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そんな話をしているうちに、馬車は帝城に到着したようだ。
ようやく戻ってこられたと思うと、安堵が胸に広がった。
時間にしてみれば一日も経過していなかったのに、随分長く離れていたような気がする。
「先触れを出しておいたので、医師が待っているはずだ。歩けるか?」
「ええ」
そう頷いた。
けれど馬車から降りようとしたとき、足が痛んで、ふらついた。
「アデラ?」
焦ったテレンスが支えてくれなかったら、馬車から転がり落ちていたことだろう。
思い出してみれば、アデラは暴漢たちから逃れようとしたとき、石に躓いて転んでいた。そのときに、少し挫いてしまっていたらしい。
今までは緊張感が勝って、痛みをあまり認識していなかった。
「足を痛めたのか?」
「そうみたい。襲われて、逃げようとしたときね」
歩けなくはないので、大丈夫だと言おうとした瞬間、ふわりと体が浮き上がった。
「きゃっ」
突然のことに驚いて、思わずテレンスにしがみつく。抱き上げられたのだと知って、ますます慌てた。
「大丈夫よ、歩けるから」
アデラは、女性にしては背の高い方だ。
そのせいでテレンスに重いと思われるのが嫌で、何とか下ろしてもらおうとした。でも彼はそんなアデラの抵抗など気にせず、彼女を抱えたまま帝城の中に入って行く。
「もう、テレンス。下ろして」
そう訴えたが、アデラを抱える彼の腕は予想以上に力強くて、少し暴れたくらいではまったく揺るがない。
「重いのに……」
「アデラが重いはずがないだろう」
「……本当に?」
「ああ」
その言葉通り、テレンスの足取りもいつもと同じである。暴れるとかえって危ないと判断して、おとなしく身を委ねた。
優美な外見に似合わず、男らしい一面を知ってしまい、恥ずかしくなって俯く。
部屋に戻ると、侍女たちが駆け寄ってきた。
「アデラ様」
「ご無事で、何よりです」
そう言いながら、涙ぐんでいる。
「みんな……。ありがとう。心配をかけて、ごめんなさい」
侍女を伴わずに帝城を出たアデラのことを、とても心配してくれていたようだ。自分が迂闊だったせいだと、彼女たちに謝罪する。
「リンダ様にも、お礼を言わないと」
「アデラを無事に保護したと、もう連絡を入れている」
「保護って……」
子供扱いをするなんて、と拗ねてみせる。
取り繕ったりせず、素のままでテレンスと接しているアデラを、侍女たちも優しく見守っていた。
客間に戻ると、すぐにテレンスが手配してくれた医者が来てくれて、小さな擦り傷まで丁寧に診察してくれた。幸い、足の怪我もたいしたことはなく、数日で完治するだろうということだ。
それを聞いて、テレンスも安堵した様子だった。
「このまま少し、眠った方がいい」
「でも」
もう朝方に近い時間だった。
けれどテレンスはアデラを強引に寝室に連れて行ってしまう。
心配そうな顔に、逆らわずに素直にベッドに横たわる。
たしかに少し、休んだ方が良いのかもしれない。
疲れているのですぐに眠れるだろうと思っていたのに、なかなか目が冴えて眠れない。
「テレンス……」
アデラは傍にいてくれる彼の名を呼んだ。
「どうした?」
優しい声でそう言われて、そっと手を伸ばしてテレンスの手を握る。
「さっき、目が覚めたら隣にクリス殿下がいて。怖かったから……」
こんな甘えたようなことを言うなんて、自分らしくないとわかっている。
けれど、何もなかったとはいえ、男性と寝室でふたりきりになってしまった。
メリーサやクリスが拘束されたので、そのことが表沙汰になることはないだろうが、その記憶を払拭したい。
「一緒にいて欲しいの。お願い」
婚約者とはいえ、未婚である。
こんなことを頼むなんて、はしたない女性だと思われてしまうかもしれない。
そう思うと少しだけ怖かったけれど、テレンスは優しい顔で頷いてくれた。
そっと、アデラの手を握る。
「もちろんだ。アデラが目を覚ますまで、傍にいるよ」
「……ありがとう」
繋いだ手から伝わる温もりに、緊張感が薄れていく。
テレンスが傍にいてくれる。だから大丈夫だと、心から信じることができた。
