ダークマター~二つの記憶

おはようバス

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太平洋戦争の真実(日本は世界平和を望んでいた)

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ダイスケは、部屋に戻り焼酎を片手に煙草を吹かしながら、巻き込んだ千鶴たちの将来に悪い影響を与えてしまったのではないかと、考えていた。
今回の計画は、もともとダイスケの思想であり、虚無の妄想から始まっていた。
ダイスケの「人は、話し合えば理解できる。」という理想論から端を発した。
現実では、有り得ないことであり、ダイスケも嫌いな人は多くいるし、そいつ等と一生、話すことはないと考えていた。 ダイスケが、青春を過ごした時代は、ベルリンの壁が壊され、ソビエト連邦が無血といえる状況で崩壊した。 テクノロジーは、日々、進歩して行き、音楽やアニメなどの文化が多様化して行った。 日本は、世界一、繁栄して行き、これから世界が変わると信じられた時代であった。 その後、バブルが弾け、ノストラダムスの大予言が外れ、20世紀が終わる頃には、なお望みがあった。
しかし、時代が進み、駅からほとんどの電話ボックスと掲示板が消えた現在でも、結局、苛めや差別などのほとんどの社会問題が解消されていなかった。 そのうえ、少子化、高齢化、国の借金などの新たな問題が浮き上がり、例え事実であっても、一方的な歴史改変や強いナショナリズム台頭し、軍備費が大幅に増大して行った。 憲法改定も、もはや止められないように思えてきた。
ジローズが歌う「戦争をしらない子供たち」の歌詞をダイスケは思いだしていた。
彼らが歌う”おとなになって歩み始める″僕らが、戦争で散った全ての国のその屈辱や恐怖、怒りの感情を持ちながらその存在を忘れられないようにと願う僕等という名前の被害者を忘れてしまっているのは、歴然の事実であった。
そんな世の中にあって、多くの国民が解決済と捉えた加害者の道を、再び検証しようと伝えることは、若い彼女たちにとって、今更と思う茨の道でしかないのではないか。
ストレートでどんぶりから飲む生暖かい焼酎が頭の回転を遅くさせていった。
意識が遠のき、そのまま眠りに落ちて行った。

ダイスケの朝は、早い。 その日は、まだ外が暗い4時には目が覚めていた。
昨晩からつけたままのテレビでは、ある健康食品のCMが、真実とは思えないデータを、使用者の見解ですと表示しながら、繰り返し流していた。 藁をもすがる病人の気持ちを弄ぶこのような卑劣な行為をダイスケは悪質な詐欺と考え、厚生省や消費者庁が抜け道を作るよう整えられた法規について、強い憤りと、解決する策を考えていたが、いまだ何の行動も起こしてはいなかった。 午後にある会議に備え、作成した計画書を見直した。
相手に伝われば問題ないと、考えるダイスケには、見直し作業がおおよそ意味のある作業とは思えなかったし、修正したい者が修正すればいいと考えていたが、その考え方は長いサラリーマン生活では多くの軋轢を生んだ。 得意ではない、家での作業に見切りをつけて、7時過ぎに鎌倉のエクセルシオールカフェで続きを行うことにした。 ダイスケの住んでいる地域では、カフェは朝7時頃から開いていた。 電車を降り、駅そばで朝食セットを食べてカフェに向かった。 その間、街は一様に静かな朝で整頓されていた。此処には十数年続くアフガニスタン戦線もアフリカのサバンナの食物連鎖の緊張感もないのである。 人びとは、ロボットのように正確に自らに課せられた日々の行動をこなすだけである。それが、いずれ訪れる個の悲劇や喜劇の発端になるかもしれないとしても。
千鶴たちの夏休みももう終わるため、定例会は土曜の13時から雪乃の部屋で行うことにしたが、今日は、その内容から大船のレンタル会議室を使うこととなっていた。
