私の初恋〜孤児だった私は貴方の子供を産む為に参りました〜

麦星れな

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第一章 人生の転機と親友との別れ

第五話

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 施設の最寄駅に着く頃にはすっかり夜になっていた。夜空には星とお月様が街を優しく照らすように光り輝いている。それに今日は祝祭だったから、遠くで砲弾が聞こえてくる事もないとても静かな夜だった。

 私は施設から支給された懐中時計をスカートのポケットから取り出した。時刻は既に十九時を指しているが、私達は急ごうとはせずにトボトボと帰路についていた。

「あー、お別れする前に全部言いたい事を言っちゃったなぁ……」
「私も。あれだけ泣いたらスッキリしちゃった」

 ケロッとした表情で言う私を見たヴェロニカは「そんな事を言って明日の朝にはまた号泣しちゃうでしょ?」と揶揄ってきたので「そんな事ないですー、私もちゃんとヴェロニカみたいな大人の対応ができるもん!」とそっぽを向いて頬をプクッと膨らませた。

「アハハッ! でも、シャリファは愛嬌があるからどんな人が相手でもきっとなんとかなるよ……あれ? なんでこんな時間に車が停まってるの?」

 ヴェロニカが施設に向かって指を指した。私も施設の方を見ると、軍事パレードで使われているような黒塗りの高級車が止まっていたのだ。

「もしかして、誰か引き取られるのかな?」
「こんな時間に? なんだか怖いわね……」

 私は何故か胸騒ぎがした。
 あの車が停まっているせいかしら? それとも……朝に会ったあの怖い女性に『また後で』って言われたせいなの?

「……もっと近くに行ってみよう」

 ヴェロニカはそう言って私の手を握ってきた。手を引くように歩き、黒い門扉の前まで近づく。すると、施設の玄関の前で施設長のマリアが誰かと喋っているのが聞こえてきた。

「他の子はどうですか!? そうだ、この施設で一番明るくて人気者のハンナはどうです!? あの子は気立ても良くて美人さんですし……何より人懐っこくて従順ですから!」

 施設長のマリアが誰かに向かって捲し立てるように喚いていた。ピリッとした雰囲気を肌で感じ取った私達は思わず顔を見合わせた。ヴェロニカがすぐに自分の口元に人差し指を当てながら「……暫く隠れて様子を伺おう」と提案してきたので、私は黙って頷く。

 誰と話しているのか確認する為に息を潜めながら施設内を覗いてみると、私はハッと息を呑んだ。午前中、私の事を見定めるかのようにジロジロと見てきたブロンドヘアの女性––––ベルタが喋っていたのだ。

「結構です。あの子じゃないと嫌なんです」
「どうしてですか!? あの子は…………ですよ!?」

 ……マリアが今、重要な事を言った気がする。私が「あの人、今なんて言った?」と聞くと、ヴェロニカは無言のまま頭を左右に振った。

「あの子じゃないと駄目なんです」
「……は外出しているようですが」
「今日は祝祭ですもの……が帰って来るまで待ちます」

 ベルタはマリアに踵を返し黒塗りの高級車の中へ戻っていった。

「……チッ!」

 マリアがわざと聞こえるように舌打ちをして親指の爪をガリガリと噛んでいた。あの様子だとかなりイライラしているのが遠くから見ても分かった。

 マリアは基本的に自分が何言っても逆らわない、従順な子が好きなのだ。あのように自分の思い通りにいかないと物に当たり散らしたり、子供達の髪を引っ掴んだり手を出したりする。そういう時は私とヴェロニカが身を挺して小さな子供達を守ったものだ。

「どうする? あの様子だと絶対に鞭打ちは確実だよ」
「うん……ヴェロニカは出立する時間が早いんだし、どうにかして戻らないと––––」

 門の前でしゃがみ込みながら二人で頭を抱えていると、背後から「可愛いお嬢さん達。今日は街へ出掛けてたのかな?」と知らない男性の声が聞こえてきた。

 私達は弾かれたように顔を上げた。目の前には黒い軍服に赤いネクタイを締めた三十代から四十代前半の男性が立っていた。顔は……月の光が逆光になって見えにくい。だが、短い黒髪に青緑色の大きな目が似合う素敵な男性だと思った。

「あっ…………失礼しました!」
「ヴェ、ヴェロニカ……?」

 ヴェロニカが血相を変えて立ち上がり、目の前の男性に向かって敬礼をした。指の先まで力を入れているせいかプルプルと震えている……彼女がこんなに緊張しているのを見たのは久しぶりだ。

 男性はヴェロニカの緊張した様子を見て、場を和ませるかのようにフッと笑ってくれた。

「あぁ、君は入隊前だろう? そんなに畏まらなくて良い。今日はプライベートでここに来てるんだから」
「プライベート……ですか?」
「あぁ、妻がここにいる子を大層気に入ってね」

 男性は微笑みながら私を見つめてきた。

「私……ですか?」
「あぁ。君の事を待ってたんだ」

 男性の言葉を聞いて全てを察した。今日、私はこの施設を去る事になるのだという事に。それを自覚した瞬間、ガタガタと身体が震え出した。

「わ、私……嫌です。行きたくない……です」

 声を震わせながら目の前の私よりうんと背の高い軍人に向かってそう告げると、男性は片膝を着いて優しく微笑んできた。

「どうか怖がらないで。妻のベルタはとても優しい人なんだ。きっと、君の事を可愛がってくれる。私の……シェーンベルクの名に誓って宣言しよう」

 私が返事をする前にヴェロニカが興奮気味に「シャ……シャリファ、凄いよ! あのシェーンベルク様だよ!?」と私の肩を揺さぶってきたのだった。

「シェ、シェーンベルク……様?」
「あぁ、知らないかな?」

 シェーンベルク……シェーンベルク……。
あぁ、少しずつ思い出してきた。シェーンベルク家はこのヒルデブラント連邦を代々守ってきた軍人一族。皆、高い地位に就いて、この戦争でも第一戦で活躍してる英雄じゃない!

 やってしまった……と私は後悔し、すぐに頭を下げた。

「し、失礼しました……どうか無礼をお許し下さい」
「構わないよ。夜分遅くに来て、失礼を働いてしまっているのはこっちだし……お、怖いお姫様に気付かれてしまったな」

 遠くでバンッ!と車の扉が開く音がした。そして、こちらに近付いてくるカツカツというヒールの音とサラサラと揺れるブロンドの美しい髪……間違いない、あれはベルタだ。

「ウィル、こんな所で何をして…………お帰りなさい、シャリファ。貴方を待っていたのよ」

 私は「お、お待たせしました……?」と自分の言葉に疑問を抱きながらも軽く会釈をすると、自分の前でひざまづいていたシェーンベルク様がスッと立ち上がった。

「酷いじゃないか、ベルタ。私よりシャリファを優先するだなんて」
「貴方とは毎日ベッドの中で愛を囁き合ってるから良いでしょ。それより、シャリファ。貴方を今すぐ引き取りたいの」

 間髪入れずに私の手を握ってきたベルタを見て「え? あ、えっと……?」と戸惑った。目の前でやり取りをされた短くも濃厚な情報量に頭の処理が追いつかなかったのだ。

 その様子を見たベルタは初めて聖母のような微笑みを浮かべてくれたのだが、彼女の口から発せられた言葉に私は衝撃を受ける事となる。

「単刀直入に言うわ。貴方に子供を産んでほしいの」
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