君がいるから呼吸ができる

尾岡れき

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閑話8 君がいないと呼吸ができない名探偵File2

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――雪の中に埋もれた真実、私たちで溶かしましょう?




■■■




 16世紀に建てられた王城で開催された一夜限定の脱出ゲーム。そこで事件は起きた。

 城の持ち主、アーサー卿が寝室から忽然と行方不明になった。オートロックされ、アーサー以外が出ることは叶わない。脱出ゲーム専用にカスタマイズされた王城は、現代のセキュリティーが施され、24時間、外部と接触することができなかった。

 居室には血液。鑑識のスカイが同席したのは僥倖。鑑定の結果、アーサー卿のものと一致。アーサー卿は殺められ、何者かに連れ去られた――密室状態で。
 ゲストとして参加した警視庁ヤードウインタースカイ――そして、ウインターに誘われた雪《わたし》。ウインターとリハビリのつもりで――そしてデート気分で参加したのに、全て台無しだ。

 でも実際、死者が三人出ている。手をこまねいている場合しゃないのも確か。

ウインター、傍にいてね」

 私は彼の手の温もりを感じながら言う。本当なら、外に出ることそのものが億劫だ。多くの人の視線に曝されるだけだ、息が止まりそうになる。

 もうすでに終わったことなのに、過去の事件が残像となって瞼の裏にチラつく。

 そんな私をいつも現実に引き戻してくれるのも、冬だった。

スノー、ちゃんと傍にいるからね。だから君は君ができることをすれば良いよ。後のイレギュラーは全部俺が対処するから」

「……殺人現場で二人の世界に入るのやめてくれない? イチャつくなら外でやれってば」
「「イチャついてない」」
「おぉ……仲良しだよね。やっぱり、息ぴったりじゃん」

 感心したように空が言う。それで緊張が解れるのを感じた。警視庁ヤードの鑑識課に属する私の弟は、事あるごとにこうやって揶揄ってくる。

 それでも冬は、動じずに私の手を離さないでいてくれる。私は事件を解く。彼は事件を提供する。それが私たちの契約なのに――。

「言っておくけど、契約だなんて思ってないからね」
「え?」

「君の推理に魅せられているのは否定しない。迷宮入りした事件を解きほぐす君の手腕は見事だって常々思ってるよ。そんな君を名探偵として尊敬している。でもね、スノー。俺はそれ以上に、君との時間を共有することが楽しみだ、だから今回の事件も不本意だ。俺は君と一緒の時間を楽しみにしていて――」

 私は人差し指で彼の唇に触れる、

スノー?」
「冬がそう想ってくれたの嬉しいよ。でも、警視庁ヤードの刑事の発言としては、バッテンだよ。この事件、とっとと終わらせなくちゃ」
「うん……」

 ションボリしたウインターを、私は躊躇なく抱きしめた。

「雪?」
「手伝って、ウインター? あなたのサポートが必要なの」
「……わかった」

 コクンと小さく頷く。私は思わず微笑が溢れた。

「雪の中に埋もれた真実、私たちで溶かしましょう?」





「どうでも良いんだけどさ」

 スカイがボソリと呟く。

「二人の世界に没入して無視するの、止めてくれない? ココ俺もいるんだからね!」

 ごねんねと心のなかで呟く。今の私にはウインターの温度が必要なのだ。自分一人では何もできず呼吸もできない探偵。でも彼がいればフラッシュバックする悪夢だって、単なる映像に成り下がる。

 雪に埋もれた真実――私たちで溶かしてあげる。




■■■




 ツアー客、関係者を王城、謁見の間に集めてもらった。玉座には脱出ゲームの象徴である鎧の騎士が鎮座している。コンセプトは死者の王ネクロマンサーに呼び出された罪人たち。24時間以内に出ることがかなわなければ【王】に断罪されるというだ。

「刑事さん……それから探偵さんでしたっけ? ここに関係者を全員集めて、ミステリーの推理劇でも見せてくれるつもりですか?」

 半ば苛立ちを隠せず、客の一人は言うが冬は意に解さない。恭しく、私に手を差し伸べる。私は冬にエスコートされ、中央に立った。ウインターはその手を離さず、私の隣に立つ。
 私は大きく深呼吸をした。

