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第2部 勤労令嬢、恋をする - 第1章 勤労令嬢と留学生
第1話 動く歴史
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ジリアンは大切な式典の最中だというのに、何故かそればかりが気になった。
最前列に腰掛けているので、彼が賓客であることは間違いない。丈長のコートは深い藍色で、銀色の刺繍が見事だ。漆黒の髪は腰に届くほど長いのに束ねることなく垂らしているので、初めは女性かと思った。しかし、立ち上がるとすぐに違うとわかった。身長が高いのだ。
(ヒト、ではなさそうね)
王国の人間とは顔の特徴や肌の色も違う。ジリアンのそれよりもなおいっそう白い肌に、翡翠の瞳が宝石のようにきらめいているのが遠目でもわかる。
魔大陸から来た『魔族』の一人だろうと、ジリアンは思った。
(後で、紹介してもらえるかしら)
彼の隣にはジリアンの父であるクリフォード・マクリーン侯爵が座っている。にこやかに話をしているので、彼の案内役を務めているのかもしれない。それならば、後ほどジリアンにも紹介してもらえるだろう。堅苦しい式典も、間もなく終わる。
「冷えますわね」
ジリアンの隣の席で、ダイアナ・チェンバース公爵令嬢がつぶやいた。プラチナブロンドにアイスブルーの瞳を持つ彼女には、冬がよく似合う。しかし、本人は寒さが苦手だと話していたことを思い出した。鼻の頭がわずかに赤く染まっていて、今日の彼女は可愛らしさの方が目立つ。
「本当に」
季節は冬、屋外で式典を行うのには似つかわしくない季節だ。しかし、今日は鉄道の開通記念式典。実際に走り出す列車を見届けるための式典なので、屋外で行われるのは仕方がない。
魔力を使って周囲を温める暖房器具も置かれてはいるが、冷たい風がびゅうびゅうと吹いているので効果は薄い。出席している貴婦人たちは、今日ばかりはクリノリンの下にペチコートを何枚も重ね着しているはずだ。もちろん、ジリアンも。
──ポー!
警笛の音が鳴り響いた。
「出発するわ!」
周囲の貴婦人たちが立ち上がったので、ジリアンもそれに倣った。線路の上を、巨大な黒い塊が黒い煙を吐き出しながら動き出す。『魔石炭』を燃やして発生した魔力を動力として走る機関車──『魔力機関車』が、ついに走り出した。
──ワァァァ!
歓声が湧く。ジリアンも手を叩いて祝福した。
王立魔法学院で研究が進んでいた『魔石炭』が、さらに人々の生活を変えていく。その歴史的な瞬間に立ち会っているのだ。
この1年で、この国は大きく変わった。
『魔石炭《コール》』の普及によって、魔法を使う自動機械が広く普及し始めたのだ。これまでは自動機械を動かすためには魔法使いが魔力を込めなければならなかったが、その必要がなくなったためだ。魔力を持たない人でも、魔法の恩恵を受けることができるようになった。
そして、産業の発展は人と物の動きを変えた。
その象徴とも言えるのが、この鉄道の開通だ。
「ジリアン!」
式典終了直後、人混みをくぐり抜けて誰よりも早くジリアンに声をかけたのは、アレンだった。金の髪に金の瞳を持つ青年は、この1年でさらに大人の顔をするようになった。ただし、ジリアンに向ける人懐こい笑顔だけは出会った頃のままだ。
彼はジリアンの幼馴染で、特別な友達でもある。
「……今日は、どちらのアレン?」
「モナハン伯爵家のアレン」
にこりと笑ったアレンが、ジリアンの手を取った。
「いつまでその身分を使うの?」
「さあ。まだ、表向きには『第三王子なんていない』ってことになってるからな」
「そうなの?」
「いろいろあるんだよ」
アレンは三人目の王子として生まれたが、幼い頃にモナハン伯爵家に養子に出されていた。それが伝統らしい。現在は再び王室に戻ったはずだが、それが大々的に発表される様子はなく、未だに『モナハン伯爵家の三男坊』として暮らしている。
ただし、学院でも高位貴族の子女の間では彼の身分については公然の秘密だ。そして、これまでと変わらない付き合いをすることが暗黙の了解となっている。
「それで? どうしてジリアン嬢の手をとる必要があるの?」
アレンを睨みつけたのはダイアナ嬢だ。
「まだいらしたんですね。ダイアナ嬢」
「いましたとも。ずっとね」
言いながら、ダイアナ嬢がアレンの手に手刀を落とす。
「いてて」
「あなた、ずいぶんと図太くなったのね」
ダイアナ嬢がふいと右の方へ視線を走らせた。そこには、ジリアンの護衛騎士ノア・ロイドがいて。
「あの視線が恐くはないの?」
アレンの方を射殺さんばかりの鋭さで睨みつけている。公衆の面前であることとアレンが実は王子であるということから、一応我慢はしているらしい。剣の柄に手を添えており、今にもこちらに斬りかかってきそうな気配ではあるが。
