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戦争と歌の力
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翌朝、ダイスケは、朝のまどろみの時間をダラダラ過ごさず、国道134号を流しがてら、平塚のデニーズに向かっていた。朝の風が夏の終わりを告げるかのように爽やかになってきていた。
煙草を吸うダイスケにとって、他のファミレスが禁煙に舵を切る中、デニーズは、最後の砦であったばかりでなく、閉店した逗子や葉山の店舗は、青春の思い出の場所であった。
当時、原付で仲間と集まり、お替りし放題の薄い珈琲を片手に朝まですごしていた。そこで交わされた会話については覚えていなかったが、みんなの顔は想い出すことが出来た。
稲村ケ崎の先の歩道が崩落したため渋滞している車の脇をすり抜け、鎌倉高校前の先に大型のショベルカーのアームが空に向かって伸びていた。
その風景がダイスケには、荒々しく理不尽な自然への文明の抵抗のように思えた。
阪神淡路大震災や東日本大震災の後に見た、瓦礫の山の上で空高く伸びるアームには、神々しささえ感じた。
湘南大橋にある気温計が29度を指していた。今日も30度は超えるだろうが昨日までのムシムシとした暑さではなくなっていた。
朝のネットニュースで、石破議員の「我が国が敗戦後、戦争責任と正面から向き合ってこなかったことが多くの問題の根底にある。」との見解や、鳩山議員の「その原点は、日本が朝鮮半島を植民地にして彼らに苦痛を与えたことにある。」との日本の責任に言及する見解に対して、「こんな方々が政治の中枢にいた時代を考えると、ゾッとする。」という短い反発記事に、「石破は終わったな。」とのコメントが付き、「そう思う」が4万5千件に対し、「そう思わない」が千件に満たない状況であったことを思い出して、暗い気持ちになった。
その後ウイキペディアで石破議員のことをグーグると、歴史認識について彼は「政府の総力戦研究所が日米戦争のシミュレーションで日本必敗の結論を出して、政府中枢にも報告しているのに、勝てないとわかっている戦争を開始、何百万という国民を死に追いやった責任は厳しく問われるべき」、「天皇の質問にも正確に答えず、国民に真実も知らせず、国を敗北に導いた行為がなぜ“死ねば英霊”として不問に付されるのか理解できない。」と述べ、当時の日本の指導者たちを批判している。あわせて「東京裁判に対しては“平和に対する罪”などが事後法である問題等を踏まえた上で、それでも裁判自体を受け入れたからこそ今日の日本がある」との見解を示しさらに「東京裁判を受け入れることと、戦前の日本はすべて間違いと断罪するのは決して同義ではない。逆に、東京裁判が法的に無効とする立場の人たちからは、戦前の日本にまったく誤りがなかったのかどうかという議論が見受けられない。」と述べ、“すべてが間違ってる、あるいは正しい”といったような極論の自虐史観と、一部の保守派の史観の両方を批判している。
総理をはじめ政治家の靖国参拝や、「東京裁判は誤りで無効」「大虐殺はなかった」「狭義の強制性はなかった」という行為や歴史認識に対して、政治家がそのような行為や発言をすることが果たして日本の国益となるのかと、現に外交上問題となった例を挙げて疑問を呈し、「日本に真の共感を持つ国を増やして国益を守るのが政治家の務めだ」と述べ、加えて、「靖国参拝については、戦死者との約束の一つは天皇が靖国に親拝することであり、政治家が参拝することが事の本質ではないとし、歴史認識については法律家や歴史家が主張すべきことであって、政治家の役割はそうしたことができるような環境を整えることだ」と主張している、との記載があった。石破議員の父の石破二朗元自治大臣は、思慮深く、努力家で、国民のことを考えていたらしい。父親が朝鮮半島統治時から終戦まで官僚として警視庁や日本陸軍に席を置き自らの目を通して見た史実や抱いた思想を見聞して育った石破氏の歴史認識が形成されたことを考えると、彼のコメントは熟考するに値するとダイスケは、考えていた。
国道1号線沿いのデニーズに入ると、トーストセットを注文して、ドリンクバーで、カルピスソーダレモンをさらに炭酸水で割った独自の飲み物ものを作り、別にコーヒーを淹れ、席についた。 周りでは、大声で捺印か署名かの話が聞こえてきた。
先日、横須賀のホームセンターで黒人女性が銀行印を作りに来ていた場面を思い出し、ひと手間増やす日本の文化に首をかしげながらパソコンを開いた。
今日、ダイスケの仕事は、今後の計画の戦略を練ることであった。大まかな計画では、「元慰安婦の気持ちになって作った歌を動画投稿サイトに公開」→「元慰安婦の人と面談」→「我々の組織のホームページの公開」→「集会実施」→「問題解決のための計画と実施」の順で始める予定であったが、まだ詳細は、考慮されていない。 ダイスケは、今日、実施計画を作成したうえで、障害になる事項について検討する問題に着手することにした・
勤め人であった時に思い知ったことは、組織にあっては、個々の意識のずれが問題となり計画が破綻することがしばしばあるということだった。そもそも、計画書を策定したうえで、その事を実施しても、その後の解釈の相違や見落としによりたちまち頓挫することがある。
昼を過ぎ、昼食を注文して、ドリンクバーのコーヒーを取りに行くと禁煙席が既に満席となり席待ちの人がでていた。ダイスケは喫煙席に人が一杯になれば店を出るつもりであったが、喫煙席に人は疎らであった。 禁煙席に向かうダイスケを喫煙席に座る彼らが、迷惑な邪魔者のように思っているのではないかと思いながら、煙草をやめられない自分を惨めに感じたが、煙草を吸いながら物事を考えることが好きだった。
健康でありたいと考える人の根底にある想いを踏みにじる「喫煙」という健康を脅かす愚かな行為を、嫌煙家は理解できないし、決して許される行為ではないと思っているだろう。
