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51 復讐の先刻(レーテver)
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薄暗い通路をコツコツとヒール音を響き渡らせながら、ひらひらと白ローブを靡かせて無意識に鼻歌を口ずさむ。
止めようと思っても気づけば歌ってしまっており、胸の内から溢れるこの気持ちは少なくても1日は収まらないと自分自身で確信していた。
これ程の解放感、これ程の高揚感。
未だかつて感じたことがあったでしょうか?
アイリス様に眷族にしていただき、始めて聖職者をこの手で葬った時以来の高揚感。
いや、間違いなくそれ以上のものを私は今この身に感じているのでしょう。
『ごめんなさい、レーテ。二度手間になってしまったわね、これをあの豚に届けてくれないかしら』
そう言って私如きに申し訳なさそうな顔を浮かべ、眉を顰めながら命令でも指示でもなく、お願いをしてくるリア様。
私やアイリス様は勿論のこと、この世全ての吸血鬼の頂点に位置する神の如き御方。
一度は利用しようと考え、あまつさえその優しき御心に付け込もうとした愚かなこの身を。
あの方は許すどころかその願いを聞き届け、完璧な理想のかたち以上に叶えてくださった。
そんな御方のお願いであれば、レーテは何を置いても最優先でその事に対し喜んで従事するだろう。
だというのに、あの御方は自身の些細な想いを汲んでくださり、今日は自由にして構わないとまで仰ってくれたのだ。
今日のこれからの"コト"を終えたら、私は私の持つ全てを余すことなくあの御方に捧げる覚悟でいる。
身も心も血も、唇も胸も純潔さえも髪の毛先から足の爪先まで、あの御方が望むものは喜んで全てを差し出しましょう。
(だから今日だけは、お待ちいただければと思います。明日になれば私の全てを……リア様へ)
いったいどれだけの時を憎み続けたのか自分自身ですらわからない。
復讐対象は当時は若くも今は既に高齢期へ入っており、復讐の機会もそう永くあるものではなかった。
何度か教皇に眷族化させた者たちを送った事もあったが全て失敗に終わり、アイリス様にご助力を願っても首を縦に振られることはなかった。
当然です……。
教皇の傍らには常に人類最強の英雄と評される剣聖が留まり、その存在を守護していたのだから。
魔族で剣聖に勝てる可能性がある者など、恐らく真祖のあの方しかいらっしゃらないでしょう。
ですがそこに行くまでが無事ではすまない筈ですし、辿り着いたとして中位吸血鬼である私の願いなど跳ね除けられ、無礼だと始末される未来など火を見るよりも明らかです。
(だから、もう私の願いは叶わないものだと思っていたのに……)
レーテは思考に耽る中、気づけば自分が目的の場所にたどり着いてることにふと我に返る。
肩に干すようにして背負い気を失っている男を担ぎ直し、空き手のもう片方の手で目の前の扉を一寸の狂いもなく同じテンポでノックする。
一拍子置くと中からくぐもっただらしのない声が響き渡り、すぐには開けず数秒数えてから扉を開け入室する。
中へ入ると豚ことギャリックが執務机に脚を投げだし、茶色いボトルを煽る様にしてその口元から液体を垂らして火照った頬で睨むような視線を向けてきていた。
「おん? お前、まだ何か用か? ああ、まさかアルカード様が貸した部屋じゃ不満ってか」
「いえ、依頼の報告をしに参りました」
レーテは大扉の脇へと移動して怪訝そうな表情を浮かべるギャリックへ背を向けると、担いでる男を静かに降ろす。
そんなレーテの持ってきた存在を今更になって気づき、「お、おい、そいつ」と口ずさみ慌てた様子で椅子から立ち上がると目を見開いていた。
レーテは次元ポケットに手を差し込み、敬愛するリアから渡された透き通るような赤い液体の入った瓶を取り出すと、気を失ったままの男の口に無理やりにねじ込む。
壁に背を預け力無く項垂れた姿勢をした男は、顔を無理やりに上げられ口内に正体不明の液体を混入されたことで目を見開くが、有無を言わさないレーテの力によって思わずすべてを呑み込んでしまう。
ごくんっと喉を鳴らす音が聴こえてくると、呑み込んでから数秒で男の至る所にあった傷はみるみるうちに癒えていき、完全に意識を取り戻した時には傷一つ無くなっていたのだった。
「ここは……」
