時の果てのレイジ

北浦寒山

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【一】

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                            21××年 日本



 青空。
 陽光。

 どこまでも続く草原。

 ――ここはどこ?

 地平線の向こうに何かの気配を感じる。はるか彼方。

 ――あそこへ、行かなければ。

 なぜそう思うのか自分でもわからない。
 なにかが呼んでいるような気がしている。
 誰か、か。
 地平線に向かって手を伸ばす。もしかしたら届くかもしれない、と思いながら。届くはずがないのに。
 誰なんだろう、呼んでいるのは。なぜわたしなんだろう。
 わたしは、誰だっけ。わたしはわたし。
 向こう側。そして―――あなたは―――


 まぐろの頭。


(――はい???)

 真佐崎あかりは暗がりの中で目を開いた。
(むー……なんでまぐろ?)
 布団の上、お腹のあたりでもぞもぞと動く気配。重い。首だけ動かして見る。
 太った茶トラ猫が掛け布団の上で丸くなっている。閉じた目。舌なめずり。
(ゴン……このやろー)
 こいつの夢か。
 そういや昨日スーパーで解体ショーがどうたらとかチラシに載ってたな。わざわざ行きやがったのかこいつ。

 ――そうじゃなくて。

『鍵』が外れてる。胸に手を当てて心の中で慌ててかけ直す。
(またやっちゃった)
 寝ていても外れないように慣らしてきたつもりだったが、油断していると外れてしまうことがある。もうずいぶん経つのになあ。
(まずいまずい)
 布団を引っ張って襟元のふかふかタオルに首をうずめた。寝よ寝よ。







 ふ、とナイアは目を開いた。
 透き通る青い瞳。緩やかなカーブを描く石の寝台からゆっくりと身体を起こす。
 寝台から流れ落ちた長い黒髪が持ち上がっていく。サンダルに細い足を通し、部屋を出る。
 切り立った壁。石の神殿。
 幅三メートルはある通路の真ん中を女王のように歩いていく。
 やがてひとつの扉の前に立つ。幅二メートル、高さも二メートル以上ある木製の重い扉だ。
 正面に掌をかざす。
「――ナイア・アルパーニャ」
 重い音をたてて扉が横に滑っていく。十帖ほどの空間。壁の間接照明が部屋全体を枯草色に染めている。
 男は大きな石の机に向かっていた体をナイアの方に向けた。
 ナイアはひざまずいてこうべを垂れた。
 がっしりした背の高い体躯。彫の深い眼窩からのぞく銀色の瞳がナイアを見つめた。
「何を見つけた」
 扉と同じ感触の重く低い声。ナイアはこの声が好きだった。
「たぶん――超越者」
 眼が光った。「本当か」
 小さく頷くナイア。
「かすかではありましたが、普通の能力者の波動ではありません」
「位置は特定できるか」
「まだそこまでは。かなりの距離があります。現在ではおおよその方角しか」
 椅子の背にもたれ、大きな掌をごつい顎にあててしばらく考えているふうだった。
「――わかった。位置の特定に力を尽くせ」
「かしこまりました」

 ナイアが部屋を去ると、男は左腕にはめた幅の広い金色の腕輪に指を触れた。
 石の壁の一部が白く光る。
「研究室です」
「ジェンだ。アネハラはいるか」
「実験中ですが」
「構わん、呼べ」
 壁の向こう側で少しためらう気配。姉原教授が実験を妨げられるのを非常に嫌うことはわかっていた。
「――何の用だ。儂は忙しい」
 ややあって、喉に絡んだようないらついた声が聞こえた。
「微かだが、『超越者』の波動を掴んだ」
「なに!? 本当か!」
「ナイアだ。間違いはなかろう」
 少し間があってから、くっくっく、とくぐもった陰鬱な笑い声が聞こえてきた。
「――ついに『メディオディア』の胎動が始まったか」
 そのあと笑い声がしばらく続いた。
 聞いていてあまり気分のいい声ではなかった。

 部屋に戻ると、ナイアは再び寝台に身を横たえた。
 覚醒したまま眠る。
 
 意識の中で襞が広がっていく。花弁が開くようにゆっくりと。
 なにかがふわりと襞に触れる。まだ遠い。だが近い。
 別の振動が襞を揺らす。ぴくりと動く眉。違う。そっちじゃない……邪魔をしないで

 この罠はあなたには見えない。絶対につかめない。わたしの特技。
 気づいたときにはわたしの網の中。

 逃がさない。わたしの小鳥。







「あかりぃ! あかりってば!」
 足を止めた。まだ校門を出る前だ。
 振り返ると後ろからみつるが駆けて来た。はあはあ息を切らしている。
「どしたの?」
「よ、四津星みつるただいま参上――って、どしたの、じゃないでしょが。モール行こうって言ったのあかりじゃない」
 しばらく考えた。
「あたしそんなこと言ったかな……」
 えー、と言って眼鏡の奥の大きな目をくりくりと動かした。
「そらないわよー、あたしうん、って言ったもん」
 そうだったかな、とかまた少し考えた。確かに行こうかな、と考えたような記憶はある。でも口にした記憶はない。
 まいっか。
「そっか、ごめん。じゃ行こか」
 一緒に歩き出した。

