遠き道を -儒者 林鳳岡の風景-

深川ひろみ

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五 国史編纂の幕命 -本朝通鑑-

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 そして寛文四年、修史事業が始まるのにあわせ、「弘文館」の隣に、新たに編纂所が建設された。西寮と南寮の二棟から成り、厨房も併設された本格的なものだ。春勝はそれを「国史館」と名付け、それぞれに人に頼んで書かせた、堂々たる扁額を掲げた。史書の名は『本朝編年録』を『本朝通鑑
ほんちょうつがん
』と改める。中華で宋代に編纂された『資治通鑑しじつがん』に倣い、編年体を取ると決めた。
 春勝は編纂所の規則を板書し、館内の壁に掲示した。

   一つ、編纂は辰の刻(午前八時)より申の刻(午後四時)までを定刻とする
   一つ、月に五日を休日とする
   一つ、官本は勿論、諸所・諸家より提供された記録類は、破損は勿論のこと、個人的に写すことは禁止とする
   一つ、見解の相違が生じても、この場での議論は不可とする
   一つ、万事、弘文院の指示に従うものとする

 執筆者は四人で、春信と春常、それに林家の門人が二人である。時代を分担して執筆に当たり、それぞれに数人の助手をつけ、更に書記を雇う。春勝は担当を持たず、かれらを指揮して事業を総裁する。およそ三十人の態勢である。春信二十二歳、春常二十一歳、門人は三十六歳と二十八歳という顔ぶれだ。史書を編纂するというにはいずれも若く、知識・経験共に未熟であることは否めない。総裁する春勝でさえ四十七歳で、六十二歳で史書の編纂を命じられた羅山に比べれば格段に若い。だがともかくもこれが、春勝に与えられた「戦力」であった。
 春勝は春常ら兄弟、それに妻を伴い、生活の場を弘文院山荘に移した。春勝は儒臣としての務めもあり、上野忍岡からでは登城にかなり不便になる。幕閣からその事に難色を示す声も上がったが、春勝はこれまで通り務める事を約した上で、決然として実行に移した。
 この子和あるうちに。
 父羅山がなそうとして果たせなかった事業を、今度こそ、己の命尽きるまでに必ずやり遂げる。春勝はそう決意していた。



 編纂事業が開始されるのに先立ち、春常も髷を落とし、僧形となった。春勝に告げられたとき、複雑な思いはあったが、春常は承諾した。編纂手伝いを命ぜられ、俸禄を受け、正式に儒臣として仕える以上、避けては通れないことなのだ。そう自分に言い聞かせた。
 父を助けたい、兄の助けになりたい。その気持ちも真実だ。だが結局、「貞毅先生」と諡された叔父のようには、春常は剃髪を拒否するほどの強い、毅然たる意志も、それを支える儒道に対する確信もなかった。
 春常は僧衣に袈裟をまとい、父と、叔父守勝の長男で、十一歳になった春東と共に登城し、将軍家綱に謁した。
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