12 / 50
第二章 私の新しい家族
第十一話
しおりを挟む
4
玄関ホールで階段を踏み外し、義弟さんに助けられてからから数時間後。私はあの冷たい目が忘れられないまま、ベルタさんと一緒にダイニングホールで食事をしていた。
テーブルの上には二人では食べきれないような量の豪華な料理がずらりと並んでいる。どれを食べてもとても美味しいのだが食欲が湧いてこず、私はフォークでプチトマトを転がしながら悶々と考え込んでいた。
さっきの義弟さんの冷たい目が忘れられない。そういえば、小さな頃に同じような目で見られた事があった気がする。
……いつだったかな。あぁ、そうだ。確か小さい頃、孤児院の敷地内で遊んでいたらボールが門扉の方まで行っちゃって、敷地の外にいた片足がないお爺さんに指を指されながら心ない言葉をかけられた記憶がある。
かなり昔の話なので何と言われたのか忘れてしまったけど、私は号泣しながら先生に泣きついた事だけは覚えている。
……何か気の障る事しちゃったのかな。
私はようやくプチトマトをフォークで刺し、口に運んだ。口の中に甘酸っぱい味が広がったものの、気分は変わらず浮かない顔をしたままだった。
そんな私を見かねたベルタさんはコホンと軽く咳払いをしてから「シャリファ、貴方のせいじゃないから気にしないでね」と声をかけてきた。
「実はリヒトに貴方の事は伝えてなかったの。あの子は真面目な性格だし、事前に貴方の事を伝えていたら屋敷にも寄り付かなかったでしょうし……」
ベルタさんはバツが悪そうな顔をして手に持っていたナイフとフォークを一旦、皿の上に置いた。
「それにしてもリヒトがあそこまでストレスが溜まってたとは思わなかったわ。普段、リヒトは人を睨むような事は絶対にしないのよ」
義弟さんの普段の姿を見た事がないから分からないが、メンタルが優れなくて苛立つ人間を見るのは孤児院で何十人、いや何百人と見てきている。だからこそ、義弟さんが何かを抱えているという事が一目見て分かったのだ。
「義弟さんは不眠症……ですよね?」
「そうね、まさかあそこまで酷くなってるとは思わなかったけど。明日、リヒトと話す機会をちゃんと作るからその時に挨拶しましょ! その頃にはあの子も落ち着いてるでしょうし……あら、シャリファ。ステーキ、まだ食べてないのね? とても美味しいから食べてみて!」
「……はい!」
私は義弟さんの体調が気になりつつもナイフとフォークを持ち、ベルタさんにテーブルマナーを教わりながらステーキに手を付け始めた。
◇◇◇
夕食後、ベルタさんに客室まで送ってもらって私は横になったのだが、緊張しているのかなかなか寝付けずベッドに入ってからも目が冴えていた。
「……どうしよう、寝れない」
とうとう私は身体を起こした。こういう時は夜風に当たりたい所だが、ここはシェーンベルクの邸宅。勝手な行動をして、階段から落ちた時のように心配をさせてはいけないと思ったのだ。
だけど、今は見慣れない部屋で一人きり。昨日まではヴェロニカや他の子供達がいたからとても賑やかだった。だから、余計に寂しく感じてしまう。
「このままだったら朝まで寝れなさそう……トイレに行くだけなら、部屋の外に出ても良いよね?」
どうにかして寂しさを紛らわせたいと思った私はベッドから降り、ルームシューズを履いた。本当はベルタさんと喋って気を紛らわせたい。けど、今は真夜中なのだ。こんな夜更けに会いに行くわけにもいかない。
私は静かに扉を開けて隙間から廊下の様子を伺い、人の気配がないのを確認してから扉をゆっくりと押し開けた。
「少ししたら絶対に戻りますから」
自分に言い聞かせる様にして敢えて声に出して言う。そう、私は用を足す名目で部屋を出たのだ。こっそりと部屋を出た所までは良かった。
部屋を抜け出して数十分後––––。
「どうしよう、迷っちゃった……」
この邸宅はとても広く、同じような扉が等間隔で続いていたせいで迷子になってしまった。部屋から抜け出す事ばかりを考えていたから、自分が方向音痴なのをすっかり忘れてしまっていたのだ。
そういえば、よくヴェロニカに「シャリファは私が手を握ってないと迷っちゃうでしょ?」と言われてたっけ。
「ヴェロニカァァ……私、貴方がいないと何にもできないよぅぅ……」
私はがっくりと肩を落とした。誰かに助けて貰わないと生きていけないだなんて。もっとヴェロニカやベルタさんのように格好良くて自立した大人の女性になりたいものだ。
「とにかく、戻らなきゃ–––––––?」
そう思って歩を進めたのだが、すぐにピタッと立ち止まった。どこからか「ひぁっ」という聞いた事のない声がした。
「…………ベルタさん?」
間違いない、これはベルタさんの声だ。でも、どうしてこんな声を……?