ダイスケは、ある政治家が以前「喫煙を禁止するのも一つの考え方だ」と発言した際、何故か酒も飲まず、友達もいない工場で働く50歳のフリーアルバイターのことを考えていた。
彼は、単純な流れ作業を行い、1日中誰とも話さない。彼にとって至福の喜びは、休憩時間や飯の後の一服であったが、会社の方針で就業時間内の喫煙が禁止になったため、その喜びさえ奪われてしまった。しかし、生活のため、彼は、会社を辞めるわけに行かず、家での一服を頼りに働き続けていた。家に帰り、西日の差す部屋で煙草を吹かし、生の実感を噛みしめながら、もう面白いと思うこともないテレビをつけると、政治家が、「煙草が禁止になりました」と、誇らしげな表情で発表し、キャスターも「これは偉業です」と褒め称えていた。彼の心には絶望と怒りが沸き起こっていたが、誰も彼には気付かなかった。
ダイスケは、頭を切り替え仕事に集中していところ、携帯に雪乃から電話が入り、頼みがあるので部屋に来てほしいと言って来た。ダイスケは、明日の16時に伺うと返答した。
翌日、約束の時間を大幅に過ぎていたが、雪乃の部屋を訪れた。
部屋に入ると雪乃が不満そうな顔で、「パチスロかい?」と、訪ねてきたので小さく頷いた。机の上には冷めたご飯が用意されていた。 「ビールは?」と、の雪乃の問いにダイスケが笑顔で頷くと雪乃が冷蔵庫から缶ビールを出し、ダイスケに手渡した。
「どう、伝えるかだよ。千鶴や綱島くんに戦争を。」と切り出した、雪乃は、辛そうであった。確かに、毎年のように、太平洋戦争をテーマに多くの日本の映画が公開されていたが、それは、日本人への軍の理不尽さを表現したものばかりであり、見方によっては日本軍という暴力機関に対峙する日本人の悲劇や英雄譚であった。 千鶴らが観ているであろう「ホタルの墓」も、幼い兄妹が戦争の中で翻弄されて行く悲劇であった。
日本の教育では、史実に基づいて記述されているため、若い世代にとっては、アメリカと戦争を行って原爆が落とされ敗戦した程度の認識しかないことも少なくない。
また、ネットでは、日本は多くの国を統治したが、そのために教育の機会が与えられ、後進国の戦後の発展に寄与したことを強調し、慰安所は他の国々でもあったし、虐殺も一部の軍人が軍の命令に反して行っていたのだという主張が多くみられるようになっていた。
その通りかもしれないが、侵略戦争も慰安婦も虐殺もあった史実は覆らない。だから、若者へ戦争を伝えることは難しい事項であった。
「当時、太平洋戦争で統治していた国で日本軍または、個々の日本人がどのようなことを行っていたかという事実は、歴史の事後性によって失われつつあるし、他の個々の国は自らの都合で、その歴史を創り上げてきた。」ダイスケがそう言うと、雪乃が口を挟んだ。
「コロンビア大学のキャロル・グラックの戦争の記録にも、そう書かれていたな。戦争の物語、戦争の記憶、慰安婦の記憶、そして歴史への責任国だったかな。」
「そう、戦争は、日本においては、必要のない不都合な記憶は可能な限り省くことで悲劇に、戦勝国では、国民を鼓舞するための英雄譚に、日本に統治されていた一部の国では、残虐な支配者への復讐劇の序章としての物語になっている。」 ダイスケの言葉に頷きながら雪乃が言った。
もう、どれが正解なのかではなくてすでにわからないということか。」 雪乃の問いにダイスケが答えた。
「そうだ、多くの記録が残されているが、その真意は不明であることは山下証言でも明らかとなっている。しかし、戦争の悲劇は繰り返され、同様の事象が繰り返されている。」
「イスラム国とかか?」
「そうだ、ナショナルジオグラフィックの番組で「ザ・ステイト~虚像の国」というイギリスでの生活を捨て、シリアのイスラム国に参加した4人の男女の視点で、支配下での生活がどのようなものかを描いたドラマだが、強制結婚、人身売買、捕虜の拷問殺害、子供による親の密告などが描かれた、かなりの残虐で残酷なドキュメンタリーに近い内容だが・・・」
「なるほど、当時の日本軍が、イスラム国とまでは行かないものの、戦争で行わられた酷い行為がてんこ盛りなのか、それいいじゃないか?」と雪乃が言った
さらに「東大安田講堂事件の時、私も山田さんも高2で、全共闘さながら教室にヘルメットにゲバ棒持って立てこもっていた。教室に差し込む西日が美しかったよ。 皆で、理想の世界を語りながら、正しいことをしていると信じていた。」遠い目で語る雪乃は、嬉しそうであった。
「結局、それが原因で二人とも退学になった。だから、中卒さ。それでもいい学校だったけどね。そして、学生運動にのめり込んで行ったよ。随分過激なこともしたけど、後悔はしていないよ。」と続けた。
「それで、共産主義は、負けた。」
ダイスケが口を挟むと、雪乃は、少し強い口調で言った。
「マルクスの共産主義は負けていないよ。人類が成熟していなかっただけさ。いつか果たされる共産主義がみられないのは寂しいけれど、それでもこの計画が始まりになるかもなんて、考えている。」雪乃の考えは、壮大だった。
人類が、過度な自己の利益追求から離れ、他者と対立することのない社会が実現すれば良いだけであり、世界には、実現するための食糧を始めとする物資は用意できている。後は、教育と行動だけで、既に地球を、人類を守るために活動している人たちがいる。
そうなれば、戦争もない、難民もいない優しい世界が出現するはずだそうだ。
そのためにも、加害国と被害国のイデオロギーがぶつかるこの問題の解決は、試金石になるはずだと、考えているらしい。
ダイスケの考える未来には、マルクスが言う、支配階級と怒れる労働者による闘争や労働者の勝利はなかったが、教育と科学により平和が訪れると思っていたので、雪乃の想いに賛同した。
酒が進み酔いも回ってきたので、「番組をDVDに焼いて皆に回すよ」と雪乃に言い部屋を離れた。酔い覚ましに、外に出ると秋の涼しい風が吹いていた。
