女神の白刃

玉椿 沢

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第4章「母であり、姉であり、相棒であり……」

第43話「夜半の月 変わらぬ光 誰がためぞ」

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 ふとファンは夢を見た。


 精剣せいけんの出現で弟子が激減した道場の夢だ。


 学生もおらず、弟子と呼べるのはファンとヴィーだけの道場で、師は二人にあらゆる事を叩き込んだ。今、インフゥがやっているような反復練習など、まだ刺激がある部類に入る。

 ――肩伸けんしん、始め!

 肩伸などと大層な名前がついているが、これは柔軟体操のようなもので、必要なのかどうかが理解できるまで、ファンもヴィーも苦労させられた。

 柔軟体操と走る事ばかりで、実際に剣を触っている時間は少なかったように思えていた頃、ファンはよく感じていた事がある。

 今日、ファンがエルにいった不条理だ。

 果たして精剣のスキルに対し、この剣技がどれだけの役に立つのか、と。

「……」

 その疑問に対する答えならば、既に手に入れていると思った所でファンは目が覚めた。顔に差し掛かる月明かりで、まだ寝ていてもいい時間である事は分かったが、いつも朝まで目が覚めないファンは違和感と共に身体を起こす事になる。

 ファンの目を覚まさせた違和感とは――、

「へェ……」

 ファンが思わず声を上げてしまったのは、インフゥが今も剣を振るっていたからだ。一日やそこらで何が掴めるというものでもないが、今のインフゥは反復練習をファンからいわれた通り、正確な姿勢で行っていた。

「ふぅ……ふぅ……」

 肩で息をし、額には玉の汗が浮かんでいるのだから、夜中に目が覚めたから続けているというのではないのだろう。

 それはファンがすぐそばに来ているのに気付かないくらいだったのだから。

「おい」

 ファンに声を掛けられ、やっとインフゥは顔を上げられた。

「あ、ファンさん。すみません。集中していて、気が付かなくって」

 本来ならば、それは悪い事ではないのかも知れない。

「次から周囲にも気を配れ」

 だがファンは、良い事ではないと断じた。

「はい……」

 恐縮するインフゥに対し、ファンは首を傾げるように木人形を見遣り、

「本当に、これで精剣に対抗できると思うか?」

 ファンがそんな事を訊ねたのは、自分の修業時代の夢を見たからかもしれない。

 爪先で踏み切らないのだから走る事に向かないあしで、切っ先が届く範囲は攻撃系のスキルよりも圧倒的に狭いのだから、剣士がこの修練を見ていだく感想は「ただの的」だと想像できてしまう。

「できると思ってます」

 だがインフゥは言い切った。

「本当に?」

 世辞かとファンはインフゥへ視線を戻したが、世辞をいっている雰囲気ではなかった。

「早く動く方法があって、それはコツ……骨子こっしがないとできないから、今、姿勢を整えさせてるんでしょ? あと、今、周りにも目を配れっていっていたのは、相手の一カ所だけ睨んでたらダメな理由があるから」

 インフゥの言葉にファンは軽い驚きを覚えた。

「だから全部、できるようになったら、勝てないかも知れないけど、負けない」

 その完成した姿がファンであるから、インフゥの言葉は正解である――となると、ファンも意外そうに目を見開き、続いて苦笑いと共に言葉を紡ぐ。

「人間の身体は、動こうする時に兆しを見せてしまう。まず視線が動く。次に踏み込むための重心移動が起きて、脚が動いて踏み込む――それを察知できれば、意外と避けるのは難しくない」

 だから踏み切る動作は禁物であり、視線を集中させるのではなく、視野を広くする必要がある。

「そして精剣を持ってる剣士がスキルを使う際にも、それはある。精剣を振りかぶる、精剣を持っていない方の手で指差す、そういうのがなくても、こっちを見てくる、などなどなど。それが分かれば、回避できる」

 余程の大規模攻撃ならば無理だが、今までファンが相手にしてきた剣士は、大きいといっても精々、大型肉食獣くらいを想定している攻撃しかなかった。

「そして、防御の基本はそれ。攻撃にも、それを応用する」

 ファンが木剣を取る。

「突く動作だったら、的を見る、荷重移動させて前へ出る、切っ先を突き出す……と簡単にいうと、これくらいの動作が必要だ。だがわざと、この動作を抜いて・・・やると――」

「!?」

 今度はインフゥが驚かされた。


 ファンの身体が瞬間移動したかと思う程のスピードで的に指を突き立てていたからだ。


 それは敵が皆、驚愕していたファンの動きだ。

「予兆として現れる連続動作の一部を、意図的に抜く・・。そうなると、目の前で起きている事と、予想した動きがずれてしまうから、こっちが異様な速さで動いてるように見える」

「……」

 圧倒されているインフゥにファンの言葉が届いているかどうかは分からないが、こればかりは分かり易く説明する事がファンにもできない。ファンが教えられ、骨子こっし要諦ようていを掴んだのが、この言葉だったのだから。この説明ができるかどうかが、伝教でんきょうの資格を得られているかどうかの違いだ。

 しかしインフゥは、感じ取った。

「できるようになれば、俺も……」

 諦めるのではなく、活路を見つけたと確信したのだから。

「攻撃、回避、防御……そんな動作を同時に行えば、相手の3倍、速く動ける」

 ファンは言葉の終わりに、深く息を吐き出した。それは溜息ではなく、深呼吸だ。

「ついてこられるかどうかは分からないが、ついてこい」

「はい」

 インフゥは頷くと、また木人形に対し、木剣を構えた。

「ただ、夜は寝ろ。動くなら昼間だ。人間は、お日様と一緒に起きて、お日様が沈んでから寝る」

「……はい」

 そこは不承不承ふしょうぶしょうのインフゥであったのだが、ファンは楽をしろとはいっていない。

「寝てる間も、俺がいった事を頭の中で繰り返して、身体に叩き込め。夜は、それが修練だ」

 それだけで、ファンはインフゥの返事は待たなかった。

 ――この分なら、早い内に村に戻れるッスかね?

 ファンの頭には、インフゥを村に戻す算段を立てる方に向いていたのだ。
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