私は聞いてはいけないと本能的に感じていた。だが、今聞こえた切なそうな声がどんな行動を伴っているのか私は分からなくて戸惑っていた。
どうしよう。誰か呼んだ方が良いのかな……。
私は廊下のど真ん中で立ち止まり、ゴクッと唾を飲み込む。誰かを呼ぶべきか呼ばないべきか迷っているうちに私はその場から動けなくなってしまった。
それに、この胸の高鳴り。どうして、こんなにも心臓がドキドキするのかその原因が知りたい。私は胸を押さえながら、どこから声が聞こえるのか息を殺して声の元を辿ってみた。
「……あ、ウィルッ」
ベッドのギシッ……という軋む音が聞こえてくる。扉が少し開いているあの部屋から聞こえるのだろうか?
私は吸い寄せられるように部屋へ近付いた。すると、中からベルタさんの声が鮮明に聞こえてきたのだった。
「あっ、そこばっかり……」
「お前はここを弄られながら中を擦られるのが好きだろう? ほら、もう一回イッてもいいんだぞ?」
ウィルフリードさんの声がした。
でも、ここを弄られながら中を擦る? それにいってもいいって何?
二人の間で何が行われているか分からない。けど、二人の会話を聞いていると、どうしてこうもキュンッてするんだろう……不思議に思った私は下腹部を押さえてみた。
「……違う」
お腹が痛いとかそういう類の感覚じゃない。初めて感じるこの感覚。それが何なのか分からないけど、不快な感じではないのは確かだ。
そろそろ部屋探しに戻ろうかと悩んでいると、ベルタさんの切なそうな声が更に聞こえてきた。
「あっ、イヤッ……ウィル、もうイッちゃうぅぅっ」
「ん……中が痙攣してる。指がきゅうきゅうに締め付けられて蜜がこんなに溢れてきた」
「だっ、駄目! 汚いから––––ひゃあぁぁっ♡」
部屋の中からチュッ、グチュ……という水音が聞こえてきた。暫くしてからウィルフリードさんの「……挿れるぞ」という熱っぽい声も。
「あっ……」
私はブワッと身体の中心で何かが芽吹くのを感じた。ようやく中で何が行われているか理解したのだ。これは……大人の情事というやつだ。
先生達からは具体的な事まで教わってない。施設では雄蕊と雌蕊レベルの事しか教わっていなかった。女性がベッドの上でどんな嬌声をあげるのか私は何も分かっていなかったのだ。
「んっ……さっきからどうしてここがジンジンするんだろ」
二人のやり取りを聞いていると、お腹がキュンキュンするのが止まらなかった。それに、自然とこちらまで呼吸が荒くなってくる。
「ハァ……ここにいちゃ駄目。早く部屋に戻ろう」
私は咄嗟に両耳を手で塞ぎ、二人の情事を聞かなかった事にした。早く一人になってどうにかして身体の熱を鎮めたい––––そう思って踵を返すと、誰かにぶつかってしまった。
「っ!? キャ––––」
そのまま抱擁されるような形で口を塞がれてしまったので、私はパニックになった。拳で力一杯叩こうとするも身動きできないようにされてしまう。それでも力一杯暴れたが、女の力では振り解く事も暴れる事もできなかった。
だ、誰!? 誰か……助けてっ!
「んんっ、むぅぅ!」
「……静かに。あの二人にバレると気まずいぞ」
この声は––––リヒトさん? どうしてここにいるの?
