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54 彼とみんなとピクニック
しおりを挟む「それではお暇しますね。雪姫さん、またお会いしましょうね」
冬君のあばあさんがクスリとそう微笑むので、私は反射的に深く頭を下げた。本当に霜月さんは所作が綺麗で。
一方のおじいさん――師走さんも、帽子を被り直した後で、霜月さんの手を引く。その動きがあまりにも自然で、思わず嘆息が漏れてしまう。
思えば冬君にも似たところがある。まるで空気のように、当たり前のように私に寄り添ってくれる。私が不安に感じれば、躊躇い一つ見せず、私を包み込んでくれる。確かに冬君は師走さんの孫なんだと――その振る舞いを見ながら思い、頬が緩んだ。
「あ、あの!」
と割り込むように声をあげたのは、天音さんだった。
「その、もう解散する雰囲気だったから、その……。お姉さんとお兄さんの出会いの話、私は聞きたくて。ダメですか?」
私は、二の句を告げることができなかった。見れば隣で冬君も頭を抱えている。
「……冬希」
「なんだよ、爺ちゃん?」
「儂らも聞きたい。まだコーヒーある?」
「帰れよ、クソジジイ!」
冬君が悪態をついて。私がそんな冬君を窘める。霜月さんやみんなが笑顔を浮かべるのを見ながら――目の前には、今までの私が想像できなかった、幸せな光景が広がっていた。
不承不承、冬君は水筒からコーヒーを、みんなに注いでくれる。私にはカフェオレを当たり前のように淹れてくれて。
それから冬君は観念したように、ポツリポツリと、私達の物語を呟き始めたんだ。
■■■
「最初『なんでこうなったかなぁ』って思ったんだよ」
と冬君は言った。弥生先生に頼まれて、クラスメートとして、プリントを届けてくれたあの日。2週間前の出来事。もう2週間、でもまだ2週間。だって冬君に「好き」と言ってもらえたのは、昨日の話だから。これまでがあっという間に過ぎていった実感がある。
「不安だったはずなのに、雪姫が玄関に出てくれて。それが全ての始まりだった気がする」
「あの日。冬君が、私にコッゲコゲオムライスを作ってくれたんだよね」
「雪姫……。あれは、雪姫がお腹を鳴らしたから――」
「冬君、ひどい! そこをバラすなんて!」
私は恥ずかしくて顔が熱い。でもと思う。妙に上川冬希という男の子を前にして、安心した自分がいたのだ。あの日冬君は弱い私を、包み込むように受け止めてくれた。
家族以外で初めてだった。冬君だけ、呼吸が苦しくならない。
それからは、彼が来てくれることを私は待ち焦がれて、楽しみにしていたんだ、って思う。
冬君と私の物語にどんな名前をつけるべきなんだろう。
冬君は淡々と、私達の物語のページを開き、進めていく。
私のために、リハビリを進めてくれて。
途中で、幻想に囚われて。呼吸ができなくなった。そんな私を包み込んでくれて、引き戻してくれたのが冬君だった。
今でもあの時の、冬君の声が鼓膜を震わせる。
――雪姫!
あの時、名前を呼ばれて。冬君の温もりを感じたから。
私は、またもう一度呼吸ができた。
そんな物語に、どんな名前をつけるべきなんだろう。
「まぁ、今さらだけどね。家でのティータイムはひどかったよ。付き合ってないくせに、距離が近いし。手を重ね合ったり、冬希兄ちゃんは髪を自然に撫でるんだもん。リビングにいる俺、まるで空気だったからね」
そう空に言われて、私も冬君も頬が熱くなる。だって、あの時は無意識だったから。呼吸ができて、安心できて落ち着く人。そう冬君を認識でした途端、抑えがきかなくなって。もっともっと冬君のことを知りたいと思っていた。
名前を呼ばれたあの日から、私の中では「好き」という感情が――冬君を特別な人と想う感情が確かに芽生えた。
でも彼はリハビリに付き合ってくれているから。そんな中途半端な気持ちを抱いちゃ絶対にダメ。そうあの時の私は何度も自分に言い聞かせていた。
「裏山で会った時はビックリしたよ。過呼吸になった雪姫を、上にゃん抱きしめたでしょ? それでゆっきの呼吸は落ち着くし――多分、今まで見たなかで、一番幸せそうな笑顔を見せてくれたから。でも、そうだね。その時の笑顔以上に、今のゆっきは幸せそうだね」
彩ちゃんにそう言われて、思わず視線をそらして俯いた。私の頬はずっと熱いままだ。
私達の物語は続く。冬君が躊躇いがちに、慎重に言葉を選びながら。
こんな私たちの物語に、なんて題名をつけるべきなんだろう。
あえてつけるとしたら?
冬君がいないと呼吸ができない。そんな私達の物語。
まだ、生まれて間もない、幼くて青い私達の物語に名前をつけるとしたら?
――君がいるから呼吸ができる。
こんな題名はどうだろう?
