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第1部 勤労令嬢、愛を知る - 第1章 勤労令嬢と侯爵様

第12話 ただいま、お父様

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 ジリアンとアレンが首都ハンプソムに到着したのは、それから25日後の夕暮れ時のことだった。

 首都ハンプソム市壁しへきはなく、街道を進めばそのまま街の中に入ることができた。街道沿いには宿や酒場、串焼きや惣菜そうざい露店ろてんが立ち並んでいる。かなりにぎやかだ。
 二人はそれらを素通りして、とにかく街の中心に向かっている。珍しい街並みを眺めたい気持ちもあったが、今はとにかく身体を休めたかった。

「結局、最後まで歩いたな」
「うん」
「疲れた」
「だったら、なんで一緒に歩いたのよ」

 アレンの言いように、ジリアンは唇を尖らせた。

「そりゃあ、友達だから」
「……友達?」
「……違うのかよ」

 今度はアレンが唇を尖らせる。

「ううん。……そうだったらいいなって、思ってた」
「今更だろ。ひと月も一緒にいたら、普通は友達だ」
「そっか」
「おう」

 今度は、二人でモジモジしながら歩いた。

「私、友達って初めて」
「俺も」
「そうなの?」
「意外か?」
「うん。友達たくさんいそう」
「友達なんてつくる機会がなかったからな。周りは大人ばっかりだった」
「私も」
「じゃあ、俺たちは特別な友達だな」
「特別な友達?」
「そうだろ?」
「うん……!」

 ジリアンは胸の高鳴りを抑えられなかった。友達ができた。そして旅も無事に終わる。なにより。

(もうすぐ、侯爵様に会える……!)




 旅の間、毎日のように侯爵と手紙のやりとりをした。
 顔が見えないからだろうか、ジリアンは自分の素直な気持ちを伝えることができた。

『働くことは好き。働いてないと不安になっちゃう』

 でも、本当は。

『外で遊びまわる村の子供たちがうらやましかった。ずっとお腹も空いてたし、叩かれるのは痛かった。辛かった。でも、私を助けてくれる人は一人もいなかった』

 あの日、侯爵に救い出されて嬉しかった。けれど。

『自分がそれに見合う人間になれるのか、ずっとずっと不安です』

 侯爵も、たくさんの気持ちを手紙に綴ってくれた。

『どうして私を引き取ってくれたんですか?』
『同情と打算だ。君の魔法の才能を見込んで、私の後継者にと考えた』

『侯爵様は、結婚はしないんですか?』
『私にも妻と子どもがいた。子どもが生まれてすぐに、二人とも病気で亡くなったんだ。15年前のことだ。私は戦場にいて、看取みとることすらできなかった』
『再婚はしないんですか?』
『今でも妻を愛している。他の女性を妻にすることは考えたこともない』

『私は、亡くなったお子さんの代わりですか?』
『あるいは、そうかもしれない。あの子にしてやれなかったことを、代わりに君にしてあげたいと思っている』
『あの子にしてあげられなかったこと?』

『私の愛情の全てを注いで大切に育てること。そして、いつか私の元から巣立すだっていく姿を見守ることだ』

 侯爵は、ジリアンの質問に真摯しんしに答えてくれた。心を痛める質問もあっただろうに、それでも真っ直ぐに答えてくれた。
 
『誰かの役に立とうと思ったり、自分の力を証明したりするのは、もっとずっと先でいい。私はただ、君に当たり前の子供時代を過ごしてもらいたい』

 侯爵からもらった手紙は、丁寧ていねいたたんで皮の袋に入れた。袋にはひもをつけて肩からかけて。ずっとずっと肌身離はだみはなさず持って歩いた。侯爵の言葉は、ジリアンにとっては宝物であり、お守りになった。