正体が分かった私は暴れるのをやめると、リヒトさんもすぐに私の身体を離してくれた。彼の表情を見てみると、初めて会った時と同じような表情と冷たい目をしていた。だが、そんな事よりも私は道に迷った挙句、偶然にも夫婦の情事を聞いてしまった罪悪感と恥ずかしさで、すぐにでもこの場から消えたくなっていた。
「ここで何をしていた?」
リヒトさんが眉間に皺を寄せながら小声で私を問い詰める。髪は濡れているし、白のバスローブを身に付けているからきっとお風呂上がりなのだろう。だが、目の下の隈は相変わらず酷いままだった。
「えっと……」
私は視線を色んな所に泳がせながら言い訳を考えた。その冷たい口調はまるで自分が悪い事をしたかのような気分になってしまったから余計にテンパってしまう。
「ト、トイレに行こうと思ったんですが、どこにあるか分からなくて。それで、屋敷の中をうろうろしてたら……その。まさか、こんな事になるだなんて……」
顔がとても熱い。きっと、私の顔は熟れたトマトのように真っ赤になっている事だろう。もう恥ずかしすぎて死にたい。もういっその事、殺して欲しかった。
私の様子を見たリヒトさんは「……トイレならあっちだぞ」と呆れたように言い放った。
なによその言い方。もっと親身になって教えてくれたっていいじゃない。
突き放すような言い方に私は少し腹が立ってきた。夕方の時もそうだったが気に障る事をしてしまったのであれば、何か気に入らなかったのか教えて欲しかったが、相手は軍人。地位までは分からないが、一般市民より軍人の方が偉いのが当たり前の時代なのだ。
仕方ない、お礼を言ってさっさと切り上げよう。
「わかりました。ありがとうございます」
今の私はかなりムッとした表情をしていると思う。こういう時、ヴェロニカだったら謝って済ませるんだろうけど。この人のせいで気分が悪くなったし、これは精一杯の私の反抗だ。形だけ頭を下げてお礼を言った後、彼の真横を通り過ぎた。
「おい」
「……なんですか?」
「トイレはそっちじゃない」
「っ!? わ、分かってますよ!」
こんな時でも方向音痴ぶりを発揮するのが私である。その様子を見たリヒトさんはわざとなのか聞こえるように「はぁ……こっちだ」と溜息を吐いて私の手を取り、階段を登っていった。
玄関ホールで階段を踏み外し、義弟さんに助けられてからから数時間後。私はあの冷たい目が忘れられないまま、ベルタさんと一緒にダイニングホールで食事をしていた。
テーブルの上には二人では食べきれないような量の豪華な料理がずらりと並んでいる。どれを食べてもとても美味しいのだが食欲が湧いてこず、私はフォークでプチトマトを転がしながら悶々と考え込んでいた。
さっきの義弟さんの冷たい目が忘れられない。そういえば、小さな頃に同じような目で見られた事があった気がする。
……いつだったかな。あぁ、そうだ。確か小さい頃、孤児院の敷地内で遊んでいたらボールが門扉の方まで行っちゃって、敷地の外にいた片足がないお爺さんに指を指されながら心ない言葉をかけられた記憶がある。
かなり昔の話なので何と言われたのか忘れてしまったけど、私は号泣しながら先生に泣きついた事だけは覚えている。
……何か気の障る事しちゃったのかな。
私はようやくプチトマトをフォークで刺し、口に運んだ。口の中に甘酸っぱい味が広がったものの、気分は変わらず浮かない顔をしたままだった。
そんな私を見かねたベルタさんはコホンと軽く咳払いをしてから「シャリファ、貴方のせいじゃないから気にしないでね」と声をかけてきた。
「実はリヒトに貴方の事は伝えてなかったの。あの子は真面目な性格だし、事前に貴方の事を伝えていたら屋敷にも寄り付かなかったでしょうし……」
ベルタさんはバツが悪そうな顔をして手に持っていたナイフとフォークを一旦、皿の上に置いた。
「それにしてもリヒトがあそこまでストレスが溜まってたとは思わなかったわ。普段、リヒトは人を睨むような事は絶対にしないのよ」