「おやすみ、アデラ」
そう囁いたテレンスの言葉を聞きながら、ゆっくりと眠りに落ちていった。
色々なことがあってやはり疲れていたようで、そのままアデラは昼近くまで眠ってしまった。
テレンスが傍にいてくれるという、安心感もあった。
目を覚ましてみると、手のひらを包み込む温かな温もりに気が付く。
「テレンス?」
まさか、あれからずっと手を握ってくれていたのだろうか。
思わず名前を呼ぶと、ベッドの隣に椅子を置き、そこに座っていたテレンスが、アデラが目を覚ましたことに気が付いて、優しく微笑む。
「おはよう。ゆっくり休めたか?」
「ごめんなさい、私……」
あれから何時間も経過している。
傍にいてくれたのは嬉しいが、テレンスはまったく休めなかったのではないか。
「隣で眠ってくれても、よかったのに」
思わずそう言うと、テレンスは困ったような顔をする。
「さすがに、無理だ。私だって男だからね。アデラが隣にいるのに、眠れるはずがない」
「……っ」
そう言われると途端に恥ずかしくなって、アデラは寝起き姿の顔を隠そうと、毛布を引き上げる。
アデラが恥ずかしがっていることに気が付いて、テレンスは侍女を呼んでくれた。身支度を整えてもらい、テレンスとふたりで食事をすることにした。
「足は大丈夫か?」
「うん。痛みはもうないわ」
今にも抱きかかえそうなテレンスにそう言って、さっと歩いてみせる。
「そうか。でも、無理はしないように。痛みがあったらすぐに言ってほしい」
「ええ。ありがとう」
以前のテレンスからは想像もできないような過保護な言葉に、彼の特別な存在になれたのだと実感する。
食事を終えたあと、お茶を飲みながらまったりと過ごしていると、ローレンから呼び出しがあった。
今回の件で、アデラを巻き込んでしまったことを謝罪したいようだ。
「謝罪なんて……。私のせいなのに」
アデラが簡単にクリスに連れ出されてしまったことが原因なのだから、皇太子殿下に謝罪してもらう訳にはいかない。
そう思ったけれど、ローレンもアデラの無事な姿を見て安心したいのだろうとテレンスに言われて、彼と一緒に向かうことにした。
ようやく戻ってこられたと思うと、安堵が胸に広がった。
時間にしてみれば一日も経過していなかったのに、随分長く離れていたような気がする。
「先触れを出しておいたので、医師が待っているはずだ。歩けるか?」
「ええ」
そう頷いた。
けれど馬車から降りようとしたとき、足が痛んで、ふらついた。
「アデラ?」
焦ったテレンスが支えてくれなかったら、馬車から転がり落ちていたことだろう。
思い出してみれば、アデラは暴漢たちから逃れようとしたとき、石に躓いて転んでいた。そのときに、少し挫いてしまっていたらしい。
今までは緊張感が勝って、痛みをあまり認識していなかった。
「足を痛めたのか?」
「そうみたい。襲われて、逃げようとしたときね」
歩けなくはないので、大丈夫だと言おうとした瞬間、ふわりと体が浮き上がった。
「きゃっ」
突然のことに驚いて、思わずテレンスにしがみつく。抱き上げられたのだと知って、ますます慌てた。
「大丈夫よ、歩けるから」
アデラは、女性にしては背の高い方だ。
そのせいでテレンスに重いと思われるのが嫌で、何とか下ろしてもらおうとした。でも彼はそんなアデラの抵抗など気にせず、彼女を抱えたまま帝城の中に入って行く。
「もう、テレンス。下ろして」
そう訴えたが、アデラを抱える彼の腕は予想以上に力強くて、少し暴れたくらいではまったく揺るがない。
「重いのに……」
「アデラが重いはずがないだろう」
「……本当に?」
「ああ」
その言葉通り、テレンスの足取りもいつもと同じである。暴れるとかえって危ないと判断して、おとなしく身を委ねた。
優美な外見に似合わず、男らしい一面を知ってしまい、恥ずかしくなって俯く。
部屋に戻ると、侍女たちが駆け寄ってきた。
「アデラ様」
「ご無事で、何よりです」
そう言いながら、涙ぐんでいる。
「みんな……。ありがとう。心配をかけて、ごめんなさい」
侍女を伴わずに帝城を出たアデラのことを、とても心配してくれていたようだ。自分が迂闊だったせいだと、彼女たちに謝罪する。