 ジリアンは手紙の入った袋をぎゅっと握りしめた。あと数十歩で、侯爵のタウンハウスにたどり着く。

「お嬢様!」

 不意に、その門の方から声が上がった。

「お嬢様! お嬢様!」

 オリヴィアだ。泣きながらこちらに駆けてくる。

「お嬢様!」

 ジリアンのもとまで一気に駆けて来たオリヴィアが、その身体をぎゅっと抱きしめた。

「お怪我はありませんか? お腹は空いていませんか?」
「大丈夫」
「お顔を見せてください。……ああ、お嬢様!」

 ジリアンの顔をまじまじと見つめたオリヴィアは、再びジリアンを抱きしめてわんわんと泣き始めてしまった。

「心配かけてごめんなさい」
「いいえ、いいえ。いいんです。……ご立派でしたよ、お嬢様」

 つられてジリアンの目尻にも涙が浮かんだ。何と言えばいいのかわからなくて、ジリアンもオリヴィアの体にぎゅっと抱きついた。

「まずは屋敷に入りましょう」

 声をかけてくれたのは、いつの間にか隣に立っていたロイド氏だ。ずっとジリアンを見守ってくれていた人。ジリアンの願いをんで、いっさい姿を見せることなく、ただそばにいてくれた人。

「はい」

 ロイド氏がジリアンとオリヴィアを促した。
 もう、ジリアンを抱き上げようとはしなかった。

「お帰りなさいませ」

 門の中には、屋敷中の使用人が集まっていた。口々にジリアンに声をかけてくれる。

「ご無事で何よりです」
「今夜はごちそうを作ってありますよ」
「お菓子もたくさんあります」
「まずは温かいお茶はいかがですか?」
「お風呂には薔薇ばらの花びらを入れましょうね」

 門から玄関に向かう小道には、バラのアーチが続いていた。秋咲きの鮮やかな色味のバラが咲き誇っている。

「もう、秋なんだね」
「そうだな」

 その庭の入り口で、アレンが立ち止まった。

「じゃあな」
「え?」
「え、ってなんだよ」
「だって……」
「俺も家に帰るよ」
「そっか」
「……またすぐ、会いにくる」
「ほんと?」
「ほんと。友達だろ?」
「約束?」
「約束だ」

 アレンが、ジリアンの右手をとった。そのまま、その指先に優しく口付ける。

「ア、アレン!」
「ただの挨拶だろ?」
「でも!」

 みんなが見ているのに、と続くはずだった言葉は、大きな手のひらに遮られてしまった。

「気安く触るな」

 マクリーン侯爵だ。
 アレンに握られていたジリアンの手をとり、そのままくるりと自分の背の後ろに隠してしまった。

「これはこれはマクリーン侯爵閣下、失礼いたしました」
「……」

 侯爵は何も答えなかった。

「じゃあな、ジリアン」
「うん。またね」

 ジリアンが侯爵の後ろから顔をのぞかせると、アレンは笑顔で手を振って。颯爽さっそうと門の外へと去っていった。すぐ外には馬車が待っていて、その馬車もあっという間に見えなくなってしまった。

「……ずいぶん、仲良くなったんだな」
「はい。特別な友達です」
「……そうか」

 それっきり、侯爵は黙り込んでしまった。
 その様子を見ている使用人たちの肩が震えている。

(どうしたのかしら)

「ジリアン」
「はい」
「旅はどうだった?」
「楽しかったです」
「そうか。ならよかった」
「……はい!」

 侯爵がジリアンの手を引く。けれど、ジリアンは立ち止まったまま動かなかった。

「どうした?」

 ジリアンはごくりと喉を鳴らした。

(言わなきゃ。でも、大丈夫かな……)

 嫌われるかもしれない、という不安は簡単には拭い去れない。顔を見て話せばなおさらだ。
 それでも。

(勇気を出すのよ、ジリアン!)



「ただいま帰りました。……お父様」



 侯爵の目が大きく見開かれた。次いで、その目尻にくしゃりとしわがよる。

「おかえり、ジリアン」

 甘い甘いトフィーのような瞳が、ジリアンを見つめる。
 ジリアンは、思わずその身体に飛びついた。侯爵は軽々とジリアンを抱き上げて、その小さな身体をぎゅっと抱きしめる。

「頑張ったな」
「はい」
えらかったぞ」
「はい」
「立派だ」
「はい」
「君は、きっと人の役に立つ大人になる」
「はい」

 ジリアンの瞳から涙があふれた。声を上げるのも我慢できなかった。


 わんわんと子供のように泣き始めたジリアンを、誰もが優しく見守ってくれていた。
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