君がいるから呼吸ができる

尾岡れき

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閑話6 天音さんはもう遠慮しない

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 天音翼さんを一言で言えば、学校のアイドル――そんな言い方が一番妥当かもしれない。湊という彼女がいる俺だが、そんな俺でもつい眺めてしまう。
 今もこうやって、クラスメートに囲まれている姿を見ながら、そう思う。

「黄島君、おはようございます」
「お、おぅ。おはよう、天音さん」

 彼女にニッコリ微笑まれて、つい挙動不審になる自分が可笑しい。

「彩翔、何キョドってるの?」

 ニンマリ、湊が笑って冷やかしてくる。ボーイッシュな湊と天音さんが並ぶと、絵になるとシミジミ思う。湊は調子に乗るから言わないけれど。

「つーちゃん、おはよー」
「みーちゃんもおはよー」

 二人は同じ女子バスケ部同士で気安い関係だ。軽くハイタッチするのが二人の朝の挨拶だった。と、天音さんは、アイツ――下河空の席を見やる。

 先週、席替えでまた天音さんと空は隣同士になった。彼女はポーカーフェイス
を貫いていたが、部活での天音さんのハイテンションぶりは目を見張るものがあった。

 その目は、まだ来ていない机の持ち主を今か今かと待ちきれないのが、筒抜けで。
 クラスの男子連中は、まだこの二人の変化に気付いていない。

 ずっと空と仲良くなりたかった天音さん。
 憧れの人として、遠くから眺めていた空。

 あいつは雪姫さんの不登校を契機に、バスケ部も辞めたし、クラスメートとも関わらなくなった。今や俺や湊と遊びでバスケを――ワン・オン・ワンに付き合うぐらい。
 今のクラスの中での空の評価は、付き合いの悪い、ランク底辺の陰キャだった。

(あいつは雪姫さんのことが、最優先だからな)

 でも、と思う。まだバスケを続けていたら、レギュラーは間違いなかったはずだ。ワン・オン・ワンで見せる技術そしてセンスは、まるで劣化していない。
 と噂の下河空が、気怠さを隠さずに教室に入ってきた。

「おぅ。空、おはよー」
「空、おはよう」

 俺や湊の挨拶にボソリと「おはよ」と返して、席に着く。周囲を一切シャットアウトと言いた気に、本を取り出すのも、いつものことで。そこを妨害するのが、俺と湊のお仕事で――。

「おはよう」

 にっこり笑って、天音さんが言う。

「……はよ。天音さん」

 おい、空。お前なにをした? ぶすっと頬を膨らまして天音さんは仁王立ちだ。何で朝からいきなり天音さんをご機嫌ナナメにしたんだ?

 空はそんな天音さんに気付かず本のページをめくり――ようやく、その痛い視線に気付いたのか、顔をあげる。

「え?」
「空君。昨日はちゃんとお話してくれたのに、何で今日はそんなに他人行儀なの?」

「え。いや? え? 天音さ――」
「翼って、呼んでくれなきゃ返事しない」

「あの、ちょと。天音さん、ココは教室で。みんな見てるから――」
「昨日はあんなに優しくしてくれたのに」

「いや、言い方!」
「お家にも連れて行ってくれたのに――」

「ピクニックの片付けだよね!」
「その後、なかなか帰してくれなくて。まだまだ離さないって――」

「誤解生むから! フォーリンナイト勝ち逃げして、帰ろうとするからじゃん!」

 ゲームの話かよ。

「お義父さんとお義母さんにしっかり挨拶もしたのに」
「お邪魔しますって、挨拶しただけだよね? いや、ウチの母ちゃん、色々と言いたそうだったけど」

「……私は友達って思ってたけど。空君はやっぱり、そうは思っていなかったんだね」
「い、いや。友達だよ。ちゃんと友達だって思ってるよ」
「じゃあ、ちゃんと『翼』って呼んで」

 その大きな瞳で見つめられて、空が狼狽えている。こんな光景なかなか見られないが、それ以前にアイドルに密かに想いを寄せていた男子達は、心中穏やかじゃないはずだ。敵意と殺気を隠すことなく、空に向けていた。

「そ、それは……」
「黄島君とみーちゃんは名前で呼ぶのに? 私は呼んでくれないの?」

 天音さんはそう言って俯く。

「私が幼馴染じゃないから? やっぱり転校生って余所者扱い? 私はジャマってこと――」
「……翼」

 空が耐えきれなくなって、ポツリと名前を呟く。俺は湊と顔を見合わせた。ねぇねぇ空? コレ、何が起きてんの?

 天音さんが、空に関心を抱いているのは知っていた。天音さんが転校してきた当初、色眼鏡なく彼女に接していたのは、空だったからだ。

 他の男子は、アイドルというキャッチコピーが浸透してから、その目を向け始めた。そもそも、空とそれ以外じゃスタートラインが違いすぎる。
 と、天音さんは嬉しそうに微笑んで――。

「よく聞こえない」
「……」

 いや天音さん、満面の笑顔でそう言われても説得力無いぞ。メチャクチャ嬉しそうじゃん。

「ピクニックに一緒に参加できたの、よっぽと嬉しかったんだね」

 と湊が言う。俺も姉ちゃんから聞いていたけれど。雪姫さんが外に出られたのは本当に良かった、そう思うのだが――。

 天音さん、妥協する気が全くないな。昨日を契機に彼女は覚悟を決めた。その決意をあの笑顔から感じる。

(……お前ら、もう無理だぞ。ありゃ入り込む余地、全く無いから)
 と嫉妬にかられている男子陣を見やる。

「翼」
「聞こえない」

「翼」
「なに?」

「翼!」
「うん、空君」

 にっこり笑って、天音さんが答える。今まであんな風に彼女が笑う姿、見たことあっただろうか? 取り繕った笑顔じゃない。バスケ部でも見せない、心の底からの笑顔。空まで見惚れてしまっている。いや、お前もそんな顔するんだなって、ちょっと感心したわ。

「ねぇ、彩翔」
「なに、湊?」
「ちょっと面白くなってきたよね?」

 ニシシと笑う湊に、俺は小さく息をつく。下手にからかったら空は意固地になる。できればそうっとしておいてあげたいが――いや、無理か。天音さんはもう一度、空と接点を作りたいってずと悩んでいた。ようやく天音さんは踏み出した。俺らがどうこうしなくても、きっと彼女は距離を埋めていくし、湊は全力で応援するだろう。

「だって、空は幸せになるべきだよ」

 俺と湊が付き合うキッカケをくれたのは、空だ。幼馴染の関係をまったく崩すことなく、今日まで接してくれたのも空。雪姫さんを優先したことで、周囲の評価が下がっても卑屈にならないのが空で。そんな空だから――天音さんが想い傾けるのも分かる気がするのだ。

「空君?」
「なに?」
「ちゃんと名前で呼んでくれないと、返事してあげないからね」

 天音さんは満面の笑顔でそう言う。

「分かった、分かったから」

 ぷいっとそっぷを向いて、それから呟いた。

「――翼」

 でも、本当に俺たちは何を見せられているんだろうな?
 




■■■




「おい、下河、どういうことなんだ?!」
「アイドルと接点なんかなかったろ?」
「何でお前なんだよ?」
「いつのまに?」
「どんな卑怯な手を使ったんだ?」

 天音さんと湊がトイレに立った瞬間だった。浅ましい男子陣の詰問がはじまる。

「お前ら、見苦しすぎだろ――」

 助け船を出した俺を男子諸君は、ソレ以上のエネルギーで俺を封殺しにくる。

「彼女持ちは黙ってろ!」
「これは俺達の死活問題なんだ!」
「なんで俺たちのアイドルがこんなヤツに!」
「こんなヤツに?」

 ……あっちゃー。俺は知らないからな。
 空も天を仰いでいる。

「だってこんなヤツで充分だろ? 取り柄も何もないし」
「シスコンだって噂じゃん。お姉ちゃん離れ、この年でできないってギャグでしかないじゃん」
「正直、キモいよな」
「どう考えたって、アイドルに釣り合わないじゃん」

「イヤ、キモいのあんた達だし」
 湊が呆れて、声を出す。
 その隣には、天音さんが背筋をのばして、彼らを――軽蔑の視線で見下していた。

「もう一度聞きます。こんなヤツって、どういう意味ですか?」

 一歩、一歩、天音さんが近づく。その顔からは、いつものアイドルとしての笑顔は消失していた。

「え、あ、だって。下河って、地味だし。シスコンだし、こんなヤツで充分だろ? 天音さんには似合わな――」
「私の友達を、どうしてあなた達に決められないといけないんですか?」

「え、あ、その、いや」
「空君はステキな人です。お姉さん想いで、だからお姉さんのことを最優先している。取り柄がないって言うけど、あなた達は、空君の何を知っているんですか?」

「そんなの、天音さんだって、下河のこと知らな――」
「何も知らない私が不安にならないように、転校当初、学校を案内してくれたり、色々教えてくれたのは空君です。空君は優しい人です。少なくとも困っている私を素通りしないし、苦しんでいるお姉さんを見捨てない。誰よりも人の幸せが願えるし。みーちゃんと黄島君が付き合ったのだって――」
「ちょ、ちょっと、翼。それは話が脱線するから、ね」

 気恥ずかしくなったのか、湊が割り込む。助かったと、俺はほっと胸をなでおろした。でも、と思う。空、これはお前が思っている以上に天音さん、惚れ込んでいるぞ?

「翼、もういいから」

 と言ったのは空だった。

「空君?」
「シスコンって言われても、何言われても良いから。ただ、それ以上意地を張っても、翼が変に言われるだけだし。だから、もう良いの。あまり俺に構わなくていいからさ――」

 空なりに軌道修正をしようとしたんだろう。でも、天音さんはそんなことをお構いなしに空の頬を何回となく指で突く。

「……な、何やってんの?」
「良いなぁ、って思って」

「は?」
「空君に『翼』って呼んでもらえるの、やっぱり好きだなぁ、って」

「い、いや。今、そういう話じゃなくて――」
「友達ってさ、誰かに認定してもらうものじゃないと思うんだよね。私は空君と友達になれて嬉しかった。それだけだよ? 空君はどうかな?」
「……い、イヤじゃない」

 素直じゃない。お前がずっと、天音さんを目で追いかけていたの、俺は知っていますけど?

 いや、空? 俺を睨むのはちょっと違うんじゃない?
 でも、そんなことどうでも良いぐらい、天音さんは満面の笑顔を溢す。

「嬉しくなかった?」
「……」

「私はとっても嬉しかったんだけどな、空君と友達になれたことが」
「それは、俺も……」

「なぁに? 聞こえないんだけど、空君?」
「……嬉しかったよ」

「うん、そう言ってもらえて、私も嬉しい」
「つ、翼……あのさ」

「なに?」
「そ、その。名前呼んでもらえたの、俺も好きだから。その――ありがとう」

 空の言葉を聞いて、幸せそうに天音さんは笑う。真っ赤になってる空を見ながら思う――俺達は何を見させられているんだろうなぁ。

 置いてけぼりをくらったクラスの男子を一瞥しながら、そう思う。
 でも天音さんの本気、まだこれはプロローグだからな?
 胸焼けしないように、今後はブラックコーヒーを用意しとこう。そう俺は心に誓った。




■■■




「なぁ、湊……」
「分かってる、皆まで言わなくても。でも仕方ないよね、つーちゃんは空とずっとこうしたかったんだから」

「でも、男子がみんな死体になってる……」
「つーちゃん、可愛いし。憧れだったしね。そりゃショックでしょ。でも多分、もっとひどくなるよ? これから遠慮なく、翼は空にアタックしていくと思うから。だいたい、アイドルとしか見てないヤツらが空に勝てるわけないじゃんね」
「本当、それな」

 思わず俺は苦笑が溢れた。黄島彩翔から見ても、本当に優しくて、いざって時に行動ができるヤツなんだ、下河空は。
 天音さんはもう遠慮しない――。
 これは天音さんにとってのプロローグなのだ。




「もう遠慮しないから、空君よろしくね?」
 満面の笑顔で、天音さんは空に向けてそう宣言したのだった。
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