女王さまの思いわずらい

いちいちはる

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 リチャードに輪を掛けて面倒な客人に視線を当てて言う。
「あなたが聞く耳をお持ちでないなら、わたしが何言っても無駄でしょう。水掛け論をするつもりもありません。さあ、どうぞお帰りになって、気の済むまでリチャードさまと話し合いでもなさってください」
「それが出来たら、あなたになんて会いに来たりしてません……!」
 殆ど叫ぶように言って、ノーラ嬢は大きく頭を振った。
「本当に、なんて意地悪な方なの。私はリチャードさまにお会いすることも、連絡を取る手段すら失くしてしまったのに……。話し合うなんて、出来る筈がないのに」
「……連絡が取れない?」
「全部あなたがやってるくせに、そういうなにも知らないみたいな振りは止めてください。信用出来る方から聞いて知ってるんですから。――ここに彼を閉じ込めているんでしょう?」
 妙に確信を持った彼女の口振りに、アイリーンは思わず眉根を寄せた。
 ノーラ嬢の正義感に満ちた主張はどうでも良いが、いくつか聞き捨てならないことがある。
 今は忙しく自領を跳び回っているリチャードだが、つい先だってまでアイリーンの管理下に置かれていたことは事実だ。しかしこのことを知るのはごく一部の者に限られていて、もちろんノーラ嬢はそこに含まれてはいない。
 つまりは彼女に話を漏らした、信用出来る方とやらが一部の者の中に存在する、ということだ。
 これは早急に突き止めて対処しなければならない。
 リチャードを躾けてからと言うもの、まったく厄介ごとばかりが舞い込んで来る。その最たるものである相手に目をやって、アイリーンは小さく息を吐いた。
「誰になにを吹き込まれたかは知りませんが、リチャードさまはここにはいらっしゃいません。領地でお過ごしのはずです」
「嘘ばっかり。ただ領地にいるだけなら、エビング家の使用人が口を噤むはずがないでしょう? あなたがリチャードさまを隠してるから、誰もなにも言えないんだわ」
「……本当に話が通じませんね」
 そう辟易とこぼした時だった。にわかに玄関ホールが騒がしくなる。
 今日はノーラ嬢の他に、客人の予定はなかったはずだが。
 そうアイリーンが首を捻る間にも、物音や話す声は大きくなってくる。やがて慌ただしい足音が近付いてきて、ノックもなしに応接室の扉が勢いよく開かれた。
「オーランド伯爵、どうかお待ちください……!」
 追いかけてきた使用人の声を無視して、現れたオーランド伯爵――リチャードは焦った風情で応接室を見渡した。アイリーンと目が合って、彼は分かりやすく表情を強張らせる。なにかを言いかけてすぐに口を引き結び、大股に歩いて近付いた。
 ノーラ嬢の存在に気付いているはずだが、彼女にはまったく見向きもしない。忠犬もかくやという態度で、彼はアイリーンの傍らに膝を突いた。
 よほど急いで来たのか、洒落者の彼が薄汚れた旅装を改めてもいない。普段は綺麗に撫で付けてある髪も、毛先があちらこちらに跳ねていた。
 赦しを請うようにアイリーンを見つめる姿が、子供の頃に飼っていた牧羊犬のそれに重なる。
 思わず伸びた手で乱れた髪を撫でてやりながら、アイリーンは首を傾けた。
「リチャードさま、いつこちらにお戻りに?」
 髪を撫でられて嬉しそうにしていたリチャードが、問われて誇らしげに目を輝かせる。
「たった今だ、アイリーン。とても見られた姿ではないだろうが、どうか許して欲しい。執事から話を聞いて、それですぐにこちらに飛んで来たんだ」
「そのように慌てずとも、後ほどわたしから連絡を差し上げましたのに。――さあ、どうぞお掛けになってください。戻ったばかりでしたら、さぞお疲れでしょう?」
 促されて立ち上がったリチャードは、アイリーンに言われるまま長椅子に腰を下ろした。
 成り行き上のこととは言え、隣を許されたのが初めてだからだろう。彼の高揚と緊張とが伝わって来る。それを微笑ましく思いながら、アイリーンはすっかり放置していたノーラ嬢に視線を戻した。
「――だそうですけれど、嘘つきと呼んだことを訂正していただけますか?」
 遠回しな謝罪の要求は、だがノーラ嬢の耳には届かなかったらしい。
 彼女はただ一心にリチャードだけを見つめ、目を潤ませながら縋るように言った。
「……リチャードさま、やっとお会い出来ました。手紙をお送りしても届かなくて、すごく心配してたんです。お屋敷を訪ねても誰もなにも教えてくれなくて、いったいどちらにいらっしゃったのです」
「ノーラ……」
 苦り切った声で彼女の名を呼んで、リチャードは小さく息を吐いた。
「あなたに対して私が行った不義理は、謝罪して許されるものではないと分かっている。以前にも言ったことだが――私を恨んでくれて構わないし、そうする権利があなたにはある。償えと言うなら、いくらでも償おう」
「リチャードさま、いったいなにを……」
「だが、それにアイリーンを巻き込むのはやめて欲しい。彼女はあなたと同じ、私の短慮に巻き込まれた被害者だ。政略という逃れられぬしがらみを鑑みれば、むしろ誰よりも不利益を被っていると言えるだろう。私はその尊い献身に恥じぬよう、誠意を尽くして彼女に報いたいと思っている」
「そんな……でも、だってリチャードさまは言っていたじゃないですか。その人との間にはなにもない、ただの政略で迷惑してるって。本当に心から愛しているのは私だけ、だから結婚しようって約束したのに……」
 はらはらと涙を零して訴える様は、その容貌も相まって痛ましく見える。もしここが舞台の上であったなら、さぞや観衆の目を楽しませたことだろう。
 だが当て擦られているアイリーンにしてみれば、ただただ煩わしく不愉快なばかりだ。
 これ以上は話の通じない相手を構うのも面倒になって、アイリーンはうんざりと息を吐いた。
「夢が破れて嘆きたくなる気持ちは分かります。ですが文句を言う相手が違うのではありませんか? あなたが憤りをぶつけるべきは、リチャードさまやわたしではなく、あなたのお父上であるアンダーソン氏でしょう」
 思わぬことを言われたからだろう。哀れっぽく泣いていたノーラ嬢が、流れる涙を拭いもせずに面を上げた。
「……私の、お父さま?」
「ええ、そうです。あなたのお父上が余計な欲を出さなければ、結婚は叶わずともリチャードさまの側にいることは出来たはず。それすら潰えることになったのは、アンダーソン氏がリチャードさまの名を利用したからです」
「あ、あの……ちょっと待ってください。お父さまが、いったいなにをしたって言うんですか?」
 どれだけ泣き濡れていても、彼女の勝ち気さは鳴りを潜めることがないらしい。
 戸惑いと反発とが綯い交ぜになった表情で言ったノーラ嬢に、アイリーンは淡々とした声で返した。
「ハーロウ西部、ウェスリーという土地はご存知でしょう?」
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