「ははは。あれを怖がってるようじゃ、ジリアンの特別な友達はやってられないだろ。後ろには、御大将が控えてるんだから」
「御大将?」
首を傾げたジリアンに、ダイアナ嬢もアレンも苦笑いを浮かべるだけだった。
「この後の予定は? ないなら送るよ」
アレンが再びジリアンの手をとった。
「予定はないけど……」
『お父様がいるから』と続くはずだった言葉を飲み込んだ。そのお父様本人が、こちらに向かってくるのが見えたからだ。
「お父様!」
鍛え抜かれた体躯に、鋼色の髪を後ろになでつけ、黒い瞳を鋭く光らせる男性。どこからどう見ても立派な武人であるその人が、ジリアンの父、クリフォード・マクリーン侯爵である。
「ジリアン、こちらへ」
手招きされたのでそちらに向かおうとしたが、できなかった。アレンが握ったままの手に力をこめたから。
「アレン?」
「しばらく学院に行けそうにないんだ。今夜、一緒に食事でもどうかな?」
「えっと……」
「却下だ」
いつの間にか、侯爵がジリアンの隣に立っていた。
「食事なら、正式に晩餐に招待したまえ」
「……では、いずれ」
アレンが名残惜しそうに手を離した。その寸前にジリアンの掌をするりと撫でていったので、ジリアンの頬が赤く染まる。
「またな」
「……ええ」
アレンが人波に消えていった。式典が終わって出席者がいっせいに移動を始めているので、周囲には人があふれている。
「では、私もこれで」
「ええ、また学院で」
ダイアナ嬢も、護衛の騎士に連れられて帰って行った。
「私達も帰りますか?」
「いや、その前に紹介したい人がいる」
侯爵の言葉に、ジリアンの胸が高鳴った。
(あの方だわ!)
「話がしたいだろうと思って」
「はい! ありがとうございます、お父様!」
近頃のジリアンは、魔大陸の魔法に関する勉強に余念がない。第2学年から履修できる『魔大陸における魔法体系の理解』の講義だけでは、とうてい物足りないのだ。
「こちらへ」
侯爵にエスコートされた先には、やはりその人がいた。近くで見ると、思いのほか若いことがわかる。年の頃はジリアンと変わらないかもしれない。
「ああ、侯爵。そちらが噂のお嬢様ですね?」
歌うような声だと思った。
「ええ。ジリアン、ご挨拶を」
「ジリアン・マクリーンでございます。どうぞ、お見知りおきを」
スカートの裾を持ち上げて軽く膝を折り、ごく自然に軽く頭を下げた。
「美しいお嬢様だ。まさか、霜の巨人族を一人で退けた魔法使いがあなたとは、とても思えないな」
その言葉には、ぎょっとした。その件を知っているのは、国内でも一握りの人間だけなのだ。ましてや、彼は魔大陸に住む魔族だ。
(どうして、知っているのかしら?)
思わず侯爵の顔を見上げると、侯爵はわずかに頷いた。
「こちらは、テオバルト・マルコシアス侯爵閣下だ。この度、外交官補佐としてルズベリー王国に滞在されることになった」
それで得心がいった。二国間の外交を担うならば、あの事件について詳しく知っていても何の不思議もない。
「外交官補佐とは、オマケのような肩書ですよ。実際には『若造が侯爵位を継いだので勉強してこい』ということです」
「そうなのですね」
「ええ。歳はあなたと同じ18歳です」
確かに若い。その歳で侯爵位を継いだとなれば苦労も多いだろう。
「こちらの魔法についても学びたいですし、しばらく滞在することになります」
マルコシアス侯爵が、ジリアンの手をとった。そのまま、手袋越しに唇を落とす。挨拶一つとっても、流れるような美しい所作だ。
「ぜひ、この国のことを教えて下さい」
「ええ。私でよろしければ」
その日は、挨拶だけで別れた。式典で疲れているだろうとマクリーン侯爵が言ったからだ。正直に言えばジリアンも寒さに辟易していたので、早く帰りたいとも思っていたが、それよりも魔大陸の魔法について聞きたかった。
「またの機会に」
マルコシアス侯爵が笑顔で手を振ってくれたので、ジリアンも頷いて手を振った。
「お手紙をお送りしてもよろしいですか?」
「もちろんです」
ジリアンの提案に、マルコシアス侯爵は一も二もなく頷いてくれたのだった。
そんな挨拶をした、翌日のことだった。
「どうして、学院に?」
思わず素っ頓狂な声を上げたジリアンに、マルコシアス侯爵が笑った。いたずらが成功した時の子供のような笑顔だ。
「手紙より、こちらのほうが手っ取り早いでしょう?」
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第2部スタートです!お付き合いのほど、よろしくお願いいたします!
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