ダイスケは、11時までカフェで作業を行い、大船のうなぎ屋で昼食を取ることにした。
ダイスケが通い始めた頃はいつでも入れたが、このうなぎ屋は最近人気となり、11時半頃の開店に合わせて並び、注文を伝えてから、席が空いたことを伝える電話を待つスタイルに変わっていた。 予定通り食事を終え、13時5分前に会場に訪れると、綱島が既に来ていて、プロジェクターなど会場の用意をしており、その横で見知らぬ20代と思われる妖艶な女性が座っていた。 ダイスケに気付いた綱島が彼女が愛花であることを伝えると、愛花が、妖艶な笑みを浮かべて言った。
「DTMからの依頼を受けて、やって来たわ。私は、この一件を仕事として受けたの。報酬は既に彼から受け取ったけれど、作詞作曲は、そちら側でやってね。」
愛花は、ユーチューバーは、人気に左右される商売であり、ことの進行によっては立ち位置を変えようと考えているようであった。 大人として、当然のスタンスである。
その後、現れた千鶴たちは、愛花にサインを求めたり、一緒に写真を撮ったり、はしゃいでいた。 山田が到着し、全員が揃った。 まず、愛花の歌う姿が、動画で流された。
その少しハスキーな歌声と、澄んだ歌声を織り交ぜたその歌は、あまりにも切なく、情緒的であり、圧倒的であった。 雪乃と千鶴の目には涙があった。
動画が終わると、愛花が「こんなとこよ。」と誇らしげに言った。 皆から自然と拍手が起こったが、不思議そうに千鳥が言った。
「でも、私が作った歌詞と全然違うけど。」
「良いでしょう、こっちの方が。」 そう言う愛花の言葉に全員が頷いた。
このままこの動画を使うことを愛花に申し出たが、やんわりと断られると、千鶴とキムジウに皆の目が向けられた。 二人は、互いに目を見つめ頷くと言った。
「ボイトレの成果を見せる時ね。」
ここから1週間で二人は愛花の指導を受け、動画の撮影をし、綱島が動画を編集したうえで、みんなの同意のもと翌週の金曜日までにアップすることになった。
雪乃から、「両国の関係がそのころ如何なっているかは分からないが、必要があるなら何でもやるよ。」の言葉に賛同しつつ、気持ちが高揚して話は尽きなかった。
愛花も結局、退席する機会をつかめず、最後まで会議に参加していた。 時折、ダイスケに向けられる妖艶な笑みにダイスケは気付き、きっと自分が間抜けな表情をしているだろうなと、思いながらも悪い気はしなかった。
ダイスケの提案した計画書をみんなで、検討し、合意できた。合意された内容は以下の通りとなった。
活動目的: 慰安婦は、全員被害者であり、その責任は、日本にあり。我々は加害者として個別に一人ひとりに対応して和解できるよう最大限の努力をおこなうこと
但し、両国政府の立場を鑑み、決して否定的な立場に立たない。
活動計画: 今後一週間以内に愛花が作成した歌の動画をユーチューブにアップする。⇒二週後の終末に韓国を訪問し、元慰安婦に面会する。⇒韓国内で2曲目の撮影を行い、動画をアップした後に、我々の見解を乗せたホームページを公開する。⇒その後4週間をめどに集会を行う⇒順次元慰安婦に面談し和解の方法を模索する。
その後ダイスケが、現在の日本政府が太平洋戦争を正当化するような発言をしているかについて知ることが必要であると言うと、山田が、あくまでも、日本の戦争の歴史とういサイトからの引用であるがとしつつ語った。
「ペリーの来航から話が始まる。まず大前提として、世界はこの時点で、植民地主義・帝国主義の時代が約350年続いていた。植民地主義、帝国主義の時代というのは、ヨーロッパ諸国(欧米列強)が、アメリカ大陸やアフリカ、アジアを次々に侵略し、植民地とすることを競った時代だった。この時点で、中国大陸と中東、東南アジアの一部、日本列島を除いてほぼすべて植民地と化していた。」
