213 / 419
第8話
しおりを挟む
安部の思考を絶ちきる一撃が、頬へ打ち付けられ、強烈な鉄の味が味蕾を刺激する。安部自身も、攻撃される度に歯を食い縛る為に左手に力を入れており、その度に彰一の傷口へ指が沈んでいるはずなのだが、勢いが止まらない。
二度目の拳で、安部は悟る。
この男は、穴生で、ひたすら雄叫びをあげながら自衛官を殴り続けた東と同じだ。こちらが、死ぬまで、もしくは、誰かが止めるまで、闘犬のように犬歯を剥き出しにして、握った拳を解くことはないだろう。ここには、安部と彰一の二人しかいない。止める人間なんて、誰もいない。
「......これは、死闘だ」
安部が、ポツリ、と喉の奥で言った。
激しく息を切らせる彰一には、聞こえていないであろう小さな声だ。徐々に腫れが目立ち始め、変形してきた顔面に光る両目が、しっかりと彰一を睨みつけた。
絶え間なく続いていた攻撃の手が、瞬きをするような短い時間だけ空き、安部は彰一の腹に据えていた左膝を裂帛の気合いと共に押し上げ、巴投げの要領で彰一を反転させる。遠心力で解放された右手の拳銃で撃つなどせずに、安部は距離を離すことを優先させた。慌てて銃弾を放っても相手を殺すことは出来ない。先程のように、良くて肩を貫くぐらいだ。
ならば、相手の手が届かない場所まで逃げ、そこで撃ち殺せば結果は同じだ。死闘と分かった以上、より優位に立たなければならない。
口での呼吸も苦しくなった。そんな自覚が頭を過った時、安部の右肩を何かが掴んだ。
いや、安部はそれがなんなのか、もう理解している。安部は悔しさが滲み出たような声を出す。
「くうあああああああ!」
「逃がさねえぞ......」
彰一には、時間が無かった。
網膜剥離の兆候と呼ばれる飛蚊症に似た黒い小さな物が、大きな形を成し始め眼界を漂っている。加えて、咬傷を出発点として、身体を廻り、頭へ登っていく何かも、彰一の体力が落ちれば、比例するように、その速度を速めていく。
深酒をした日のように、目を瞑れば、直接、目玉を掻き回されたような不快感があり、それに伴う酷い吐き気に襲われていた。
二人の死闘を焚き付けるかの如く、車のドアを破壊した死者達が、娯楽を楽しむ群衆のようにシャッターを叩き始めた。こちらも、限界が近づいてきているようだ。
苦し紛れに、安部は銃のグリップを裏拳気味に背後に振るうも、それは虚しく空を切った。
殴りあいの場面において、身長による体力の有利は、大きく関係する。それを補っているのは、彰一の経験だった。路上での喧嘩は、先手必勝。それは、荒い言い方をすれば、先に血を流させた側は、勝利が近づいたと勢いを増し、血を見た側は、敗けが近づいたと意識してガードを固めてしまうからだ。要するに、追い詰められた人間の動きは、単調になる。深いところで人の心は変わらない。彰一は、それをよく理解していた。
二度目の拳で、安部は悟る。
この男は、穴生で、ひたすら雄叫びをあげながら自衛官を殴り続けた東と同じだ。こちらが、死ぬまで、もしくは、誰かが止めるまで、闘犬のように犬歯を剥き出しにして、握った拳を解くことはないだろう。ここには、安部と彰一の二人しかいない。止める人間なんて、誰もいない。
「......これは、死闘だ」
安部が、ポツリ、と喉の奥で言った。
激しく息を切らせる彰一には、聞こえていないであろう小さな声だ。徐々に腫れが目立ち始め、変形してきた顔面に光る両目が、しっかりと彰一を睨みつけた。
絶え間なく続いていた攻撃の手が、瞬きをするような短い時間だけ空き、安部は彰一の腹に据えていた左膝を裂帛の気合いと共に押し上げ、巴投げの要領で彰一を反転させる。遠心力で解放された右手の拳銃で撃つなどせずに、安部は距離を離すことを優先させた。慌てて銃弾を放っても相手を殺すことは出来ない。先程のように、良くて肩を貫くぐらいだ。
ならば、相手の手が届かない場所まで逃げ、そこで撃ち殺せば結果は同じだ。死闘と分かった以上、より優位に立たなければならない。
口での呼吸も苦しくなった。そんな自覚が頭を過った時、安部の右肩を何かが掴んだ。
いや、安部はそれがなんなのか、もう理解している。安部は悔しさが滲み出たような声を出す。
「くうあああああああ!」
「逃がさねえぞ......」
彰一には、時間が無かった。
網膜剥離の兆候と呼ばれる飛蚊症に似た黒い小さな物が、大きな形を成し始め眼界を漂っている。加えて、咬傷を出発点として、身体を廻り、頭へ登っていく何かも、彰一の体力が落ちれば、比例するように、その速度を速めていく。
深酒をした日のように、目を瞑れば、直接、目玉を掻き回されたような不快感があり、それに伴う酷い吐き気に襲われていた。
二人の死闘を焚き付けるかの如く、車のドアを破壊した死者達が、娯楽を楽しむ群衆のようにシャッターを叩き始めた。こちらも、限界が近づいてきているようだ。
苦し紛れに、安部は銃のグリップを裏拳気味に背後に振るうも、それは虚しく空を切った。
殴りあいの場面において、身長による体力の有利は、大きく関係する。それを補っているのは、彰一の経験だった。路上での喧嘩は、先手必勝。それは、荒い言い方をすれば、先に血を流させた側は、勝利が近づいたと勢いを増し、血を見た側は、敗けが近づいたと意識してガードを固めてしまうからだ。要するに、追い詰められた人間の動きは、単調になる。深いところで人の心は変わらない。彰一は、それをよく理解していた。
0
お気に入りに追加
70
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

すべて実話
さつきのいろどり
ホラー
タイトル通り全て実話のホラー体験です。
友人から聞いたものや著者本人の実体験を書かせていただきます。
長編として登録していますが、短編をいつくか載せていこうと思っていますので、追加配信しましたら覗きに来て下さいね^^*

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

【1分読書】意味が分かると怖いおとぎばなし
響ぴあの
ホラー
【1分読書】
意味が分かるとこわいおとぎ話。
意外な事実や知らなかった裏話。
浦島太郎は神になった。桃太郎の闇。本当に怖いかちかち山。かぐや姫は宇宙人。白雪姫の王子の誤算。舌切りすずめは三角関係の話。早く人間になりたい人魚姫。本当は怖い眠り姫、シンデレラ、さるかに合戦、はなさかじいさん、犬の呪いなどなど面白い雑学と創作短編をお楽しみください。
どこから読んでも大丈夫です。1話完結ショートショート。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる