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第2部 - 第2章 勤労令嬢と社交界
第19話 囚われの令嬢
しおりを挟む「まったく、計算外だな」
天蓋から垂れる薄ピンクの紗のカーテンを通して、わずかな月明かりに照らされるベッドの上。そこには、栗色の髪の美しい少女が横たわっていた。
「『仮面』に、これほど魔力が必要になったのは、初めてだ」
ベッドがギシリと音を立てる。傍らに佇んでいた青年が、ベッドに腰を下ろしたのだ。
「本来なら、君の存在など綺麗サッパリ忘れるはずなのに。わずかな違和感を消すことが、どうしてもできないとは」
『仮面』は、対象となる人物の存在を、全く別の存在に挿げ替える魔法。周囲の人々からはその人物に関する全ての記憶が消し去られ、その穴は代わりの記憶によって補完される。それに違和感を覚えることなど、余程のことがなければあり得ない。
「それほど、ジリアン・マクリーンは彼らにとって大きな存在だったということか。補完すべき記憶の穴が多すぎて、どんどん魔力を消費している」
青年の青白い手が、少女の頬を撫でた。少女が僅かに身動ぎするが、目を覚ます気配はない。深い眠りの中にいるらしい。
「ははは。叱られてしまったよ。お遊びに無駄な魔力を使って、と」
栗色の髪を一房手にとった青年は、そこにそっと口づけた。甘い香りがして、うっとりと微笑む。
これは目的達成のために必要なことではない。彼にとっては遊びに過ぎない。しかし、彼は今たしかに満たされている。
「なあ、ジリアン」
再び、ベッドがギシリと音を立てた。
少女の身体に覆いかぶさるように身を乗り出せば、薄暗い中でも少女の陶器のような美しい肌がよく見えた。もとより、彼の目は人のそれとは違うので、暗闇の中でも視界が奪われることはないのだが。
「ジリアン」
少女のまぶたが震えて、青い瞳が顔をのぞかせた。
「……スチュアート?」
「こんばんは。私の眠り姫」
「朝、ですか?」
「いいや。まだ真夜中だよ」
ここまで言われて、ソフィーはようやく状況を察したらしい。頬を染めて、スチュアートから視線を逸した。
「……今、誰の名を呼んでいたのですか?」
ソフィーの唇が少しばかり尖っている。すねているらしい。
「もちろん、君の名を」
「そうでしたか?」
「そうだよ」
スチュアートが、再びソフィーの頬を撫でた。青白い手は、そのまま耳をくすぐり、首をつたい、鎖骨を撫で上げる。羽で撫でられるような感触に、ソフィーの身体が震えて。
「……あっ」
バラ色の唇から、吐息が漏れた。
「スチュアート……」
「なんだい?」
「良くないわ」
「どうして?」
「まだ、結婚したわけではないのよ?」
「今更だよ、ソフィー」
言葉では拒否しながらも、ソフィーはされるがままだ。スチュアート・ディズリーに恋をする、お人形のような可愛らしい令嬢。それが、今の彼女なのだ。
「大丈夫。私に身を任せて」
スチュアートが切なく微笑むので、ソフィーの胸がぎゅっと締め付けられた。
「……はい」
引き寄せられるように互いの唇が近づく。
「愛しているよ、ソフィー」
──バチィッ!
唇が触れる直前、緑色の光が爆ぜた。
驚いて二人の距離が離れる。
「何!?」
光の元は、ソフィーの右手だった。その薬指から、なおも緑色の光が迸っている。
「……ああ、悪い魔法だね」
スチュアートの表情が歪んだ。彼には、その魔法の正体が分かったらしい。
「あの時に、植え付けられたみたいだ」
「あの時?」
「君が襲われたときだよ」
「そんな……」
スチュアートが慎重な手付きでソフィーの右手に触れた。
──バチッ!
