言われてみれば確かに

そらき

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第2話 初めての出前

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 久しぶりにどこかから落ちて地面にぶつかる瞬間に起きるタイプの夢を見た。
 目が覚めた時、自分がどこにいるのか分からないという感覚を初めて味わった。
知らない天井。知らない部屋。知らない窓。知らないスポーツブラ。
「あ」
 ぼんやりとした意識から覚醒した瞬間、僕は跳ね上がるようにして身を起こした。
「そうだ。昨日からおじさんの家だったんだ……」
 
 昨日のことを思い出す。ハッキリとした記憶がある。いよいよ今日から新しい生活の始まりだ。覗きのことは忘れよう。あれは不可抗力だ。仕方がない。
 でも隣に住んでいる以上、どうしたって顔を合わせる瞬間があるはずだ。
「気まずい……」
 やれやれと溜息を吐きながらスマホの画面を立ち上げると、時刻は5時を過ぎたところだった。
 中学一年生の時にふとしたきっかけで始めるようなったバードウオッチング。なんだかんだ3年間も続いている。
 凄く疲れていたけれど、朝5時頃に起きる習慣はすっかり身についていたようだ。
「起きるか……」
 このまま二度寝できる気持ちでもなかったので、着替えて持ってきていた双眼鏡が入っているリュックサックを背負い下に降りた。
 顔を洗おうとしたら洗面所の明かりがついていた。おじさんとおばさんが仲良く並んで歯を磨いていたので声をかけた。
「おはよう」
「ぶはぁ」
「ごはぁ」
「ぎゃぁ」
 おじさんとおばさんは嘘みたいに驚きながら歯磨きを口からぶちまけた。なんでそんなに驚くのか。
 口をゆすいで歯磨きを終えた2人は物凄い心配そうにしている。
「どうしたコウちゃん?!」
「怖い夢でも見たの?!一緒に寝る?!」
「寝ないよ!もう起きたんだよ」
「え?まだ5時だけど」
「コウちゃん大人通り越して老人?」
「違う!これだよ!」
 狼狽える2人に僕はリュックサックから双眼鏡を取り出し見せた。
「覗き?」
「……鳥をね」
「兄貴から聞いてはいたけど、コウちゃん本当にバードウオッチングするんだなぁ」
「そんなに珍しいかな」
 確かにバードウオッチングをしている同年代の子に3年間で1度も会ったことがない。メジャーな趣味ではないことは分かってはいたけど、人に話す度に珍しがられるし、おじいさんみたいだなと言われることも。
「いや!どんどん鳥を見た方がいい」
「そうね。今度私も行こうかしら」
 おじさんとおばさんは馬鹿にするわけでもなく、うんうんと頷いていた。
 歯磨きが終わると、おじさんとおばさんは厨房に入っていった。
「準備早いんだね」
「うちはちょっと早めかもなぁ」
 そういっておじさんとおばさんがざっと説明してくれた。
 鰹節削って出汁取ってその後そばを打つ。それが終わったら他のメニューの準備をしたらあっという間に開店時間。目まぐるしい。
「……手伝わなくて」
「大丈夫!」
「コウちゃん!心配ご無用!手伝って欲しい時はちゃーんと言うから!」
「そうだぜ。多分年末だけとかだと思うな。バイトの子もいるし」
 そうだった。確か大学生の漆原さんと、バンドをやっている町田さんと、なおりの近くに住んでいる池辺さんというおばちゃんがいた。
 しかし飲食店にいて何もしないというのは、こんなにも罪悪感を感じるんだなとしみじみ思ったけど、ここで僕はあれやこれや言っても仕方がない。
「……それじゃあ行ってきます」
「おう!」
「行ってらっしゃい!気を付けてね!あ、お昼はちょっと早いけど11時から食べるから」
「じゃあそれまでに戻るね」
 店を出るともう大分明るくなっていたが、商店街はまだ眠っているようで、誰も歩いていなかった。遠くの方で犬を散歩している人が見える位。
 隣の市川フラワーはまだ開いていないようでひっそりとしていた。ふと2階のカーテンが揺れた様な気がして見上げてみた。
「んなわけないか。……あっ」
 公園へ向かおうとした瞬間に、家にあったママチャリを引っ越す際に処分したことを思い出した。後先考えずバタバタと色々処分してしまった気がする。
「バイトして買わないと」
 とりあえず歩きながら大通りへ出る。公園近くまで行くバスが6時過ぎに来るので、それまでおにぎりでも食べてのんびり待つことにした。
 それからバスで公園へ行き、朝日に照らされた公園を歩き始める。もう汗をかいている。夏のこの時期は木も鬱蒼としているし、正直野鳥はよく見れない。野鳥を観察するなら冬がいい。それでも見に来てしまうけど。
 気が付けば、悩み事とか考え事をする時にこそ来ている気がした。今が正にそれで、少し1人にもなりたかった。
