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第3部 勤労令嬢、世界を救う - 第1章 勤労令嬢と婚約破棄
第1話 王子様の心変わり
しおりを挟む「ジリアン・マクリーン侯爵令嬢。君との婚約は破棄させてもらう!」
高らかに宣言した王子の言葉に、舞踏会の会場となっていた大広間にざわめきが起こった。しかし、それは一瞬のことで、皆がことの経緯を見逃すまいとすぐに口を噤んだ。
「……理由をお聞かせいただけますか、アレン王子殿下」
声を震わせて問うたのが、ジリアン・マクリーン侯爵令嬢その人だ。
正確には、彼女のことはウォーディントン女伯爵と呼ばねばならないが、彼女自身がそれを嫌ったために今も侯爵令嬢と呼ばれている。
「心当たりがないと言うのか?」
若干震える声で発せられた王子のセリフに、首を傾げたのは一人や二人ではなかった。今まさに婚約破棄を言い渡されている彼女が何者であるかを、誰もが知っているからだ。
邪悪な陰謀から首都を守り、彼女が『月を動かした英雄』と呼ばれるようになったのはつい数ヶ月前の出来事だ。そして、その功績を讃えて国内最高の栄誉であるシュマルド勲章を受勲し、同時にウォーディントン女伯爵の称号と領地が与えられた。
彼女は一介の令嬢ではないのだ。
王子だからといって一方的に婚約を破棄するなど、よほどの理由がなければならない。しかし、彼女は完璧な淑女であり、そんな理由には誰も心当たりがない。
(この状況で婚約破棄を押し通そうというのは、……無理があると思いますけど)
ジリアンは心の中でため息を吐いた。
「ございません」
そして、台本通りに答えた。
「では、ここにいるダイアナ・チェンバース公爵令嬢に対して行った数々のいやがらせ行為については?」
アレンの隣に立つダイアナ嬢がフンッと鼻を鳴らし、アレンの腕に手を添えた。控えめでありながら意味深な動作に、会場内が少しばかりざわつく。
モナハン伯爵家に養子に出されていた第三王子が王室に復帰した。その祝いとして開かれた舞踏会の場で行われた二人の公開プロポーズの様子は『世紀のカップル誕生!』という謳い文句とともに数々の新聞の一面を飾り、二人の愛の物語は今や芝居の題材にまでなっている。
そのアレン王子が、熱愛中の婚約者であるジリアン・マクリーン以外の女性と仲睦まじく並んでいるのだ。誰もが王子の心変わりに気付いて驚いている。
しかも新たな恋人であるダイアナ・チェンバースは、ジリアンと同じく王立魔法学院に通っており、2人は仲の良い友人としても有名だ。
「殿下、これ以上はジリアン嬢の名誉を傷つけることになりますわ」
扇子で口元を隠しながら言ったダイアナ嬢のセリフも、台本通り。
(私やアレンと違って、堂々として完璧な演技ね。さすがだわ……)
そう。ジリアンとアレンの声が震えているのは怒りや動揺からではない。観客を前にして緊張しているのだ。
「いいや。言わねば分からないというなら、ここで話そう。皆もよく聞いてくれ」
会場の端の方では、警備にあたっていた騎士や、たまたま出席していた官僚たちが慌ただしく動き始めた。突然の出来事に、なんとか対応しようとしているのだ。だが、この舞踏会には王も他の王子も出席しておらず、誰もアレン王子を止めることはできない。
(それも、予定通り)
横目で会場内の動きを観察しながら、ジリアンは改めてアレンに向き直った。彼の顔色は真っ青だ。
(演技なのだから、もう少しそれらしい表情をしてちょうだいよ)
応援の気持ちで向けた視線を、彼は別の意味で受け取ったらしい。その肩がビクリと震えた。意図せず、状況の信憑性が増す。
「き、君は王立魔法学院内でダイアナ嬢に対して嫌がらせを行った」
「具体的には?」
「彼女の持ち物を盗んで隠したり、汚損したり……」
「それから?」
「食堂で、彼女の制服に飲み物をかけて笑いものにした。また、彼女に関する謂れのない悪評を流して、他の女子生徒と陰口に興じた」
列挙されたのは、いじめのテンプレートのような陳腐ないやがらせの数々だ。台本を書いた人間が参考にしたのが、若い女性向けの恋愛小説なのだから仕方がないと言えば仕方がない。
「事実無根です」
「そんなはずはない。全て証拠がある」
ダイアナ嬢が目元を覆った。すかさずアレンがハンカチを差し出す。もちろん、これも台本通り。
「必要なら証拠を裁判所に提出することもできるぞ?」
「そんな、殿下!」
泣きながら王子に縋ったダイアナ嬢。その姿に、何人かの令嬢が同情するような視線を、そしてジリアンの方には非難するような視線を向けた。彼女の親戚だ。1ヶ月程前からダイアナ嬢が件のいやがらせについて相談していたのだ。
「ジリアン嬢は、私の大切なお友達でした! 裁判だなんて、そんな恐ろしいことはおっしゃらないでください!」
ダイアナ嬢の必死の訴えに、アレンが頷いた。
(あっさり頷いてどうするのよ。そこは、もう少し渋れって台本に書いてあったじゃない)
「そうだな。裁判などしないよ、安心してくれ」
私の心の声など届くはずもなく、アレンは早口でまくしたてる。
(もうちょっとだから、頑張って!)