再び緑の光が爆ぜる。まるで、彼が触れることを拒絶しているように。
「呪いの類だね。……忌々しい、ソロモンの犬め」
後半の恨み言は、ソフィーにはよく聞こえなかった。不安そうに首をかしげるソフィーに、スチュアートが優しく微笑みかける。
「大丈夫。すぐに消してあげる」
スチュアートは、ソフィーの右手を見つめた。胸元に下げた黒い宝石にも意識を集中させる。黒いモヤがソフィーの右手を包み、すぐに消えた。同時に、緑色の光も消え失せる。
「ほらね」
「よかった」
ソフィーが嬉しそうに微笑む。
刹那、その瞳がわずかに揺れた。ガラス玉の青い瞳が、グルリと色を変えて。
──藍色の瞳から放たれた鋭い眼光が、スチュアートを射抜いた。
「私に触れるな」
可憐で歌うようなソフィーの声とは違う。戦うことを知る、強い声だ。
その声を聞いた途端、青年の胸が喜びに震えた。
「まさか、自ら『仮面』の魔法を打ち破るとは」
少女の髪は、栗色から黒へ。陶器のような肌は美しさを保ったまま健康的な肌色へ。
あっという間に姿を変えた少女──ジリアンは、間髪入れずに青年に飛びかかった。
青年の腕を後ろ手にひねり上げながら、その背に乗り上げて身動きを封じる。その間に水魔法で生成された氷のナイフを、その喉に突きつけた。
「なるほど。あの小僧、その指にトリガーを仕込んだな。成功する見込みは低いが、強力な呪いだ」
「黙って。質問に答えなさい」
ジリアンは、拘束する腕に力を込めた。そうすると息が苦しくなったらしい、スチュアートがうめき声を上げた。
「ここはどこ」
「ディズリー伯爵の屋敷」
「私に何をしたの?」
「『仮面』という、古の魔法を使った」
「それは……」
「君自身を、ソフィー・シェリダンに変えてしまう魔法だよ」
魔法の正体を聞かされて、ほんの一瞬たじろいだ。その一瞬を、スチュアートは見逃さなかった。
──ドサッ。
身体の位置が入れ替わる。今度はスチュアートがジリアンの身体をベッドに押さえつけた。
「くぅっ!」
思わず呻いたジリアンに、スチュアートがほくそ笑む。
「惜しかったな。ジリアン・マクリーン」
スチュアートの顔がドロリと溶けて、ハワード・キーツに入れ替わった。それを見たジリアンが唇を噛む。彼の魔法を一つ破ったところで、状況は最悪だ。
「無駄だよ。ジリアン・マクリーンは消えた」
「消えたりしないわ」
「いいや。『黒い魔法石』で強化した『仮面』の魔法を打ち破ることは、誰にもできない」
「たった今、私が破ってみせたじゃない」
「これは、たまたまだよ。君が一番良く分かっているだろう?」
ハワードが、唇が触れそうな程にジリアンに顔を寄せた。両腕を拘束しているのとは反対の手で顎を押さえつけられて、顔を逸らすことができずにジリアンが表情を顰める。
「離れて」
「ふふふ。こうなってしまえば、君も哀れな女の子だな」
ジリアンは全身を使って抵抗するが、ハワードの身体はびくともしなかった。
再び唇が近づく。
しかし、それが触れ合うことはなかった。
ジリアンの胸元で、何かが光って。その光が、ハワードを遮ったのだ。
「何だ?」
ハワードがジリアンの胸元に視線を向けるが、そこには何もない。ただ、淡いピンクの光が溢れ出して、ジリアンの身体を守るように包み込んでいくだけだ。
「なるほど。君に守りの呪いをかけたのは、マルコシアスの小僧だけじゃなかったらしいな」
しばし考え込んだハワードだったが、ややあって頷いた。何かに納得したらしい。
「ふむ。これも消し去ってもいいが、少しばかり手間がかかりそうだ。……放っておくか」
──ズズズズ……。
榛色の瞳の中で、黒い陰が妖しく蠢いた。
「やめて!」
思わず叫んだジリアン。しかし、それを聞いたハワードは嬉しそうに微笑むだけ。
「さよなら、ジリアン」
次の瞬間には、ジリアンの意識はプツリと途切れていた。
「おはよう、ソフィー」
ソフィーが目をさますと、目の前に鳶色の瞳があって。ソフィーは驚いて飛び起きた。
「スチュアート!?」
寝間着姿のスチュアートが、眠っている間にソフィーのベッドに入り込んでいたのだ。驚くのも無理はない。
「どうして……!」
「どうしてって、私達は婚約者だろう?」
「でも……」
「大丈夫、何もしなかったよ。神に誓って本当だ」
スチュアートが嬉しそうに笑いながら、降参とばかりに両手を上げた。
「本当に?」
「本当だよ。……私の眠り姫」
言いながら、スチュアートはソフィーの頬に唇を落とした。
(唇だけは許さないということか。なかなかに嫉妬深い呪いだな)
内心でスチュアートは苦笑いを浮かべた。同時に、胸を躍らせる。
(さて。次はどうしてやろうか)
* * *
「これは?」
仕立屋が持ってきた礼装を試着する。特に仕上げにも問題はないようだった。
最後に、仕立屋が差し出したのは金色に光る宝石をはめ込んだ、カフスボタンだった。
「カナリアダイヤモンドです。たいへん珍しい宝石でして。王族の方に身に着けていただくのに、ぴったりのお品でございます」
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「誰に?」
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問われて、今度は首を傾げる宝石商。あまりにも不自然な様子に、アレンは眉間にシワを寄せた。
「とにかく、こちらを王子殿下のお誕生日のお祝いにお届けしてほしいと、ご注文をお受けしまして……。そうそう。送り主の名は伏せてほしいと、そういうご注文でした」
怪しいことこの上ないが、すでに品代は支払われているという。詐欺の類ではないらしい。
「カナリヤダイヤモンド、といったか」
「はい。こちらは特に黄色みが強く……。ああ、殿下の瞳のお色とよく似ていますね」
彼の言う通り、黄というよりも金に近い輝きを持っている宝石だ。
「どうぞ、お手にとってご覧ください」
言われるがままに、アレンはカフスボタンを手にとった。
その瞬間、アレンの頭の中に嵐が吹き荒れた。
「ぐっ」
思わず呻いて、その場にうずくまる。
「殿下!」
慌てた侍従が走り寄ってきたが、アレンはそれどころではない。
吹きすさぶ嵐の中、ぼんやりしていた何かが像を結ぶ。
愛しい少女の姿が、はっきりと見えた。
「ジリアン……!」
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