私の初恋〜孤児だった私は貴方の子供を産む為に参りました〜

麦星れな

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第三章 白い悪魔と呼ばれる者達

番外編:とある新兵の葛藤③

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「あぅぅ……大丈夫ですってばぁ~!」
「ダーメッ! 先生、鼻血が止まらないので診てください!」

 半ば引きずるように彼女を医務室まで連れてきた。椅子に強制的に座らせて怪我の具合を診てもらう。すると、軍医は眉尻を下げながら「まぁ、派手に打ったのねぇ……」と打撲痕を優しく触診した後、鼻を強打した事による出血と診断を下した。

「腫れてはいるけど骨に異常はないわ。鼻血も暫くしたら止まると思うし、それまで動かずにジッとしてなさい」
「は、はい……ありがとうございます」

 彼女が鼻をしきりに摩るのを見て、一先ず骨や軟骨に異常がなくて良かったと私は胸を撫で下ろした。

「本当にごめんね。とても痛かったでしょ?」
「あ、謝らないで下さい。貴方にぶつかってしまったのはこっちですし……」

 彼女の名前はアリー。最近入ったばかりの調理師で先輩に食材を取りにいくように急かされて廊下を走っていたら、運悪く私とぶつかってしまったというわけだ。

 アリーは時計の針を見た途端「仕事に戻らなきゃ先輩に怒られちゃう!」と血相を変えて立ち上がった。

「血はもう止まったの?」
「多分、大丈夫です! そろそろ行かないと本当に怒られ––––」

 鼻に詰めた綿を取った瞬間、鼻から滲み出る血。
それを見た軍医は苦笑いしながら「少しソファで横になった方が良いわね」と言ったのだが、アリーは不安な表情のままエプロンをギュッと掴み、頑なにソファに横になろうとはしなかった。

「ほ、本当に急いでるんです!」
「ほら、アリー。先生の言う通り横になって? その方が早く血が止まるだろうし。良かったら、私が代わりに食材を取りに行ってあげようか?」
「駄目。これは私がやらなくちゃいけないの」

 迷いなく言い切ったアリーの顔つきを見て私は驚いた。
先程までは弱々しい印象だったのに、目の前にいる彼女は誰かが乗り移ったかのように目つきが鋭くなったのだ。

「うーん……そこまで言うなら私は止めないけど、横になって氷嚢を当てた方が鼻血も早く止まるわよ? とりあえず、私は回診に行くから後は宜しくね!」
「了解しました、ありがとうございます!」

 カルテを持って医務室を出た軍医を敬礼で見送った後、私はアリーにソファの上で横になるようにと促した。彼女も鼻血を止める事が最優先事項だと感じたのか、今度は素直に応じてくれたのだった。

「そういえば、自己紹介がまだだったね! 私、ヴェロニカっていうの! 今年十八歳になったんだけど、アリーっていくつになるの?」
「二十歳です」
「あちゃー……私よりも年上だったのね。軽い感じで話しかけてごめんなさい」

 手を合わせて素直に謝る私を見たアリーはクスッと笑いながら「気にしないで。さっきみたいに気軽に喋ってくれたら嬉しいわ」と気を遣ってくれた。

「えへへ、ありがとう。アリーと話してると私の親友と喋ってるような感じがしてね。ついこんな調子で喋っちゃうんだ~」
「そうなのね。ヴェロニカのお友達もここに?」
「あー……その子は訳あって軍人にはなれなかったんだ」

 アハハ……と力無く笑いながら視線を落とした。書類が返戻されてしまった時のシャリファの表情を思い出すと心がズキンと痛んだからだ。

「……ヴェロニカ、大丈夫?」
「え?」
「今、凄く悲しそうな顔をしてたから」
「あ……」

 アリーが心配そうに見つめてきたが、知り合ったばかりの人に自分の悩みを打ち明ける訳にはいかないと思ったので「最近、色々考える事がたくさんあってね~」と私は笑って誤魔化す。

 すると、アリーは私を気遣ってなのか少し躊躇いがちに「良かったら話を聞こうか?」と声をかけてくれた。

「アハハ……き、気持ちは嬉しいんだけど––––」

 私の悩みは喉のすぐそこまで出かかっていた。

 本当は息が詰まるくらいに苦しい。誰かに悩みを聞いてもらいたい。
だけど、アリーに自分の悩みを打ち明けても良いのだろうか? 万が一、上司にバラされたりしたら? シャリファは殺されてしまうのでは? それにシェーンベルク様にも迷惑がかかってしまう。

