感染

saijya

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第8話

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    浜岡は、こくり、と縦に首を動かした。男性の肩に手を置き、静かな声音で言った。

「......ええ、一緒に考えましょう。生き延びた方々へ何をすべきなのか。犠牲になった方々へ何が出来るのかを......そして、これからみんなで何ができるのかを……今を生きている我々で」

 両手で顔を覆った男性が嗚咽を漏らしながら、膝から崩れたのを皮切りに、行進に参加していた多くの人々が次々と名乗りをあげていく。それは、一人の人間に捧げられた拍手や喝采ではなく、一人一人が、確かな言霊を宿した、意思のある言葉だった。開いた口を閉じることも出来ずにいた信条は、繰り広げられる景色に、ただ唖然として立ち尽くしている。
 浜岡が呼吸を整え終えると同時に、斎藤が声を掛けた。

「初めて聞いたぞ、お前が俺、なんて言うなんてな。人生でも初めてのことなんじゃないか?」

 からかうような軽い口調に、浜岡は苦笑して、胸ポケットに伸びた手を戻して鼻の頭を掻いた。

「......らしくなかった、ですかね?」

 斎藤は首を振って言った。

「いいや、いつもの冷めた感じも嫌いではないが、さっきのお前も良いと思うよ。一緒に酒でも呑みたいくらいだ」

    軽く浜岡の肩に拳を当て、斎藤が笑う。その言動を受け、浜岡の記憶にあった古い漢詩の一節が広がった。
    贄髪、各、已に蒼たり旧を訪えば、半ば鬼と為る。驚き呼んで中腸熱す焉ぞ知らん、二十戴重ねて君子の堂に上らんとは昔、別れしとき、君未だ婚せざりしに男女、忽ち行をなす。夜雨に春韮をきり新炊に黄梁を間う。主は稱す会面難し一挙に十觴も亦た酔わず子が故意の長きに感ず、明日山岳を隔つれば世事、両つながら茫茫たり。
杜甫の贈衛八処士に贈るだ。
    まだ、この詩を詠めるほど、年齢を食ってはいないのだけれど、と唇を緩め、やはり、らしくないですねぇ、と囁く。

「......でしたら、もう一度だけ、らしくないことをしましょうか。斎藤さん、これからのこと、出来れば田辺君に言ってほしくはないので目を閉じてはもらえませんかね?」

「はっ、そいつは無理な相談だな」

 恥ずかしそうに、胸ポケットから抜いたペンで頭を掻く、そんないつもの癖を見て、斎藤は破顔する。どこまで行こうと、どうなろうとも、浜岡は、浜岡のままでいてくれている。その事実が、堪らなく嬉しかった。
 冴えた東京の青空の下、この空のどこかにいる田辺へのメッセージを込め、浜岡は右手を突き上げた。口にはしないが、ありったけの心を込めて胸中で叫んだ。

 田辺君、次は、君の番だよ。絶対に、必ず、無事に帰ってくるんだよ。
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