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第二章 私の新しい家族

第十一話

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 玄関ホールで階段を踏み外し、義弟さんに助けられてからから数時間後。私はあの冷たい目が忘れられないまま、ベルタさんと一緒にダイニングホールで食事をしていた。

 テーブルの上には二人では食べきれないような量の豪華な料理がずらりと並んでいる。どれを食べてもとても美味しいのだが食欲が湧いてこず、私はフォークでプチトマトを転がしながら悶々と考え込んでいた。

 さっきの義弟さんの冷たい目が忘れられない。そういえば、小さな頃に同じような目で見られた事があった気がする。

 ……いつだったかな。あぁ、そうだ。確か小さい頃、孤児院の敷地内で遊んでいたらボールが門扉の方まで行っちゃって、敷地の外にいた片足がないお爺さんに指を指されながら心ない言葉をかけられた記憶がある。

 かなり昔の話なので何と言われたのか忘れてしまったけど、私は号泣しながら先生に泣きついた事だけは覚えている。

 ……何か気の障る事しちゃったのかな。

 私はようやくプチトマトをフォークで刺し、口に運んだ。口の中に甘酸っぱい味が広がったものの、気分は変わらず浮かない顔をしたままだった。

 そんな私を見かねたベルタさんはコホンと軽く咳払いをしてから「シャリファ、貴方のせいじゃないから気にしないでね」と声をかけてきた。

「実はリヒトに貴方の事は伝えてなかったの。あの子は真面目な性格だし、事前に貴方の事を伝えていたら屋敷にも寄り付かなかったでしょうし……」

 ベルタさんはバツが悪そうな顔をして手に持っていたナイフとフォークを一旦、皿の上に置いた。

「それにしてもリヒトがあそこまでストレスが溜まってたとは思わなかったわ。普段、リヒトは人を睨むような事は絶対にしないのよ」

 義弟さんの普段の姿を見た事がないから分からないが、メンタルが優れなくて苛立つ人間を見るのは孤児院で何十人、いや何百人と見てきている。だからこそ、義弟さんが何かを抱えているという事が一目見て分かったのだ。

「義弟さんは不眠症……ですよね?」
「そうね、まさかあそこまで酷くなってるとは思わなかったけど。明日、リヒトと話す機会をちゃんと作るからその時に挨拶しましょ! その頃にはあの子も落ち着いてるでしょうし……あら、シャリファ。ステーキ、まだ食べてないのね? とても美味しいから食べてみて!」
「……はい!」

 私は義弟さんの体調が気になりつつもナイフとフォークを持ち、ベルタさんにテーブルマナーを教わりながらステーキに手を付け始めた。

◇◇◇

 夕食後、ベルタさんに客室まで送ってもらって私は横になったのだが、緊張しているのかなかなか寝付けずベッドに入ってからも目が冴えていた。

「……どうしよう、寝れない」

 とうとう私は身体を起こした。こういう時は夜風に当たりたい所だが、ここはシェーンベルクの邸宅。勝手な行動をして、階段から落ちた時のように心配をさせてはいけないと思ったのだ。

 だけど、今は見慣れない部屋で一人きり。昨日まではヴェロニカや他の子供達がいたからとても賑やかだった。だから、余計に寂しく感じてしまう。

「このままだったら朝まで寝れなさそう……トイレに行くだけなら、部屋の外に出ても良いよね?」

 どうにかして寂しさを紛らわせたいと思った私はベッドから降り、ルームシューズを履いた。本当はベルタさんと喋って気を紛らわせたい。けど、今は真夜中なのだ。こんな夜更けに会いに行くわけにもいかない。

 私は静かに扉を開けて隙間から廊下の様子を伺い、人の気配がないのを確認してから扉をゆっくりと押し開けた。

「少ししたら絶対に戻りますから」

 自分に言い聞かせる様にして敢えて声に出して言う。そう、私は用を足す名目で部屋を出たのだ。こっそりと部屋を出た所までは良かった。

 部屋を抜け出して数十分後––––。

「どうしよう、迷っちゃった……」

 この邸宅はとても広く、同じような扉が等間隔で続いていたせいで迷子になってしまった。部屋から抜け出す事ばかりを考えていたから、自分が方向音痴なのをすっかり忘れてしまっていたのだ。

 そういえば、よくヴェロニカに「シャリファは私が手を握ってないと迷っちゃうでしょ?」と言われてたっけ。

「ヴェロニカァァ……私、貴方がいないと何にもできないよぅぅ……」

 私はがっくりと肩を落とした。誰かに助けて貰わないと生きていけないだなんて。もっとヴェロニカやベルタさんのように格好良くて自立した大人の女性になりたいものだ。

「とにかく、戻らなきゃ–––––––?」

 そう思って歩を進めたのだが、すぐにピタッと立ち止まった。どこからか「ひぁっ」という聞いた事のない声がした。

「…………ベルタさん?」

 間違いない、これはベルタさんの声だ。でも、どうしてこんな声を……?

 私は聞いてはいけないと本能的に感じていた。だが、今聞こえた切なそうな声がどんな行動を伴っているのか私は分からなくて戸惑っていた。

 どうしよう。誰か呼んだ方が良いのかな……。

 私は廊下のど真ん中で立ち止まり、ゴクッと唾を飲み込む。誰かを呼ぶべきか呼ばないべきか迷っているうちに私はその場から動けなくなってしまった。

 それに、この胸の高鳴り。どうして、こんなにも心臓がドキドキするのかその原因が知りたい。私は胸を押さえながら、どこから声が聞こえるのか息を殺して声の元を辿ってみた。

「……あ、ウィルッ」

 ベッドのギシッ……という軋む音が聞こえてくる。扉が少し開いているあの部屋から聞こえるのだろうか?