 これから先、僕はおじさんの所に居候し大学を受験し受かったら1人暮らしして、卒業したら就職。このご時世就職じゃなくて自分で身を立てる人もいるだろうけど、僕にそんな力は無い。待っているのは平凡な人生だ。最高じゃないか。勿論ある程度の努力は必要だろうけど。
 ということをちゃんと考えたかったのだけど、どうにも落ち着かない。今ここにいるのは野鳥と僕とランニングや散歩をしている人だけなのに、何か誰かに見られているような気がしている。
「それは考えすぎか……」
 コゲラのギーという声が聞こえたので、僕は考えごとをやめ双眼鏡を向けた。その瞬間にボソッと人の声が聞こえたような気がしたので辺りを見回したが誰もいなかった。
 いつもとは違う何か奇妙な感覚があったけど、生活が変わったからそれで変に敏感になっているのかなと、そう思うことにしてしばらく公園をうろうろした。
 気が付くともうすっかり陽が昇り、朝から全開で照らす太陽の威力は今年一番の可能性あり。暑すぎる。飲み物を買って再びにバスに乗りなおりへと戻った。
「ただいま」
 裏手から入るとおじさん達は色々な仕込みをしている真っ最中だった。
「おう。幸太郎君」
「あ、町田さん。お久しぶりです」
 厨房からひょこっと顔を出したのはアルバイトの町田さんだった。
「おかえり。幸ちゃんって汗びしょじゃない。シャワー浴びな」
 町田さんの後ろから顔を出した奈織おばさんの言葉に甘え、僕は部屋に戻り着替えをもってお風呂場へ行った。
 熱いシャワーを浴びて出るともう10時過ぎで、少し早いけどご飯を食べようとのことだった。
 座敷に大介おじさん、奈織おばさん、町田さん、僕の4人で座る。テーブルの上には素麺とおにぎりが置いてあった。蕎麦じゃないんだ。
「いただぎます」
 皆で手を合わせ食べ始める。素麺美味い。夏は素麺が一番美味しい。ちゅるちゅるとすすっていると町田さんに話しかけられた。
「幸太郎君昨日から夏休み?」
「うん。町田さんは?」
「俺はいつでも夏休み取れるからな」
 ふふんと胸を張る町田さん。
 町田さんがやっているバンドはそこそこ有名でそこそこ変わっているようで、大きなフェスにも出ている。でもそれだけじゃ食っていけないので奈織でバイトをしている。それとライターをしているようで銭湯と飲み歩きの記事をたまに書いているらしく、近々本になるらしい。
 という僕からしてみると謎多き町田さん。でもなんで町田さんが奈織でアルバイトとして働いているのか謎だった。
「そういえばなんで町田さんは奈織でバイトするようになったの?」
 聞かれた町田さんが大介おじさんの方をちらりと見た。大介おじさんはよく分からない表情をしていた。
「それはね」
 代わりに奈織おばさんが説明してくれた。
 大介おじさんは昔バンドをしていて町田さんはそのバンドが凄い好きで、でも解散して蕎麦屋を継ぐという話を聞いて凄い落ち込んだそうだ。それでその蕎麦屋にふらっと来てみたもののどうにもなるものでないし、帰ろうかとしたところ奈織おばさんに声をかけられて仕方なく食べた蕎麦が凄い美味しくてそのままアルバイトとして働くことになった。
「へー。そんなことがあるもんなんだね……というか大介おじさんバンドやってたんだ」
「まぁな」
 おじさんは照れくさそうに素麺をすすった。
「お父さんからそんな話聞いたことなかったよ」
「隠しているわけでもなかったけど、だからといって昔やってたというのもな」
 大介おじさんの言葉に町田さんは神妙な面持ちで頷いていた。
 この話を聞いて、町田さんの両腕に彫られているタトゥーが許されているのが分かった気がした。お客さんがどう思っているかは知らないけど。
 ちなみに町田さんの腕にはボイジャーのゴールデンレコードのジャケットのイラストが彫られていた。
 その後ご飯を食べ終え食器を片付けている時に、「幸太郎君バイトはするの?」と町田さんに聞かれ自転車のことを思い出した僕は大介おじさんに聞いた。
「バイトってしていいの……?」
「おうよ!いいよ。でも……家で雇ってあげたいところだけど」
「今人手が足りてるのよね……」
「い、いや大丈夫だから!」
 大介おじさんと奈織おばさんが世界の終わりを告げられた位落ち込んでいた。町田さんはおかしそうにそれを見ていた。
「幸太郎君スタジオでバイトするかい?」
「スタジオ?」
「バンドの練習で使うリハーサルスタジオ」
「えぇ」
 町田さんにそう言われたものの、リハーサルスタジオが全然イメージ出来なかったし、更にそこで一体何をすればいいのかもよくわからなかった。
「気が向いたらいつでも!」
「うん。ありがとう」
 もし何も見つからなかったら思い切って挑戦してみようかと考えたけど、バンドどころか音楽もあまり聴かないからなぁとぼんやり考えた。
「こうちゃん夜ご飯だけど適当なタイミングで何か作るわね」
「そういえばおじさん達夜ごはんいつもどうしてるの?」
「営業終わった後かな」
