤労令嬢と死者の国
第19話 太古の森
しおりを挟む一方、その頃。
ジェラルド王子とイライザ・アルバーンは、コルト・マントイフェル教授に連れられて魔大陸の『太古の森』に来ていた。皇帝の古の魔法を使ったので、移動は一瞬のことだった。
「不思議な魔法ですわ」
「ああ。先の戦争でこの魔法を使われていたら、我らに勝機はなかっただろうな」
ジェラルド王子のつぶやきに、マントイフェル教授が頷く。
「現在の皇帝、バラムの一族はもともと戦を好まなかった。悪魔族には、同じように戦を忌避する家が多かったと聞いている。先の皇帝バエルの命に従わなかったので、不遇の時代があったとも」
その言葉にイライザが驚きを顕にした。
「魔族は好戦的な種族が多いと聞きましたが……」
「霜の巨人族や炎の巨人族などの前線に出ていた種族が好戦的だったので、そう伝わったのだろう。我々エルフ族も含めて、戦を好まない種族も多い。魔族の多くは、大地の精霊と共に穏やかに暮らすことを望んでいる」
話しながら、マントイフェル教授はどんどん森の奥へ進んでいく。人族の大陸とは違う植生の、不思議な森だ。数千年の時を生きてきた巨大樹が根を張る、神秘の森。
「ヒトが大地に産み落とされてから数千年、我々は森とともに生きてきた」
教授の言葉に応えるように、森がざわめく。
「我々エルフ族は、ヒトと精霊の間を生きる種族」
木々の間から、エルフたちが顔を出す。教授と同じように褐色の肌に黒い髪を持つ者もいれば、白い肌に金色の髪を持つ、ヒトというよりも神に近いのではと思わせるほど儚い印象の者もいた。
「私はどちらかと言えばヒトに近い。だから、人族の大陸で彼らと共に学ぶ道を選んだ」
ジェラルドとイライザの間を、優しい黄金色の風が吹き抜けた。彼もまた、エルフ族なのだろう。
「数千年の時を精霊と共に生きてきた我らは、それでもヒトの本性を捨てられなかった」
イライザがふと視点を転じれば、そこには赤子を抱く女性が立っていた。その隣には夫であろう男性がいて。彼らは人族の家族と同じように、愛し合っているのだと分かる。
「ヒトの一員として、いずれ訪れる予定の時を防ぎたいと願った。ヒトを愛しているから」
愛とは欲望。彼らもまた、魂の中に『意思』と『欲望』、そして『理性』を持つヒトなのだ。
「同時に、精霊の一員として、大地の安寧を願っている」
ふと立ち止まった教授が、森の最奥を指差した。
そこには、不思議な木があった。黄金の幹は力強く、黄金の花は光り輝いている。黄金の枝葉をめいいっぱいに広げて、流れてくる風にそよそよと身を任せている姿は、まさに神話の一節だ。
「我らの王だ」
教授に促されて、ジェラルドとイライザが王の前に進み出た。
「ルズベリー王国の王太子、ジェラルドと申します」
「アルバーン公爵家のイライザでございます」
二人が膝を折ると、黄金の枝葉がそよそよと揺れた。歓迎されているらしいと分かって、ジェラルドもイライザもホッと息を吐く。
「本日は、お許しをいただきたく参りました」
ジェラルドの言葉に、王が耳を傾けるように枝葉を揺らした。
「『死者の国』に囚われた『欲望』を解放し、新たな円環を築くことを、どうかお許しください」
いま彼らが構築しようとしている魔法陣が発動すれば、『死者の国』から全ての魔力、すなわち『欲望』が吸い出される。それを新たに築く円環の中へ解放するのだ。それはつまり、地上の摂理を変えることを意味する。
「精霊とヒトとの間を生きるエルフの王よ。精霊を代表して、どうか我らにその許しを与えて欲しい」
そのために、ジェラルドとイライザがこの森を訪れたのだ。この選択は、精霊にとって必ずしも最良とは言えない。彼らにとっては、ヒトが『欲望』に支配されて互いに殺し合い、そして消えていく方が都合が良い。そうすれば、再び唯一無二の大地の主となれるのだから。
──人の王の子よ。
ジェラルドとイライザの鼓膜が優しく揺れた。風のように聞こえるそれは、エルフの王の声だ。
──なぜ、それを望む?