 ハァ……私の悪い癖ね。悩んだら誰かに相談したくなっちゃうのは。シャリファにはなんでも話してきたけど、今回ばかりは……ね。

 私は手を後ろに回し、拳を握っては開いてを繰り返して気を紛らわしながら「んー、これを話したら色々誤解されそうだからやめとく!」と話した。

 これでこの話は終わりかと思いきやアリーは「誤解されそうって事は軍人関係者には聞かれたくない話……かな?」と私の悩みに踏み込んできたのだった。

「う、ん……」

 いつもなら適当にはぐらかす私だが、本気で心配してくれているアリーの表情を見て言葉に詰まってしまった。

「ヴェロニカ。私、軍人じゃないよ? ここの食堂で働いてるだけだし……自分で言うのもなんだけど、口は固いから安心して?」
「あー、大丈夫! 平気、へっちゃらよ!」

 やっぱり駄目だ。もしバラされたりしたらシャリファに危険が及んでしまう。それなら、ずっと一人で悩みを抱え込んでいた方がマシだと判断し、平気なフリをしているとアリーは小指を私の目の前に出してきた。

「え……?」

 見覚えのあるその光景に私は言葉が出せなくなった。

「私ね、妹と約束する時はいつも指切りしてたんだ」

 私は小指を見つめたまま黙り込んだ。
指切りはシャリファと私だけのおまじないのはず……どうしてアリーが指切りの事を知っているんだろう?

 私の反応を見たアリーは「私の住んでた地域では指を切って交わした約束を破ると、神様が天罰を落としにくるって言われてるの」と説明してくれた。

「そ、そうなんだ……あはは」

 私は空返事をしてしまった。今、私の頭の中では幼い頃にシャリファと見た指切りについて書かれている本のタイトルが何だったかを必死に思い出していたからだ。

「ほら、指切りしましょ? 私は誰にも喋らないわ」

 …………アリーになら話せるかも。

 直感だった。勿論、彼女がバラさないという確証はない。それでも何故か彼女は信用できる––––そう感じた私はアリーの指にそっと自分の小指を絡めた。

「……絶対に内緒だからね?」
「えぇ、わかってるわ!」

 アリーが信じてくれて嬉しいといった表情で笑った。
それを見た私は深呼吸を何回かしてから「私の友達の事なんだけど……」と話を切り出した。

「私の親友ね……アストライア人なの」
「え、アストライア人? 連邦内にいるの?」

 アリーの反応を見て一瞬、口を噤みそうになったが「驚いただけだから話を続けて?」と私の手を握ってきた。

「その子とは孤児院で一緒に育ったの。成人を迎えた年に二人で軍へ入隊届を出したんだけど、その子だけ書類が返戻されちゃったのがずっと気掛かりだった。でも、孤児院を出る前日の夜にその子がアストライア人だっていう事が分かったの」
「…………ヴェロニカはその子に嫌悪感を抱いてるの?」

 そう聞かれた私はすぐに首を左右に振った。

「それはないわ。彼女はずっと私の親友だもの。でも……」
「でも?」
「ライフルスコープを覗いた先にその子と同じ容姿の人が立っていたら……私、引金を引けるのかなって。ずっと……ずっと一人で悩んでて! もしも、シャリファと似ている子がいたら私––––」

