私の初恋〜孤児だった私は貴方の子供を産む為に参りました〜

麦星れな

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第二章 私の新しい家族

番外編:苦悩するリヒト②

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 大佐の部屋の前で強めに三回ノックし「リヒト・シェーンベルク大尉が参りました!」と声を張り上げると、中から「入れ」という声が返ってきた。

 扉を開ける前に胸ポケットにしまった懐中時計を見ると、時刻は五時を少しだけ過ぎた所だった。せめて身だしなみだけはしっかりしておこうと思った俺はネクタイをしっかりと締め直してから扉を開けた。

「失礼します」
「お前が遅刻とは珍しいな、リヒト」

 革張りの椅子を半回転させて、にっこりと笑ったのは陸軍大佐で俺の実兄であるウィルフリード・シェーンベルクだ。

 プライベートなら悪かったで済むのだが、今は勤務中。公私は分けなくてはならない。俺は直様、大佐に向かって頭を下げた。

「遅れて申し訳ありません、大佐」
「別に構わない。お前を呼んだのはプライベートの話があってな」
「プライベートの話……ですか?」

 それを聞いて少し気が抜けた。てっきり前の任務の件で何か聞かれると思っていたのだ。

「二人きりだからそう畏まらなくて良い。ほら、そこのソファにかけてくれ」
「あぁ……それでプライベートの話って?」

 兄が執務椅子から立ち上がり、こちらに近付くと「お前、煙草を吸ったな?」と笑いながら指摘されてしまった。

「相当ストレスが溜まってるな」
「仕方ないだろ? 久しぶりにあんな過酷な状況下での任務だったんだ。煙草だって吸いたくなる」
「ま……お前はもう成人してるし、何も言わないさ」

 俺は何かを察したようにピクッと眉が動いた。
煙草に関してはの部分を若干だが強調させていた。これは何か企んでいるに違いないと感じたのだ。

 俺はソファの前で立ったまま「……何を企んでるんだ?」と顔を引き攣らせながら聞く。すると、兄は「いやいやいや、企んでるだなんて人聞きの悪い!」と否定してきたので、俺は絶対に何かあるに違いないと確信を持ってしまったのだった。

「用件は?」
「お前、任務の疲れが取れてないだろ? 今日はうちに泊まっていけ。一緒に美味いものを食べよう」

 うっわ、胡散臭い笑顔。絶対に何かある。

「拒否する」
「どうして?」
「あんた達が交わってる時の声が煩いんだ。それにまだ仕事が残ってる。それを終わらせないと––––」

 ヒュッ!

 耳元で何かが空を切る音がしたのでチラッと眼球を右に動かすと、細長い何かがソファに刺さっていた。これは……ナイフだ。コンバットナイフがソファに突き刺さっている。

 俺は視線を兄に戻すと、ニコニコと微笑みながら「リヒト、うちに来い。これは命令だ」と言われてしまえば「…………はい」と答えるしか出来なかった。

 口角は上がっているが目が笑ってない。何がプライベートの話だ! こんなの仕事と変わりないじゃないか!

 俺は心の中で文句を垂れながら「今日寝る部屋はあんた達の寝室から離れた場所にしてくれ。ただでさえ、寝れてないんだ。それくらいの配慮はしてくれよ?」と疲れた顔で言うと、兄は「お安い御用だ♡」と答えてくれた。

 だが、数時間後。俺は行かなきゃ良かったと後悔する事になる。

◇◇◇

 本家に到着してから「お、おかえりなさい!」という聞いた事のない声音がしたので振り返ると、階段を踏み外して落ちそうになっている少女がいた。

 銀髪……アストライア人!?

 今日見た氷河洞窟での夢を思い出してしまい、ゾワッと全身の産毛が逆立つかのような感覚がしたが、頭で考えるより身体が勝手に動いていた。

 俺は銀髪の少女を間一髪の所で抱きとめるが、腕の中にいる少女の反応がない。頭は打っていないはずなので「おい、大丈夫か?」と声をかけると、少女はゆっくりと目を開けた。

 とても可愛らしい容姿をしている子だと思った。彼女の澄んだ藤色の目を見て、夢で見たアストライア人じゃなくて良かったと少しだけホッとしている自分がいた。

 だが、兄に聞かなきゃいけない事が沢山できた。
邸宅に入ってすぐに紹介したい人がいるんだと言われて帰ろうとしたら、今度はアストライア人が現れた––––これはさすがの俺も予想していなかった。

 俺はすぐ側にいた兄をギロっと睨み、怒りを含ませた声で「……話がある」と告げ、二人で話し合う事に決めた。

「どうして、本家に白い悪魔が住み着いてるんだ!?」

 執務室に入ってすぐに鍵を閉め、怒り任せに兄の執務机にバンッ! と手を叩きつけてやった。手がジンジンと痛んだが、それ以上に怒りの方が勝っている。

 兄はこの状況を見越していたのか、動揺もせずに薄っぺらい紙切れ一枚を渡してきた。

「これを見てみろ」
「…………」

 手渡された紙を荒々しく受け取って資料に並べられている文字を辿った。
一通り読んでもう一度読み込み、引っ掛かった部分を中心に更にもう一度読み込むを繰り返した後、気が抜けたようにソファに座った。

「…………なんだこの経歴は?」

 俺は率直な感想を述べた。兄はカップにコーヒーを注ぎながら「引っかかるだろ、その経歴。俺もベルタにあの子を引き取りたいと言われた時に初めて彼女の存在を知ったんだからな」と言い、コーヒーを二つ持って向かい側のソファへ座った。

