女王さまの思いわずらい

いちいちはる

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 現在の王室に王子は三名。いずれの方々も既に成人していて、聡明と名高い王太子には、侯爵家から迎えた妃と一子がある。
 リチャードに王冠が回ってくる可能性は皆無に等しいが、それでも血統は瑕疵なく繋がなければならない。
「アンダーソン家は爵位を持たない地方領主です。いずれ公爵家を継ぐことになる方の、ご生母の実家となるには何もかもが不足しています」
「言われるまでもない。だから今、アンダーソン家の当主が授爵出来るよう働きかけているところだ」
「それも存じておりますが、立てる功も無しに叙爵は叶わないでしょう」
「ならば王位の継承権など投げ打つまでだ。ノーラと添い遂げられないなら、あんなものに価値など無い」
「では継承権を返上して、それでどうさるおつもりです」
 出来るかどうかはともかくとして、継承権を捨てるということは即ち王族ではなくなる、ということだ。
 マクファランド公爵は王族にのみ叙される爵位、つまり継承権を失えば同時に公爵となる未来も、それに付随する何もかもが失われることになる。
 儀礼爵位を名乗る程度は許されるだろうが、名前だけのそれには殆ど価値がない。治める領地が無いから税収も得られず、収入は国から与えられる僅かばかりの年金に頼るしかない。
 次期公爵という立場とその贅とを甘受していた彼に、そんなつつましい暮らしは耐えられないだろう。
 リチャードもそれは充分に理解しているのか、苦り切った表情を繕いもせず吐き捨てた。
「……アンダーソン家に婿入りする、という手もある」
「残念ですが、それも認められないでしょう。継承権を放棄なさっても、リチャードさまのご血筋は王族のそれです。婿入りなさる家には、ある程度の格が求められます」
 家格とは爵位の有無だけを指すのではない。そこにはこれまでに立てた功績や国への忠義、他家との繋がりや当主の為人もが含まれている。
 王族との関わりを手にしてのぼせ上がり、欲に目がくらむようでは困るのだ。
 娘がリチャードと恋仲になったと知るや否や、妙な動きを見せ始めたアンダーソン家では不適格と言わざるを得ない。
 つまりリチャードの望みは何ひとつ叶わない、ということだ。
 アイリーンは小さく息を吐いてから、哀れみの籠もった目でリチャードを見つめた。
「残る手段は、手に手を取っての駆け落ちでしょうか」
「それは……私に死ねと言っているのも同然だ」
 傍系とは言え王族の血筋、もし市井に流出すれば国内はおろか、国外にも利用されかねない。そうなる前に不安の芽が断たれるだろうことは、火を見るより明らかだ。
 可能性をひとつひとつ丁寧に潰されて、リチャードもさすがに逃げられないと悟ったのだろう。悄然と肩を落とす様からは、普段の色男ぶりが微塵も感じられない。
 すっかり精彩を欠いた彼に視線を当てたまま、アイリーンは意識して優しい声で言った。
「リチャードさまには信じがたいことかもしれませんが、わたしとの婚姻はある意味では救済となるでしょう。そしてそれこそが、マクファランド公爵の狙いでもあるのです」
「……救済だと? よもやノーラの代わりに、きみを愛せなどと言うのではないだろうな」
「いいえ、わたしがリチャードさまに愛を求めることはありません。わたしがあなたに求めるのは――忠誠と崇拝です」
 言ってアイリーンは手を持ち上げる。
 背後に控えていた侍女が黙って差し出した『それ』の柄を、アイリーンはしっかり握り締めた。
 唖然としているリチャードに頷く。
「大丈夫ですよ。しっかり修練を積んでおりますから、リチャードさまに傷を残すような不調法は致しません」
「な、なにを……それは、なぜ、そんなものを……」
「それは勿論、あなたの躾けに必要だからです。――美しいでしょう? 元は乗馬用だったものを、頼んで特別に作り直した特注品なんです」
 言いながら手にした短鞭、、を軽く振るう。
 先端のフラップが空気を切り裂いて、慣れ親しんだ小気味良い音が響いた。
「どうぞご安心くださいませ。リチャードさまが良い子にしていれば、きっとすぐに済みますから」
 リチャードにしてみれば少しも安心出来ないことを平然と言って、アイリーンはにっこりと微笑んでみせた。
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