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二 妙心寺の絶蔵主
二
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「土佐と京と、よくお勤めなされる。旅はお辛くはありませんか」
「慣れておりますゆえさほどでもありませぬが、年も年です。そろそろ身を落ち着けたいとも思うております」
「いずれに―――」
京と土佐のどちらに、と尋ねようとした僧の言葉は、廊下の向こうから響いてきた、春の長閑な空気を切り裂く怒号に遮られた。
「学ぼうとする者を追い払うのか!」
湘南も中年の僧も足を止める。若い声は、二人ともよく知る僧のものだった。湘南は一息ついてから、再び変わらぬ様子で歩みを進めた。中年の僧もためらいがちにそれに続く。湘南が向かう部屋は、声が聞こえる間のその先にあった。
対面前の控えに使われる狭い間の奥に、三人の僧と、彼らに向かって拳を握り、仁王立ちしている若い僧の背が見えた。
「そんな寺なら、火を放って何もかも灰にしてやる。お前たちのお得意や、一切を無に還してやるぞ!」
居並ぶ年長の僧たちを前に、若い僧は言い放った。今にも喉笛に食いつかんとする、虎の咆哮のごとくであった。獣が急所を狙う目で、ひたと彼らの蒼白な顔を睨み据えていたが、一言低く問うた。
「どうなさる」
返事はない。一人の老僧の喉が、ごくりと動いた。
この者ならやりかねない―――そんな表情だった。この若い僧は、数年前、言い争いの末に夜になって相手の坊に押し入り、本当に紙帳に火を放ったことがあった。
気迫負けした様子の僧たちに背を向け、若い僧は踵を返した。そこで湘南に気付き、一瞬はっとしたようだった。だがそのまま横をすり抜け、足早に去って行った。
湘南はその背を見送り、再び小さく息を漏らす。
それが絶蔵主である。当時十九歳。四年前に十五歳で妙心寺に入り、正式に得度し僧侶となったこの青年は、誰もが手を焼く悍馬であった。
「慣れておりますゆえさほどでもありませぬが、年も年です。そろそろ身を落ち着けたいとも思うております」
「いずれに―――」
京と土佐のどちらに、と尋ねようとした僧の言葉は、廊下の向こうから響いてきた、春の長閑な空気を切り裂く怒号に遮られた。
「学ぼうとする者を追い払うのか!」
湘南も中年の僧も足を止める。若い声は、二人ともよく知る僧のものだった。湘南は一息ついてから、再び変わらぬ様子で歩みを進めた。中年の僧もためらいがちにそれに続く。湘南が向かう部屋は、声が聞こえる間のその先にあった。
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「そんな寺なら、火を放って何もかも灰にしてやる。お前たちのお得意や、一切を無に還してやるぞ!」
居並ぶ年長の僧たちを前に、若い僧は言い放った。今にも喉笛に食いつかんとする、虎の咆哮のごとくであった。獣が急所を狙う目で、ひたと彼らの蒼白な顔を睨み据えていたが、一言低く問うた。
「どうなさる」
返事はない。一人の老僧の喉が、ごくりと動いた。
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気迫負けした様子の僧たちに背を向け、若い僧は踵を返した。そこで湘南に気付き、一瞬はっとしたようだった。だがそのまま横をすり抜け、足早に去って行った。
湘南はその背を見送り、再び小さく息を漏らす。
それが絶蔵主である。当時十九歳。四年前に十五歳で妙心寺に入り、正式に得度し僧侶となったこの青年は、誰もが手を焼く悍馬であった。
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