プロジェクターによりスクリーンに映し出された世界地図が欧米による植民地を鮮明に映し出していた。 千鶴が「なかなか、えぐいわね。」と言った。
「ペリー一行が黒船に乗って浦賀にやってきた理由はもちろん、日本列島を侵略し植民地するためであり、当時、ヨーロッパ諸国に後れを取っていたアメリカが、アジアの植民地化の第一歩として日本に目を付けた。そして、ペリーが何を要求したかというと、綱島くん?」
「不平等条約の締結ですね。山田さん。」知っていることを尋ねられた綱島が嬉しそうに答えた。 山田は、「その通り」と言い続けた。
「不平等条約というのは、欧米諸国が他国を侵略する際の常套手段で、そこには理不尽なことが山ほど書かれており、それを締結するとその条約に則って、経済的、軍事的に侵略が許されるものであり、不平等条約を受け入れるということは事実上、理不尽な侵略行為、搾取行為を合法化してしまうようなものだ。また、欧米列強はこの不平等条約を「友好」の名のもとに締結しようと迫ってくるので、それを断るということは「自分たちとの友好を拒んだ」という言い分を与えてしまうことになり、一転して戦争を仕掛けるきっかけを与えてしまうことになる。」
「結局、江戸幕府は、その条約を締結せざるを得なくなった。」と綱島が口を挟むと、山田が「そうだ」と答え話を続けた。
「だが、当時、幕府の対応には不満を持った人々が多くいた。 彼らは、ペリーの圧力に対し、江戸幕府が開かれて以来続いていた鎖国体制の維持と、外国人の排斥を望む、攘夷論(じょういろん)を掲げた。 また、天皇を中心とする朝廷が不平等条約の締結による開国を望んでいなかったことから、幕府は天皇に背いた。 天皇を中心に日本の行く末を考えるべきだとして、尊王論(そんのうろん)というものも生まれた。 そして、この二つの勢力が次第に一つになり、江戸幕府打倒を掲げた尊王攘夷運動という革命的な運動が始まった。但し、明治維新がその理由だけで、起こったのではなかった。」
千鶴が「ヨーロッパに留学した人々が、世界情勢を直接目の当たりにして焦ったからでしょう。」と得意げに言った。山田が「その通り」と言い続けた。

「留学した者が見たのは、想像していた以上に世界では有色人種の差別が横行していた。さらに、日本と欧米では軍事力が桁違いで、そんな状況では到底鎖国体制などは維持できないので結局のところ植民地にされてしまうという危機感だ。そこで、むしろ開国し、日本も近代的なものの考え方や制度、技術等を積極的に取り入れて不平等条約を撤廃するだけの実力を付け、欧米からの侵略に立ち向かうべきだという考え方(富国強兵)に変化していった。そして、戊辰戦争のうえ、明治政府が発足した。」
「ここら辺の話はこの前、授業で習ったばかりだから知っているわ。」と千鶴が口を挟むと、山田はやさしい目で微笑み、話を続けた。
「新政府は、欧米列強からの脅威を「富国強兵」で乗り越えることが目標であったが、明治維新が日本の歴史の一大ターニングポイントであることは言うまでもない。」 山田は、話はこれからとばかりに乾いた喉を水で潤わせた後に「続いて、日清戦争」と言うと語った。
「日本にとって、開国後の最大の問題は隣国である清国と、その属国であった朝鮮との関係だった。 東南アジアを次々に植民地化してきた欧米諸国はさらに北上する姿勢を見せており、加えて当時、徐々に勢力を伸ばしてきていたロシアが、北海道と朝鮮半島のすぐ北のサハリン、ウラジオストクまで南下してきていたため、日本列島、清、朝鮮半島は南北から挟み撃ちされるような状況に陥った。 そのような状況を憂慮した日本は、まず、朝鮮半島をロシアの手から守らなければ国家の存続はありえないと考え、朝鮮を日本のような近代国家として自立させ、同盟を結ぶことについて協議した。 その結果、日本は、近代化と国交を結ぶ提案を、天皇の勅使として朝鮮に送ったが、もともと日本を小国として見下していた朝鮮は、西洋化し、近代化した日本を侮辱するかたちでこれをあっさり拒否。 日本は、朝鮮に対し圧力をかけるかたちで影響力を行使せざるを得なくなった。 しかしその朝鮮を長年、属国としていた清国がこれを黙認するはずもなく、日本との間で「日清戦争」が勃発した。」
「なんか、日本が悪くないかも。韓国統治も仕方なかったのでは・・・・」と千鶴が言うと、「たとえどんなことがあろうと他国を統治することは、問題だわ。」とキムジウが言った。山田も「その通り、これは日本の物語であり、不平等条約締結後、アメリカに侵略された訳 でもない。」と言い、続けた。
「日清戦争は、日本は開戦当初、中国、朝鮮と同盟を結ぶことによってアジアの団結を図り、そうすることによって欧米諸国から自国の領土を守ることになると考えていた。 しかし、歴史的に中国と朝鮮が日本を小国として侮ってきたという事実を前に、早々挫折し、またこの両国が、「欧米による植民地化」という危機に日本ほど深刻視していなかったことから、明治政府は、「アジア団結」の志はまったく実現不可能であることを思い知らされた。
そして、アジアの団結力に頼るのではなく、日本一国のみで欧米諸国と対等に肩を並べ、そうすることで日本の国土を欧米の侵略から守ろうという、「脱亜入欧(アジアを脱し、欧米列強に肩を並べる)」の考え方にシフトした。 この日清戦争は、日本の「脱亜入欧」がかかった一戦となり、日本は、勝利した。 この勝利によって日本は、清国から正式に遼東半島、台湾、澎湖諸島を得て朝鮮を清国から独立させ、日本の影響下に置くことに成功した。また、この勝利により、「脱亜入欧」の理想に一歩前進したことで、日本は欧米諸国からも一目置かれる存在になったが、この後それが返って日本を窮地に立たせることになった。」
綱島が、感慨深げに「まずは、成功ですかね?」と言うと、「日本の物語としてはね。」と山田は答え、「次に日露戦争ね。」と続けた。
「日清戦争に勝利した日本は、清国に対し、数百年ものあいだ属国として扱ってきた朝鮮から手を引かせ、朝鮮を独立国とすることに成功した。 この日本の勝利は、それまで清国こそがアジアで最も力のある国であると認識していた欧米列強に衝撃を与えた。 特に衝撃を受けたのは、「アヘン戦争」以来、清国を脅かしていたイギリスと、東アジアに北から圧力をかけていたロシア、そして、この頃スペインとの戦争に勝ってフィリピン、グアムを手に入れ、さらにハワイをはじめとする太平洋の島々を領有・植民地化したアメリカの3国だった。 とはいえ当時の日本はまだイギリス、アメリカ両国とはおおむね友好的な関係にあった。」
 「不平等条約を締結していたのに、アメリカと良好の関係だったのは不思議ね。」と千鶴が言うと、山田は、「そうだな、憶測ではあるが日本は、近代化のため欧米から十分見合うだけの対価を支払っていたからではないかと思う。」と言い続けた。
「日清戦争には、南下するロシアの勢力を食い止めるという大義があり、イギリス、アメリカ両国にとっても、ロシアの朝鮮半島・日本列島への勢力拡大は好ましくないとして、利害が一致していた。 しかし、ロシアはまず日本に対し、「三国干渉」という「脅し」をかけてきた。これは、ロシア、ドイツ、フランスの三国が、日本が日清戦争で得た清国の領土である遼東半島の領有権を放棄するよう求め、放棄しない場合は、この三国と戦争することになるという、まさに「脅し」以外の何ものでもないものだった。 遼東半島は、朝鮮半島のすぐ北にある小さな半島で、日清戦争は、日本にとってはこの半島を領有することが目的だったと言えるほど、ロシアの南下を食い止めるために地理的に重要な地域だったが、ロシアの脅しに屈し、遼東半島を放棄し、清国に返還した。 ロシアは、清国に対し、領土を日本から返還させてやったという恩を着せ、その遼東半島を清から租借するという名目で手に入れ、さらに清国の領土の領有権を次々に主張してゆき、とうとう朝鮮半島のすぐ北に自国の軍を配備するまでに至った。」
「ロシア、腹立つわ。本当に身勝手ね。」と千鶴が憤慨していた。 「まあまあ」と山田があやしつつ続けた。
ロシアの行動を疎ましく思ったイギリスは、1900年に日本と同盟を締結した。日本はこの「日英同盟」をバックに、また友好国アメリカからも支援を受け、4年後の1904年にロシアの圧力をはね除けるべく宣戦布告した。 ただし、英米の支援を受けたとはいえ、この日露戦争は非常に危険な戦争だった。 当時のロシアの国力は、前回の清国とは比べものにならないほど強大で、イギリス・アメリカに勝るとも劣らない力を持っていた。しかし日本は、苦戦をしいられながら、辛くもこの日露戦争に勝利した。 この勝利は、これまで欧米諸国に一方的に虐げられてきた、アメリカ大陸、アフリカ大陸、アジアの有色人種の国々が、白色人種の国との戦争ではじめて勝ち取った勝利だった。 この戦争は現在でも、はじめて有色人種の国家が白色人種の国家に勝った戦争として、特にヨーロッパ以外の有色人種の国々で語り継がれてる記念すべき戦争だったとも言われている。 これまで、約400年に渡って世界中の有色人種の国々では、人々が何の根拠もなく虐げられ、搾取され、奴隷として連れ去られるなど、まともな人間としてさえ扱われてこなかったが、この日露戦争の勝利は、そんな有色人種の人々に計り知れない勇気や希望を与えたとも言われている。」
「なんか日本かっこいいね。」そう言う千鶴を、ダイスケは、「結局、戦争だよ、それにより沢山の命が奪われ、略奪や強姦などの不逞行為が横行する。」と制した。 それに山田も「そう思う」と同意し続けた。
「この勝利により、日本の立場はこれまでと一変した。 これまで、世界中の有色人種の国々は、1400年代の終わりにスペインやポルトガルが世界侵略を開始してからというもの、どこの国も欧米諸国の圧力をはね除けることができなかったが日本は、唯一それをやってのけた。 それにより、他の有色人種の国々のように、ほとんど植民地化されることが前提で欧米諸国の思惑に翻弄されるだけの存在ではなく、日本は欧米諸国と肩を並べ、「不平等条約」を破棄し、自国の意見を何も恐れることなく言える立場になった。」
「ここから太平洋戦争に至るのね。」と千鶴が言うと、山田は頷き、語り始めた。
「日露戦争に国力のほとんどを使い果たし、それ以上の領土拡大や、他国との戦争などはおよそ考えられない状態と言われていた。 しかし、そんな日本の国内事情とはまったく無関係に、アメリカは必要以上に日本に対して厳しい態度を取りはじめた。 まず、日清戦争後のロシアと同様、日本が日露戦争で勝ち取った満州鉄道をはじめとする中国大陸における利益をアメリカにもよこせと言ってきた。その要求があまりにも横暴なものだったので日本は当然拒否した。 すると、アメリカは、イギリスに日英同盟を破棄するようにすすめたり、イギリス、フランスと結託して日本に経済制裁を行ったりするなど、それまでの友好関係もまったく無かったかのような態度に出て日本の孤立化を図った。 一説によると、アメリカがそのように態度を一変させた原因が「人種差別」とも言われている。」
「人種差別?」とキムジウが山田をみた。
「そうだ、さっきも言った通り、日露戦争は、有色人種が白人に勝った初めての戦争であり、支配されていた有色人種の希望と成り得る衝撃的なものであったからだ。」と山田が力強く言う。
「アメリカのあからさまな威嚇行動を受け、日本でもアメリカとの戦争は避けられないものとする意識が芽生えはじめた。 そして、欧米諸国の反応からも、人種の違いの壁や、反日感情の高まりを強く感じはじめた。 その後、日本はそのような世界の人種差別的風潮を受けて、1918年に、第一次世界大戦が終結した後のパリ講和会議の席上で「人種平等に関する提案」という人種差別撤廃案を提出した。 その提案に対する投票の結果は、賛成17/反対11と賛成多数であったものの、委員長を務めていたアメリカ大統領のウィルソンによる「このような重大な案件は全会一致でなければダメだ」との理不尽な独断で不採決となった。 このパリ講和会議の一件について、アメリカの黒人歴史学者のレジナルド・カーニーは著書の「20世紀の日本人 アメリカ黒人の日本人観1900―1945』のなかで次のように書いている。 第一次世界大戦が終わると、ヨーロッパの戦勝国は世界秩序を元に戻そうと、パリで講和会議を開いた。 それぞれの国にはそれぞれの思惑があったが、一致していたのは、日本とアメリカからの申し入れには耳を傾けよう、という姿勢だった。ウィルソン大統領は、世界秩序回復のための一四カ条を手に、パリに乗り込んだ。 彼がまず唱えたのは、国際法と国際秩序の確立であった。 日本の代表団は、ウィルソンが出せなかった15番目の提案を持って講和会議に出席した。 「わが大日本帝国は、国際連盟の盟約として、人種平等の原則が固守されるべきことを、ここに提案する。」 これこそが、いわゆる15番目の提案であった。(中略) 人種平等の実現を目指していた日本と、そうでなかったウィルソン。 その差がここにでたと言ってもよいだろう。 もし日本のこの15番目の提案が実現されていれば、アメリカ黒人にとって、おもしろいパラドックスが生じていたかもしれない。(中略) アメリカ黒人がほかの連盟の人間と同じように、民主的に扱われるためには、アメリカ以外の外国に住まねばならなかったはずである。 そんなパラドックスが生じていたかもしれないのだ。(中略) 「おそらく世界でもっとも有望な、有色人種の期待の星」、それが日本であるという確信 。日本はすべての有色人種に利益をもたらすという確信があったのだ。 それは、たとえひとつでも、有色人種の国家が世界の列強の仲間入りをすれば、あらゆる有色人種の扱いが根本的に変わるだろうという、強い信念によるものだった。」
「やはり日本政府が正しいですよ。」と綱島が興奮した様子で言った。
それを横目に山田が続けた。
「アメリカの「日本いびり」はさらに続く。 アメリカは1922年ワシントン会議で日本とイギリスの同盟を解消させ、さらに日本は主力軍艦を建造してはならないという条約まで押し付けた。 アメリカ国内では、日本からアメリカへ渡った日本人移民への差別が激しくなり、1924年にカリフォルニア州で「排日移民法」という法律ができ、日本からの移民を禁止するという事態にまで及んだ。 それから、当時清国で王朝が滅び、いくつもの勢力に別れて混沌としていた中国の政治に、日本は口を出すなと言ってきたかと思うと、さらに、アメリカ、イギリス、中国、オランダによる、いわゆるABCD包囲網と呼ばれる日本への一方的な経済制裁を行ったことで、日本の物資の欠乏は深刻な事態に追い込んだ。 このような、あからさまに日本を敵視した日本孤立化への動きが、実際に真珠湾攻撃による太平洋戦争の開戦に至る前、数十年間に渡って行われて行った。 そこで、日本がアジアを結束させ、指導的な立場に立ち「大東亜共栄圏」をつくることでアジアの独立と団結を一挙に図ろうとした。 そしてとうとう「ハル・ノート」という事実上のアメリカ側からの最後通告を拒絶し、「大東亜共栄圏」の実現をめざして、1941年12月8日、ハワイ真珠湾の米軍基地を攻撃し、第二次世界大戦(太平洋戦争・大東亜戦争)へと突入することになった。」