義弟さんの普段の姿を見た事がないから分からないが、メンタルが優れなくて苛立つ人間を見るのは孤児院で何十人、いや何百人と見てきている。だからこそ、義弟さんが何かを抱えているという事が一目見て分かったのだ。
「義弟さんは不眠症……ですよね?」
「そうね、まさかあそこまで酷くなってるとは思わなかったけど。明日、リヒトと話す機会をちゃんと作るからその時に挨拶しましょ! その頃にはあの子も落ち着いてるでしょうし……あら、シャリファ。ステーキ、まだ食べてないのね? とても美味しいから食べてみて!」
「……はい!」
私は義弟さんの体調が気になりつつもナイフとフォークを持ち、ベルタさんにテーブルマナーを教わりながらステーキに手を付け始めた。
◇◇◇
夕食後、ベルタさんに客室まで送ってもらって私は横になったのだが、緊張しているのかなかなか寝付けずベッドに入ってからも目が冴えていた。
「……どうしよう、寝れない」
とうとう私は身体を起こした。こういう時は夜風に当たりたい所だが、ここはシェーンベルクの邸宅。勝手な行動をして、階段から落ちた時のように心配をさせてはいけないと思ったのだ。
だけど、今は見慣れない部屋で一人きり。昨日まではヴェロニカや他の子供達がいたからとても賑やかだった。だから、余計に寂しく感じてしまう。
「このままだったら朝まで寝れなさそう……トイレに行くだけなら、部屋の外に出ても良いよね?」
どうにかして寂しさを紛らわせたいと思った私はベッドから降り、ルームシューズを履いた。本当はベルタさんと喋って気を紛らわせたい。けど、今は真夜中なのだ。こんな夜更けに会いに行くわけにもいかない。
私は静かに扉を開けて隙間から廊下の様子を伺い、人の気配がないのを確認してから扉をゆっくりと押し開けた。
「少ししたら絶対に戻りますから」
自分に言い聞かせる様にして敢えて声に出して言う。そう、私は用を足す名目で部屋を出たのだ。こっそりと部屋を出た所までは良かった。
部屋を抜け出して数十分後––––。
「どうしよう、迷っちゃった……」
この邸宅はとても広く、同じような扉が等間隔で続いていたせいで迷子になってしまった。部屋から抜け出す事ばかりを考えていたから、自分が方向音痴なのをすっかり忘れてしまっていたのだ。
そういえば、よくヴェロニカに「シャリファは私が手を握ってないと迷っちゃうでしょ?」と言われてたっけ。
「ヴェロニカァァ……私、貴方がいないと何にもできないよぅぅ……」
私はがっくりと肩を落とした。誰かに助けて貰わないと生きていけないだなんて。もっとヴェロニカやベルタさんのように格好良くて自立した大人の女性になりたいものだ。
「とにかく、戻らなきゃ–––––––?」
そう思って歩を進めたのだが、すぐにピタッと立ち止まった。どこからか「ひぁっ」という聞いた事のない声がした。
「…………ベルタさん?」
間違いない、これはベルタさんの声だ。でも、どうしてこんな声を……?
私は聞いてはいけないと本能的に感じていた。だが、今聞こえた切なそうな声がどんな行動を伴っているのか私は分からなくて戸惑っていた。
どうしよう。誰か呼んだ方が良いのかな……。
私は廊下のど真ん中で立ち止まり、ゴクッと唾を飲み込む。誰かを呼ぶべきか呼ばないべきか迷っているうちに私はその場から動けなくなってしまった。
それに、この胸の高鳴り。どうして、こんなにも心臓がドキドキするのかその原因が知りたい。私は胸を押さえながら、どこから声が聞こえるのか息を殺して声の元を辿ってみた。
「……あ、ウィルッ」
ベッドのギシッ……という軋む音が聞こえてくる。扉が少し開いているあの部屋から聞こえるのだろうか?
私は吸い寄せられるように部屋へ近付いた。すると、中からベルタさんの声が鮮明に聞こえてきたのだった。
「あっ、そこばっかり……」
「お前はここを弄られながら中を擦られるのが好きだろう? ほら、もう一回イッてもいいんだぞ?」
ウィルフリードさんの声がした。
でも、ここを弄られながら中を擦る? それにいってもいいって何?
