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第二章 私の新しい家族

番外編:苦悩するリヒト①

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 アストラ氷河洞窟での作戦は想像を絶するような寒さだった。戦争がなければ見渡す限りの青が広がる美しい氷河洞窟だっただろう。だが、真冬のみに現れるこの天然の洞窟は密かにアストライア連合王国から我が国に密入国する際に使われている道になっているという報告を受けたのだ。その道を塞ぎ、密入国しようとした輩を殲滅する––––それが俺に与えられた任務である。

「ハァーー……ハァーー……」

 全身が凍りつきそうだった。寒すぎてもう指先の感覚すらない。それでも辛うじて銃の引金を引く事が出来た。パンッという発砲音があちこちから聞こえてくる。悲鳴も怒号も仲間を思って泣き叫ぶ声も。

 自分の足元には紺色の外套を着用した銀髪の少女兵が頭から血を流して倒れていた。容姿を見るに俺と一回りくらい年齢が違うだろうこの少女は指揮官である俺の首を狙おうとした。しかし、気配を殺すのが甘く少女がナイフを振り上げた瞬間、俺は眉間を正確に撃ち抜いたのだ。

「隊長、ご無事ですか!?」

 若い兵士がライフルを両手で持ちながら駆けつけた。兵士の唇が青紫色に変わってブルブルと震えており、頬は乾燥して白い粉がふいている。

「あぁ、問題ない。それよりここを吹き飛ばす準備は?」
「既に完了しております」

 この若い兵士も足元で死んでいる少女と年齢に大差ないように見える。こんな若い者達まで前線に駆り出されるとは、連邦側の戦況も芳しくないらしい。

 俺はフゥーー……と長めに息を吐いた。

「全員後方へ下がれ! ここを爆破するぞ!」

 俺の命令が洞窟内にこだまする。敵にこちらの思惑が知られようが関係ない。この道さえ封じれば、暫くの間は連合王国から攻撃される心配はないのだ。それに相手の兵力を同時に削ぐチャンスでもある。この機会、絶対に逃せない。

「……ッ!」

 俺は違和感を感じて足元を見た。なんと足を掴まれている。青白い手の先を見ると、俺が殺したはずの少女兵が足を掴んでいた。

 何故だ……確かに俺が殺したはずなのに!

 指一本すら身動きが取れないまま物凄い力で足首を握ってきたので俺は痛みで顔を歪めた。銀の長い髪が血でべっとりと濡れ、酸化した赤黒い血で染まっている。その長い前髪から覗く赤い目はアストライア人を指すあの言葉を連想させた。

「くっ……離せ、白い悪魔め」

 白い悪魔というのはアストライア人を指す差別的な言葉だ。連邦の一般市民にはアストライア人の容姿などはあまり知られていないが、連合王国に住う者達の殆どは自国の人間にはない珍しい銀髪を持っているのだ。

「……人殺し」
「何?」

 俺はどうにかして掴まれている足を振り払いたかったが、やはり指一本すら動かせない。少女兵は俺の足を掴んで離さないどころか、なんと服を力強く引っ掴んで這い上がってきたではないか!

「人殺し……人殺し。この人殺しっ!!」

◇◇◇

「……ヒト……おい、リヒト」
「………………なんだヴィルヘルムか」

 照明の逆光で奴の表情等は見え辛かったが、このシルエットはヴィルヘルム・ベルガーのものだった。

 こいつとは士官学校の同期でもあり、配属先もなんと同じ陸軍。いわゆる腐れ縁というやつだ。若い頃は喧嘩ばかりしていた俺達も大人になるにつれてそういった事も少なくなり、今は互いに理解し合う親友になった。

「随分とうなされてたぞ。大丈夫か?」
「あぁ、平気だ……」

 俺は上半身をを起こすと少し目眩がした。どうやら安っぽい執務室のソファで寝ても疲れはなかなか取れないらしい。

「……とても平気そうな顔には見えないけどな」

 ヴィルヘルムが薄ら笑いを浮かべながら胸ポケットから何かを取り出して投げ付けてきた。それを俺は難なくキャッチし、投げ付けられた物を見てみる。

 ……赤いパッケージの煙草だった。しかも、いつも見るような安価な煙草ではなく高価な煙草であった為、俺は驚いて手の中にある煙草を二度見してしまった。

「国の偉いさん方が好んで吸ってるものだろ、これ? よくこんな高価な物が手に入ったな」
「親父のストックをくすねてきてくれたんだ。それにお前がつい最近まで前戦で指揮してたのってアストラ氷河洞窟だろ? こんな高価な煙草を吸っても罰は当たらないさ」

 ヴィルヘルムは俺の隣に座った。机の脇に置いてあった煙草の吸い殻と使用済みのマッチ棒が山盛りになっている灰皿を机の中心に移動させながら「お前、ストレス溜まりすぎだぞ」と苦笑いする。

「早速、一本頂くぞ」
「おう」

 俺は赤いパッケージの箱から煙草を一本取り出した。慣れた手付きでマッチに火を着け、紙煙草の先端を燃やす。気分を落ち着かせる為に肺一杯に煙を取り込むと全身の血管がギュッと引き締まり、ボーッとしていた頭が冴えていくような感覚に陥った。

