罪深き凡夫らの回旋

まる

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第一章

N8

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 昼食を一緒に、とランドルフ様に誘われた。
 あなたの好きな男と寝ているのに、挙句あなたの体を狙っているのに、そんな余計な接触しない方がいいのでは? とは思うが、意外と気軽に接触してくる謎の伯爵様だった。
 ランドルフ様の私室のテーブルで向かい合って、山盛りのサンドイッチを横目にしている。具には色々なものが挟まれており、バラエティー豊かで美味しい。
 そもそも私は彼の従卒なのだが、こんな普通に向かい合って食事をしていていいのだろうか。してしまっているが。
 もぐもぐと口を動かしつつ、向かいのランドルフ様を見る。白金の髪をきらきらさせつつ、パンをかじる挙措も貴族らしく優雅だ。
「綺麗ですね」
「なに?」
「ランドルフ様が」
 そう言うと、一瞬押し黙った。しかしさっと顔を上げて言い返してきた。
「ヘルガの方が綺麗だよ。麗しい御婦人とこうして過ごせる時間は素晴らしい」
「はあ。麗しい殿方と過ごせる時間も素晴らしいです。私はあまり身分の高い方を存じ上げませんが……いえ、人数的な意味で……ランドルフ様のような方は、召し上がり方も美しいのですね。まあ、大体その挙措全てにそう思いますが」
「……どうも。……痛み入る」
「大丈夫です、口説いてます」
「困る」
「困って下さい。あなたもどうして、こんな隙あらば口説いてくるのが分かり切っている相手を昼食に呼ぶんです……」
「いや、諸事情は別として、俺はおまえを気に入っているぞ?」
「え。寝ますか」
「寝ない。諸事情は別と言ったろう」
「何ですか……その、自分に気のある相手を思わせぶりにして振り回すような……」
「俺を狡い女のように言うな」
「だってそうでしょう……ランドルフ様だって、どこぞの麗しい御令嬢にそんな目に遭わされたことなどお有りでは? 私の気持ちも分かるでしょう? それとも、もてすぎてそんな経験お有りでないですかね……そうなんですかね……これだからもてる男は……」
「なあ、おまえの立ち位置がとても不明だぞ」
「私なんかご承知の通り、どっちでもいいのでそんな感じですよ」
「まあ確かに」
「やらせてください」
「もう少し遠回しに言って欲しいし、やらないし、俺は今ものすごく新鮮な気分だ。悪い意味で」
「腹ごなしの運動どうですか」
「俺の話を聞け」
 ぐだぐだとやり取りしているが、それを聞く者はいない。恐らくだが、給仕をほぼ必要としないメニューとしてサンドイッチを選んだのではないかと思えてきた。茶もあまり気にせずにご自分で注いでいるし、私のカップにもそうしてくれる。
「私が注ぎますが……」
「気にするな」
 なのでポットを掴む手をじっと見て、感想を述べることにした。
「手がセクシーですね」
「えっ」
 ランドルフ様が動揺して、高価そうなポットを取り落としそうになったが持ちこたえた。
 その手は繊手などというものではなく、騎士団の副団長だけあって貴族らしからぬ武骨さであったが、指が長くて形が良かった。
「せめてその手で」
「……手でもしないからな」
「口では」
「いや、もっとしない」
「ケチですね?」
「……おまえだってしたくないだろう」
「いいですよ、別に。手でも口でもしますよ。何なら私に挿入なさっても大丈夫ですよ」
 あっさりとそう言う私をランドルフ様が暫く眺めていたが、やがて低く呟いた。
「……そうだな。おまえはもう、何がどうでもいいんだったな」
「ですね。一応、嗜好はありますけど」
 どちらかといえばサディスティック。けれども気に入っている相手を本気で痛めつけたい程ではないから、そこそこ普通なのではないだろうか。そして、突っ込みたい方の人だ。
 ふ、と軽く笑ってから、私は下らない話を再開させた。
「ちゅーくらいさせて下さいよ」
「興が乗ったおまえにそのまま押し倒されそうで怖いから嫌だ」
「またそんな可愛いこと仰って」
 置いたポットから離れた手を握る。
「ヘルガ」
 咎める声を無視する。
「あなたの力であれば、多分私を振り払えますよね。押し倒されそうになっても撥ね退けられる。……本当に怖がっているのは、拒絶できないかもしれないこと、では?」
 微笑し、こちらを凝視する緑の瞳を見返す。
 身を乗り出し、顔を近づける。