綱島に「番組をDVDに焼いて送ったから視て」とメールしたら、「了解。だが動画をアップした方が断然いいよ」との連絡があった。
最近の若者は、あまり電子媒体を使わず、動画もネット媒体らしい。いずれはホームページも必要になることを考慮して、ダイスケは、レンタルサーバーを借りることにした。
レンタルサーバーに半日掛かりで掲示板を設けた。 皆に連絡を入れると早速、綱島から「ひどいものだから、僕に管理者権限を付与するように」との書き込みがあった。綱島に、「付与した」と連絡を入れると1時間足らずで、見栄えのいいものがアップされた。 綱島から電話が入り番組の動画をアップするよう依頼されたが、アップの方法が分からないというと、手順について丁寧に教えてくれた。
テレビのワイドショーでは、韓国人男性が、日本人女性の髪をつかみ引きずる映像が流れていた。ネットニュースを見ると、「韓国に行くときは自己責任で」とのコメントに「そう思う」が7万5千件対し、「そう思わない」が2千件程度となっていた。 先日あった危険運転のように、理不尽な暴力は日常的にあるものであるが、今では、韓国人だからとして括られていく。韓国のニュースで批判されていてもであった。 誰かが、面白がって報復を行ったり、感情が高まりトラブルが起こらなければいいが、とダイスケは考えながら、PCXでパチンコ屋に向かっていた。 朝から750回転まわして捨てられている台が開いていたので、素早く台を確保して回し始めたが、リセットであれば到達する天井に千回転を超えても当たる気配がなかった。 ダイスケは落胆を抑え、データカウンターで前日の最終ゲーム数を 総ゲーム数と当たりゲーム数から推測すると34回であったため、元々期待値があったからと、黙々と回した。 データカウンターが、1400回を超えたころに黄色7、3連で当選したが、ボーナス終了後19回まわしてメダルを流し、肩を落として帰路に着いた。
部屋に戻り、掲示板を覗くとホームページは立派なサイトになっていた。綱島の技術とセンスに感心しながら掲示板を視ると驚くほどスレが伸びていた。 スレの内容は、アップした番組の内容に関するものであり、千鶴は、悲観的になっており、キムジウは、攻撃的になっていた。 千鶴は、「こんなことも日本軍はやっていたのかしら?」と書き込み、キムジウは、「やっていたと学んだ。」と、レスをしていた。 それを見かねたのか、雪乃から「明日、集まれる時間がないか?」と、書き込みがあり、山田以外は15時に時間が空くとのレスをした。ダイスケが、雀荘に電話を入れると店長が「来てますよ。」と言い、山田に替わった。 ダイスケは山田に、明日大家さんの家に15時に集まるように告げ、番組を見ておくように促した。
次の日、朝から曇っていて時おり雨が降っていた。15時まで時間があったので、パチンコでもと思ったが、ダイスケはギターを手に作曲を手掛けることにした。 ニュースでは、韓国の国民のなかに韓国大統領に不満を漏らす人が増えているといい、コメンテーターが、「当然ですよ」と言い、韓国の官僚の輸出規制の解除を制裁と取るコメントに対し「日本側が言うように別次元の問題ですよ」と紅潮した表情で言っていた。 ダイスケは「また韓国に敗戦の屈辱を味わわせようとしているのではないか」と思った。 久しぶりに3時間ほどギターを片手に粘ってみたものの、満足できるものにはならなかった。「でも、これで良いか。」ダイスケは小さく頷き、ギターを下した。自分でもこの中途半端な性格に嫌気がさしていたが、これまで培ってきた性格は治らないと、諦めていた。 13時を過ぎていたので昼飯にカップラーメンと啜ると、全てのやる気を失っていた。
15時前に雪乃の部屋を訪ねると、千鳥以外は全員揃っていた。千鳥は、土日が休日の会社員であるため欠席であった。山田が最新のノートパソコンを前に奮闘していた。
綱島によると先日、山田からパソコンを購入する必要があるとの申し出を受けて選んでやったが、山田には分不相応な機能のものを選択したらしい。 綱島の指示に従い、不器用な手つきで操作する山田を見て微笑ましいなと思いつつ、千鶴を見ると、その表情は曇っていた。
「昨日見た、動画は本当にあったことなの。」ダイスケを見ると千鶴が口を開いた。
ダイスケが「脚色はあるものの、事実に基づいていると思う。」と答えると、言いづらそうに、千鶴が聞いた。「日本でもあったこと?」
雪乃が言った。「では、ここでイスラム教と日本軍の法や倫理規定について、山田さんに説明してもらおうか。」 指名された山田が口を開いた。
「イスラム教は、西暦610年頃に神の啓示を受けた最後の予言者であるムハンマドが、アッラーという唯一絶対の神としたコーランの教えを信仰する宗教で、神への奉仕と信徒同士の相互扶助関係や一体感を重んじる点に大きな特色があるのだ。ちなみに最近ではアラビア語の発音で、イスラム教をイスラーム、コーランをクルアーンと専門家が呼ぶようになってきている。」
山田の説明を雪乃が、補足した。 「ムスリムは、現時点での20億人弱の信者がいると言われている。 人口が激増している北アフリカや南アジアなどに多数の信者を抱えているから、今世紀末には、キリスト教を抜いて世界最大の宗教になるとみられている。 ちなみに、信者のことをムスリムと呼ぶの。」
山田が説明を続けた。 「イスラームとは、単なる宗教の枠組みに留まらない、ムスリムの信仰と社会生活のすべての側面を規定する文明の体系であるという考え方から、イスラム教と呼ばすイスラームと呼ぶのが正しいとする考え方が強い。 即ち、ムスリムの行動はコーランにより規定されている。」
また、雪乃が補足した。 「イスラム法では、少女婚・捕虜殺害・略奪した女性の強姦など現代の社会では受け入れ難いものもあるため、しばし国際社会で問題視されているの。」
そうそうと頷きながら、山田が「みんなもよく聞くジハードについて説明するよ。」
