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第三章 白い悪魔と呼ばれる者達

番外編:とある新兵の葛藤④

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 立っていられない程の恐怖。指先がピリピリと痺れて全身の震えが止まらない。

「ハァッ……ハァッ……!」
「ザイファートさん、ここは安全な所だから大丈夫よ。ゆっくり呼吸をしてみましょう。息を吸って吐いてを繰り返して」

 軍医に紙袋を渡された。震える手で受け取り、すかさず口元に当てる。私は意識的に呼吸を整える事に努め始めた。それを繰り返すうちに思考が少し回るようになってきたのである。

「ハッハッ、ハッ、ハッ……うぅ、ゲホッゴホッ!」

 落ち着け……落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け!
ここは私の住んでた家じゃない。それに私はもう軍人なの! あの頃の無力な子供じゃないのよ!

「ハァッ、ハァッ……フゥゥ……ウゥゥ……」

 過呼吸の症状が次第に落ち着いてきた。暫く軍医にもたれ掛かったままぐったりとしていると、廊下の方から軍人達の怒号や仲間に助けを求める声が飛び交っているのを聞いてハッと我に返った。

「落ち着いた?」
「あ……す、すみません。私ったら––––」
「大丈夫よ。トラウマを抱えて苦しんでいるのは貴方だけじゃないわ」

 軍医は笑ってフォローしてくれたものの、私はとても恥ずかしくなって顔が急激に熱くなるのを感じた。

 あんな爆発と建物の揺れで取り乱すなんて幼い時以来だわ……しっかりしないと!

 私は自分の両頬をパチンッと叩き、気合いを入れ直す。
まさか爆発と建物内の揺れが過去に負ったトラウマの引き金になっているだなんて思いもしなかったのだ。

 私は状況を把握すべく「今、何時ですか?」と聞いた。

「十二時を過ぎたくらいね」
「十二時……」

 嫌な汗が頬を伝う。そういえば、アリーは十二時を過ぎてからここを出ろと言っていた。それがあの爆発を指すのだとしたら彼女は本当に––––。

「あ、あの! 私がこうなってから何かありましたか!?」
「軍の敷地内で何度も爆発が起こったわ。特に参謀本部がある建物の損傷が酷いって言ってたかしら」
「…………え?」

 血の気が一気に引くのを感じた。参謀本部の近くには時計塔がある。さっきの爆発だってかなりの揺れだった。建物自体かなり老朽化しているし、もしかしたら時計塔も巻き込まれてしまったんじゃ––––。

「そんな……ニーアッ!」
「あ、待ちなさい! 貴方はもう少し落ち着いてから動かないと––––」

 居ても立っても居られず医務室から飛び出した。上官の目の前を通っても会釈も挨拶もせずに時計塔に向かって必死に走る。途中で足がもつれて派手に転んでも私はすぐに立ち上がった。

 ニーア……どうか無事でいて––––!

 それだけが私の頭の中を支配していた。

◇◇◇

 火災を知らせるベルがあちこちで鳴り響いている。
爆発の影響で通れなくなった通路を迂回したせいで、時計塔が建っていたと思しき場所に到着したのは医務室から出て二十分後の事だった。

「嘘でしょ……火事になってるの!?」

 まるで火の嵐だった。火の着いた書類や黒煙が風に乗って舞っている。それらが建物内に入り込み、被害を更に大きくしているようだった。

「手分けして消火活動に当たれっ! 被害をこれ以上大きくするなっ!」
「了解!」

 皆が階級関係なく協力して消火活動に当たっている。リレー形式でバケツで水を運んでいるのを目の当たりにした私は列に加わるべきかどうか一瞬迷った。

 だが、それよりもニーアの安否が気になった私は「すみません、すみません! 通して下さいっ、友達がいるんです!」と叫び、列を掻き分けながら前方へ進んでいった。

 私の勝手な行動を見た上官は「何をしている! 貴官も手伝え!」と非難したが、私は心の中で謝りながら無我夢中で走った。

「ハァハァ……ここら辺かな」

 黒煙を吸わないように頭を低くしながら、血のついたハンカチで鼻と口元を黒煙の中へと進んでいく。

「ゲホッ、ゴホッ……?」

 暫く歩いていくと地面が傾斜がかっている事に気が付いた。例えるなら緩やかな山道を登っているようなそんな感覚がしたのだ。

 少しばかり危険を感じた私は足元をよく見てみる。すると、歯車や鉄骨がひしゃげた状態で散らばり、積み重なっている事に気が付いた。それに時計塔内部は冬のように寒く薄暗かったはずだが、どうしてお日様の暖かさを感じるのだろう?

