女神の白刃

玉椿 沢

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第1章「遺跡を臨む地」

第7話「今日の思い出を、忘れずに」

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 プロミネンスを持っていた剣士がたおされた事、フミが討たれた事で、残されていた近衛兵は文字通り蜘蛛の子を散らす様に逃散した。精剣せいけんがあれば何とかなると思ったかも知れないが、ファンが睨んでいるのでは精剣を確保したまま逃げる事もできなかった。

「ここにいるのは、全て村の人だろうが」

 連れていくというのならば略取として扱うといわれれば、どんな未来が待っているか想像するのは易い。

「ありがとうございます」

 人の姿に戻れた村の女たちが、夫や子供たちと共に頭を下げれば、ファンは吊り上げていた目を垂れさせる。

「偶然ッス。偶然。自分、たまたま通りかかっただけッス」

 食堂でラッパを吹いていた時と同じ顔だ。戦ったのは行き掛かりの事であって、この村を救う、領主を討つという密命でも受けてやって来た訳ではない。

「それより、これからが大変ッスよ」

 そういう状況にしてしまった方が申し訳ないと思うファンが、どうしたものかと思案顔になると、エルが口を挟む。

「子爵様へ一筆、送られては? 代官を派遣していただき、遺跡の封印と領民の保護をお願いしないと」

 エルの提案に、ファンは「そうッスね」と自分たちが乗ってきた馬車に向き直った。子爵家とは伯爵家の家督を継ぐ権利を有する一族であるから、遠縁には公爵家、そして大帝家がある。非常に……とまではいえないが名門・・なのだ。

「でも基本的には、自分たちの事は、自分たちで守る事になりますよ」

 エルは女たちを取り戻した男たちへ目を向けていた。精剣を宿した女がいるのだから問題ない、とはいえない。彼女たちにとって、精剣は歓迎できるものではないのだから。男たちも、愛する者を剣として扱うなど気分が悪い。

 それでも精剣を抜かなければならない時が来るはずだというのは、エルもハッキリとした言葉にはできない。

「まぁ、まぁ、伯父様へ手紙を出すッスよ」

 ファンは苦笑いしつつ、文机のある馬車の扉を開ける。

「あの!」

 しかし階段に足をかけたファンへ、酒場で出会った少年の声が飛んできた。

「はいぃ?」

 間延びした返事をするファンだったが、少年は目をキラキラさせていて、

「兄ちゃん、本当は剣士だったんだね。ありがとう!」

 その一言は、ファンは否定したくなる。

「身分を隠して、俺たちの村みたいなところを回ってるんだろ?」

 世を忍ぶ仮の姿が旅芸人なんだと思っているらしいが……、

「自分は旅芸人ッスよ。旅芸人。曲芸をやって、ラッパを吹いて、エルに歌ってもらう」

 ファン自身は、フミを斬った時の姿こそ、世を忍ぶ仮の姿だと思っている。

「剣士なんてのは、戦争が終わったら、ただの穀潰しになっちまうもんッスよ」

 しかしファンが斬った剣士たちがいい例だといわれても、少年は納得しがたい。男の子というのは強い存在に憧れるものだ。

「本当に強いのは、この村にいる人たちッスよ。戦争で赤茶けた土を畑や町にしたのは、ここにいる人たちの力ッス」

 胸を張ってくれというファンの言葉は、昨夜、夕食を食べながらいったものと同じだ。

「そして、煤けた顔を笑顔にするのに必要なのは、おいしいご飯!」

 食堂の店主や、また両親が揃った家族を指差す。

「何より、元気な子供たちッス!」

 そして広げた手の中からは、花びらがさっと舞う。

「自分は旅芸人ッス。一日、働き疲れて帰ってた人が、また家事の合間の人が、子供たちが、明日も頑張るぞって気持ちになるのを手伝う、自分の大好きな仕事ッス」

 笑ってくれと戯けると、皆が笑ってくれた。

「これ、遠いけれど、ドュフテフルスに届けて下さい」

 ファンが書いた封書を、エルが村長へと手渡した。

 それは別れを意味する。

「まぁ、今は分かんないと思うッスけどね、いずれ分かってほしいッス」

 御者の席に座りながら帽子を被り直すファンは、

「自分なんかより、お父さんやお母さんの方が、負けちゃいけない生活って戦いを生き抜いてる、強い人だって」

 上手くいえない事に苦笑いさせられそうになるが、その顔は無理矢理にでも引っ込める。曖昧な顔こそ、芸人が最もしてはならない顔だ。旅芸人こそが自分の本業だといったファンに、笑いも驚きもされない顔は厳禁だ。

 そんなファンへと、キャビンへ乗り込むエルが、いつものファンの口調を真似て茶化す。

「練習が足りないッスなァ」

 ファンは「全く全く」と頭を掻いた。咄嗟に機転を利かせられないのは道化としては致命的だ。

「いや、自分が本当に得意なのラッパなんスよ」

「はいはい、言い訳しない」

「いや、これは――」

「口答えはもっとしない」

 その話術は、及第点だろうか。村人が笑ってくれた。

 しかしファンが道化になって笑わせるのは、名残惜しい事の裏返しでもある。

 それは剣士よりも旅芸人でいる方がいいし、村の生活を守っていく事の方が素晴らしいといわれた少年も同様だ。

「もう……行くの?」

 まだここにいてほしいと思っているが、話せる言葉は出てこない。

「……」

 ファンはフッと笑うと、ピンッと帽子の鍔を指先で弾くようにして跳ね上げ、

「旅芸人は、グルグルと方々ほうぼうを回ってるッスよ」

 今生の別れではないのだ。

「また来ます。今度は、もっといっぱい歌も演奏もして、ファンが曲芸もします」

「するッスよ。自分、一番、得意なのは曲芸と軽業ッス」

「ラッパが得意っていったところでしょ」

「いや、本当に得意なのはラッパだっていったんス。一番、得意なのは曲げ――」

「はい、言い訳しない。どう考えても、話術が得意って思われてるから」

 エルの言葉に、また大きく笑い声が上がった。

「全く、全く」

 ファンも笑いながら、大きく手を振る。

 その手に誘われて舞い散るのは、色とりどりの花だ。

 タイミングを心得たファンであるから、その花の舞いによって皆に笑顔を溢れさせ、そんな中で馬車を発車させた。

「また来るッスよ!」

 ろくな芸を見せられた訳ではないが、ファンとエルへは歓声が向けられたのだった。
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