二人の間で何が行われているか分からない。けど、二人の会話を聞いていると、どうしてこうもキュンッてするんだろう……不思議に思った私は下腹部を押さえてみた。
「……違う」
お腹が痛いとかそういう類の感覚じゃない。初めて感じるこの感覚。それが何なのか分からないけど、不快な感じではないのは確かだ。
そろそろ部屋探しに戻ろうかと悩んでいると、ベルタさんの切なそうな声が更に聞こえてきた。
「あっ、イヤッ……ウィル、もうイッちゃうぅぅっ」
「ん……中が痙攣してる。指がきゅうきゅうに締め付けられて蜜がこんなに溢れてきた」
「だっ、駄目! 汚いから––––ひゃあぁぁっ♡」
部屋の中からチュッ、グチュ……という水音が聞こえてきた。暫くしてからウィルフリードさんの「……挿れるぞ」という熱っぽい声も。
「あっ……」
私はブワッと身体の中心で何かが芽吹くのを感じた。ようやく中で何が行われているか理解したのだ。これは……大人の情事というやつだ。
先生達からは具体的な事まで教わってない。施設では雄蕊と雌蕊レベルの事しか教わっていなかった。女性がベッドの上でどんな嬌声をあげるのか私は何も分かっていなかったのだ。
「んっ……さっきからどうしてここがジンジンするんだろ」
二人のやり取りを聞いていると、お腹がキュンキュンするのが止まらなかった。それに、自然とこちらまで呼吸が荒くなってくる。
「ハァ……ここにいちゃ駄目。早く部屋に戻ろう」
私は咄嗟に両耳を手で塞ぎ、二人の情事を聞かなかった事にした。早く一人になってどうにかして身体の熱を鎮めたい––––そう思って踵を返すと、誰かにぶつかってしまった。
「っ!? キャ––––」
そのまま抱擁されるような形で口を塞がれてしまったので、私はパニックになった。拳で力一杯叩こうとするも身動きできないようにされてしまう。それでも力一杯暴れたが、女の力では振り解く事も暴れる事もできなかった。
だ、誰!? 誰か……助けてっ!
「んんっ、むぅぅ!」
「……静かに。あの二人にバレると気まずいぞ」
この声は––––リヒトさん? どうしてここにいるの?
正体が分かった私は暴れるのをやめると、リヒトさんもすぐに私の身体を離してくれた。彼の表情を見てみると、初めて会った時と同じような表情と冷たい目をしていた。だが、そんな事よりも私は道に迷った挙句、偶然にも夫婦の情事を聞いてしまった罪悪感と恥ずかしさで、すぐにでもこの場から消えたくなっていた。
「ここで何をしていた?」
リヒトさんが眉間に皺を寄せながら小声で私を問い詰める。髪は濡れているし、白のバスローブを身に付けているからきっとお風呂上がりなのだろう。だが、目の下の隈は相変わらず酷いままだった。
「えっと……」
私は視線を色んな所に泳がせながら言い訳を考えた。その冷たい口調はまるで自分が悪い事をしたかのような気分になってしまったから余計にテンパってしまう。
「ト、トイレに行こうと思ったんですが、どこにあるか分からなくて。それで、屋敷の中をうろうろしてたら……その。まさか、こんな事になるだなんて……」
顔がとても熱い。きっと、私の顔は熟れたトマトのように真っ赤になっている事だろう。もう恥ずかしすぎて死にたい。もういっその事、殺して欲しかった。
私の様子を見たリヒトさんは「……トイレならあっちだぞ」と呆れたように言い放った。
なによその言い方。もっと親身になって教えてくれたっていいじゃない。
突き放すような言い方に私は少し腹が立ってきた。夕方の時もそうだったが気に障る事をしてしまったのであれば、何か気に入らなかったのか教えて欲しかったが、相手は軍人。地位までは分からないが、一般市民より軍人の方が偉いのが当たり前の時代なのだ。
仕方ない、お礼を言ってさっさと切り上げよう。
「わかりました。ありがとうございます」
今の私はかなりムッとした表情をしていると思う。こういう時、ヴェロニカだったら謝って済ませるんだろうけど。この人のせいで気分が悪くなったし、これは精一杯の私の反抗だ。形だけ頭を下げてお礼を言った後、彼の真横を通り過ぎた。
「おい」
「……なんですか?」
「トイレはそっちじゃない」
「っ!? わ、分かってますよ!」
こんな時でも方向音痴ぶりを発揮するのが私である。その様子を見たリヒトさんはわざとなのか聞こえるように「はぁ……こっちだ」と溜息を吐いて私の手を取り、階段を登っていった。
0
お気に入りに追加
70
あなたにおすすめの小説
永遠の隣で ~皇帝と妃の物語~
ゆる
恋愛
「15歳差の婚約者、魔女と揶揄される妃、そして帝国を支える皇帝の物語」
アルセリオス皇帝とその婚約者レフィリア――彼らの出会いは、運命のいたずらだった。
生まれたばかりの皇太子アルと婚約を強いられた公爵令嬢レフィリア。幼い彼の乳母として、時には母として、彼女は彼を支え続ける。しかし、魔法の力で若さを保つレフィリアは、宮廷内外で「魔女」と噂され、婚約破棄の陰謀に巻き込まれる。
それでもアルは成長し、15歳の若き皇帝として即位。彼は堂々と宣言する。
「魔女だろうと何だろうと、彼女は俺の妃だ!」
皇帝として、夫として、アルはレフィリアを守り抜き、共に帝国の未来を築いていく。
子どもたちの誕生、新たな改革、そして帝国の安定と繁栄――二人が歩む道のりは困難に満ちているが、その先には揺るぎない絆と希望があった。
恋愛・政治・陰謀が交錯する、壮大な愛と絆の物語!
