内政、外交、ときどき戦のアシュティア王国建国記 ―家臣もねぇ、爵位もねぇ、お金もそれほど所持してねぇ―

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鰥寡孤独の始まり

04. 行商のビビダデ

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セイファー歴 755年 6月11日

領民からの陳情に目を通していると館の前に馬車が止まった音がした。それから間もなく玄関の戸をノックする音が室内に響き渡る。

「お、はじめまして。私は行商を営んでおりますビビダデと申します、はい。セルジュさまでいらっしゃいますか?」

ノックに呼応してドアを開けてみると、そこに居たのは行商人と名乗る男ビビダデであった。歳は二〇の半ばであろうか。顔に貼り付けたかのような笑顔を浮かべてこちらをみている。

「はい。ボクがセルジュですけど……」
「良かったです、はい。道中でダドリックさまという男性に紹介されて参りました」

どうやらダドリックは本当に行商人に声を掛けてくれたらしい。これも何かの縁なのでセルジュは商品を拝見させてもらうことにした。セルジュが探している品物をビビダデに伝える。

「あの、作物の種をさがしてるんですけど何がありますか?」
「作物の種でございますね。色々と取り揃えておりますですよ、はい」

ビビダデが見せてくれたのはグレピンにオリブ、ムグィラにムグィクとこの国では王道の作物の種であった。やはりトウモロコシ類やイモ類の種は見当たらなかった。それでもセルジュの目に留まった種子がいくつかあった。

「えーと、ビーグとカブラの種をください」

セルジュが欲したのはビーグと言う豆に似た作物とカブラと言う蕪に似た食物であった。どちらも秋植えが可能で痩せた土地でも育つ作物だ。ビーグに至っては木も薪に使うことが可能だ。

「かしこまりました。どれくらいご所望ですか?」
「いっぱい!」

本来のセルジュであれば決してこのような注文の方法をとらなかっただろう。しかし、セルジュはこの世界で買い物を未だ一度もしたことが無く、商品の相場と言うものが一切わかっていなかったため、年相応の対応を行った方が得だと判断したからだ。

「いっぱいと申されましても……。そうですね。それでは種をそれぞれ四百ずつお譲りするというのは如何でしょうか」
「その場合、いくらですか?」
「本来であれば全部でジャヌシス金貨十枚はいただきたいところではございますが、今回は初めてのお取引ですし九枚で如何でしょう」

もちろんこれはビビダデの嘘である。本来であればジャヌシス金貨八枚が相場と言っても間違いではないだろう。元来、種の値段は高騰しがちである。何故ならば、種を買われてしまっては行商人の利益が減ってしまうからだ。

今まで商人のグレピンを買ってくれていた領主が、グレピンを栽培したいから種を売ってくれと言って来たとしよう。商人が種を売って領主が栽培に成功してしまった場合、領主は商人から二度とグレピンを購入しないだろう。

そのような危惧があるため、種というのは値が高くつく商品なのだ。しかも嵩張らずに持ち運びも便利と考えれば行商人が携行するのは想像に難くない。

セルジュはこの点を理解はしていなくても慎重になっていた。なにせ額が額である。ムグィラパンの――通称黒パンと呼ばれている――一つが銅貨一枚で買えることから計算すると、金貨八枚と言えば庶民の主食である黒パンが八万個も買えてしまう額だ。つまり、金貨八枚とはアシュティア領の黒パン一年分が買える額だと言うことになる。

「そうですか。高いですね。そんな額、ボク払えません……」

セルジュは慣れない泣き落としのために瞳に涙を溜めようとしていた。しかし、あっさりとビビダデに嘘を見破られてしまった。

「ダドリックさんはセルジュさんに金貨三〇枚の見舞金をお渡ししたと仰っていましたが」

セルジュはダドリックの口の軽さを忌々しく思いながらも、直ぐに気持ちを切り替えて価格交渉に入った。それと同時に下手な三文芝居を止めることにした。

「それでも金貨九枚は高くない?」
「いえいえ。真っ当な金額だと思いますよ? 特にビーグ。いやはやお目が高い。そちらは縦の道を通って南方の国からの取り寄せとなっておりまして、その分お値段の方も……」
「そうか。じゃあ急いでいないので他を当たるとしよう」

セルジュはあっけらかんと言い放った。事実、急いでいないのは本当である。ビーグやカブラは八月の終わりごろからとなるのでまだ二か月の猶予がある。

ダドリックが訪ねる先々で吹聴してくれているのであれば行商人がまだ訪れる機会もあるとセルジュは睨んでいたのだ。

このセルジュの切り返しに困ったのはビビダデだ。セルジュの様子が先程とは打って変わって急に大人び出すと同時にドラスティックな交渉をし始めたのだ。

わざわざアシュティア領にやってきたのに手ぶらで帰るとなってしまっては骨折り損のくたびれ儲けとなってしまう。それにいくら幼く領土も小さいとはいえ、紛れもない領主だ。領主と懇意にしておくメリットは行商人のビビダデでも理解していた。

「適いませんね。それでは金貨八枚でどうでしょうか」

ビビダデからすると断腸の思いでのディスカウントだ。とは言え、ビビダデは行商というスタイルから腐ってしまう可能性がある食材というジャンルを多く扱っていないので先に述べたデメリットの影響は多くはないだろう。

「んー。どうしよっかなぁ……」

この期に及んでセルジュは未だ決断できずにいた。残念ながら断腸の思いで決断したディスカウントも、相場観がわからないセルジュは疑心暗鬼に陥ってしまい、あまり響かなかったのだ。

しかし、セルジュとて新しい仕入れ先をみすみすと逃すのは惜しい。そこで、他の方面からアプローチを掛けることにした。

「ビビダデはこの領を出た後、どこへ向かう予定なの?」
「え? ああ、このまま南へと下りファート領へ向かう予定です」
「ファート領か」

ビビダデは突然の話題変更に即応できず、何の考えもなしに次の行き先をセルジュに告げてしまった。本来であればこれはご法度であった。

何がご法度なのかと言うと行商は基本的には派閥内で行わなければならないとされていた。情報の漏洩を防ぐためである。にもかかわらず、ビビダデはスポジーニ東辺境伯派閥のアシュティア領の次はベルドレッド南辺境伯派閥のファート領へと行くというのだ。

しかし、大抵の行商人はそんな暗黙の了解を無視していた。素直に従っていたら商売あがったりである。セルジュはこれ幸いとビビダデをどうにか利用する方法を模索していた。

「わかった、その値段で買う。その代わりと言っては何だけど、いくつか頼まれごとをしてくれない?」
「頼まれごと、ですか?」

ビビダデは従うしかなかった。この秘密をばらされては廃業どころか命の危険さえあり得るだろう。どんな願いを吹っ掛けられるのかと戦々恐々としていたが、蓋を開けてみると大したお願いではなかった。

「そう。別にファート領に限ったことではないんだけど我が領では移住者を募っている。家などはこちらで手配するので流民などに声を掛けて欲しい」
「それくらいであればお安い御用です」
「それから腕の立つ者を雇いたい。こちらも特に制限はないので方々で言い触らして欲しい」
「それも問題ございません。承りましょう」
「そして最後、これが重要」

ビビダデは辟易していた。まさかここまでお願いごとをされるとは思っても居なかったからだ。
しかし、セルジュがこれで最後だと言って話を始めたので我慢して聞くことにしたが、まさか飛んだ爆弾を落とされるとは思ってもみなかった。

「ファート家が我がアシュティア領へと侵攻するのを止めて欲しい」
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