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五 国史編纂の幕命 -本朝通鑑-
四
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上野忍岡の山荘は、五年前に一度、先聖殿の老朽化に伴って、大規模な改修工事が成されていた。修史事業の話が持ち上がる以前のことだ。その際、春勝は幕府より賜った資金を使い、先聖殿を建て替えるだけでなく、敷地全体の構成を大きく変更した。これまで不忍池沿いの道に設けられていた正面の門は、敷地の南に移された。先聖殿も南向きとなり、そこへ至る長い石段と、二つの大門が設けられた。先聖殿の建物自体も、正面の大扉に加え、両脇に二つの空間と扉を持つ壮麗なものとなった。
先聖殿が置かれた高台から少し低い西側の敷地には、元々林家の私邸があった。それを取り壊し、家光より賜り、先聖殿の傍らに置いて学塾として用いていた書院をそこへ移築、拡張した。勿論生活することは出来るが、学舎として、また学塾の公式な応接の場としての性格をより鮮明にしたのである。この地を「林家の別荘」ではなく、儒者の学び舎、心の拠り所となさん―――春勝の気概の表れであった。
その二年後、春勝は二十年以上にわたって続けてきた五経の講義を終えた。幕府は長年の労をねぎらい、儒臣として、また学者としての春勝のたゆみない歩みを改めて賞賛した。
その褒賞として、何か望むものあらば、と老中酒井から内々に尋ねられた春勝が求めたものは、金や品物でも、地位や権利でもなかった。願いを聞いた酒井はややあって深く頷き、どことなくしみじみとした目で春勝を見つめ、望み通りに計らうと約束した。
春勝が幕府より賜ったのは、「弘文院学士」という称号だった。山荘は「弘文院」という名を与えられ、書院には「弘文館」と扁額を掲げた。
「弘文院」は唐代に中華で置かれた皇帝直属の諮問機関の名で、儒者がその任に当たっていた。その後の中華の長い歴史の中で、名称や役割は変遷を重ねたが、中華清朝においても、その初期には皇帝に直属する「内三院」として、「内国史院」「内秘書院」と並んで「内弘文院」が置かれた。皇帝の側近集団である。また隣国朝鮮では現在でも書の管理や古典の研究を行う「弘文館」が置かれ、王や国の諮問に応えている。最上席は「弘文館領館事」であり、これは日本の大臣に当たる「三公」と呼ばれる高官が兼務する、「正一品」の地位である。
春勝の公的な「地位」は、現在「治部卿法印」であった。「法印」は僧位の最高位だ。蓄髪は許されず、常に僧衣をまとっていた。だが「弘文院学士」号を許されて以来、春勝は文書には必ず「弘文院学士」と記した。幕閣も、かれを「弘文院」と呼ぶようになった。
そんな風に粘り強く、時に停滞に苛立ちながらも、春勝は一歩ずつ着実に歩みを進めていた。
先聖殿が置かれた高台から少し低い西側の敷地には、元々林家の私邸があった。それを取り壊し、家光より賜り、先聖殿の傍らに置いて学塾として用いていた書院をそこへ移築、拡張した。勿論生活することは出来るが、学舎として、また学塾の公式な応接の場としての性格をより鮮明にしたのである。この地を「林家の別荘」ではなく、儒者の学び舎、心の拠り所となさん―――春勝の気概の表れであった。
その二年後、春勝は二十年以上にわたって続けてきた五経の講義を終えた。幕府は長年の労をねぎらい、儒臣として、また学者としての春勝のたゆみない歩みを改めて賞賛した。
その褒賞として、何か望むものあらば、と老中酒井から内々に尋ねられた春勝が求めたものは、金や品物でも、地位や権利でもなかった。願いを聞いた酒井はややあって深く頷き、どことなくしみじみとした目で春勝を見つめ、望み通りに計らうと約束した。
春勝が幕府より賜ったのは、「弘文院学士」という称号だった。山荘は「弘文院」という名を与えられ、書院には「弘文館」と扁額を掲げた。
「弘文院」は唐代に中華で置かれた皇帝直属の諮問機関の名で、儒者がその任に当たっていた。その後の中華の長い歴史の中で、名称や役割は変遷を重ねたが、中華清朝においても、その初期には皇帝に直属する「内三院」として、「内国史院」「内秘書院」と並んで「内弘文院」が置かれた。皇帝の側近集団である。また隣国朝鮮では現在でも書の管理や古典の研究を行う「弘文館」が置かれ、王や国の諮問に応えている。最上席は「弘文館領館事」であり、これは日本の大臣に当たる「三公」と呼ばれる高官が兼務する、「正一品」の地位である。
春勝の公的な「地位」は、現在「治部卿法印」であった。「法印」は僧位の最高位だ。蓄髪は許されず、常に僧衣をまとっていた。だが「弘文院学士」号を許されて以来、春勝は文書には必ず「弘文院学士」と記した。幕閣も、かれを「弘文院」と呼ぶようになった。
そんな風に粘り強く、時に停滞に苛立ちながらも、春勝は一歩ずつ着実に歩みを進めていた。
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