「……氷河洞窟で殺した少女兵が忘れられないんだ」
「アストライアの? 今まで何人も殺してきてるのに今更だな」
「あぁ、なんでだろうな……最近、色んな事を考えるからかな」

 火の着いた煙草を持ちながら視線を床に落とすと、さっき見たのは夢のはずなのに足を掴まれたような感触が残っているかのようだった。

「お前は昔から真面目ちゃんだからな。色々と抱え込みすぎなんだよ。とにかく、お前は家に帰ってちゃんとした飯食ってちゃんとしたベッドで寝ろ。それが出来なきゃ、お兄ちゃんに泣きつくんだな」
「いや、遠慮しとく。兄さんの家にはベルタがいるからな。あの二人、飽きもせずに毎晩抱き合ってるから余計に行きたくないんだよ」

 俺があからさまにげんなりしたのを見たヴィルヘルムは揶揄うように「お前、ベルタの事好きだったもんな」と笑ったので、間髪入れず「違う」と否定してやった。

「兄さんに頼まれて仲を取り持ってやっただけだ」
「あっそ、つまんな。お前も結婚してるのに兄貴達みたいに浮いた話があれば良いのにな……って、そんなに怒るな、悪かったって!」

 ヴィルヘルムが俺から距離を取った。恐らく、今の俺は今までで一番険しい顔付きをしていると思う。友人に当たり散らすなんて事はしないが、この問題だけは誰にも触れられたくないのだ。

「……俺だってあの女狐さえいなければ、こんな状態になっていないさ」

 言い訳はしたくない。でも、自分のストレスの大半はあの女のせいなのは自覚していた。

 親の勝手な取り決めで結婚してから俺の人生は滅茶苦茶になった。自分の金が尽きれば、俺の貯金を勝手に使って豪遊するわ、使用人をこき使って機嫌が悪い時には当たり散らすのは日常茶飯事。大人しくしていた試しがない。

「まぁ、そうだろうが……あまり良い噂は聞かないぞ」
「そりゃ、あれだけ自由にされたらな」
「だな。この前だって男と腕を組んで街を歩いてるのを見かけたし、ホテルに入って行く姿も見たって同僚の奴が言ってたぞ」
「…………は?」

 それは初耳だった。そして、だんだん怒りが湧いてきた。好きとか嫌い云々の話ではない。自分が前戦に出て大変な思いをしている間、あの女は悠々自適な生活を送り、挙げ句の果てには他の男と寝ていただと?

 俺は可笑しくなって腹を抱えて笑った。

「アッハッハッ! 本当に馬鹿らしい! 人を馬鹿にするのも大概にしろよ、あの女狐!」
「知らなかったのか?」
「あぁ、俺は家に殆ど帰ってないしな。しかし、あの女……とんだ阿婆擦れだな」

 俺は怒りに任せてタバコを一気に吸い上げると、灰が落ちそうになったので怒りに任せてドンッと灰皿に火種を押し付けた。その衝撃で剣山のように突き刺さっていた数本の吸い殻がテーブルの上に転がり落ちたのを見て、ヴィルヘルムが指先で摘んで灰皿に戻す。

「さっさと離縁して良い人見つけろよ。過労で死ぬ気か?」
「過去に何度も離縁を突きつけてやったさ。だけどな、向こうの親が頭を下げて泣いて頼んでくるんだ。娘が使い込んだ金なら返すから離縁だけは勘弁してくれってな」

 俺は二本目の煙草に火を着ける。対してヴィルヘルムは吸っていた煙草を灰皿に押し付けていた。

「そのまま離縁してやれば良かったんじゃないか?」
「そのつもりだったさ。そしたら、今度は軍に武器を納入しないとか喚いてきやがったんだ」

 それを聞いたヴィルヘルムも一瞬驚いた顔をしたが、だんだん怒りが湧いてきたようで「……そんなのほぼ脅しじゃないか」とまだ煙草が数本残っているにも関わらず、箱をグシャリと握り潰していた。
 
「とにかく、俺が離縁できない主な理由はそれだ。他にも兄さんがベルタと一緒になる為に入籍直前で婚約破棄したんだ。そのせいでウィンチェスター家に大迷惑をかけた過去があってな。そういう経緯もあって俺の父親も先方に強く出られないんだよ」
「あぁ……そういえばそんな事あったな」

 ヴィルヘルムも思い出したかのように苦笑いを浮かべていたが、何かを思い出たのか「あ!」と大きな声を発した。

「あー、悪いリヒト。大佐がお前を呼んでるのを忘れてた」
「大佐が? 何時に?」
「……五時だ」
「五時だと? 今は––––」

 ヴィルヘルムがまずそうな顔で言ったので俺はすぐさま時計を見た。時刻は五時になる三分前。それを見た俺は弾かれるように立ち上がった。まだ吸える長さの煙草を灰皿に押し付けると、ジュッと音を立てて火種が消える。

「もうすぐ五時じゃないか!」

 ヴィルヘルムの奴、長々と喋りすぎだ! 大佐は仕事においては時間に煩い人なんだぞ!? くそ……ダッシュで行けばなんとか滑り込みで間に合う!
 
「俺はもう行く! 後は任せた!」
「あぁ、すまん」

 早口でそう言った後、俺はジャケットを持って部屋を飛び出し、大佐の執務室まで全力で駆け出していった。
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