「申し訳ありません、私は勿体ぶって推理劇をするつもりはありませんので、単刀直入に結論を申し上げたいと思います。犯人はこの城にいますが、皆様方の誰かではありません」

 私の言葉に、場は騒然となる。と、冬が軍隊式に踵を鳴らした。その一瞬の動作で、空気はあっという間に沈静する。

「お静かに。まずはスノーの話を聞きましょう。判断はそれからです」

 とウインターは言う。

「兄ちゃん……。公の場では、線を引くって言ってたけど、もう姉ちゃんのことしか見えてないじゃん!」

 とスカイがぼやくのが聞こえたが、そんな些細なことはどうでも良かった。冬が私の隣で支えてくれる。その温もりを感じる。それだけどれだけ、多くの視線に曝されても。感情を当てられても、私は息ができる。

「犯人は――最初に行方不明になったアーサー卿です」





 私の言葉に騒然となるが、今度はウインターは何もしない。ただ、私がそれぞれを眺めるように視線を送る。その一瞬で、静寂を取り戻す。

「しかし、探偵さん。それは無理がありませんか? アーサー卿の部屋には血痕があった。明らかに誰かに害された証拠でしょう。それに…… 施錠ロックされていました。網膜認証と声帯認証が施され、監視カメラもある。部屋から出た形跡も、カメラから画像も確認できなかった。この状況、無謀な推論は死者への冒涜となりませんか?」

「確かに……完全にロックされていました。そして血痕ばかりで、死体は確認できていない。警視庁ヤードが密室殺人を疑ったのも当然のことです。でも、それも殺されていたら、の話です」
「え?」

「こういうことです。アーサー卿は生きていた。ほとぼりが冷めるまで、あの部屋に彼はいたのです。そして、落ち浮いて私達が引き上げてから、彼は自分でロックを解除して部屋を出た」

「そんな、バカバカしい! 私達はあの部屋のなかを探し回った。誰もいなかったし、卿の死体も――」

 私が甲冑に触れる。ゲスト達の興奮が萎んでいくのが見てとれた。

「この甲冑、それぞれの部屋にもありましたよね。それこそアーサー卿の部屋にも」

 整然と並んだ甲冑。玉座には、腰を掛けた甲冑の王が。この城には不自然なまでに、甲冑が並んでいた。

「私の仮説はこうです。アーサー卿は、自分の手首を軽く切って、床に撒き散らした。それから止血をして甲冑を着込む。後はそのままソコに立っていれば良い。皆さんが退室をしてから、卿は甲冑を脱ぐ。そして自分でロックを解除したのです」

「しかし、それなら防犯カメラに映っているはず――」

「そうですね。でも、これも主催者であるアーサー卿なら可能なはずなんです。彼がこの脱出ゲームのホストですから。ホスト権限で、防犯カメラの撮影を止めたら良い。スカイ、映像の検証結果はどうだったの?」

 と私はスカイに向かって聞く。

「犯行時間直後、その後2時間間隔で合成編集されているのを確認したよ、姉ちゃん」
「と、いうことのようです。アーサー卿は殺されていない。この城内のドコかで、犯行継続を狙っている可能性が――」

 ガチャ。ガチャガチャガチャガチャ。

 金属音が鳴り響く。玉座に座っていた甲冑が、突然動き出したのだ。鞘から剣を抜き放って。

「こんなことで、娘の無念が晴らせぬなど、認めん。絶対に認め――」

 スローモーションで時が動いていくように見えた。私をめがけて、甲冑の騎士は剣を振り回す。

 悪意。その感情に晒されて、こんな時だと言うのに呼吸が浅くなる。せめてウインターだけは守らなくちゃ、そう思って。一歩前に出て、両手を広げた刹那だった。

「―― スノーには誰も触れさせない。例えそれが女王でも、神でも」

 しなやかに、飛ぶように。

 ウインターが跳躍して、拳銃を取り出す。
 照準を定めることなく、無造作に引き金を引く。

 やけに乾いた音が響いて。

 私の真横で、弾丸が放たれた。
 甲冑に身を包んだアーサー卿の方が有利なはずなのに。

 弾丸が、アーサー卿に直撃した。その衝撃で体幹が崩れて、兜が飛んでいく。

「卿、あなたの理由は正直どうでも良い。ただ雪を傷つけようとするなら、俺は許さない」

 ウインターの言葉を呆然と聞きながら。人の悪意、嘆き、憎しみ、悲哀を目の当たりにして呼吸が浅くなる。

(あ、ぁ――)