「あなたが望むのであれば、殿下には優しくしますよ。受け入れて、好きだと返して差し上げてもいい。まあ、殿下としてはそんなこと信じられないでしょうけど……少なくとも、試しにその態度を取ってみても構わない」
 王子様のご友人である、伯爵様。
 あのクソ王子に友情以上のものを抱き、向こうから信頼もされている。
 より顔を近づけ、ぺろりとその唇を舐めた。
 それから重ねようとすると、すっと顔を引かれた。手は振り解かれない。
「何だか悪魔のようだな、ヘルガ」
 薄い笑みを湛えた美貌がそう言った。
「さあ、どうなんでしょうね」
 乗り出していた身を引き、手も放した。すとんと椅子に座る。
「魂よりは軽い要求ではあるが。俺が真に望んでいるものとは何なのか、考えてしまったな」
「究極的には、殿下が欲しい、という話ではないのですか? 残念ながらそれは、私には叶えることは難しいですが」
「殿下が欲しい……」
 復唱し、ランドルフ様が少し考える素振りを見せた。
「……まあ、端的に言うには、些かややこしいことなのかもしれんな」
 どこかしら陰鬱な笑みらしきものが、その口元に浮かんで消えた。
 その言によるならば、彼は単に王子様が好きで、抱きたいのか抱かれたいのかまでは知らないが肉体関係を欲している、という話でもないようだった。
「意外とややこしいお気持ちを抱えておいでで?」
「どうだろうな?」
 ふふ、と心から可笑しそうな口調でランドルフ様が言う。
「ランディ」
 いきなり呼んでみたら、ランドルフ様がきょとんとした。
 その顔を眺めていたら言ってみたくなったのだ。
「何だ?」
 しかし返事をしてくれた。
「怒らないんですね」
「今は二人きりだしな。特段何の差し障りも無いだろう」
「二人きりであれば、私のような身分の低い、しかも化け物に親しげに名を呼び捨てにされて平然としているあなたって凄いですね」
「おまえを化け物とは思っていないしな。呼び捨ては人前では駄目だぞ。内々の場ならば先日程度だが、公の場であればかなり厳しく咎めるからやめておくがいい」
「時と所と場合。TPOってやつですね」
「そうだな」
「ベッドの中ではいいと」
「いや、ベッドに行かないけどな」
「行きましょうよ」
「行かない」
「好きですよ」
「……おまえ、やりたすぎて適当に愛の言葉を囁くゲス野郎みたいなのやめてくれ」
「つれないあなたを想い、せめて夢に見られたらと夜毎祈りと共に眠りにつく哀れな私です」
「何だそのとってつけたようなの」
「とってつけました」
「はっきり言って、外見だけとはいえ美女にこれだけ迫られて嫌な気はしない。迫る言葉の選択が大概におかしいとは言え、だ。だがしないぞ」
「何です、勿体ぶっちゃって、減りやしないでしょうに」
「いやだから、おまえ本当にゲス野郎みたいだぞ」
「あなたなんか、相当美男だからって……伯爵位まで持ってる上騎士団の副団長で剣も使えて、絶対めちゃくちゃもてるからって! そのうち何かのパーティーでどっかの姫君にでも見染められて、その姫君がすんごい拘束系で女と挨拶すらできやしないような日々を送ればいいんですよ……! そうなる前に、私とやっときましょう」
「ええー……」
「大丈夫、ばれやしませんよ。何かほら、先っぽだけでいいですから」
「いやおまえ、本当に言っていることがおかしいからな」
「あなたが私をおかしくさせているのです。罪な人ですね」
「もう意味が分からなくて混乱してくるんだが……」
 ランドルフ様が半分笑って残り半分で困惑するような表情をしている。
 私は立ち上がり、身を乗り出してテーブルに手を突き、今度はランドルフ様の後頭部に片手を回した。その目が見開かれ、僅かに眇められたタイミングで唇を重ねる。舌は入れないでおいた。
 顔を離し、すっかり眇められてしまっている目を見て、「押し倒しませんよ?」とだけ言って、再度着席した。
「おまえ……これだけ俺が拒んでいるのに」
「申し訳ありません。あなたが魅力的過ぎてとち狂いました」
 そう言ってサンドイッチに手を伸ばした。
「……俺が激怒するとは思わんのか?」
「だって、あなたが『これだけ迫られて嫌な気はしない』なんて仰るから。だったらちゅーくらいじゃ怒らないだろ、と考えますでしょうよ」
 もぐもぐとサンドイッチを食べる。
 溜息を吐かれた。
「……もうするなよ」
「します」
「えっ」
「キスくらいはします。ごめんなさい」
「おまえ……よく、そう堂々と言うな……?」
 ランドルフ様が呆れたように口をぽかんと開けた。
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