「そういや、みつるまた学力テスト学年3位じゃん、すごいよね」
 いやいや、と首を振る。
「それぐらいしか取柄ないからねー」
「地頭いいんだよね」
 どうだかねえ、苦笑した。
「それにしても今日の知能テストとかいうの、なあにあれ」
「あー、意味わかんなかったよね」
「三重丸がちょびっとずつズレててさあ、なんか数字の列を見てこの中からどれか選べとか、あんなんでちのーしすーとかわかったら誰も受験で苦労なんかしないわよねえ」
「ほんとほんと」
 みつるが受験で苦労するとは思えなかったが、同意した。
「小学校のときもあんなのやったっけ?」
 どうだったかなあ、と言ってあかりは短めの髪をかき上げた。







「チネーズ」
 空間に映ったディスプレイに指を触れた。
「なんでしょうか、チェッカー・ギイ」
 画面から声が返ってくる。
「『離隔検定ブレイクマーク』の結果だけど」
「ご覧になりましたか」
 ええ、と言って画面をスライドさせた。
「A-Sがいるわね。それとCとE――たったひとクラスでずいぶん大漁だこと。なにかの間違いじゃないでしょうね」
「いえいえ、このクラスは特別に多いんです。けども全体数も増えていますよ。この中学だけでもE以上が十五人います」
 ギイは考え込んだ。少し間があった。
「ほかの学校も?」
「似たり寄ったりです。さすがにSはいませんが傾向はあんまり変わりませんね」
 ふうん、と言って顎に手を当てた。
「Sの子、当然マークはしているわよね?」
「もちろん。ローの時点でAマイナスを出していた子ですから」
「『MMエムエム』に知られたら大事よ」
「前回の結果が出た段階で『プロッター』を張り付けてあります。万一接触があれば警報が入る手筈で」
「――それが鳴らないことを祈りたいわね」
「まったくです」
「注意は怠らないようにしてちょうだい」
「わかりました」







 モールは土曜日の午後とあって人出が多かった。

 あかりたちにとっては家から自転車で来られる場所にあるため、比較的利用頻度が高い場所のひとつだ。
 人出は日本人と外国人でほぼ四対六。品ぞろえが豊富で空港に直結する駅からもそう遠くないことから、海外からの訪問客も多い。
「けっこう人多いね」
 みつるは周りを見回した。あかりが頷く。
 三階建てのモールは東西に細長く、縦断する広い通路は中央部の吹き抜けを除いても片側で幅五メートルほどあり、三階までの吹き抜けにはエスカレーターが上下している。
「春物のバーゲンももう終わりかなあ」
 一軒のテナントの前、廊下側の棚に広げてある服を手にとりながらみつるが言った。
「そんなこと言ってるうちにすぐ夏よ」
「あかり、さすがに夏は温泉行かないわよね」
 にやりと笑うみつる。あかりはちっちっち、と指を振った。
「甘いね。夏に熱い風呂に入ってから食べるアイスのうまさを知らないうちはシロート」
「別にそんなののクロートになりたいとか思わないわよ」
「あんたのカラオケよりはカタギな趣味だと思ってるんだけど」
 指で腹を突っつく。
「なあによお、それじゃあたしのカラオケがヤクザな趣味みたいじゃないのよお」
「あんたの歌聞いたらヤクザが腰を抜かすわよ」
「あー、そーゆーこと言うんだ薄情ものお。罰として明日つきあいなさいね」
「やあよお、んじゃーあんたもお風呂つきあうかあ?」
 モールの敷地内にはチェーン店のカラオケボックスがあり、しかも敷地にはスーパー銭湯「あおぞら温泉」が隣接している。立地条件的にもこのモールは二人の需要を満たしているのだった。
「うるさいわねえ、人の趣味にけちつけてると根性曲がるからねー」
 やいのやいの言いながら人波を抜ける。
 雑貨屋とおぼしいテナントの店先にあるワゴンの手前、一個の陶器の一輪挿しに二人が同時に手を伸ばした。
 思わず顔を見合わせる。
「……あれ?」「……あれ?」
「何これ?」「あんたこそ」「いや別に」
 なにが別なのかさっぱりわからない。
「……なんか前にもこんなことあったよね?」「あったあった」
「好みが似てるのかな」
「あんたと一緒にしないでよね」「だってさあ」
 話しながら、親子連れとすれ違った。

 吹き抜けを挟んだ通路の反対側、壁にもたれかかった男がじっと親子連れを見ていた。
 ウオッシュのジーンズにグレーのパーカー、フードを被り口元には白いマスク。
 人波にまぎれ、男は吹き抜けの反対側に回ると遠くの親子連れに目を向けたまま歩き出す。
 あかりとみつるの脇を、男が通り過ぎた。

 ふ、と足を止めるあかり。
「お、どしたの?」
「――や、別に」
 再び歩き出す。あかりがわずかに振り返る。

(誰だろ今の。すごい冷たい空気……刃物みたい――気のせいかな)





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