「ジハードの語源は、苦闘・抗争・努力であったが、後に“あらゆる種類の教義的な聖戦運動”を指す言葉になり、現代の宗教的な破壊行為の全てを指すようになっていった。」
(※以上ウイキペディア参照)
「なんで、そんな宗教がこんなに大きな宗教になっていったの?」
千鶴が、不思議そうに聞くと、綱島が「おれも、不思議に思う。」と言った。
ダイスケが「勝手な解釈だが」と口を開いた。
「イスラムの中の2つの側面からだと思う。一つは、ムスリムには階級のない単一な水平の世界であること、もう一つが、コーランを守っていれば、殺人や強姦をしても救済されると理解されている面ではないか? 特に東南アジアやアフリカで広まったのは欧米列国の支配からの離脱とその貧しさから犯罪を起こすことが多く当然の成り行きとなった背景はあった。」 山田がそうだと頷きながら言った。
「現在、横行しているテロも含め、アルカイダなどのテロリストたちは異教徒や無神論者であれば、殺しても犯しても救済されると都合よく解釈しているのだから。」
雪乃が、遠い目で言った。 「でも、階級のない単一の水平な社会は、私の理想なの。」
その言葉にダイスケも頷いた。
「一方の日本軍はどうであったのか」と、千鶴が尋ねると山田が言った。
「日本には、明治天皇から出された軍人勅諭があり、そこでは、忠節・礼儀・武勇・信義・質素の5つを誠心誠意、遵守実施するよう命じてものであったが、軍紀は乱れ、中国戦線での略奪・強姦や一般人の虐殺が横行していた状況を憂いた、陸軍の将校である岩畔が、発案したのが戦陣訓であった。彼は、平易な言葉で「盗むな」「殺すな」「犯すな」を表現したものを提案したが、古典的な精神主義を前面に出したものとして完成し、後には捕虜にならず玉砕することが正しいと解釈されるようになった。また、お上の言うことは絶対服従とする考えも重要で、ある地域での虐殺があったことの報告を受けた将校が、その虐殺を指揮した隊長の名前を聞かなくてもわかったというエピソードもあることから、一部の部隊では虐殺が普通に行われ、指揮下にあるものはその手を汚さざるを得ない状況にあったことが推察された。 また、戦争末期になり補給路も立たれ、死に直面した状況にあっては、もはや秩序は保たれない。 生にしがみつくあまりに強姦や略奪は頻繁に行われたと想像できる。」
「それでは、番組と同様なことが、日本軍であったと解釈すべきね。 規模の大きい、小さいに関わらず。」 悲しそうに千鶴が言うと、ダイスケが優しく答えた。
「日本人は、悲しい過去を「もはや戦後ではない」とか「戦後レジームからの脱却」とか言い、忘却の彼方へ押しやろうとしているが、韓国人や当時統治されていた他の国の人々たちのうち戦争による理不尽な暴力を受けた人たちや、その話を聞いて憤っている人たちへ謝罪を行う義務が我々にはあると思っているのだ。」 「そうね。」と千鶴が言った。
綱島が「ダイスケさん、曲できました?」と言ってきたので、ダイスケがやっとの思いで作り上げたメロディーを披露したが、周囲に冷たい空気が流れていた。 あきれ顔の綱島が言った。
「僕の知り合いの愛花さんに、作曲を頼もうかな。」 今まで、悲しげであった千鶴の表情がパっと明るくなった。
「すごい、私、不安なの。 昨日も落ち込んだから動画見ながら泣いていたの。」
それまで、沈黙を守っていたキムジウが重い口を開いた。
「また、日本は、韓国に敗北を味合わせようとしているの?」
山田や雪乃は、そうではないと、宥めていたが、その理由を尋ねられるとメディアが説明するような理由を繰り返すことになった。
「韓国大統領や閣僚が言うように韓国の認識では、今回の問題はもう戦争なのよ。人の死なない経済戦争だけど。そう掲げて国民を鼓舞し、国民も呼応している。」
キムジウの言葉にダイスケも言葉を失った。
もう両国の関係は、後戻りできないのかもしれない。でも我々にできることをしてゆくしかないとダイスケが思っていると、千鶴が声を荒げて言った。
「そんな事ないって、思えるように私たちが関係を再構築するの。」 全員が、頷いた。
千鶴が、思い立ったように「本当に歌で伝えるだけでよかったのかしら? なんか、よくある展開だし。」と言うと、ダイスケが答えた。
「“音楽が起こした社会変革の歴史:人種/性別/セクシャリティ…ミュージシャンと音楽”https://www.udiscovermusic.jp/features/how-music-changes-societyという記事では、音楽(歌)について“世の中を変える歌に必要なのは、過剰なメッセージ性だけではない。人種同士の関係、男女平等、そしてアイデンティティ・ポリティクス(訳注:identity politics、主に社会的不公正の犠牲になっているジェンダー、人種、民族、性的嗜好、障害等特定のアイデンティティに基づく集団の利益を代弁して行う政治活動のこと)は、みな音楽を通して形作られてきた”、“譜面では決してできなかったようなレベルで、聴き手との間にエモーショナルな絆を築き上げた。歌はそれまで当然とされてきた世の中に対する捉え方に疑問を投げかけ、日々のニュースでは表立って取り上げられることのなかった物や事柄に光を当て、聴き手の在り方、生き方を変えることすらあった“、”それはまるで想像し得る限りの、最も理想的な社会への変革を実行する腕の立つエージェントなのである“、“過去に起こった人種や性別をめぐる革命同様、音楽はいま再び現代の対話の最前線にある”と説いている。だから、お決まりかもしれないが、我々の考えを世に広めるために歌にすることは適切だ。」
雪乃は、「だから、逆に気を付けなくてはいけないのが、歌そのものがプロパガンダに成り得ることだよ。 ナチス然り、日本軍然り、当時の権力者は、音楽の持つ影響力を利用して市民に自分たちのイデオロギーを浸透させていった。 だから我々もステレオタイプとしてではなく、それを聞いた人間が個人の意思でこの問題を考えることができるよう十分注意しなくてはいけないよ。」と言うと、千鶴が「わかった。」と頷いた。
