ダークマター~二つの記憶

おはようバス

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始まりの始まり

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会場に着いた千鶴とキムジウが驚いた様子で
「こんな立派なところでやるのね。」と言うと、綱島が
「なんでもお金。 僕らお金持ってるもん。」と冗談めかして言った。
根岸森林公園には野外コンサートのような立派なステージが組まれていた。
開場時間の3時間前にも関わらず、既に多くの人が集まっており会場が熱気に包まれていた。 右翼の街宣車も多く見受けられ、在日特権反対と書かれた幟を持ったものも目立っていたが、まだ目立った動きはしていなかった。 集まった人に対応するために開場時間を一時間早めて受付を開始した。 受付係の真凛や千鳥たちに罵声を浴びせるものも多かったが、それでも募金をしてくれる者や、「応援してるよ」と言ってくれる者が圧倒的で、遠くからそれを眺めていた千鶴とキムジウに勇気を与えてくれた。
オープニング前には右翼やヘイト的発言をする人らの言葉で会場周辺が異様な様子となっていたが、ステージに愛花が現れると観客からの声援で掻き消された。 そして愛花の圧倒的な歌声が皆の胸を打った。 千鶴とキムジウの登場で会場のボルテージは最高になり、その後に綱島がステージに立った。 そのころには会場から立ち去るものも多くいたが、それでも多くの人が残ってくれた。 綱島は、この団体の設立の目的と今後の活動方針を淡々と話したのちに、感情を吐き出すかのように激しく語り出した。
「皆さん、第二次世界大戦で死亡した日本人が三百万人以上です。 また、アジアでは一千万人以上とされています。 世界では五千万から八千万人と言われています。 新たな戦争が起きたらもっと多くの人の命が失われる可能性も否定できません。このような中で我々ができることはヘイトや無視ではなく、過去の出来事を互いの視点に立って話し合い、記録に残すことです。 被害を受けた方がまだ生存しているうちに、それをしなければもうチャンスは残されていないかもしれないのです。 平和に続く未来を共有することこそ本当の意味で急務なのではないでしょうか?」と締めくくると会場から拍手が起こった。
続いてキムジウガ登壇すると紙テープが投げ込まれ、声援の声が上がった。
「みなさん、私は韓国人であり、今回は被害者側の人間としてこの活動に関わってきました。ご覧の通り私は、仲間たちの中で差別も受けていませんし、同じイデオロギーを持って活動しています。 ここには民族の違いも、国民感情も存在していません。 ただ、国家間で話し合われた解決策に対し、被害者が納得できないとする声を無視することは間違ったことだと思います。」
ここで会場から「反日教育を受けた奴が偉そうに言うな。」とヤジが入った。
「確かに反日教育を受けましたし、その教育が全て間違っていたとは思っていません。 実際、韓国が日本に植民地化されたという事実があり、先の大戦で多くの韓国人が戦死したという事実が存在します。 さらに長い時間教育を受けていればこそ、そのことについて考えることが出来て政府の嘘も見抜ける視点も持つことが出来ました。 それに対し日本の大戦についての教育は本当に十分だったのでしょうか? 最近の教科書では慰安婦の文字が消され、「はだしのゲン」ではテーマとなっている戦争の愚かしさよりも、軍隊に連行されていく性対象としての女性の姿が重要視され、不適切として図書館から姿を消しています。またこの事態は、千鶴ちゃんや綱島くんなど若い世代にとって大戦や日韓関係を学ぶ機会を奪っただけでなく、政府もマスメディアもまた、韓国問題は解決済みと、印象操作しているようにしか感じません。 両国民が本当に日韓関係を解決するには両国民が本当の史実を見出し、話し合うことでしかないのです。 良くも悪くも日韓は隣国であり、自由主義、民主主義の国民であるとの同一のイデオロギーを有しています。 だからこそ、納得できないと言う個人の声を聴いて、そして解決できるのは話し合いだけではないでしょうか? 先日、解体した元慰安婦の支援基金において既にほとんどが支払われたという人がいますが、およそ三割の人が基金自体を不満として受け取りを拒否しているのです。 その方たちは自分たちの声を聴いて欲しいと思っているだけなのです。 その声を奪うことは正しいことなのでしょうか? 無視を決め込んだところで、口汚く罵ったところで、互いに溜まるのは怒りと憎しみの感情だけです。 そうなれば何時か起こりうるのは戦争となってしまいます。 だから話し合いの場を作って、罵倒しあうのではなく、理解し合うことに手を尽くしていきたいのです。 人として・・・」 会場が一瞬、沈黙に包まれた。その後自然と拍手が起こり、各所から賛同する声が溢れた。
