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◇011/兄さんと俺

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「お待たせ、ルカ」

  声を掛けられて現へと戻る。書籍を読み込み過ぎて没頭していたらしい。ぱたり、と書籍を閉じ兄さんを見上げた。離別した時はそんなに変わらなかった身長も、今の兄さんはきっと180cm超。すらっとして見た目の印象はかなり変わっているのに、あの笑顔は何も変わらない。軍服ではない兄さんは、コーヒーを手にして俺の向かいへと腰を下ろした。

「おかえり、兄さん」

  そう、『おかえり』。実家へではないものの、俺の目の前に帰って来てくれた。

「ルカは元気だった?」
「まぁね。兄さんは?」
「差し当たり問題なく生きている」

   兄さんを見てみれば、荷物は見覚えのあるデイパックのみ。さすがにブレードは持ち歩かないか。

「さっき見た時に持っていたブレード。あれ父さんの?」
「そう。軍事学校に行く時に譲り受けた。…父さんや母さんは…元気?」

  そっか。俺が気に入っていたブルーのブレードを、兄さんが使ってくれているんだ。

「元気だよ」

  違う。本当に話したい事はそれじゃない。

「…あのさ、ル…」
「兄さん!…その…ごめん…」
「?」
「俺、兄さんの負担になっていたんだね。兄さんが居なくなって初めて気が付いた。あの母さんの重圧に必死に耐えていたんだ…って、兄さんが居なくなって…初めて気が付いた」
「いや、僕も家を捨てる様に出てしまった事をルカに謝らなくては。…ごめん…」

  俺の突然の謝罪に兄さんは驚き、少し切なそうな表情を見せた。それでも幼い頃の様に、まだ仲が良かった頃の様な柔らかい笑みで俺に謝罪をする。俺にもわだかまりがあった様に、兄さんにもわだかまりがあったと知った。

「あれから父さんがクッションになってくれている。兄さんをあそこまで追い詰めた事、父さんなりに気にしているんだと思う」
「母さんは何か言っていた?」
「特には。でも前よりは柔軟にはなった…かも」
「…そうか」

  兄さんに、今、俺が漠然とは言え目標としている事を告げようとする。それは別に、兄さんにも引け目があって決めた事ではない。

──『ルカ、お前も自分のやりたい事をやりなさい。我々に遠慮する事はない。…だが、困ったら何でも相談しなさい』

  俺がプライマリースクールを卒業した2日後、兄さんがジュニアハイスクールを卒業した翌日の朝、父さんがガラスケースのブレードの入れ替えをしながら言っていた言葉。それは俺の心にずっと刻まれていた言葉。『俺が』とか『兄さんが』とかそんな事は関係なく、俺達兄弟はもうお互いに好きな路を歩んで良いと言われた気がした。

「兄さん、俺、父さんのあとを継ごうと勉強しているんだ。俺は兄さんみたいに軍人には向かない。要領良く生きる事が得意だから、きっと父さんのあとは兄さんよりも俺の方が向いているんだよ」
「…ルカ?」
「財界も踏み込んでみたら面白かったんだ。あの世界、兄さんじゃあ無理だ。兄さんじゃあ直ぐに騙される」
「酷いなぁ」
「だからさ兄さん。…兄さんは好きな様に生きて欲しい。俺も好きに生きるから」

  自分のバッグの内ポケットからスチールケースを取り出した。いつか兄さんに渡そうと、ずっと持ち歩いていたケースだ。ことり…と、兄さんの前に置く。

「…何?」

  兄さんがスチールケースを開けた。中には数枚の呪符が入っている。それは何回も何回も作製し直して、少しでも良い物をと調整し、最終的には兄さんの名前を記入した『記名呪符』。

「あげるよ。俺、これでも筋が良いって褒められたんだ」

  驚いた表情のあとに見せた素の兄さんの笑顔に、俺もつい嬉しくなる。嬉しさの次に照れが来る。

「じゃあ俺、これからバイトだから」

  その照れから逃げるかの様にこの場を去ろうとした。書籍をバッグに仕舞い、テーブルに置かれたカップに手を伸ばす。

「待って」

  俺を呼び止めた兄さんはディパックのポケットからメモを出し、何かを走り書いて渡して来た。

「これ、今住んでいるマンションの場所と僕の携帯の番号。母さんに知られると厄介だけど、ルカには教えておく。仕事じゃなければ出られる…と思う」

  そのメモには走り書きとは言え兄さんの現住所と携帯番号が記されていた。それを受け取り、今迄滞っていた兄さんとの関係が一歩前進した事を喜んだ。

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  あれから、少しずつだけど連絡を取り合い、兄さんとの距離を縮めて来た。大人になって冷静になれたからこそ、理解出来る事もある。兄さんに許可を得て、会えた事だけは父さんと母さんに報告した。元気でいてくれた事に、母さんは泣いた。
  司令部に押し掛けた時に兄さんと一緒に居た人が、兄さんの親友だと紹介もされた。アイゼンさんは兄さんに内緒で、時々俺の知らない兄さんを教えてくれる。突然現れた親友の弟を、とても良くしてくれた。そうだ、任務で兄さんが怪我をした時に連絡をくれたのもアイゼンさんだった。どんなであれ、兄さんに渡した呪符が兄さんを護ってくれた事を知り怪我をした事に心配はしたが、兄さんが生きている事と呪符が役に立った事は素直に嬉しかった。

  再会から3年。俺も兄さんも取り巻く環境が少しずつ変わって来ている。俺もカレッジからグラデュエートスクールへと更に進学をした。兄さんも、特に何も言わないが立場が変わったのだと言う節が見える。
  お互いに深い干渉はしない。立っている場所が違う以上、下手な干渉など不要だ。兄さんは軍属、俺は学業。それぞれが目指す場所へと向かっている。

  さぁ進もう。これが俺の選んだ道だ。
  兄さんは兄さん、俺は俺。全く違う道を選んだが、互いに後悔はないし恥ず事もない。胸を張ってその道を進もう。

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2020/04/27/011
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