蒼穹 -小説 山崎闇斎-

深川ひろみ

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三 鋭利な刃

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 確かに、出家をすれば現世との縁は切れ、親も子も等しく仏弟子となる―――という建前ではある。だが湘南は二人の養い親を確かに愛していたし、その事を出家にあるまじき事と、さほど苦にしてはいなかった。夫一豊の死後、髪を下ろして京伏見に住まうようになった見性院を、湘南は度々見舞いもしたし、死後は心を込めてその菩提を弔い、十七回忌に当たる三年前には盛大な法要を執り行った。それは間違いなく、俗世の縁による愛ゆえであった。
 得度して四年。遠く土佐へ下るにあたって、書と両親のことだけを躊躇いながら口にするこの青年僧の、学問と修行に対する生真面目さと、抑えがたい情愛と孝心を、湘南は好もしく思う。
 そして、湘南はふと考える。
 教団をなし、檀家を定められ、幕府の命を受けてその治世の一端を担う。山林派と呼ばれる妙心寺や大徳寺は、幕府が定めた五山とは一線を画す、あくまでも在野の禅寺ではある。それでも法度に縛られ、世俗の体制に組み込まれているという点では変わるところはない。そうした今の仏教の世界は、この抜き身の刀身のような、鋭く純粋な青年を受けとめるだけの生命力を、未だ持っているのだろうか。多くの修行僧と共に厳格な日課をこなす大寺院での生活は、このような男にはさぞ窮屈で、ひょっとすると退屈なものでさえあるのではないか。
 この男は確かに悍馬だ。だが手綱をつけて御すことよりも、一度野に放ってみる方が、このような男のためには良いのではないだろうか。そうすれば必ず望む場所を見つけ、自力でそこへ辿り着ける。この男はきっと、それだけの力を秘めた駿馬であろう。
 湘南は頷いた。
「ご両親には勿論ようお伝えしておくゆえ安心しなさい。今宵はよく休むように」
 絶蔵主は礼を言い、深く頭を下げた。
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