「なおりって20時までだよね?だったら僕もその時で大丈夫だよ」
「腹減るだろ?」
「元々そんなに食べないし平気だよ」
「この間ここで辛肉蕎麦とご飯大盛食べてなかったっけ?」
「うっ」
 町田さんにそう指摘された僕を見て、おじさんとおばさん達は大笑いした。
「またその時声かけるよ」
 大介おじさんにそういわれ、僕は二階の部屋に戻った。
 扉を開ける時、昨日の惨劇を思い出しのでゆっくり開けてみたが、反対側の部屋のカーテンは閉まっていた。
 安心してベットの上に寝転んでドライをつけたら、なんだか急に眠くなってきてしまい、そのまま眠り込んでしまった。
 またどこかから落ちる夢を見て跳ね起きてしまった。窓の外を見ると、隣のカーテンが閉まったように見えたけど、それよりも今何時なのかと何故か焦って確認してしまった。
 窓の外はまだ明るかったけど、もう17時過ぎだった。おじさん達が働ているのにこうしてグータラしていることに罪悪感を感じてしまう。夏休みなのに夏休みではない感じ。お父さんの「来たくなったらいつでも言えよ」という言葉が脳裏を過るが、カナダに住むということはやはり全然イメージ出来なかった。全然平凡じゃない。
「こうちゃーん」
 そんなことをグダグダ考えていると下から奈織おばさんの呼ぶ声がした。
 なんだろう?手伝いだろうか。ゆっくりしているよりそっちの方が全然いい。
「はーい」
 下に降りて厨房の方へ行くと奈織おばさんと大介おじさんは調理中だった。
「こうちゃん。手伝いはいいって言ったけどありゃ嘘だ。出前をお願いしたい」
 大介おじさんはハードボイルドな振舞いでそういった。
「全然大丈夫だけど……」
 僕は原付の免許持っていないしなと客席で注文を取る町田さんの方を見た。
「出前先はすぐ隣。市川フラワー」
「それでねこうちゃん。ついでにツチカちゃんと一緒に晩御飯を食べてきてほしいの」
「え?!」
 一体どういうこと?と僕が驚いていると奈織おばさんが説明してくれた。
「さっきね、ツチカちゃんからから出前の電話があったのよ。だからそれなら一緒にこうちゃんと食べたらって」
「えーでも向こうは嫌なんじゃ……」
「よっしゃー!って言ってたわよ」
「それは何かの聞き間違えでは……」
「ひょっとしてこうちゃんお腹空いていなかった?」
 寝起きだったけど、正直もうお腹はペコペコのペコだった。
「……腹ペコです」
「なら丁度よいタイミングね。ツチカちゃんもこうちゃんと同じ物頼んだし」
 奈織おばさんがラップをかけた器は辛肉蕎麦ととろろご飯という最高の組み合わせだった。それを見て胃袋は大きく鳴いた。
「こうちゃん頼むぜ!」
「よろしくね」
「幸太郎君の彼女?」
「違うよ!」
 客席から戻ってきた町田さんにからかわれたが全否定。そんなわけないでしょ。
「はい。重いから気を付けてね」
「うん。じゃあ……行ってきます」
 奈織おばさんから岡持ち受け取った僕は裏口から外に出た。
 肉蕎麦ととろろご飯の魅力に浮かれて外に出たものの、市川ツチカさんと一緒に晩御飯を食べるのはかなり非日常的でハードルが高過ぎる気がした。
「高過ぎるどころの話じゃないよ……」
 よく考えなくても、同年代の女の子と2人きりでご飯を食べたことなんて一度も無かった。それがこのタイミングで突然訪れるなんて、心構えが全く出来ていない。昨日のスポーツブラ事件のこともあるし、気まずい以外の何者でもない。
「ひょっとして……僕はぶっ殺されるのでは」
 市川ツチカさんは大分現代的な感じだから、きっと家に入って一緒にご飯を食べたところを動画に撮られそれを拡散されて社会的に抹殺するつもりなんじゃなかろうか。
「あぁ……麺が伸びちゃう。それは駄目だ」
 ご飯は出来立てが一番。おじさんとおばさんが作ってくれた最高の物を疎かにしちゃいけない。
 僕は溜息を吐きながら直ぐ隣の市川フラワーの裏口に立ち、呼び鈴を押した。
「はーい」
 市川ツチカさんの声が聞こえた。
「……あの、幸太郎です」
「……入って」
 なんて返していいか分からずとりあえず名乗ったが、はーいとは打って変わって無機質な声だった。鉄の声だった。岡持ちを置いてこのまま立ち去りたかった。でも、大好きな辛肉蕎麦ととろろそばが僕を引き留めた。
 後はちゃんと謝りたかった。昨日覗いてしまったのはわざとではないから、不安にさせてごめん。
 そう思ったところで裏口が開き、市川ツチカさんが立っていたが僕は思わず目を逸らしてしまった。黒のジャージのハーフパンツに紺色のタンクトップという家着なんだろうけど、男子高校生にはちょいとばかり刺激が強い露出の多さだった。
「どうしたの?入ってよ」
「お、おじゃまします」
 僕はなるべく市川ツチカさんを見ないよう、岡持ちを抱えて中に入った。
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