感染

第6話

　出口のない迷宮を延々とさ迷う感覚に似ている。優奈を置いて逃げ出すことなど出来ない。
    そんな時、優奈を担当していた医者から一本の電話が入った。その連絡は新崎にとって、心臓を目掛けて硬球が飛んできたような、強い衝撃が走ることになる。まさに、青天の霹靂といえる一言は、こんなものだった。

「新たに作られた薬があります。どうですか、貴方の娘を助けたくはありませんか？」

　聞けば、細胞の働きを活性化させる薬だという。
　だが、新崎にとっては、そんな説明など、どうでも良かった。優奈が助かるならば、の一心で指定された場所である東京の施設に赴く。
    医者を通して連絡を寄越したのは、幾度となくテレビで見てきた野田だった。そして、一も二もなく、突き付けられたのは、法外の医療費だった。払えるはずもない。
    だからこそ、新崎は、こう口にした。

「どんな犠牲も厭わない！どんなことでも、なんでもやる！だから、娘を助けてください！」

　その時に野田が浮かべた卦体な笑顔を、新崎は生涯、忘れることはないだろう。
　男の陥穽に陥ったのだと、嫌でも意識させられる。喜色満面だが、向けられた双眸に宿っているのは、底知れない黒さを感じさせる眼だった。コクっとした野田は、続けてこう言い放った。

「素晴らしい。これこそ見習うべき親子の姿だ」

　流血する親指に走った鋭敏な痛みによって、新崎の意識が、はっきりと戻ってきた矢先、血の匂いで気付いたのか、死者が一人、新崎が隠れるレジ台に回り込んできていた。一気に近づいた死の気配に、思わず、引き金を絞ってしまった。
    鳴り響いた銃声に、新崎は、ぎょっ、として立ち上がり、周辺の死者達の視線を集めてしまう。須臾にも満たない僅かな静寂の後、獣声を発して、走り出した死者の額へ銃口を合わせて叫んだ。

「優奈ァァァァァ！」

　一発を放つと同時に、レジ台を一息に飛び越える。左手にナイフを抜き、右手で銃を構えて、新崎は駆け出す。
　死ねない、こんなところで俺が死ねば、優奈は一人になってしまう。それだけは、それだけは絶対にあってはならない。俺と同じ人生を最愛の娘に味わせるなど、あってはならない。
　目の前に立ちはだかる死者に狙いを絞り、新崎はナイフを振りかざす。その背後にいた死者へ銃弾を見舞う。最短距離で安全な場所へ向かい、このショッパーズモールを脱出すべく、新崎は両足を懸命に動かす。
　背後から服を掴まれようと、強引に前進して上着を脱ぎ捨て、左右から襲いかかる死者には一瞥もくれない。幸運も重なり、新崎は多数の死者を引き連れて立体駐車場へと駆け昇り、風除室を抜け顔をあげる。その先にあった光景に、新崎は満面の笑みを浮かべる。
    激しく波打つ駐車場の落下防止防護ネットの奥に、アパッチがホバリングを保ったまま停滞していた。
    弾かれたように、新崎は両手を振って近寄っていく。

「おーーい！ここだ！ここに生存者がいる！助けてくれ！」