煙草を吸うダイスケにとって、他のファミレスが禁煙に舵を切る中、デニーズは、最後の砦であったばかりでなく、閉店した逗子や葉山の店舗は、青春の思い出の場所であった。
当時、原付で仲間と集まり、お替りし放題の薄い珈琲を片手に朝まですごしていた。そこで交わされた会話については覚えていなかったが、みんなの顔は想い出すことが出来た。
稲村ケ崎の先の歩道が崩落したため渋滞している車の脇をすり抜け、鎌倉高校前の先に大型のショベルカーのアームが空に向かって伸びていた。
その風景がダイスケには、荒々しく理不尽な自然への文明の抵抗のように思えた。
阪神淡路大震災や東日本大震災の後に見た、瓦礫の山の上で空高く伸びるアームには、神々しささえ感じた。
湘南大橋にある気温計が29度を指していた。今日も30度は超えるだろうが昨日までのムシムシとした暑さではなくなっていた。
朝のネットニュースで、石破議員の「我が国が敗戦後、戦争責任と正面から向き合ってこなかったことが多くの問題の根底にある。」との見解や、鳩山議員の「その原点は、日本が朝鮮半島を植民地にして彼らに苦痛を与えたことにある。」との日本の責任に言及する見解に対して、「こんな方々が政治の中枢にいた時代を考えると、ゾッとする。」という短い反発記事に、「石破は終わったな。」とのコメントが付き、「そう思う」が4万5千件に対し、「そう思わない」が千件に満たない状況であったことを思い出して、暗い気持ちになった。
その後ウイキペディアで石破議員のことをグーグると、歴史認識について彼は「政府の総力戦研究所が日米戦争のシミュレーションで日本必敗の結論を出して、政府中枢にも報告しているのに、勝てないとわかっている戦争を開始、何百万という国民を死に追いやった責任は厳しく問われるべき」、「天皇の質問にも正確に答えず、国民に真実も知らせず、国を敗北に導いた行為がなぜ“死ねば英霊”として不問に付されるのか理解できない。」と述べ、当時の日本の指導者たちを批判している。あわせて「東京裁判に対しては“平和に対する罪”などが事後法である問題等を踏まえた上で、それでも裁判自体を受け入れたからこそ今日の日本がある」との見解を示しさらに「東京裁判を受け入れることと、戦前の日本はすべて間違いと断罪するのは決して同義ではない。逆に、東京裁判が法的に無効とする立場の人たちからは、戦前の日本にまったく誤りがなかったのかどうかという議論が見受けられない。」と述べ、“すべてが間違ってる、あるいは正しい”といったような極論の自虐史観と、一部の保守派の史観の両方を批判している。
総理をはじめ政治家の靖国参拝や、「東京裁判は誤りで無効」「大虐殺はなかった」「狭義の強制性はなかった」という行為や歴史認識に対して、政治家がそのような行為や発言をすることが果たして日本の国益となるのかと、現に外交上問題となった例を挙げて疑問を呈し、「日本に真の共感を持つ国を増やして国益を守るのが政治家の務めだ」と述べ、加えて、「靖国参拝については、戦死者との約束の一つは天皇が靖国に親拝することであり、政治家が参拝することが事の本質ではないとし、歴史認識については法律家や歴史家が主張すべきことであって、政治家の役割はそうしたことができるような環境を整えることだ」と主張している、との記載があった。石破議員の父の石破二朗元自治大臣は、思慮深く、努力家で、国民のことを考えていたらしい。父親が朝鮮半島統治時から終戦まで官僚として警視庁や日本陸軍に席を置き自らの目を通して見た史実や抱いた思想を見聞して育った石破氏の歴史認識が形成されたことを考えると、彼のコメントは熟考するに値するとダイスケは、考えていた。
国道1号線沿いのデニーズに入ると、トーストセットを注文して、ドリンクバーで、カルピスソーダレモンをさらに炭酸水で割った独自の飲み物ものを作り、別にコーヒーを淹れ、席についた。 周りでは、大声で捺印か署名かの話が聞こえてきた。
先日、横須賀のホームセンターで黒人女性が銀行印を作りに来ていた場面を思い出し、ひと手間増やす日本の文化に首をかしげながらパソコンを開いた。
今日、ダイスケの仕事は、今後の計画の戦略を練ることであった。大まかな計画では、「元慰安婦の気持ちになって作った歌を動画投稿サイトに公開」→「元慰安婦の人と面談」→「我々の組織のホームページの公開」→「集会実施」→「問題解決のための計画と実施」の順で始める予定であったが、まだ詳細は、考慮されていない。 ダイスケは、今日、実施計画を作成したうえで、障害になる事項について検討する問題に着手することにした・
勤め人であった時に思い知ったことは、組織にあっては、個々の意識のずれが問題となり計画が破綻することがしばしばあるということだった。そもそも、計画書を策定したうえで、その事を実施しても、その後の解釈の相違や見落としによりたちまち頓挫することがある。
昼を過ぎ、昼食を注文して、ドリンクバーのコーヒーを取りに行くと禁煙席が既に満席となり席待ちの人がでていた。ダイスケは喫煙席に人が一杯になれば店を出るつもりであったが、喫煙席に人は疎らであった。 禁煙席に向かうダイスケを喫煙席に座る彼らが、迷惑な邪魔者のように思っているのではないかと思いながら、煙草をやめられない自分を惨めに感じたが、煙草を吸いながら物事を考えることが好きだった。
健康でありたいと考える人の根底にある想いを踏みにじる「喫煙」という健康を脅かす愚かな行為を、嫌煙家は理解できないし、決して許される行為ではないと思っているだろう。
ダイスケは、ある政治家が以前「喫煙を禁止するのも一つの考え方だ」と発言した際、何故か酒も飲まず、友達もいない工場で働く50歳のフリーアルバイターのことを考えていた。