そう呟きながら、目だけを動かし周囲を見渡す金髪のウルフヘアの男。
(私はそうは思いませんが一般的にいうなら、これは顔立ちの整った殿方なんでしょうね)
状況が把握できず、目覚めたばかりで頭の働いていない様子の男にレーテは一歩詰め寄ると淡々と質問を口にすることにした。
「私の質問にお答えください」
「……貴方は?」
目の前のフードを被るレーテに気づき、男は眉を顰めて首を傾げながら問い返す。
「私の質問にお答えください」
「どうして僕は……」
「私の質問にお答えください」
「……っ、あ、ああ」
未だ状況に混乱した様子の男ではあったが、レーテの声音も音程も台詞すら変らず続けられる質問に、動揺を隠しきれない様子で躊躇いがちに頷く。
後方ではギャリックが「うわぁ……」と小さく呟いたのをしっかりと耳にしたレーテ。
しかし、今はそんな豚よりも優先すべきことがあると、それを意識から外す。
何度かの問答で了承を得れた彼、その様子に表情を変えずにレーテは頷き、漸く本題に入れると内心で溜息を吐きながら口を開いた。
「ありがとうございます。 では、貴方のお名前を教えていただけますでしょうか」
「プーサン・ヴァーミリオン、っです」
下手なことは言わず聞かれたことだけに答えた方がいいと学習したのか、プーサンと名乗る金髪の男は端的に聞かれたことだけに解答する。
そんな彼の様子に頷き、次に聞くべき質問を繰り出すレーテ。
「クルセイドア王国、ヴァーミリオン侯爵家の次男であるプーサン・ヴァーミリオン様でお間違いございませんか?」
「……あ、ああ、そうだ」
何故それを知っている、と言わんばかりに疑問を含んだ瞳で訝し気に眉を顰めるプーサン。
しかしレーテはそんな彼に気にする様子もなく淡々と振り返り、眉間に皺を寄せ疑問の表情を浮かべ呆けたギャリックへと目を向けた。
「さっきは連れてこなかったって、どうなってやがんだ? 本当に連れてきやがった……ア、アルカード様はどこに居んだ?」
彼の『アルカード』という言葉にレーテはピクッと眉を振るわせるが、あまりにも極小な動きにギャリックは気づいた様子を見せない。
「エントランスのソファにてお休みになっています」
「そ、そうか、そうだよな。流石のあの化け物みたいな御方でも、儀式の中から異端者を連れてくるのは骨が折れたわけか」
ギャリックはニヤリと口元を緩めると、どこか胸を撫で下ろすようして呟く。
(リア様は戦闘とは別の面で消耗されていたご様子、聖王国に手間取っていたわけではないのですが……)
「斥候が帰還した際、その耳で報告を聞かれるといいかと」
目の前の男のどこか気に入らないその態度に、レーテは意趣返しのつもりで報告の後のコレの様子を思い浮かべ、口元を僅かに歪める。
「ああ、そうするさ。 さっきは達成報告がなくて焦ったが今度は楽しみになる知らせだ。 ほら、報酬だ」
ギャリックはそんなレーテの挑発にも取れる言葉を台詞と声音から感じ取り、楽しそうな笑みを見せながら掌には収まらないほどの皮袋を投げてくる。
急に放られたそれをレーテは事もなげに掴み取り、それを少しの間見つめると、もうここには用はないと部屋を出ていこうとした。
しかし、振り返り半身逸らしたところで待ったがかかるのだった。
「あーそれで、ついでと言っちゃ何だが――」
「ま、待ってほしい! ここは何処なんだ? それに君たちは……」
言いづらそうに口籠もりながら後頭部を掻くギャリック、そんな彼の言葉に慌てた様子でプーサンは言葉を遮ったのだった。
するとギャリックは分かりやすく舌打ちを大きく鳴らし、面倒臭そうにウンザリした表情を浮かべた。
「アンタの家から依頼があったのさ。ここは表じゃ出来ない仕事の斡旋場で、コイツはお前をあのイカれた国から連れてきた仲間の内の一人だ。これで満足か?」
「表じゃ、出来ない仕事……」
「異端者として囚われたアンタを家まで連れ戻して欲しいなんていう馬鹿げた依頼だ。表の依頼としてじゃ、まず叶わない依頼だ。……だからここに回ってきた」
「父様が……っ、いや、君達には申し訳ないが僕はまだ帰るわけには」
どうでもいいですが、私のいないところでやって欲しいですね。
あぁ、……もう、待ちきれないのですが。
レーテは上腹部の前で重ねた手を震わせ、それを無理やり抑え込むかのように痛みすら感じない程に強く握りしめた。
すると閉じた掌の小指の先からは血が滲みだし、ポタポタと床へ落ち足元を徐々に赤黒く染め始める。
「お前の意見なんざ聞いちゃいねぇ。本来既に死んでいた筈のアンタを救い出したのはコイツとこいつの仲間だ。 一度へまをやらかしてケツを拭いて貰った以上、今のアンタに行動権はない」
食い下がるプーサンに詰め寄ったギャリックは彼の胸元を容赦なく人差し指を突き立て、至近距離でその強面な顔を近付ける。
(流石は一度へまをやらかし、あの方の豚になった者の言うことは説得力がありますね)
その言葉に黙り込んだプーサンは項垂れる様に顔を落とし、ギャリックは勝ち誇ったように息を溢すとレーテへと振り返った。
「てなわけだ。聞いていた通りアルカード様にお願いしたのはこいつの依頼の半分、もう半分はこいつをこいつの国に送り届けることなんだ。どうか頼まれちゃくれねえか?」
この男は学びませんね、あれ程リア様にお灸を据えられたのにまたですか。
正直、これからの事で頭が一杯であまり話しを聞いていませんでしたが、そこの男を他国に運んでほしいという条件でよかったのでしょうか。
私の一存で決めれるわけがないというのに、あぁ……もう、はやくっ。
レーテはギャリックへ報酬も含めて保留の旨を伝え、いつまで滞在するのかは不明だったが近日中に返事ができると話し、湧き上がる感情を必死に抑えながら競歩にて部屋を出たのだった。
いつもの歩くスピードの数倍は早めてる自覚はある。
早く早くと自身を急かす感情は収まる事を知らず、いま尚燻ぶるこの胸の内の火照りは更にレーテを無意識に加速させていく。
長く薄暗い通路を速足で駆け抜け、目的の部屋付近へ辿り着くとその足を急停止させるレーテ。
何とか湧き起こるそれを一度だけ抑えようと立ち止まることには成功したが、やはり完全とはいかないらしい。
まるで痙攣するかのように肩はぷるぷると震え、もはや歯止めが利かない表情はきっと、歪な形を浮かべていることだろう。
(今日はなんと良い日なのでしょう。 かつて苦汁を飲まされ血の涙を流したあの日。 いまものうのうと教皇の立場で胡坐をかいていた愚か者をまさか自分の手で直接っ、あの日の恨みを晴らせる日がこようとは……。 あぁ……もう本当に、堪え性がないですね。 でも、これは……抑えれる感情ではないのです! あはぁ♪ あははっ、もう我慢できない!)
立ち止まり俯きながら身体を震わせるレーテ。
そんな彼女の横を通った構成員らしき男は怪訝な表情を浮かべ、眉を顰めるとその歩みを向けてくる。
「なぁ、おい。いまこっち見て笑ったか?」
(あぁ、でもまだダメッ、まだあの男と話した内容を……お伝えしてない。でも、あぁ、ぁぁもう、もう待ちきれないっ!)
「聞いてんのか? あ?てめぇ女か、ならちょっとこっちこようや」
気づけばレーテの前には見知らぬ男が立っており、その怒気を含んだ目と向けてくる気配からどうやら自分に大して怒りを露わにしていたらしい。
しかし今のレーテはそんなことに対応してる余裕はなく、まるでコップの縁まで満タンに満たされた水のように、溢れんばかりの高揚感を抑えるのに全神経を注いでいた。
気を抜けばすぐにでも溢れると自分自身で認識しているソレ。
レーテは男を無視して再び歩き出すが後ろから肩を組むようにしてくる男に気づき、即座に手にした短剣を瞬きする間もなく男の首元へと突き立てた。
「……っ?」
先端を皮一枚の浅さで突き立て、開けた小さな穴から血の滴がちょろちょろと垂れ始める。
「失礼します。いま私はとても気分が良いのです、ですからこれでご容赦願えませんか? 矛を収めていただけないようでしたら、ここで」
男はレーテの視線を受け、動揺を露わにすると遅れながらに首元に突き立てられた短剣に気づき、冷や汗を浮かべながら視線を得物へと下ろす。
「わ、わかった……すまねぇ。だから、これをっ」
両手を上げ無抵抗を示す男にレーテはフード越しでありながら満面の笑みを浮かべた。
「ひぃっ」
そんなレーテの笑みに対し、男はまるで悍ましいものを見たかのように顔を引きつらせ青ざめさせると、逃げる様にしてがむしゃらに暴れ走り出した。
レーテはそんな男に目もくれず、歯止めが利かなくなった表情で通路を振り返る。
そんなフードの奥には三日月のように歪んだ口元が浮かび、レーテは敬愛する二人の主人の元へと歩いていくのだった。
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