まだ、始まったばかりだけど。冬君の物語すら、今日ようやく知ることができた程度だけど。まだまだ浅い二人だって実感する。私はまだ冬君のことを何も知らないと思い知らされた。
貪欲だな、って思う。冬君のことをもっと知りたいと思うし。話してもらえなかったことに嫉妬する自分もいる。
でも一番に私へ話したい、そう言ってくれた。それだけで頬が緩んでいる自分を自覚している。
もっと知りたい。もっともっと知りたい。冬君のことを。
痛感する。私はあなたがいないと呼吸ができない。だから、私だけを見て欲しいし、冬君の全てを知る人間は、私であって欲しい。
なんてワガママなんだろう。そう思っても止まらないし、そもそもこの感情に無理に蓋をすることは止めたし、遠慮しないって決めたから。
――私、自分が欲張りだって最近、自覚してる。
昨日、冬君に言われた後、あなたに伝えた言葉は大袈裟でも冗談でもない。本気でそう思っている。だからこそ思ってしまう……物足りない。
目の前の景色は本当に幸せで。私が足掻いても藻掻いても、辿り着けない光景だった。
でも、それ以上に――。
冬君のことをもっと独り占めしたい。
私だけを見て欲しい。
そんな欲求ばかりが募っていく。冬君を束縛したいワケじゃない。冬君の世界を狭く、閉ざしたいワケじゃない。ただ、自然と冬君を求めてしまう。
(本当に、貪欲で重症――)
だから、あなたの物語を知りたい。あなたと一緒に、これからも物語を綴っていきたい。
誰にどう見られたって構わない。私は、冬君の膝の上で、彼に身を委ねる。
一瞬、困惑した表情。でも冬君には拒絶はない。
「馴れ初めを聞いて、感極まったってヤツ?」
「本当にお姉さん、嬉しそうな顔しますよね」
海崎君と天音さんが目を丸くするのを尻目に。違うよ、と心のなかで苦笑する。感情なら抑えられないくらい、もう冬君でいっぱいだから。
■■■
「雪姫、本当に辛くない?」
「ん。大丈夫」
裏山の頂上から見るこの街を眺めながら、冬君は私を心配してくれる。夕陽が街を朱色に染める。かなり話し込んでしまったので、そんなにゆっくりできない。陽は長くなってきたけど、日没までもう少しだ。
これまでの物語を冬君が伝え終えて、解散になった。
私は、冬君にワガママを伝える。
――あのね。私、リハビリがしたい。
心配そうに、私のことを見て。それでなお、笑顔で頷いて快諾してくれた。多分、私の寂しさをすぐに理解してくれたんだと思う。
「はいはい、片付けは俺がやっておくから、ゆっくりしておいで」
「大丈夫ですよ、お姉さん。私が空君を手伝いますから!」
空と天音さんがそう言ってくれたので、素直に甘えることにした。
「家で、ずっとイチャイチャされるより、よっぽど良いからね」
と空は言うが、その目は『二人の時間を過ごして来て』そう言ってくれている気がした。本当に私の弟は優しいと思う。
「冬君が、あの時私が伝えた言葉を、みんなには言わなかったんだね」
私はきっと今、嬉しそうに笑みを浮かべているんだろうなって思う。
――私の気持ち、聞いてくれる?
あの時、伝えた私の気持ち。冬君がいたから呼吸ができたんだよ? その言葉を冬君はみんなに伝えなかった。
「それはどうして?」
「……あのね、俺だって独り占めしたい雪姫の姿があるの。応援してくれたみんなだから伝えたけど、それでもね」
「冬君も独り占めしたいって、思ってくれるの?」
「おかしい?」
「そんなことない。とても嬉しい」
冬君の胸に顔を埋めて。彼の心音を聞くと、こんなにも落ち着く。無理に気持ちに蓋をしなくても良いと決めた途端、こんなにも感情が溢れかえる。でもその一方で、私だけが気持ちが昂ぶっているんじゃないかと怖くなる。でも、冬君はそうじゃないと言ってくれる。それが何より嬉しかった。
「それに、冬君の昔やお父さん、お母さんのことを聞くことができたし」
「たいした話じゃなかったろ?」
リハビリで歩きながら、冬君は昔の自分を伝えてくれた。
「私にとっては、スゴイなって思ったよ。でもそれで私にとっての冬君が変わるわけじゃない、っていうのが本音かな」
「それが一番嬉しいかも」
冬君が破顔する。私はそんな冬君の表情に、思わず吸い込まれそうになった。この笑顔を独り占めしたいって、そう思ってしまう。
「私としては、今の冬君のままでいて欲しいかな」
「うん?」
「スポットライトなんか浴びなくて良いから、私だけを見て欲しいし、私だけが冬君を見たい」
「うん、それは俺もそう思ってるよ。それにあの時期は……たった一年だからね」
「でも彩ちゃんは多分知ってるよ。中学からずっとその手の追っかけをしていたから。明日、学校で聞いたら、彩ちゃん達ビックリするかも」
クスクス私は笑う。冬君は照れ臭さを隠すように、自分の髪を掻き上げた。