 嫌な予感がして恐る恐る顔を上げてみる。
すると、黒煙の切れ間からドールハウスと化した参謀本部が見えたのだ。

『思考停止』

 その四文字がなんとも相応しい状況である。
私は火の粉が舞う参謀本部の建物を暫く呆然と眺めていると、面白くもなんともないのに「ハハッ、ハハハ……」と声を漏らして笑った。

「どうしてこんな状況に? 連邦軍司令部がどうしてこんな……」

 私は何も考えずにヨロヨロとした足取りで瓦礫の山に足を掛けた。後方の方から「おい、危ないぞ!」と心配する声が聞こえてきた。

 だが、私は止まらなかった。
もしかしたら、ニーアがこの瓦礫の下に生き埋めになっているかもしれないのだ。なりふり構ってなんかいられない。

「…………ニーア?」

 天辺に辿り着いた時の事だった。
ライフルの銃身が瓦礫の間から伸びている。それを見た私はバランスを崩しながらも慌てて瓦礫の山を駆け上がっていった。

「N・P……ニーアの物だ」

 そのライフルは間違いなくニーアの物だった。一番最初に支給される武器には自分のイニシャルが刻まれる。それが目の前にあったのだ。

「待ってて。今、助けてあげるから……!」

 私は泣かなかった。まだ希望を捨てていなかった。彼女はこの瓦礫の下で息をしている。そう信じて疑わなかったのだ。

 必死に瓦礫の山を素手で掘っていく。途中でガラス片に触れてしまい、手をざっくりと切ってしまった。手の平があっという間に鮮血で染まる。ズキズキと手が痛んでも私は掘るのをやめなかった。

「ハァハァ、あ––––」

 汗水を垂らしながら掘り進めていくと、暫くして誰かの腕が見えてきた。ボロボロの軍服を着用した細くて白い腕––––きっと、ニーアの腕だ!

「ニーア、大丈夫!? 凄く苦しいよね? 待ってて、今退けてあげるから––––」

 私は瓦礫を退けてニーアの手を取ってみた。
彼女の手を掴んだ瞬間、ベタッとした生乾きの血が感触がした。それに私の手を握り返すような反応もない。どうやら彼女は怪我をして動けないでいるらしい。

「今すぐに出してあげる! 引っ張るよ、ニーア!」

 今度は彼女の手を力一杯引っ張ってみたが、私の力ではビクともしなかった。

 一人じゃ無理だと判断した私は手を上げて「誰か手伝って下さい! 新兵が瓦礫の下にいます!」と大きな声を発し、仲間を呼ぶ。そして、数人がかりで大きな瓦礫やガラス片を全て退けたのである。

「ニーア––––」

 そこにいたのね––––私はそう声をかけようと待ち構えていたが、目の前にいたのは無残な姿に変わり果てたニーアだった。

 その場にいた者達全員が黙り込んだ。
数人の軍人は制帽を深く被り直し、目を背ける。胸に勲章を付けた軍人ですら彼女の遺体の状態を見て「あぁ、可哀想にな……」と声を漏らす程だった。

「この者に神の導きがあらんことを……」

 上官に倣ってその場にいた者達は制帽を脱ぎ、その場で彼女の死を悼んだ。そして、感傷に浸る間もなく「誰か! 死体袋を一つ持ってきてくれ!」と後方にいた仲間に声をかけている。

 私はその上官に対して悲しみと怒りが混ざった何かが込み上げてきた。

 何故、仲間の死をそう割り切れるのか?

 上官相手に睨んでしまう。血が滲むくらいに唇を噛み締めていると、私の視線に気がついた兵士が近付いてきた。

「君は新兵だな。泣くのはこれで最後にしろ。犠牲者はこれからもっと出る。次に涙を流すのは連合王国に勝利してからだ、いいな?」

 上官は全てを悟ったかのような表情をして私の肩をポンと叩き、現場を指揮し始めた。

 私は瓦礫の上で横たわるニーアの死体を見つめたままボロボロと泣いた。初めて経験する仲間の死。それを悼む時間もないだなんて戦争というものはなんと残酷なのだろうか。

「……この爆発、本当にアリーがやったのかな。こんな事できるような子に見えなかったんだけどな」

 消え入りそうな声でポツリと呟いた後、医務室で喋った時のアリーの言葉を思い出す。

 人を殺すのも、殺されるのも嫌。だけど、大切な人との約束を守る為になにがなんでも生き残らなくちゃいけない––––私はアリーの言った意味が少しだけ分かったような気がした。

「戦争だもんね。きっと、アリーも本当はこんな事はしたくないはずよね」

 ニーアが死んでしまったのにアリーに対して全く怒りが湧いて来なかった。いろんな感覚が麻痺してるからなのか良く分からない。

「……シャリファに会いたいなぁ」

 手紙じゃなくて直接会いたい。シャリファの声が聞きたい。あの暖かい体温でギュッて抱きしめてもらいたい。

 つい一ヶ月前までは当たり前の日常だった。なのに、今はそれが出来ないのがこんなにも苦しいだなんて––––。

「こんな気持ちじゃ暫く手紙は書けないや」

 初めて経験する仲間の死に打ちひしがれてしまった。
先程の兵士が言った通り、これからも仲間の死を何度も経験するんだろう。

「……それでも私は絶対に生き延びてやる。絶対に生き延びてシャリファと再会するんだから」

 私はぺしゃんこになったニーアの死体の目の前で自分の小指を見つめてキスを落とす。私はシャリファとの約束を守る為にこの地獄の中を生き抜く事を心から誓ったのだった。
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