続いて、千鶴の登壇である。 千鶴は、興奮気味に千鳥に対し「言って来る。」と言うとステージを駆け上がった。
「みなさん、私は平和が好きです。 争いを好みません。 暴力に頼らないで済むにはどうすればいいか考えます。 罵り合ったり、無視したり、いじめられたり、いじめたりしないようにするにはどうすればいいか考えます。 いずれの場合でも会話をして、共感できるものを見出し、協調することしかないのです。 例えば、いじめが起こる前に察知し、何が問題なのかを聞き出して、それを改善することでその問題が解決します。 私も以前から日本を罵倒する韓国の人や元慰安婦の方をテレビで見て、不愉快な気分になっていました。 しかし、本当にその人たちの言い分をきちんと聞いたことがあったかと考えてみました。 そんなことは一度もせずに、ステレオタイプの報道や政治家の言葉を信じていました。 何も、政府が悪いと言っているわけではありませんが、今までの関係を子や孫までという言葉よりも、怒りを露わにする人の声を聴く方が未来の懸け橋になるのではないでしょうか。 確かに先の大戦では欧米列国の植民地支配がアジアにも及んだために、戦争するしかなかったとする正義の戦争論があるのも承知しています。 しかし、そのために奪われた命に責任が持てると言えるのでしょうか? 今の世界を見てください。 シリアにアフガニスタン、イラクなど戦争や内戦によってどれだけの被害が出ているのか? 終戦後にその戦争は正しい戦争であったと言ったところで、被害者の魂は報われるのでしょうか? 誰も報われることはありません。 では、どうすればよいのかといえば、戦争しないことではないでしょうか? 戦争しないために必要なものは、罵声でも無視でもなく、同じ時間を共有し、共感し、協調することではないでしょうか? ですから、まず手始めに、もと慰安婦の方たちとできることをすることなのです。 しかし、個人では、できることは僅かです。 逆に政治的解決は、様々な都合によって阻まれています。 だから、大勢の善良なる意見により世界を変えて行きたいのです。」
 「いいぞ。」と観客の一人から声が掛かると会場のボルテージが上がった。千鶴の言葉にも熱がこもった。 
「カントが『永久平和のために』を発表したのが1795年、そこには各国が武器を廃棄し、他国に対し、いかなる暴力的な干渉も行わないことが指摘されていました。 でも、現在の日韓関係は言葉による暴力が横行しています。 戦争に繋がるわけがないというのは全くの幻想であり、いずれは戦争になってしまうでしょう。 既にネットでは「戦争しかない」とか「日本も核を」とか「韓国も保有国の仲間入りを」とかのコメントが横行するようになり、そうしたコメントに呼応する者たちが目立ちます。 本当にそれでいいのでしょうか。 先ほど綱島さんが言った戦死された方たちのことを考えて欲しい。今、難民として世界にあふれる人たちのことを考えて欲しい。そして、直ぐそばに死がある世界を考えて欲しい。 だから、慰安婦の人たちの為だけではなく、自分や家族、仲間たちに害が及ばないように、今こそ力を合わせましょう。」 千鶴の言葉に観衆が呼応する。
その姿を目にした千鶴は考えていた。 「永遠平和の法は、憲法や国際法だけで成り立つのではなく、一人ひとりの心によるのだ。 きっといつか人類は、言葉と感情により永遠平和を実現し得る。それに向かって自分は歩き始めるのだ」と。

 その夜、一人で静かに飲む酒の心地よい酔いに浸りながら、ダイスケの脳裡には、いつだったか聴いたベートーヴェンの第九の合唱が響いていた。
    人々よ 世界の民よ
    我ら皆 兄弟 同胞なのだ
    今こそ 共に歌おう 歓喜の歌を
    今日は お祝なのだ 
    この喜びを 朗らかに 歌おう


                The  End 

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