女神の白刃

玉椿 沢

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第5章「大公家秘記」

第59話「雑草だらけの庭のよう」

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 大公からの書状は、それこそ東西を問わずに出された。

 書状を受け取った貴族は皆、一様に思ったはずだ。


 ――これは御法に触れるのではないのか?


 今の世の中、精剣を持った剣士を集めての上覧試合など、ただ仕官させる者を選別するという意味でない事は明白なのだから。

 ――いかに大公殿下とはいえ、これほどの……。

 天下に大乱をもたらす遠因になるという予想は、誰であっても容易い。

 しかし問題は、大乱が再びという事よりも、大帝家が大公謀反の嫌疑をかけたとしたら、この詮索は確実に陪観者にも及ぶ。

 そんな中であるから、上覧試合への参加を勧める文に対する返事は決まっている。

「ヒルシュリングスインゼル侯爵家、グリュックスヒューゲル侯爵家、共に不参加との……」

 大公へ告げる重臣たちは、深々と頭を下げて報告した。名君といって差し支えない大公であるが、上覧試合を口にした時から、家臣にすら野心を秘めた一人の男であるように振る舞っている、その成果だった。

 そんな中、恐縮した様子もなく大公へ報告する者もいる。

「シュタインフルス公爵殿も、ベルクムント公爵家も、大帝に対する畏怖が心魂に徹しているやに見えますなぁ」

 ぎらりと眼光の鋭い男は、大公家に仕える者の中では若輩。

 その目に秘めたる光には、以前からどこか危うい雰囲気があったのだが、今、大公は得心がいった。

 ――成る程、既に私の周りには、いたのか。


 この男は、地方の豪族、外様貴族が大公の身辺へと潜らせた間諜かんちょうだ。


 故に大公の動きを大公家へと逐一、報告している。

「驚き入ったる腰抜け――」

「やめよ」

 大公が間諜の言葉を遮った。間諜としては、殊更、腰抜けだと強調する事で大公を挑発したかったのだろうが、他者を貶める言葉は大公の方が聞きたくない。

 確かに今、挙げた名前は全て外様ながら戦力を温存している貴族であるから、野望を懐いている可能性は十分、ある。

 大公が旗印となれば、密かに大帝家へ異図を懐く貴族はこぞって集まるはずだ、と間諜も思っている。

 そう感じてしまうと、嫌が王にも大公の胸に去来するものがあった。

 ――大きいのだろうな。

 自分の存在が天下大乱の因子となっている事を利用し、自らを不穏分子を一挙殲滅する手段としているとはいえ、現実にそうだと自覚させられると寂しいような、口惜しいような、表現し難い気分にさせられる。

「やめよ」

 いわない方がいいのだろうが、大公はもう一度、繰り返した。

***

 大公が精剣を用いた上覧試合を公告すると、当然のようにシュティレンヒューゲルには仕官を求める剣士が集まる。場合によっては斬るもぐも日常茶飯事という輩が多いのだから迷惑窮まる話である。

「あまり良い状況じゃないッスねェ」

 ファンは決して広いとはいえない食堂を見て、そうひとちた。

 人がいるのだから、賑わっている事は間違いない。


 間違いないが、旅芸人として歓迎できない賑わいも存在する。


「大公殿下は、猛々しい御気性であらせられ、腕さえあれば、俺たちみたいな者でも召し抱えてくれるそうじゃねェか」

 やや離れた席に座っている者から聞こえてくるのは、そんな会話だ。

 話題は一つ。

「証を立てる機会まで設けて下さる」

 上覧試合の事だ。

 つまり彼らは剣士なのだが、席に座っているのは男ばかり。

 ――精剣を宿している女性は?

 盗み見るつもりはなくとも、ファンにはそこが気にかかる。どういう理由であるか誰も知らないが、遺跡にメダルやコインを捧げる事で顕現けんげんする精剣は、男には宿らない。即ち剣士に単独行動は有り得ず、常に精剣の鞘たる女が傍にいるものであるが、その姿が見えないのだ。

「常時、精剣の姿にしているのでしょうねェ」

 答えたのはヴィーだった。

「常時、精剣の姿にしておけば、食費も宿泊代も浮く訳ですから」

 精剣は食事を取らず、また剣に宿泊代金を請求する訳にもいかない。

「俺たちが、そこいらの浪人者とは違うという証しをな」

 笑いながらいった言葉が、その全てを表していた。

「……」

 ファンは無言のまま肩を竦め、自分のテーブルに視線を落とした。生野菜と鶏肉のソテー、あとは穀物粥という献立は貧弱であるが、それでもファンはエルを精剣のままにする気はないし、それはインフゥにとってのホッホ、コバックにとってのザキも同様だ。


 旅芸人一座は、仲間というより家族に近い。


 長い旅なのだから、嵐に遭う事もあれば、盗賊に襲われる事もある。それを切り抜けるには一致団結が必要不可欠だ。

 術理が重要視されていた頃には剣にも人と同様の情を向ける者がいたのだろうが、今や精剣とは格とスキルによって選別させれてる。

 相容れない。

「あんなので、お腹、大丈夫なのかな?」

 インフゥが指摘するのは、そんな剣士たちのテーブルには、野菜も穀物もなく、ただ肉――それも限りなく生に近い、ピンク色の肉と酒しかないからだ。

「……お腹いっぱいになるッスからね、粥やパンを食べると」

 不摂生なだけだというファンだったが、エルが口元に指を当てて「静かに」とジェスチャーした。

「食べたら、出ましょうか」

 こんな所で騒ぎを起こしても、旅芸人としては損をするだけだ。

「そうッスね」

 ファンも心得ている。

 インフゥやヴィーとて同様だ。


 芸人が活躍できる賑やかさとは、剣呑さとは無縁。


 そして剣士の方も、ファンたちが何を話しているかなど、耳を欹ててもいない。

 立ち去ろうとするファンたちへ向ける言葉は、ただの因縁だ。

「臭い臭いと思ったら、犬にオークかよ」

 向けられたのはファンやヴィーではない。

 ホッホ、コバック、ザキだ。

 インフゥが敵意の籠もった目で振り返ろうとしたのだが、それはエルが制した。

 エルが制し、ファンとヴィーとがコバックとザキを剣士の視線から遮るように立ち位置を変える。

「もう帰るとこッス。すんませんね」

 ファンは言葉こそいつもの調子だったが、口調は決して戯けていなかった。

「まぁ、いい」

 剣士のわらいは、酒ばかりが原因ではない。

「まぁ、覚えとけ。ミョン・イルランだ。いつか芸を見てやらん事もない」

「ムン・ウィヤァだ」

 その二人は、そういう性格なのだろう。

「ははは、そりゃ、ありがたいッスわ」

 ファンにも笑い声があったのだが、それとてインフゥを黙って食堂の外へ出させるために過ぎなかったが。
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