「うちが経営してる孤児院があるのは知っていたが、なんでアストライア人が紛れ込んでるんだ?」
「彼女、国籍は連邦なんだ。軍司令部にも入隊希望を出していたようだが、司令部が返戻したらしい。だが、あの子の容姿は一度前戦に出た者ならアストライア人だと分かるはずなんだ。誰がどういう意図であの少女をうちの孤児院に入れたのか……それが知りたくて身辺調査もしたが、怪しいものは何一つ出てこなかったんだ」

 兄は難しそうな顔をして足を組みながら湯気が立っている熱々のコーヒーを啜った。

「……戦災孤児とか?」

 俺はオブラートに包んで戦災孤児と称したが、実際の意味合いは違う。アストライア人ではなくとも乱暴されて望まない妊娠の果てに生まれた子供も中にはいるのだ。あの子もそういう類の子ではないのかと推測したのだ。

「その線かと思ったが違うと判断した。総帥直々のご命令で十八年前に国内にいるアストライア人の血を引く者は全員抹殺したからな」
「あぁ……そういえば、そんな記録が残ってたな」

 昔、国内にいるアストライア人は様々な理由をこじつけて処刑された。中には小さい子供もいたが、その全員が対象だった。俺はまだ軍に入隊する前だったからその処刑には関わっていない。だが、兄は当時の事を知っているのか少しだけ厳しい表情に変わっていた。

「当時は国中しらみつぶしに探して処刑したんだ。彼女の国籍は連邦だし、司令部もまさか国内にアストライア人が残ってるとは思わなかったんだろう」
「上に報告はいったのか?」
「いや、現場判断でしなかったらしい。街にアストライア人がいると分かれば、またあの惨たらしい処刑が始まると考えたんだろう。ま……上層部に報告するのをやめたのは正解だな」

 ここでようやく兄の表情が安堵したものになった。

「……それで? 俺が今日呼ばれた本当の理由は?」

 怪訝そうな表情をする俺に対して、兄は話が早いなと言わんばかりに満面の笑顔を見せた。

「お前の妻の噂はかねがね聞いてる。最近では不倫してるとか噂がたっているらしいな」
「……みたいだな」

 俺は苦虫を噛み潰したような表情が出る前にコーヒーを一口飲んで誤魔化した。

「しかも、お前は妻の顔が見たくないからと家に帰っていないそうじゃないか」
「否定はしない。だけど、それが何だっていうんだ? 今までだって何度も離婚届を叩きつけてきた。あれだけ自由奔放に人の金を使って、見知らぬ男と好き勝手してるんだ。離縁されても仕方ない理由が十分に揃ってるのに向こうの家族がグルになって一向に離縁の話が進まない! 俺が死に物狂いで戦場に出てるっていうのに……あの女狐っ!」

 俺はガンッ! と拳を思いっきり叩きつけた。その衝撃でコーヒーに幾重もの波紋ができている。その様子を見た兄が俺の言葉を遮って「それに関しては俺にも非があるのは分かってるし、申し訳なく思ってるんだ」と俺に頭を下げてきた。

「だから、今日はお前に良い子を紹介しようと思ってだな––––」
「ハッ……あの子を俺に紹介するつもりだったのか? あの白い悪魔を? 馬鹿馬鹿しい。丁重にお断りさせて頂く」
「だぁぁっ、話は最後まで聞け! あの子がどうしてうちの孤児院にいたのか調べる必要がある! それまで、お前の家で預かって欲しいんだ!」

 ……どうして俺の家なんだと思った俺は口を開こうとしたが、その前に兄がもごもごと喋り出した。

「……ベルタがあの子の事をえらく気に入っててな」
「それが何か?」
「ベルタの人を見る目は確かなのはお前も知ってるだろ? 俺と結婚する前もいろんな人から言い寄られていた彼女だが、最終的に俺を選んで––––待て待て待て! 話は最後まで聞け!」

 俺は席を立とうとした。真剣に話を聞こうとした俺が馬鹿だった。俺は自分の妻に対して不満しか抱いていないのに、こんな荒れた気分のまま兄夫婦の惚気なんざ聞きたくもない。

「ベルタは本気であの子をお前の側にって言ってるんだ!」

 疲れた顔をしてソファの背もたれに寄りかかった兄を見て、俺はフンッと鼻を鳴らした。

「アストライア人の娘を? 正気か?」
「あぁ、正気だとも。それに俺自身もあの子と話して思ったが、優しくて気遣いも出来る子だ。あの子を守ってくれるのであれば、お前の妻との離縁話に背中を押すと約束しよう」

 ドンッと拳を自分の胸に叩きつけた兄を見てもあまり信用ならなかったが、兄夫婦が力を貸してくれると言っているのだ。これまで一人で悩みを抱え込んで自分で解決しようとしてきたが、他人の手を借りる時が来たのかもしれない。

 俺は現在の妻とアストライア人の娘を天秤にかけてみたが、結論を出すのにそう時間は掛からなかった。すぐにアストライア人の娘に軍配が上がったのだ。

「……絶対に約束を守ってくれるんだな?」
「勿論。さっきも言ったが、俺だって責任を感じてるんだ。まさか俺の婚約破棄のせいで、お前に縁談話がいくとは本当に思わなかったんだよ」

 確かにあれは誰もが予想外だった。まさか、兄の婚約破棄を逆手に取って俺に縁談が来るだなんて誰が予想しただろうか。

 俺は足元に視線を落とし、長い長い溜息を吐いた後「……分かった。あの子は俺が引き取るよ」と返事をしたのだった。
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