彼は、単純な流れ作業を行い、1日中誰とも話さない。彼にとって至福の喜びは、休憩時間や飯の後の一服であったが、会社の方針で就業時間内の喫煙が禁止になったため、その喜びさえ奪われてしまった。しかし、生活のため、彼は、会社を辞めるわけに行かず、家での一服を頼りに働き続けていた。家に帰り、西日の差す部屋で煙草を吹かし、生の実感を噛みしめながら、もう面白いと思うこともないテレビをつけると、政治家が、「煙草が禁止になりました」と、誇らしげな表情で発表し、キャスターも「これは偉業です」と褒め称えていた。彼の心には絶望と怒りが沸き起こっていたが、誰も彼には気付かなかった。
ダイスケは、頭を切り替え仕事に集中していところ、携帯に雪乃から電話が入り、頼みがあるので部屋に来てほしいと言って来た。ダイスケは、明日の16時に伺うと返答した。
翌日、約束の時間を大幅に過ぎていたが、雪乃の部屋を訪れた。
部屋に入ると雪乃が不満そうな顔で、「パチスロかい?」と、訪ねてきたので小さく頷いた。机の上には冷めたご飯が用意されていた。 「ビールは?」と、の雪乃の問いにダイスケが笑顔で頷くと雪乃が冷蔵庫から缶ビールを出し、ダイスケに手渡した。
「どう、伝えるかだよ。千鶴や綱島くんに戦争を。」と切り出した、雪乃は、辛そうであった。確かに、毎年のように、太平洋戦争をテーマに多くの日本の映画が公開されていたが、それは、日本人への軍の理不尽さを表現したものばかりであり、見方によっては日本軍という暴力機関に対峙する日本人の悲劇や英雄譚であった。 千鶴らが観ているであろう「ホタルの墓」も、幼い兄妹が戦争の中で翻弄されて行く悲劇であった。
日本の教育では、史実に基づいて記述されているため、若い世代にとっては、アメリカと戦争を行って原爆が落とされ敗戦した程度の認識しかないことも少なくない。
また、ネットでは、日本は多くの国を統治したが、そのために教育の機会が与えられ、後進国の戦後の発展に寄与したことを強調し、慰安所は他の国々でもあったし、虐殺も一部の軍人が軍の命令に反して行っていたのだという主張が多くみられるようになっていた。
その通りかもしれないが、侵略戦争も慰安婦も虐殺もあった史実は覆らない。だから、若者へ戦争を伝えることは難しい事項であった。
「当時、太平洋戦争で統治していた国で日本軍または、個々の日本人がどのようなことを行っていたかという事実は、歴史の事後性によって失われつつあるし、他の個々の国は自らの都合で、その歴史を創り上げてきた。」ダイスケがそう言うと、雪乃が口を挟んだ。
「コロンビア大学のキャロル・グラックの戦争の記録にも、そう書かれていたな。戦争の物語、戦争の記憶、慰安婦の記憶、そして歴史への責任国だったかな。」
「そう、戦争は、日本においては、必要のない不都合な記憶は可能な限り省くことで悲劇に、戦勝国では、国民を鼓舞するための英雄譚に、日本に統治されていた一部の国では、残虐な支配者への復讐劇の序章としての物語になっている。」 ダイスケの言葉に頷きながら雪乃が言った。
もう、どれが正解なのかではなくてすでにわからないということか。」 雪乃の問いにダイスケが答えた。
「そうだ、多くの記録が残されているが、その真意は不明であることは山下証言でも明らかとなっている。しかし、戦争の悲劇は繰り返され、同様の事象が繰り返されている。」
「イスラム国とかか?」
「そうだ、ナショナルジオグラフィックの番組で「ザ・ステイト~虚像の国」というイギリスでの生活を捨て、シリアのイスラム国に参加した4人の男女の視点で、支配下での生活がどのようなものかを描いたドラマだが、強制結婚、人身売買、捕虜の拷問殺害、子供による親の密告などが描かれた、かなりの残虐で残酷なドキュメンタリーに近い内容だが・・・」
「なるほど、当時の日本軍が、イスラム国とまでは行かないものの、戦争で行わられた酷い行為がてんこ盛りなのか、それいいじゃないか?」と雪乃が言った
さらに「東大安田講堂事件の時、私も山田さんも高2で、全共闘さながら教室にヘルメットにゲバ棒持って立てこもっていた。教室に差し込む西日が美しかったよ。 皆で、理想の世界を語りながら、正しいことをしていると信じていた。」遠い目で語る雪乃は、嬉しそうであった。
「結局、それが原因で二人とも退学になった。だから、中卒さ。それでもいい学校だったけどね。そして、学生運動にのめり込んで行ったよ。随分過激なこともしたけど、後悔はしていないよ。」と続けた。
「それで、共産主義は、負けた。」
ダイスケが口を挟むと、雪乃は、少し強い口調で言った。
「マルクスの共産主義は負けていないよ。人類が成熟していなかっただけさ。いつか果たされる共産主義がみられないのは寂しいけれど、それでもこの計画が始まりになるかもなんて、考えている。」雪乃の考えは、壮大だった。
人類が、過度な自己の利益追求から離れ、他者と対立することのない社会が実現すれば良いだけであり、世界には、実現するための食糧を始めとする物資は用意できている。後は、教育と行動だけで、既に地球を、人類を守るために活動している人たちがいる。
そうなれば、戦争もない、難民もいない優しい世界が出現するはずだそうだ。
そのためにも、加害国と被害国のイデオロギーがぶつかるこの問題の解決は、試金石になるはずだと、考えているらしい。
ダイスケの考える未来には、マルクスが言う、支配階級と怒れる労働者による闘争や労働者の勝利はなかったが、教育と科学により平和が訪れると思っていたので、雪乃の想いに賛同した。
酒が進み酔いも回ってきたので、「番組をDVDに焼いて皆に回すよ」と雪乃に言い部屋を離れた。酔い覚ましに、外に出ると秋の涼しい風が吹いていた。
綱島に「番組をDVDに焼いて送ったから視て」とメールしたら、「了解。だが動画をアップした方が断然いいよ」との連絡があった。
最近の若者は、あまり電子媒体を使わず、動画もネット媒体らしい。いずれはホームページも必要になることを考慮して、ダイスケは、レンタルサーバーを借りることにした。
レンタルサーバーに半日掛かりで掲示板を設けた。 皆に連絡を入れると早速、綱島から「ひどいものだから、僕に管理者権限を付与するように」との書き込みがあった。綱島に、「付与した」と連絡を入れると1時間足らずで、見栄えのいいものがアップされた。 綱島から電話が入り番組の動画をアップするよう依頼されたが、アップの方法が分からないというと、手順について丁寧に教えてくれた。
テレビのワイドショーでは、韓国人男性が、日本人女性の髪をつかみ引きずる映像が流れていた。ネットニュースを見ると、「韓国に行くときは自己責任で」とのコメントに「そう思う」が7万5千件対し、「そう思わない」が2千件程度となっていた。 先日あった危険運転のように、理不尽な暴力は日常的にあるものであるが、今では、韓国人だからとして括られていく。韓国のニュースで批判されていてもであった。 誰かが、面白がって報復を行ったり、感情が高まりトラブルが起こらなければいいが、とダイスケは考えながら、PCXでパチンコ屋に向かっていた。 朝から750回転まわして捨てられている台が開いていたので、素早く台を確保して回し始めたが、リセットであれば到達する天井に千回転を超えても当たる気配がなかった。 ダイスケは落胆を抑え、データカウンターで前日の最終ゲーム数を 総ゲーム数と当たりゲーム数から推測すると34回であったため、元々期待値があったからと、黙々と回した。 データカウンターが、1400回を超えたころに黄色7、3連で当選したが、ボーナス終了後19回まわしてメダルを流し、肩を落として帰路に着いた。
部屋に戻り、掲示板を覗くとホームページは立派なサイトになっていた。綱島の技術とセンスに感心しながら掲示板を視ると驚くほどスレが伸びていた。 スレの内容は、アップした番組の内容に関するものであり、千鶴は、悲観的になっており、キムジウは、攻撃的になっていた。 千鶴は、「こんなことも日本軍はやっていたのかしら?」と書き込み、キムジウは、「やっていたと学んだ。」と、レスをしていた。 それを見かねたのか、雪乃から「明日、集まれる時間がないか?」と、書き込みがあり、山田以外は15時に時間が空くとのレスをした。ダイスケが、雀荘に電話を入れると店長が「来てますよ。」と言い、山田に替わった。 ダイスケは山田に、明日大家さんの家に15時に集まるように告げ、番組を見ておくように促した。
次の日、朝から曇っていて時おり雨が降っていた。15時まで時間があったので、パチンコでもと思ったが、ダイスケはギターを手に作曲を手掛けることにした。 ニュースでは、韓国の国民のなかに韓国大統領に不満を漏らす人が増えているといい、コメンテーターが、「当然ですよ」と言い、韓国の官僚の輸出規制の解除を制裁と取るコメントに対し「日本側が言うように別次元の問題ですよ」と紅潮した表情で言っていた。 ダイスケは「また韓国に敗戦の屈辱を味わわせようとしているのではないか」と思った。 久しぶりに3時間ほどギターを片手に粘ってみたものの、満足できるものにはならなかった。「でも、これで良いか。」ダイスケは小さく頷き、ギターを下した。自分でもこの中途半端な性格に嫌気がさしていたが、これまで培ってきた性格は治らないと、諦めていた。 13時を過ぎていたので昼飯にカップラーメンと啜ると、全てのやる気を失っていた。
15時前に雪乃の部屋を訪ねると、千鳥以外は全員揃っていた。千鳥は、土日が休日の会社員であるため欠席であった。山田が最新のノートパソコンを前に奮闘していた。
綱島によると先日、山田からパソコンを購入する必要があるとの申し出を受けて選んでやったが、山田には分不相応な機能のものを選択したらしい。 綱島の指示に従い、不器用な手つきで操作する山田を見て微笑ましいなと思いつつ、千鶴を見ると、その表情は曇っていた。
「昨日見た、動画は本当にあったことなの。」ダイスケを見ると千鶴が口を開いた。
ダイスケが「脚色はあるものの、事実に基づいていると思う。」と答えると、言いづらそうに、千鶴が聞いた。「日本でもあったこと?」
雪乃が言った。「では、ここでイスラム教と日本軍の法や倫理規定について、山田さんに説明してもらおうか。」 指名された山田が口を開いた。
「イスラム教は、西暦610年頃に神の啓示を受けた最後の予言者であるムハンマドが、アッラーという唯一絶対の神としたコーランの教えを信仰する宗教で、神への奉仕と信徒同士の相互扶助関係や一体感を重んじる点に大きな特色があるのだ。ちなみに最近ではアラビア語の発音で、イスラム教をイスラーム、コーランをクルアーンと専門家が呼ぶようになってきている。」
山田の説明を雪乃が、補足した。 「ムスリムは、現時点での20億人弱の信者がいると言われている。 人口が激増している北アフリカや南アジアなどに多数の信者を抱えているから、今世紀末には、キリスト教を抜いて世界最大の宗教になるとみられている。 ちなみに、信者のことをムスリムと呼ぶの。」
山田が説明を続けた。 「イスラームとは、単なる宗教の枠組みに留まらない、ムスリムの信仰と社会生活のすべての側面を規定する文明の体系であるという考え方から、イスラム教と呼ばすイスラームと呼ぶのが正しいとする考え方が強い。 即ち、ムスリムの行動はコーランにより規定されている。」
また、雪乃が補足した。 「イスラム法では、少女婚・捕虜殺害・略奪した女性の強姦など現代の社会では受け入れ難いものもあるため、しばし国際社会で問題視されているの。」
そうそうと頷きながら、山田が「みんなもよく聞くジハードについて説明するよ。」
「ジハードの語源は、苦闘・抗争・努力であったが、後に“あらゆる種類の教義的な聖戦運動”を指す言葉になり、現代の宗教的な破壊行為の全てを指すようになっていった。」
(※以上ウイキペディア参照)
「なんで、そんな宗教がこんなに大きな宗教になっていったの?」
千鶴が、不思議そうに聞くと、綱島が「おれも、不思議に思う。」と言った。
ダイスケが「勝手な解釈だが」と口を開いた。
「イスラムの中の2つの側面からだと思う。一つは、ムスリムには階級のない単一な水平の世界であること、もう一つが、コーランを守っていれば、殺人や強姦をしても救済されると理解されている面ではないか? 特に東南アジアやアフリカで広まったのは欧米列国の支配からの離脱とその貧しさから犯罪を起こすことが多く当然の成り行きとなった背景はあった。」 山田がそうだと頷きながら言った。
「現在、横行しているテロも含め、アルカイダなどのテロリストたちは異教徒や無神論者であれば、殺しても犯しても救済されると都合よく解釈しているのだから。」
雪乃が、遠い目で言った。 「でも、階級のない単一の水平な社会は、私の理想なの。」
その言葉にダイスケも頷いた。
「一方の日本軍はどうであったのか」と、千鶴が尋ねると山田が言った。
「日本には、明治天皇から出された軍人勅諭があり、そこでは、忠節・礼儀・武勇・信義・質素の5つを誠心誠意、遵守実施するよう命じてものであったが、軍紀は乱れ、中国戦線での略奪・強姦や一般人の虐殺が横行していた状況を憂いた、陸軍の将校である岩畔が、発案したのが戦陣訓であった。彼は、平易な言葉で「盗むな」「殺すな」「犯すな」を表現したものを提案したが、古典的な精神主義を前面に出したものとして完成し、後には捕虜にならず玉砕することが正しいと解釈されるようになった。また、お上の言うことは絶対服従とする考えも重要で、ある地域での虐殺があったことの報告を受けた将校が、その虐殺を指揮した隊長の名前を聞かなくてもわかったというエピソードもあることから、一部の部隊では虐殺が普通に行われ、指揮下にあるものはその手を汚さざるを得ない状況にあったことが推察された。 また、戦争末期になり補給路も立たれ、死に直面した状況にあっては、もはや秩序は保たれない。 生にしがみつくあまりに強姦や略奪は頻繁に行われたと想像できる。」
「それでは、番組と同様なことが、日本軍であったと解釈すべきね。 規模の大きい、小さいに関わらず。」 悲しそうに千鶴が言うと、ダイスケが優しく答えた。
「日本人は、悲しい過去を「もはや戦後ではない」とか「戦後レジームからの脱却」とか言い、忘却の彼方へ押しやろうとしているが、韓国人や当時統治されていた他の国の人々たちのうち戦争による理不尽な暴力を受けた人たちや、その話を聞いて憤っている人たちへ謝罪を行う義務が我々にはあると思っているのだ。」 「そうね。」と千鶴が言った。
綱島が「ダイスケさん、曲できました?」と言ってきたので、ダイスケがやっとの思いで作り上げたメロディーを披露したが、周囲に冷たい空気が流れていた。 あきれ顔の綱島が言った。
「僕の知り合いの愛花さんに、作曲を頼もうかな。」 今まで、悲しげであった千鶴の表情がパっと明るくなった。
「すごい、私、不安なの。 昨日も落ち込んだから動画見ながら泣いていたの。」
それまで、沈黙を守っていたキムジウが重い口を開いた。
「また、日本は、韓国に敗北を味合わせようとしているの?」
山田や雪乃は、そうではないと、宥めていたが、その理由を尋ねられるとメディアが説明するような理由を繰り返すことになった。
「韓国大統領や閣僚が言うように韓国の認識では、今回の問題はもう戦争なのよ。人の死なない経済戦争だけど。そう掲げて国民を鼓舞し、国民も呼応している。」
キムジウの言葉にダイスケも言葉を失った。
もう両国の関係は、後戻りできないのかもしれない。でも我々にできることをしてゆくしかないとダイスケが思っていると、千鶴が声を荒げて言った。
「そんな事ないって、思えるように私たちが関係を再構築するの。」 全員が、頷いた。
千鶴が、思い立ったように「本当に歌で伝えるだけでよかったのかしら? なんか、よくある展開だし。」と言うと、ダイスケが答えた。
「“音楽が起こした社会変革の歴史:人種/性別/セクシャリティ…ミュージシャンと音楽”https://www.udiscovermusic.jp/features/how-music-changes-societyという記事では、音楽(歌)について“世の中を変える歌に必要なのは、過剰なメッセージ性だけではない。人種同士の関係、男女平等、そしてアイデンティティ・ポリティクス(訳注:identity politics、主に社会的不公正の犠牲になっているジェンダー、人種、民族、性的嗜好、障害等特定のアイデンティティに基づく集団の利益を代弁して行う政治活動のこと)は、みな音楽を通して形作られてきた”、“譜面では決してできなかったようなレベルで、聴き手との間にエモーショナルな絆を築き上げた。歌はそれまで当然とされてきた世の中に対する捉え方に疑問を投げかけ、日々のニュースでは表立って取り上げられることのなかった物や事柄に光を当て、聴き手の在り方、生き方を変えることすらあった“、”それはまるで想像し得る限りの、最も理想的な社会への変革を実行する腕の立つエージェントなのである“、“過去に起こった人種や性別をめぐる革命同様、音楽はいま再び現代の対話の最前線にある”と説いている。だから、お決まりかもしれないが、我々の考えを世に広めるために歌にすることは適切だ。」
雪乃は、「だから、逆に気を付けなくてはいけないのが、歌そのものがプロパガンダに成り得ることだよ。 ナチス然り、日本軍然り、当時の権力者は、音楽の持つ影響力を利用して市民に自分たちのイデオロギーを浸透させていった。 だから我々もステレオタイプとしてではなく、それを聞いた人間が個人の意思でこの問題を考えることができるよう十分注意しなくてはいけないよ。」と言うと、千鶴が「わかった。」と頷いた。
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