一瞬の沈黙。風が凪いで、木々の葉を揺らす。でも気まずくはない。冬君とこうしている時間が、私の心を満たしていく。
「雪姫、あのさ」
「なに?」
意を決したように言う冬君を私は見やる。
「俺、文芸部に入ろうと思うんだ」
冬君の言葉に――私は思わず、冬君の手を強くギュッと握りしめていた。
「……海崎君も彩ちゃんも文芸部だもんね。そう……だよね」
まただ。チクチクと胸が痛くなる。冬君を独占したいのなら、私がただ学校に行けば良い。行ってない自分には何も言う資格もない。でも、私が知らない時間に、冬君が私じゃない誰かに笑顔を見せる。それがたまらなくイヤだと思っている自分がいて。思わず、冬君から手を離して俯く。
「……雪姫、何か勘違いしてない?」
「し、してないよ。応援するもん。冬君がやりたいことを、私がどうこう言うべきじゃないし」
「やっぱり勘違いしてるじゃんか」
と冬君は顎を指で摘んで、無理矢理顔を上げさせる。
「勘違いなんか――」
私の唇に、冬君の唇が重なる。ただ唇と唇が触れただけ。時間にすれば、ほんの僅か。その触れ合いを、私はどれだけ求めていたんだろう。よく物語にあるように、体に電流は流れない。レモン味でもない。ただただ、私の心を満たし――信じられなくて、感情が掻き乱れる。
「ふ、ふ、ふ、冬君?!」
嬉しくて、恥ずかしくて。心臓が暴れまわって。でも混在した感情を包み込むように、冬君は躊躇なく私を抱きしめた。
「何で、勝手に離れようとするの?」
「離れようだなんて――」
したくなかった。でも、私はワガママだから。誰にも冬君を渡したくないから。そんな感情ばっかり募ってしまう。
「俺は、雪姫と一緒に文芸部に行きたいの」
「え?」
「瑛真先輩も言ってたでしょ? 『下河さん、私たちと文フェスで本を出さない?』って。あの時の雪姫、参加したそうだった。だったら、焦らなくても良いけど、一歩踏み出さないといけないって、そう思った」
「……私のた、め?」
「それ以外に、俺は理由が無いよ。本を読むのは好きだけれど、小説は書けないし。雪姫以外の理由なんて無いから」
「ん。うん。バカみたいだね、私」
「え?」
「文芸部って女の子が多いから。きっと今もそうだと思うんだけれど……。冬君が他の子に――私の知らない場所で微笑むのが耐えられなかった」
「だと思った」
冬君はクスリと笑む。
「え?」
「自意識過剰だと思うけど、雪姫が不安そうだったから。もっと触れて、俺は雪姫の傍に居るんだよって言いたかった。俺、他の子に笑ってあげるほど器用じゃないし、余裕もない。だけど――イヤだったらゴメン。キスは……ちょっと強引だった」
「い、イヤじゃないから!」
「そっか……」
「うん。だって私、もっと冬君に触れたかったんだもん」
「雪姫?」
「でも不意打ちじゃイヤ。ちゃんと触れさせて? 私には冬君がいるんだって、ちゃんと教えて? 私の不安を全部奪い取って欲しい。一方的じゃイヤ。私のことをしっかり見て、キスして欲しい。私の冬君だって。私だけの冬君だって教えて欲しい。そうしたら、もっともっと頑張れるから」
「うん」
冬君はコクリと頷く。
私は目を閉じる。
風の音を聞きながら。
葉が揺れる音を聞いて。
冬君の呼吸を聞きながら。
温かい感触が、唇に触れる。
私は、その温度を求めしまう。
味覚なんてするはずが無いのに、甘くて。溶けて、蕩けてしまうように甘くて。
こんなにも冬君を求めている。
そしてあなたは、私の諦めていたことを一つ一つ、叶えていく。
ただの夢じゃない。
願った夢が叶ってしまえば、それは現実だ。冬君は私が諦めていた夢の全てを、こうやって叶えてくれる。でも叶えてもらうだけじゃダメだ。今度は私が、自分の足で歩んでいかないと。夢見るだけじゃダメだから。冬君と一緒に、私が夢を現実にしたい。
「冬君」
「うん?」
「大好き――」
だから、今度は私から背伸びをして冬君の唇を求める。
この物語に名前をつけるとしたら。
やっぱり、そうだよね。
君がいるから呼吸ができる。
冬君と私の物語を綴りたい。もっと冬君を知りたい。貪欲でワガママな私は、こんなにもあなたを求めてしまう。
読むだけじゃイヤだ。白紙に物語を綴るのは他人じゃなくて、私なんだ。他人任せの物語はもうたくさんだから。
だからごめんね、と私は冬君にそう呟いてしまっていた。
私ワガママだから、絶対に離してあげない。
だって。
――私、あなたと一緒だったら、呼吸ができる。
________________
作者注
水筒にコーヒーを淹れると酸化しやすいです。
サーモスタイプの水筒、もしくはアイスコーヒーがお勧めです。
こちらのをサイトをご参考までに。
https://loohcs.jp/articles/5164
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