「我々人は、『欲望』に支配されることを望みません。たとえ、それがヒトの本性だとしても。『意思』と『理性』を失いたくないのです」
──違う。
「え?」
──そなたの、望みを言え。
「私の、望み……?」
──『欲望』を受け入れれば、愛する者を諦めることもなくなる。
ジェラルドは、ハッとした。
「ご存知でしたか」
──私は森、森は私。森が知っていることは、私も知っている。
「なるほど。我々の大陸の森も例外ではないということですね」
ジェラルドは苦笑いを浮かべた。エルフの王には、全てが筒抜けらしい。
──欲しいものを手に入れる。それは悪か?
王の問いかけに、ジェラルドは即答できなかった。彼にも、どうしても手に入れたいものがある。
「ジェラルド殿下」
迷う素振りを見せたジェラルドの手に、イライザの手が触れた。その手のひらは緊張で冷え切っている。それでも、精一杯の力でジェラルドの手を握りしめた。そして、薄紅色の瞳でしかとジェラルドを見つめる。
「あなたの、望みは?」
今度はイライザに問われて、ジェラルドは深く息を吐いた。
「そうだな。……ありがとう、イライザ」
ジェラルドも、イライザの手を握り返した。わずかなやり取りで、ジェラルドは迷いを振り払った。国王は、自分でも皇帝でもなく、ジェラルドをここへ遣わした。その意味を、もう一度心の中で噛みしめる。
「私の望みは、人族と魔族の平穏だ。全てのヒトが何者にも脅かされず、愛するものと幸せに生きる。その世界を築くことが私の望み、……いや」
ジェラルドは、きゅっと唇を引き締めた。そして、まっすぐにエルフの王を見つめた。
「それが、私に与えられた使命。私の仕事だ」
黄金の花びらがフワリと舞い、その様子にイライザが目を輝かせた。その美しさに、ジェラルドがうっとりと微笑む。
「欲しいものを手に入れることだけが幸せではありません。我々ヒトは、分かち合うことの素晴らしさを知っている。……それが、国だ」
ブワリと風が吹いた。黄金の花が舞い上がり、同時に二人の身体が黄金の風に包まれる。
──しかと、聞き届けた。
「では……」
──我らも、ヒトと共に生きよう。
「ありがとうございます」
──礼は必要ない。我らの未来を、そなたらに託すことは決めていた。
「では、先程の質問は……。私を試したのですか?」
──そうだ。
「人が悪い」
ジェラルドが苦笑いを浮かべると、二人の身体がさらに空高く舞い上がった。彼らの眼下に『太古の森』が、魔族の大陸が、そして世界が広がる。
──そなたらの魂の美しさを、私は忘れない。二人の愛に、祝福を……。
その言葉を最後に黄金の光に包まれた二人は、いつの間にか王の執務室に戻ってきていた。
マントイフェル教授も、同じように戻ってきていた。深々とため息を吐いてから、腕や肩をグルグルと回している。王との対面で、よほど疲れたらしい。
「ふぅ……。不思議な体験だったな」
ジェラルドはドッと襲いかかる疲労感に身を任せて、ドカリと音を立ててソファに腰掛けた。イライザもそれに倣う。
「ええ。あれが精霊……」
イライザが、うっとりとつぶやいた。あの黄金に輝く花吹雪を思い出しているのだろう。
王の執務室には、他に誰もいなかった。
国王とマクリーン侯爵、そしてウォーベック侯爵は首都に集結した騎士団を抑えつつ、民衆の暴動を防ぐために動いている。皇帝とテオバルトは、魔大陸の首都で同じように魔族を抑えているはずだ。他の面々も、それぞれの仕事のために散っている。
「あら?」
イライザがふと自身の手に目をやると、そこに見覚えのないものがあることに気づいた。左手の薬指に、黄金の指輪が輝いている。
「あなたも」
イライザに指さされて、ジェラルドの指にも同じデザインの指輪がはめられていることに気づいた。
「二人の愛に祝福を、と言っていたな」
「これが?」
エルフの王の贈り物だろう。二人の愛の証を、授けてくれたらしい。
「……気に入らんな」
「ジェラルド殿下」
イライザが咎めるように言った。すぐそばに、エルフの一人である教授がいるのだ。ただし、彼の方は二人の話に全く興味がないようで、僅かに眉を上げただけだった。
「外しましょうか?」
おどけて問いかけた教授に、ジェラルドがニヤリと笑う。
「エルフの王に伝えろ。自分の恋人には、自分で選んだ指輪を贈る。余計なちょっかいは遠慮してくれ、と」
酷い言い様だが、教授は笑って頷いただけだった。彼の気持ちがわかったのだろう。同時に、それが彼の照れ隠しだとも。
教授は確かに見た。
ジェラルドの長く美しい手が、イライザの左手の薬指に触れて。その黄金の指輪を優しく撫でるのを──。
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