「リンダ様にも、お礼を言わないと」
「アデラを無事に保護したと、もう連絡を入れている」
「保護って……」
子供扱いをするなんて、と拗ねてみせる。
取り繕ったりせず、素のままでテレンスと接しているアデラを、侍女たちも優しく見守っていた。
客間に戻ると、すぐにテレンスが手配してくれた医者が来てくれて、小さな擦り傷まで丁寧に診察してくれた。幸い、足の怪我もたいしたことはなく、数日で完治するだろうということだ。
それを聞いて、テレンスも安堵した様子だった。
「このまま少し、眠った方がいい」
「でも」
もう朝方に近い時間だった。
けれどテレンスはアデラを強引に寝室に連れて行ってしまう。
心配そうな顔に、逆らわずに素直にベッドに横たわる。
たしかに少し、休んだ方が良いのかもしれない。
疲れているのですぐに眠れるだろうと思っていたのに、なかなか目が冴えて眠れない。
「テレンス……」
アデラは傍にいてくれる彼の名を呼んだ。
「どうした?」
優しい声でそう言われて、そっと手を伸ばしてテレンスの手を握る。
「さっき、目が覚めたら隣にクリス殿下がいて。怖かったから……」
こんな甘えたようなことを言うなんて、自分らしくないとわかっている。
けれど、何もなかったとはいえ、男性と寝室でふたりきりになってしまった。
メリーサやクリスが拘束されたので、そのことが表沙汰になることはないだろうが、その記憶を払拭したい。
「一緒にいて欲しいの。お願い」
婚約者とはいえ、未婚である。
こんなことを頼むなんて、はしたない女性だと思われてしまうかもしれない。
そう思うと少しだけ怖かったけれど、テレンスは優しい顔で頷いてくれた。
そっと、アデラの手を握る。
「もちろんだ。アデラが目を覚ますまで、傍にいるよ」
「……ありがとう」
繋いだ手から伝わる温もりに、緊張感が薄れていく。
テレンスが傍にいてくれる。だから大丈夫だと、心から信じることができた。
「おやすみ、アデラ」
そう囁いたテレンスの言葉を聞きながら、ゆっくりと眠りに落ちていった。
色々なことがあってやはり疲れていたようで、そのままアデラは昼近くまで眠ってしまった。
テレンスが傍にいてくれるという、安心感もあった。
目を覚ましてみると、手のひらを包み込む温かな温もりに気が付く。
「テレンス?」
まさか、あれからずっと手を握ってくれていたのだろうか。
思わず名前を呼ぶと、ベッドの隣に椅子を置き、そこに座っていたテレンスが、アデラが目を覚ましたことに気が付いて、優しく微笑む。
「おはよう。ゆっくり休めたか?」
「ごめんなさい、私……」
あれから何時間も経過している。
傍にいてくれたのは嬉しいが、テレンスはまったく休めなかったのではないか。
「隣で眠ってくれても、よかったのに」
思わずそう言うと、テレンスは困ったような顔をする。
「さすがに、無理だ。私だって男だからね。アデラが隣にいるのに、眠れるはずがない」
「……っ」
そう言われると途端に恥ずかしくなって、アデラは寝起き姿の顔を隠そうと、毛布を引き上げる。
アデラが恥ずかしがっていることに気が付いて、テレンスは侍女を呼んでくれた。身支度を整えてもらい、テレンスとふたりで食事をすることにした。
「足は大丈夫か?」
「うん。痛みはもうないわ」
今にも抱きかかえそうなテレンスにそう言って、さっと歩いてみせる。
「そうか。でも、無理はしないように。痛みがあったらすぐに言ってほしい」
「ええ。ありがとう」
以前のテレンスからは想像もできないような過保護な言葉に、彼の特別な存在になれたのだと実感する。
食事を終えたあと、お茶を飲みながらまったりと過ごしていると、ローレンから呼び出しがあった。
今回の件で、アデラを巻き込んでしまったことを謝罪したいようだ。
「謝罪なんて……。私のせいなのに」
アデラが簡単にクリスに連れ出されてしまったことが原因なのだから、皇太子殿下に謝罪してもらう訳にはいかない。
そう思ったけれど、ローレンもアデラの無事な姿を見て安心したいのだろうとテレンスに言われて、彼と一緒に向かうことにした。
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