 気管が狭窄して。肺が押し潰されそうな感覚。息が、呼吸ができなくなる。だから現場は苦手なん――。

 と、ウインターが何かを投げた。それを危なげなくスカイがキャッチした。シャランと金属音を鳴る。でも私は、視野を塞がれて追いかけることはかなわなかった。

 私は、ウインターに抱きしめられ包み込まれていたから。あれほど苦しかったのに、こうしてもらえるだけで、酸素が巡って、細胞という細胞が再び呼吸できる。朦朧とした思考のなかで、そんな感覚に陥った。全部、包み込まれて。取り憑かれそうな悪意を、こうやって冬はあっさり払ってくれる。

(結局、私はあなたがいないと息ができない――)

 周囲に気を遣う余裕なんてなかった。こんな探偵、何の役に立つんだろうといつも自虐的に思ってしまう。その度に、ゆきに埋もれた真実を溶かすことができるのは貴女だけだと、そうウインターは囁いた。

 そんなこともどうでも良いくらい、私はウインターに包み込まれていた。




「兄ちゃん、姉ちゃん以外の人に興味無さすぎでしょう。俺が鑑識班なの分かってるのかな?」

 やれやれとため息をつく。カシャンとまた金属音が鳴り響いた。

「――女王の名のもと警視庁ヤードの権限を行使する。アーサー・グリフォンテイル卿。あなたを殺人容疑で逮捕する」

 もう一度、無機質に金属音がカシャリと鳴り響いた。アーサー卿が、手錠で拘束されたのだ。





■■■




「ど、どうかな……?」

 雪姫が緊張した面持ちで、俺を見る。俺はスマートフォンに表示されたを夢中になって読み耽っていった。結果、最新話まで読み切ってしまったのだが――面白さと相まって、気恥ずかしから体が火照る。

 雪姫の部屋で――ベッドに腰をかけて、雪姫とほぼゼロ距離で――俺と雪姫を意識せざる得ない物語を読んだのだ。雪姫の顔を正視できない。

(これって……そういうことなんだよな)

 それに、と思う。初めて入った雪姫の部屋は、本棚に収められたよりどりみどりの書籍の数々。ベッド頭元に置かれている猫のぬいぐるみ。デスクの上のノートパソコン。写真立てが置かれ、カフェオレを淹れた時の二人のツーショット写真がおさまっていた。スマートフォン全盛期のこの時代にアナログ写真。妙な気恥ずかしさを駆り立てる。

 空君が街の写真屋さんで、印刷してきたらしい。口ではあんなことを言いながら、結局は姉想いの弟君なのだ。

 でも、今は――。色々なことが一度に起こりすぎて、俺の思考が追いつかない。

「お、面白かった……」

 それは本音。俺は小説が書けないから、そうやって頭のなかでイメージした世界を描ける人は本当にスゴイと思う。

「雪姫がこうやって小説書いているのって、みんな知ってるの?」

 思わず聞いてしまう。

「うん、文芸部のコアメンバーはみんな知ってるよ」

 コクンと頷く雪姫を見て、一抹の寂しさが込み上げてきた。分かっていたことだ。俺はここでは部外者で、雪姫について知らないことが多すぎる。思わず、俺は雪姫から目を逸し――。
 ぐわんと視界が揺れた。

「へ?」

 気付けば、雪姫に俺は押し倒されていた。

「ゆ、雪姫?」
「冬君が遠くなった」
「え?」
「冬君、絶対に勘違いしてるから」
「ゆ、ゆ――」

 名前を呼ぶより早く、唇を塞がれる。雪姫の唇で。クラクラと目眩を覚える。最近、自分の気持ちが雪姫にあっさり伝わっている気がする。特に不安を抱えてしまった時、それは顕著だった。

「……私、ずっとバッドエンドの作品しか書けなかった。冬君に会ってからなの。読む人が幸せになる小説を書いてみたいって思ったの。こんな気持ち、初めてだったから」

「雪姫?」

「人を好きになるって、よく分からなかったの。ベタベタしてる恋愛なんか気持ち悪いって思ってた。それよりアクションや頭脳戦を書いている方が好きだったから。誰かが不幸になって、破滅する姿ばっかり思い描いてた。私なんか消えてしまったら良いのにって、ずっとそう思っていた。空想の世界に閉じこもっていたかった。現実リアルで誰かと一緒に笑っていたいって思ったの、冬君が初めてだから」