 声を震わせながら話している途中でアリーが氷嚢をソファに置いて突然立ち上がった。

「ア、アリー?」

 何事かと思い、私は顔を上げる。窓から差し込む太陽光のせいで彼女の表情がよく見えなかったが、三角巾から少しだけはみ出した数本の髪が銀色に光って見え気がした。

「ヴェロニカは優しいのね。貴方みたいな人が連邦にたくさんいたら良かったのになぁ……」
「な、何を言ってるの?」

 私は言葉が出なかった。彼女の青い目が潤んで見える。こちらを振り返ったアリーの悲しげな表情はシャリファが泣いた後に見せる表情とよく似ていたからかもしれない。

 アリーはそのまま扉に向かう途中で立ち止まり、背を向けたまま私に語りかけてきた。

「ヴェロニカ、今は戦争中よ。貴方の親友に似ている人がスコープで見えたとしても、迷いなく引金を引かなきゃ。自分やその子を守る為にも……ね?」

 それを聞いた私は震えながら膝の上でギュッと拳を握り締めた。

「わ、私……」
「人を殺すのが怖い?」

 素直に頷く。アリーはそのまま話を続けた。

「私も人を殺すのは怖いし、殺されるのも痛いのも嫌よ。でも、私は妹との約束を守る為に何が何でも生き残らなくちゃいけないの」

 まるで数多の戦場を見てきたような口ぶりだった。アリーの変貌ぶりに私は戸惑ってしまったが、最後はこちらを振り返って微笑んでくれた。

「さて、そろそろ戻らなきゃ! そんな顔をして持ち場に戻っちゃ駄目よ? 貴方は十二時を過ぎるまではここで休んでいて。私……貴方には死んでほしくないわ」
「え……どういう意味なの、アリー!?」

 私の問いかけに答えずにアリーは綺麗な顔で「––––」と発し、医務室から出て行ってしまった。

 最後は全く聞き取れなかった。
だけど、医務室を出る時のアリーの表情はまるで何かを決心したかのような顔付きになっていたのが私の中で引っ掛かっていた。

「アリーって元軍人なのかな? 怪我で除隊して食堂で働いてる……とか?」

 戦争を経験していないと的を得た言葉は出てこないと思うのだ。この胸のざわつきをどうするべきか悩んでいると、廊下の方から複数人の足音が聞こえてきた。

「ザイファート一等兵!! 無事か!?」
「うわっ!? な、なな……何用でしょうか!?」

 突然、医務室の扉が蹴破られた。そのまま複数の軍人達に銃を向けられたので敬礼をする前に私は両手を反射的に上げる。

「マ……マッテオ軍曹?」

 先程、ニーアと私を時計塔の入口まで案内してくれたマッテオ軍曹が中心にいた。彼の周りにはアリーを診てくれた軍医や二〇二中隊の軍人達もいる。

 マッテオ軍曹は銃を片手にハァ……ハァ……と息を切らしながら「良かった、無事だったか!」と駆け寄ってきた。
 
「ぶ、無事で良かったとはどういう事でしょうか?」
「先程、ザイファート一等兵は食堂で働いていると言った女性と一緒にいたな?」
「は、はい。さっきまで一緒でした」

 それを聞いた軍曹は「クソ、一足遅かったか!」と悔しそうな顔をした後、背後にいた仲間達に「探せ! 絶対に奴を逃すな!」と指示を飛ばしていた。

 な、何が起こってるの……!?

 その慌ただしい様子を見て只事ではないと肌で感じていると、アリーを診てくれた軍医が心配そうな顔をしながら駆け寄ってきた。

「何かあったんですか?」
「実は下のゴミ捨て場で衣類を剥ぎ取られた状態の死体が見つかったの。その死体は食堂内で働く女性だったのよ」
「え? も、もしかして––––」
「アリーという人間は働いていないらしいわ。だから、彼女を全力で捜索中なのよ」

 私は愕然とした。

 嘘だ……アリーが!? だから、戦争だから仕方ないとか、殺されても文句ないとか言っていたの!?

「そんな、アリー……」

 どうして……という思いが強くなっていく。
悩みを打ち明けた子がテロリストかもしれないだなんて到底信じる事ができなかったのだ。

「退避ーー、退避しろーー!」
「……? 何の騒ぎかしら––––」

 軍医が様子を見に行こうとした次の瞬間、大きな爆発が起こった。建物が壊される音とガラスが割れる音、建物の揺れ––––それらが混ざり合った轟音がそこら中から聞こえてくる。

 その音は幼い頃に空爆に遭った時の事を連想させた。
奥歯がガチガチと震え、身体が完全に強張っていく。私は頬に爪を立てながら声にならない悲鳴をあげていた。

 私がパニックに陥ったと瞬時に察知した軍医が私をギュッと抱き締めながら「これは空襲じゃないから大丈夫よ」と落ち着くまで何度も声をかけてくれていた。
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