頼むから台本通りにこの茶番劇を終わらせてくれと、ジリアンは心の中で訴えた。
「このように優しいダイアナ嬢に対していやがらせを行うなど、国民の規範となるべき高位貴族の令嬢としてあるまじきことだ。よって、私はジリアン・マクリーン侯爵令嬢との婚約を破棄する!」
「ですが、殿下……」
「言い訳は無用! ……行こう、ダイアナ嬢」
言い募ろうとしたジリアンの言葉を遮り、アレンが踵を返した。そのまま誰が止めるのも聞かずにアレンとダイアナ嬢が会場を後にする。
残されたジリアンは悄然と佇むしかなく、その様子を貴族たちが遠巻きに見ていた。
「……お嬢様」
そんなジリアンに声をかけたのは、彼女の護衛騎士のノア・ロイドだ。
「そろそろ、よろしいかと」
「……私が傷ついてるって、ちゃんと伝わったかしら?」
「大丈夫です。このハンカチを」
「え?」
「それっぽく、お顔に当ててください」
「ああ」
二人でひそひそと言葉を交わしてからジリアンがハンカチで顔を覆うと、会場のざわめきが大きくなった。
「行きましょう」
ノアに促されて、ようやくジリアンも会場を後にした。
「ジリアン嬢!」
車寄せに出ると、一台の馬車が入ってきたところだった。急いでいる様子が見て取れるその馬車には、王室の紋章。下りてきたのは、アレンとよく似た金髪の男性だった。
「マルコム王子殿下!」
ジリアンは慌てて礼をとった。アレンの2つ年上の兄、第2王子である。
現国王には3人の王子がいる。王太子のジェラルド、第2王子のマルコム、そして第3王子のアレンだ。3人の内、このマルコム王子だけが既に后を迎えている。
「知らせを受けて来たんだが……。間に合わなかったようだな」
ハンカチを握りしめたままのジリアンに、マルコム王子が眉をしかめた。
「私が送ろう」
「いえ、大丈夫です」
「君から事情を聞いておきたい。それと……」
マルコム王子が、そっとジリアンの耳元に顔を寄せた。
「王家とマクリーン侯爵家の間には確執などないとアピールしたい。……焼け石に水かもしれんがな」
まだ夜会が終わる時間ではないが、周囲にはチラチラと人影が見える。ジリアンの動向を見に来た野次馬だ。ジリアンがマルコム王子に送られて行くのを見て、勝手に噂してくれるだろう。少なくとも婚約破棄はアレン王子の独断だったのでは、という噂くらいは立つはずだ。
「私を助けると思って、送らせてくれ」
「では、お言葉に甘えて」
「うむ。馬車に二人はまずいな。護衛の騎士も同席したまえ」
「はっ」
三人で馬車に乗り込むと、まずマルコム王子が頭を下げた。
「弟が申し訳ない」
「いえ……」
「それと、今日までこの問題を放置してしまったことも謝罪させてくれ」
「え?」
「……私は、知っていた」
マルコム王子が眉を寄せて本当に申し訳無さそうに言うのを、ジリアンは注意深く観察した。彼の本心を探る、またとない機会だからだ。
「一ヶ月ほど前から、アレンの寝室にダイアナ嬢が出入りしていた」
はっきりと告げられて、ジリアンは目を見開いた。内容に驚いたのではない。ジリアンを気遣う様子を見せながらも、彼女が傷つくことを一瞬の躊躇いも見せずに言い切ったからだ。
(やっぱり、この人はあちら側……?)
確信を得られないながらも、ジリアンは疑いを強めた。
「知っての通り、私の后はチェンバース公爵家から嫁いできた。彼女からそれとなくダイアナ嬢に話をしたようだが、どうも本気の様子だと……。それに、アレンの方も……」
聞いてもいないのに事情を話すマルコム王子は、どうやらジリアンに追い打ちをかけるつもりらしいとジリアンは思った。無意識かもしれないし、彼自身は裏の事情を何も知らないという可能性も捨てきれないが。そこで、彼──または彼を裏で操る人物──の、思惑に乗ることにした。
「そんな……! わ、私のことを愛していると、言っていたのに!」
ジリアンはハンカチに顔を埋めてさめざめと泣いた。実際に涙を流すような演技力は持ち合わせていないので、とりあえずハンカチに顔を埋めてそれっぽく嘆いて見せただけだったが。
「ああ、ジリアン嬢! 泣かないでくれ」
その様子を見たマルコム王子は、芝居がかったセリフを宣いながら、ジリアンの前に跪いた。
「何も心配することはない。この世に男はアレンだけではないのだ」
隣に座るノアから殺気に似た気配が漂ってきたので、ジリアンは慌ててその脇腹を突いた。
「失恋などよくあることだ。そんなに落ち込むことはない」
ノアの様子になど気づくことなくマルコム王子が笑顔で続けたので、ジリアンの頬がひくりと引きつった。
「あんな不誠実な男とは別れて正解だ!」
こんな調子で、マクリーン侯爵家の邸宅に到着するまで、ジリアンは見当違いな慰めを聞かされることになったのだった
(この件は、しっかり報告しなくては)
無意識に漏れ出た深い溜め息が、彼女のハンカチに吸い込まれていった。
* * *
その夜。
ようやく就寝しようとジリアンがベッドに入った時だった。
──コツン。
バルコニーから聞こえてきた物音に、ジリアンは慌ててベッドから飛び起きた。
(来ちゃダメだって、言ったのに)
本来であれば無視をすべきところだが、それはあまりにも酷だろう。ジリアンはバルコニーの窓を開けた。
「ジリアン!」
アレンに切羽詰まったように名を呼ばれ、すぐに抱きしめられて。ジリアンは慌てて隠蔽の魔法をかけたのだった。
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