 雪姫の言葉に俺は目をパチクリさせて、息を呑む。

「え? でも貴島さんや光が――」

「彩ちゃんや海崎君がいてくれたことは本当に感謝してるよ。でも、私のなかの凍りついた感情を溶かしてくれたのは、冬君だよ」

 だから、そう雪姫は呟く。俺の手を、その手で抑えながら。

「目を逸らしたらイヤ。離れたらイヤ。勝手にいなくなったらイヤだから。私はこの小説を冬君に見せるのに、本当に勇気を振り絞ったんだから。あなたに全部晒したいって思ったの。他の人と同列なんて思わないで。私が冬君の一番じゃなきゃ満足できないんだから」
「……雪姫」

 その感覚は少し分かるかもしれない。俺が COLORSカラーズの真冬だと告白したあの瞬間。過去の作品じぶんを見られると覚悟を決めた。自分の奥底まで大切な人に見られる。それは裸になる以上に、勇気がいることだと、今でも思ってしまう。

「――私は、あなたがいないと息ができない」

 それはスノーの台詞なのか。雪姫ゆきの言葉なのか。そんな思考に囚われていると、その刹那――。

「姉ちゃん、翼がシュークリーム買ってきたんだけど、一緒に食べ――」

 ノックもされずドアが開け放たれた。

「「「あ」」」

 それぞれ、声が凍りつく。慌てて、俺と雪姫はベッドの端と端へ離れた。

「……姉ちゃん、兄ちゃん、あ、その。ごめんね? 今が、その最中とは知らなかったから。本当にごめん!」

「……何で空は、いつもノックしないの? そういうのエチケット違反だよ? それと空が思うようなこと、し、していたわけじゃないから!」

 雪姫の反論に、空君は赤くな頬を染めながら、大丈夫だよとウンウン頷く。
 うん。全然、大丈夫じゃないよね、その反応?

「冬希兄ちゃん、ゴムなかったら言ってね?」
「へ?」
「……だから、そういうことしてないんだって――空のバカ!」

 雪姫の怒号が、鳴り響いた。でも当分この誤解は解けそうになかった。




■■■




 ようやく落ち着いた――のかどうかは分からないけど。ダイニングでティータイムに漕ぎ着けることができた。そこまでの努力たるや、誰か俺を褒めてほしい。

 ――雪姫のレモンティーが飲みたい。

 そうリクエストすると、ようやく雪姫が嬉しそうに微笑んでくれた。、
 そして今、彼女が淹れてくれた紅茶を味わう。

(あぁ……やっぱり好きだな)

 自然とそんな想いが込み上げてくる。

 天音さんが持ってきてくれたシュークリームも美味しいけど、ちょっと残念と思ってしまう自分がいる。雪姫が作るスイーツを楽しみにしている自分がいるから――何のことはない。俺の方が、雪姫に依存して、この空気感が心地良いと思っているのだ。

 (誰にも渡したくない)
 心底、そう思ってしまう。
 と、唐突に雪姫が俺の耳元で囁いた。




 ――もう一回言うけれど、私のなかの凍りついた感情を溶かしてくれたのは、冬君だからね。私が冬君の一番じゃなきゃ満足できない。私はあなたがいないと呼吸ができないから。



 レモンティーがこれ以上ないくらい、甘く感じてしまうのはどうしてか。ウインターなら、こんな時なんて言葉を紡ぐんだろう。でも俺は冬希だから、肩をほんの少しだけ距離を近づけて――君のそばにいる、それだけを囁く。俺の隣でだけ息をして欲しいと。誰か違う人じゃなくて、俺が良いと、そう囁いてしまう。

 雪姫のことを言えない。
 俺こそ、独占欲の塊だった。





■■■





「私はやっぱり、ウインター。あなたがいないと息ができな――」
「傍にいる」
「え……?」
「傍にいるから、俺の隣で息をして欲しい。違う誰かじゃなくて、俺の隣で息をして。スノー、俺はね。君が思う以上に独占欲の塊だから。だから、俺の隣でだけ息をして」
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