山田はダイスケに「このくらいでいいか?」とダイスケに聞くと、ダイスケは、「さすが、山田さん。」と言うと話を引き取った。
「これは、あくまで歴史の事後性であり、どちらかと言うと日本にとって都合の良い解釈ともとれる。 そもそも、日本がどのような理由があったとしても戦争を次々と仕掛けていったことは事実であり、先ほども言った通り、多くの犠牲を出していった。 たとえ事実であったとしてもそれが植民地化されるかもという妄想から端を発した戦争であることは事実である。 ある段階で、理性的にふるまうことができれば、悲劇は回避できた可能性がないとは言えないだろうか?」と言うダイスケに綱島が
「でも、植民地化されたかもしれないでしょう?」と聞き、千鶴が  
「人種差別を無くそうと努力したことは否定できない。」と続けた。
ダイスケは、「その通り。」と言いつつも「それでも、アメリカでは1860年に共和党のリンカーンが奴隷制度反対を争点に当選していたし、インド人のマハトマ・ガンディーは、1870年代に、ロンドンに留学ができる世界であった。 さらに、太平洋戦争に日本は敗戦したが、日本が戦争をしたことに関わらず、その後、欧米列国の植民地は徐々に解放されていった。 もう一つ言うと、植民地支配地区であっても奴隷が廃止された以降は、戦争さえなければ、ほとんどの人は日々、秩序ある日常を過ごすことができていたのではなかっただろうか? さらにそれによる犠牲者がどれだけいたのか。 また、始めは高潔な意識であったとしても戦争と言う暴力装置の中にあって、消耗されていく精神が軍人に慰安婦、強姦、略奪などの不逞行為に向かわせていったこともまた事実だろう。 但し、安倍総理の祖父である岸信介元総理が巣鴨プリズンで「名にかへてこのみいくさの正しさを来世までも語り残さむ」と短歌を詠んだり、「 われわれは戦争に負けたことに対して日本国民と天皇陛下に責任はあっても、アメリカに対しての責任はない。しかし勝者が敗者を罰するのだし、どんな法律のもとにわれわれを罰するのか、負けたからには仕方がない」、 「侵略戦争という人もいるだろうけれど、われわれとしては追い詰められて戦わざるを得なかったという考え方をはっきり後世に残しておく必要がある」などと発言したりという過去の事実が現政府の根底にあるのかもしれない。しかしいずれにしても・・・」
「わかりました。 とにかく戦争は、いかなる場合も正当化できないという解釈をみんなの共通認識とすることで、良いでしょうか?」と綱島くんが言うとみんなが頷いた。
ダイスケは、みんなが意識を共有していくことに喜びを感じていた。
綱島から飯を食っていきますかと誘われて、居酒屋で酒でもと思ったが、千鶴も行くため、サイゼリアで食事をすることになった。
サイゼリアで、ダイスケは、ハウスワインのデカンタを山田と煽り、麻雀の話に花を咲かせたが、他の人は、関心が無い様子でそれぞれに違う話題で盛り上がっていた。
当たり前のことだが、趣味の話など共通の話題は、当人同士であればどれほど時間を費やしても語りつくすことが出来ないが、興味のない人たちにとっては、意味不明の暗号の応酬であり、無駄な時間なのだ。 今回のように、違った話ができるグループの場合は良いが、少人数の場合は、そういうわけにもゆかず、その人の時間を無駄にすることになると、ダイスケが思っていると、愛花が、話に割り込んできた。
「結構スケールの大きな話だけど、本当に成功すると思っているの?」
別々の話で盛り上がっていた、他のメンバーも耳を傾け始めた。
ダイスケは、「そう思ってる。」と、答えると、全員が安心したようであった。 
「今夜帰ったら、愛花の動画を見よう。」とダイスケは思っていた。
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