運命に翻弄されながらも未来を切り開く二人の姿に、きっと胸を打たれるはずです。
---
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
義妹に苛められているらしいのですが・・・
天海月
恋愛
穏やかだった男爵令嬢エレーヌの日常は、崩れ去ってしまった。
その原因は、最近屋敷にやってきた義妹のカノンだった。
彼女は遠縁の娘で、両親を亡くした後、親類中をたらい回しにされていたという。
それを不憫に思ったエレーヌの父が、彼女を引き取ると申し出たらしい。
儚げな美しさを持ち、常に柔和な笑みを湛えているカノンに、いつしか皆エレーヌのことなど忘れ、夢中になってしまい、気が付くと、婚約者までも彼女の虜だった。
そして、エレーヌが持っていた高価なドレスや宝飾品の殆どもカノンのものになってしまい、彼女の侍女だけはあんな義妹は許せないと憤慨するが・・・。
冷徹義兄の密やかな熱愛
橋本彩里(Ayari)
恋愛
十六歳の時に母が再婚しフローラは侯爵家の一員となったが、ある日、義兄のクリフォードと彼の親友の話を偶然聞いてしまう。
普段から冷徹な義兄に「いい加減我慢の限界だ」と視界に入れるのも疲れるほど嫌われていると知り、これ以上嫌われたくないと家を出ることを決意するのだが、それを知ったクリフォードの態度が急変し……。
※王道ヒーローではありません
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
王宮に薬を届けに行ったなら
佐倉ミズキ
恋愛
王宮で薬師をしているラナは、上司の言いつけに従い王子殿下のカザヤに薬を届けに行った。
カザヤは生まれつき体が弱く、臥せっていることが多い。
この日もいつも通り、カザヤに薬を届けに行ったラナだが仕事終わりに届け忘れがあったことに気が付いた。
慌ててカザヤの部屋へ行くと、そこで目にしたものは……。
弱々しく臥せっているカザヤがベッドから起き上がり、元気に動き回っていたのだ。
「俺の秘密を知ったのだから部屋から出すわけにはいかない」
驚くラナに、カザヤは不敵な笑みを浮かべた。
「今日、国王が崩御する。だからお前を部屋から出すわけにはいかない」
騎士団寮のシングルマザー
古森きり
恋愛
夫と離婚し、実家へ帰る駅への道。
突然突っ込んできた車に死を覚悟した歩美。
しかし、目を覚ますとそこは森の中。
異世界に聖女として召喚された幼い娘、真美の為に、歩美の奮闘が今、始まる!
……と、意気込んだものの全く家事が出来ない歩美の明日はどっちだ!?
※ノベルアップ+様(読み直し改稿ナッシング先行公開)にも掲載しましたが、カクヨムさん(は改稿・完結済みです)、小説家になろうさん、アルファポリスさんは改稿したものを掲載しています。
※割と鬱展開多いのでご注意ください。作者はあんまり鬱展開だと思ってませんけども。
イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。
すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。
そこで私は一人の男の人と出会う。
「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」
そんな言葉をかけてきた彼。
でも私には秘密があった。
「キミ・・・目が・・?」
「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」
ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。
「お願いだから俺を好きになって・・・。」
その言葉を聞いてお付き合いが始まる。
「やぁぁっ・・!」
「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」
激しくなっていく夜の生活。
私の身はもつの!?
※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
では、お楽しみください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる