私の初恋〜孤児だった私は貴方の子供を産む為に参りました〜

麦星れな

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第一章 人生の転機と親友との別れ

第六話

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 ベルタから発せられた言葉に私とヴェロニカは唖然とした。初対面で子供を産んでほしいと言われたのは初めてだし、きっと私以外の人間でも滅多に言われないと思う。

 それに隣で聞いていたベルタの夫も「…………ベルタ、君はいつも直球だな」と苦笑いしている。

「だって、貴方だって思うでしょ? あの子、家に帰りたくないからって働きすぎなのよ。あの子にも大切な人ができたら、あんな無茶な働き方はしないと思うわ」
「…………まぁ、それはそうだな」

 ベルタの意図は私にはまだ分からないけど、とりあえずこの男性の子供を産むわけではないというのは話の流れでよく分かった。

 私はチラッと隣にいるヴェロニカを見てみると、彼女は眉尻を下げながら俯き、悲しげな表情を浮かべている。てっきり明日お別れするものだと思っていたのに一日早まるだなんて、私も彼女も予想外の出来事だったのだ。

「詳しくは車の中で話すわ。さぁ、シャリファ。早速、ここを出る準備をしてくれる?」

 その言葉に私はドクッ……ドクッ……と心臓が脈打った。ここで素直に分かりましたと言えば、ヴェロニカに一生会えないような気がしたからだ。

 嫌……急にそんな事言わないで! 後から怒られても叩かれても良い……せめて明日の朝まで待ってほしい。親友で家族でもあるヴェロニカのお見送りだけはちゃんとさせて––––!

 胸が詰まるような思いだった。でも、これだけは譲れない。何がなんでも彼女と笑ってお別れをしたいのだ。

「……い、一日だけ待ってもらう事はできませんか?」
「シャ、シャリファ! 何を言ってるの!?」

 隣に立っていたヴェロニカが驚きの声をあげたが、それでも私は続けた。

「ヴェロニカは私の親友なんです。明日、軍に入隊するから、どうしてもお見送りがしたいんです。お願いです、どうか明日の朝まで待っていただけないでしょうか?」

 緊張で声がブルブルと震えた。ベルタと隣に立つ彼女の夫の顔が怖くて見れない。今、彼女達はどんな表情をしているのだろうか––––そう思っていると、ベルタが私に一歩近付いて手を上げたのが視界に入り込んできた。

「……っ!」

 打たれる! そう思って私はギュッと目を瞑る。だが、いつまで経っても打たれるような痛みを感じられなかったので、私は目をそっと開けた。

「もしかして、私が打つと思ったの?」
「…………」

 目を開けて見てみると、ベルタは私の頬に手を添えようとしていた所だった。肯定も否定もできずに困った顔で黙り込む私を見て、ベルタがフフッと口元に手を当てて笑い始めた。

「安心して。私は夫を叩く事はあっても、貴方みたいな可愛い女の子を叩かないわ。隣にいる女の子をお見送りしたいのね?」
「は、はい……出来ればそうしたいです」

 私が遠慮がちにそう言うと、ベルタはニッコリと笑って「分かったわ。明日の朝に貴方を迎えに行くから、しっかりお見送りしてきて?」と言ってくれたのだった。

「あ……ありがとうございます!」

 まさか、私のお願いを聞き入れてもらえるとは思っておらず、私はベルタに深々と頭を下げて感謝を述べた。

 あぁ、駄目元で言って良かった! これで安心してヴェロニカのお見送りができる! もし、この人の元へ行った後で罰を受ける事になっても、私は後悔しないわ!

「じゃあ、私達は明日の九時にここに来るから出立の準備しておいてね。あ、ウィルは車に戻ってて。私はあのいけ好かない施設の女と話をつけてくるわ」
「一緒に行かなくて大丈夫か?」
「えぇ、事務的な用事を済ませるだけよ。さぁ、貴方達は私と一緒に行きましょう。私と施設に入れば、あの女に怒られずに済むわ」

 そう言ってベルタは優しく私達の手を握ってくれた。どうやら、門限を破った私達を施設長は叱りつけると察してくれているようだったので、私達は顔を見合わせて安堵の表情を浮かべたのだった。

 施設の黒い門扉を押し開け、施設に向かって三人で歩く。普段、この時間帯は玄関の明かりは点いていないのだが、今日は明かりが点いていた。

 理由はすぐに分かった。施設長のマリアが玄関前で忙しなく歩き回りながら、私達の帰りを待っていたからだ。

「全くあの二人は門限をなんだと思っているの? お仕置きが必要ね。特にシャリファはうんと痛めつけてやる。先ず、靴べらを鞭代わりにして痛めつけてから……あぁ、やっと帰ってきた––––っ!?」

 コツコツ……という足音を聞いて顔をマリアが上げた。彼女の目は蛇のように釣り上がっていたが、私達の先頭に立っていたベルタを見るなり、一瞬でよそ行きの顔へ変わったのだった。

「……二人共、遅かったではないですか」
「すみません、施設長」
「ごめんなさい」

 私達は言い訳もせず、素直に謝罪した。
ベルタの姿を見たマリアは顔をヒクヒクと引き攣らせていた。サッと背後に回した彼女の手には靴べらがしっかりと握られている。どうやら、私達が帰ってきた靴べらを鞭代わりにして打とうと待ち構えていたらしい。

 それを見た私は内心とてもヒヤヒヤした。ベルタさんがいなかったらどうなっていた事か。こんな肌寒い日に身体中を硬い靴べらで叩かれてしまったら、激痛で寝られくなってしまう所だ。

 背後に隠した靴べらを見たベルタは眉根を寄せながらマリアを睨みつけた。

「今日は祝祭です。門限を少し破ったからといって、この施設では子供達に靴べらで罰を与える方針なのですか?」
「いえいえ、そんな事実はございません! 私は靴べらを直そうとしていた所なのです!」

 マリアは取り繕うようにして靴べらを靴箱の上に置く。それを見たベルタは何故か不敵な笑みを浮かべた。

「そうですか……なら、この施設で出た不透明な支出金はどう説明するのかしら?」

 ベルタがバッグの中から数字がズラッと書かれている書類を取り出した。私達はそれが何の数字なのか分からなかったが、マリアはその書類を見た途端、焦った様子でベルタから書類を奪い取り「な、なんでコレが……?」と震える手で書類をめくっていた。

「実は私が最初、ここに訪れたのは貴方にこれを伝える為だったんですよ」
「……な、何を」

「解雇通知♡」

 ベルタがマリアの肩を叩きながらそう告げる。
すると、マリアは「ま……まま、待って下さいっ! こんなの何かの間違いです! この施設の補助金と寄付金は子供達の生活の為に使用したものですから!」と喚いていたが、この焦り様を見る限り完全に黒だった。

「言い訳は結構。元々、この施設はシェーンベルク家の先代が戦災孤児の為に設立した施設だし。それに貴方を解雇する許可は国からも取得済みだから」

 ベルタはまた別の書類を鞄から取り出すと、またもやマリアは書類を奪い取った。

「か……解雇通知? 本当に? しょ、署名は……嘘でしょ? 裁判長の……?」

 書類を持つマリアの手がブルブルと震えている。そして、間もなく膝から崩れ落ちた。

「そうよ。帳簿以外にもちゃんと証拠もあるから素直に受け入れるのね」
「そ、そんなっ……お願いです! 私には年老いた母がいるのです! どうか……どうかご慈悲をっ!」

 マリアが泣きながらベルタの足元に縋り付いた。だが、ベルタは無表情のまま同情するような素振りは一切せずに「すぐに荷物をまとめて出て行きなさい」と淡々と告げていたのだった。

 凄い……あの施設長を一瞬で黙らせるなんて!

 私とヴェロニカの二人で尊敬の眼差しを向けていると、ベルタが私達に気が付いて笑いかけてくれた。

「さぁ、二人共。部屋に戻って暖かくして寝なさい。夜更かしはしても良いけど、明日に支障が出ない程度にね」
「はい、ありがとうございます!」

 私達はお礼を言ってマリアの横を通り過ぎると、彼女は俯いたまま小声で何かをぶつぶつと呟いていた。

「……お前なんか……人のくせに」

 私は足を止めた。マリアが長い前髪の間から私を恨めしそうに見つめながら言葉を発してきたからだ。

 だが、考える暇もなくヴェロニカに「シャリファ、早く部屋に戻ろう!」と声をかけられたので、私はそのまま部屋に戻ったのだった。
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