 私は吸い寄せられるように部屋へ近付いた。すると、中からベルタさんの声が鮮明に聞こえてきたのだった。

「あっ、そこばっかり……」
「お前はここを弄られながら中を擦られるのが好きだろう? ほら、もう一回イッてもいいんだぞ?」

 ウィルフリードさんの声がした。

 でも、ここを弄られながら中を擦る? それにいってもいいって何?

 二人の間で何が行われているか分からない。けど、二人の会話を聞いていると、どうしてこうもキュンッてするんだろう……不思議に思った私は下腹部を押さえてみた。

「……違う」

 お腹が痛いとかそういう類の感覚じゃない。初めて感じるこの感覚。それが何なのか分からないけど、不快な感じではないのは確かだ。

 そろそろ部屋探しに戻ろうかと悩んでいると、ベルタさんの切なそうな声が更に聞こえてきた。

「あっ、イヤッ……ウィル、もうイッちゃうぅぅっ」
「ん……中が痙攣してる。指がきゅうきゅうに締め付けられて蜜がこんなに溢れてきた」
「だっ、駄目! 汚いから––––ひゃあぁぁっ♡」

 部屋の中からチュッ、グチュ……という水音が聞こえてきた。暫くしてからウィルフリードさんの「……挿れるぞ」という熱っぽい声も。

「あっ……」

 私はブワッと身体の中心で何かが芽吹くのを感じた。ようやく中で何が行われているか理解したのだ。これは……大人の情事というやつだ。

 先生達からは具体的な事まで教わってない。施設では雄蕊と雌蕊レベルの事しか教わっていなかった。女性がベッドの上でどんな嬌声こえをあげるのか私は何も分かっていなかったのだ。

「んっ……さっきからどうしてここがジンジンするんだろ」

  二人のやり取りを聞いていると、お腹がキュンキュンするのが止まらなかった。それに、自然とこちらまで呼吸が荒くなってくる。

「ハァ……ここにいちゃ駄目。早く部屋に戻ろう」

 私は咄嗟に両耳を手で塞ぎ、二人の情事を聞かなかった事にした。早く一人になってどうにかして身体の熱を鎮めたい––––そう思って踵を返すと、誰かにぶつかってしまった。

「っ!? キャ––––」

 そのまま抱擁されるような形で口を塞がれてしまったので、私はパニックになった。拳で力一杯叩こうとするも身動きできないようにされてしまう。それでも力一杯暴れたが、女の力では振り解く事も暴れる事もできなかった。

 だ、誰!? 誰か……助けてっ!
 
「んんっ、むぅぅ!」
「……静かに。あの二人にバレると気まずいぞ」

 この声は––––リヒトさん? どうしてここにいるの? 

 正体が分かった私は暴れるのをやめると、リヒトさんもすぐに私の身体を離してくれた。彼の表情を見てみると、初めて会った時と同じような表情と冷たい目をしていた。だが、そんな事よりも私は道に迷った挙句、偶然にも夫婦の情事を聞いてしまった罪悪感と恥ずかしさで、すぐにでもこの場から消えたくなっていた。

「ここで何をしていた?」

 リヒトさんが眉間に皺を寄せながら小声で私を問い詰める。髪は濡れているし、白のバスローブを身に付けているからきっとお風呂上がりなのだろう。だが、目の下の隈は相変わらず酷いままだった。

「えっと……」

 私は視線を色んな所に泳がせながら言い訳を考えた。その冷たい口調はまるで自分が悪い事をしたかのような気分になってしまったから余計にテンパってしまう。

「ト、トイレに行こうと思ったんですが、どこにあるか分からなくて。それで、屋敷の中をうろうろしてたら……その。まさか、こんな事になるだなんて……」

 顔がとても熱い。きっと、私の顔は熟れたトマトのように真っ赤になっている事だろう。もう恥ずかしすぎて死にたい。もういっその事、殺して欲しかった。

 私の様子を見たリヒトさんは「……トイレならあっちだぞ」と呆れたように言い放った。

 なによその言い方。もっと親身になって教えてくれたっていいじゃない。

 突き放すような言い方に私は少し腹が立ってきた。夕方の時もそうだったが気に障る事をしてしまったのであれば、何か気に入らなかったのか教えて欲しかったが、相手は軍人。地位までは分からないが、一般市民より軍人の方が偉いのが当たり前の時代なのだ。

 仕方ない、お礼を言ってさっさと切り上げよう。

「わかりました。ありがとうございます」

 今の私はかなりムッとした表情をしていると思う。こういう時、ヴェロニカだったら謝って済ませるんだろうけど。この人のせいで気分が悪くなったし、これは精一杯の私の反抗だ。形だけ頭を下げてお礼を言った後、彼の真横を通り過ぎた。

「おい」
「……なんですか?」
「トイレはそっちじゃない」
「っ!? わ、分かってますよ!」

 こんな時でも方向音痴ぶりを発揮するのが私である。その様子を見たリヒトさんはわざとなのか聞こえるように「はぁ……こっちだ」と溜息を吐いて私の手を取り、階段を登っていった。
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