蒼穹 -小説 山崎闇斎-

深川ひろみ

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五 朋友

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 土佐へ伴った責任感のためか、最期まで絶蔵主を気に掛けていた。
『京へ戻りたいか』
 亡くなる一月ほど前、湘南は絶蔵主ひとりを室へ呼んでそう尋ねた。床に伏すことが増え、かれの身体の衰えは、既に周囲の知るところとなっていた。文机の前に座した姿は相変わらず端然としていたが、声には疲れた息が混じっていた。
『今なら、わしの力で戻してやれる』
 いえ、と小さく答えると、湘南は削げた頬にかすかな笑みを浮かべた。
『今少し、時があると思うておった』
 すまぬな、と手を握られて、危うく落涙しそうになった。
 率直に言って、学問においても仏道修行においても、かれから導かれたという思いはない。師の方もそのつもりはなかったに違いない。湘南は暴れ馬のような弟子を矯めようとも、枷をはめようともせず、ただ土佐の広大な空の下に解き放った。他の寺僧たちが寺の日課を怠りがちな絶蔵主に不満を抱き、あれこれ言い騒いでも一切耳を貸さなかった。
 かれは京で約束したとおり、南学の勉強会に絶蔵主を紹介した。それは在野の学者、谷時中を招いて行われていたもので、野中や小倉たち土佐の重臣も集まり、皆で儒学の書を取り寄せては読んでいた。禅書を学ぶ中で培われた絶蔵主の漢籍の読解力はずいぶん重宝された。そしてほどなく儒学の知識と理解においても以前からの参加者たちに追いつき、みるみる彼らの水準を超えた。豪快で磊落な野中も、老練で温厚な小倉も、土佐の重臣という身分を意識する様子もなく、二十歳前の若者を語るに足る者、朋友として親しく接した。山内氏は元々播磨や近江を治めていた大名であり、土佐を治めてまだ二代目だ。野中も小倉も代々の土佐人ではない。むしろ言葉も気質も上方の風を残し、また同じ武家の生まれでもあったから、訛りもきつく粗暴な吸江寺の僧たちよりもよほど肌合いが近かった。
 知己、というものを、初めて得たと思った。
 彼らと過ごす絶蔵主は、まさに水を得た魚であった。勉強会の日や、そうでなくても新しい書が手に入ったという知らせを聞けば、日々の勤めもそこそこに寺を抜け、彼らの許へ走った。
 湘南宗化は、それをも許した。
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