婚約者は義妹の方が大切なので、ふたりが結婚できるようにしてあげようと思います。

櫻井みこと

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「……っ」
 アデラは悲鳴を押し殺して、締めつけられた腕の痛みに耐える。
「クリス」
 そんなふたりの姿を見て、ローレンは足を止めた。背後にいた騎士団にも手を上げて、動きを制する。
 クリスを取り押さえるよりも、アデラの安全を優先させてくれたのだろう。
「アデラ嬢を解放しろ。もうメリーサもスリーダ王国の元王太子も、騎士団に拘束されている」
 もうクリスの企みは潰えているのだ。
 ローレンは厳しい声でそう言うが、いつもの彼からは想像もできないほど、その瞳は弱々しく見える。
 身内の犯行に心を痛めているのは明白だ。ある意味、彼に傷を付けたいと思ったクリスの願いは叶ったことになる。
「そう。でもあのふたりがどうなろうと、私には関係ないよ」
 けれどクリスは、まだそんなことを言う。
 まだ、そう言えば逃れられると思っているのだろうか。
「崩落事故も、あのふたりの仕業だ。私はただ、目が覚めたらこの部屋にいただけだよ。……アデラ嬢と、ふたりきりで」
 この部屋が、どんな用途に使われているのか、ローレンもわかっているのだろう。はっとしたようにアデラを見た。
「大丈夫です。私が目を覚ましたときには、まだクリス殿下は眠っておりましたから」
 クリスに腕を掴まれたまま、それでもアデラははっきりとそう告げる。ここで変な誤解をされるわけにはいかない。
 それを聞いてローレンは安堵した様子だった。
 改めて、クリスに向き直る。
「もう言い逃れはできない。証拠も揃っている。これ以上、罪を重ねるな。アデラ嬢を解放して、投降してくれ」
「……嫌だ」
 ローレンの説得にも、クリスは耳を貸さない。彼はアデラの腕を片手で掴んだまま、窓を大きく開いた。
「きゃっ」
 冷たい夜風が部屋の中を駆け巡り、アデラは思わず堪えていた悲鳴を上げてしまう。
「ただ、この国から逃げたいだけなのに。それができないなら、いっそ……」
 暗い声でそう呟かれて、ぞくりとした。
 窓から身を乗り出したクリスは、アデラの腕を掴んだままだ。
 このままアデラを道連れに、飛び降りるつもりなのか。
「止めろ!」
「アデラ!」
 制止するローレンの声。そして、やや遠くから聞こえてきたのはテレンスの声だ。
 やはり無事だったのかと、こんな状況なのにアデラは安堵する。
 早くテレンスと再会したい。
 こんなところで、望まない相手と心中するつもりはなかった。
「離して!」
 思いきり力を込めて抵抗した途端、あまりにも簡単に拘束が緩んだ。そのため、バランスを崩して、ひとりで窓から落ちそうになる。
 悲鳴を上げることもできなかった。
 けれど体が落下する寸前に、背後から腕を強く引かれて、後ろに倒れ込む。
「アデラ……」
 背後から抱きしめて、安堵したようにそう言ったのは、テレンスだった。
「テレンス、良かった。無事だったのね」
 アデラもまた、その声に負けないくらいほっとしていた。振り向いて抱き付きたいのに、後ろから拘束するかのように抱きしめられて、動けない。
「テレンス? 拘束するべきなのは、クリス殿下では?」
 背後から回された腕に手を添えてそう言うと、彼は深い溜息をついて、アデラをさらに強く抱きしめる。
「あまり無茶をしないでくれ」
「……ごめんなさい」
 たしかに今日は、色々と無茶なことをした。
 部屋で待っているように言われたのに、テレンスのことが心配で帝城から出てしまった。
 さらに、クリスが主犯だということに気付かずに、彼を逃がすために無謀なことをして、捕まってしまった。
 さらにクリスに抵抗して、窓から落ちるところだったのだ。
 自覚はあるので、素直に謝罪する。
「テレンスは、無事だったの? 怪我はしていない?」
「ああ、私は大丈夫だ」
 それを聞いて、ふいに涙が出そうになって、唇を引き結ぶ。
「本当に、心配したの」
「すまなかった。私がきちんと説明するべきだった」
 もう一度抱きしめられて、アデラも彼の背中に両腕を回して力を込める。
 彼が崩落事故に巻き込まれたと聞いて、アデラは日頃の慎重さも忘れてしまうくらい、取り乱した。
 テレンスは自分にとって、こんなにも大切な存在になっていたのだと、改めて思い知る。
「この国から出たいだけだったのに……」
 抱き合って再会を喜んでいたアデラの耳に、ふとそんな声が聞こえてきた。
 振り返ると、クリスは騎士たちに取り押さえられながら、まだそう呟いていた。
 こんな状態でも逃げることしか考えていない彼の姿に、さすがに怒りが湧いてきた。
 アデラはテレンスの腕から抜け出して、クリスの傍に近寄る。
 慌てたテレンスとローレンがアデラを庇って前に出た。
「アデラ、危ないから近寄っては駄目だ」
 そう言われたけれど、足を止めなかった。近寄る気配を感じて顔を上げたクリスの頬を、アデラは思い切り叩く。
「きっとこの国から逃げたって、あなたは何も変わらない。だからもう逃げるのは止めて、きちんと罪を償うべきだわ」
 慌てていたテレンスもローレンも、驚いたようにアデラを見つめていた。
 けれど彼の企みに巻き込まれ、あやうく無理心中までされるところだったのだ。これくらいは言わせてほしい。
「あなたに足りないのは優れた能力でも人望でもない。物事と向き合うための、覚悟よ」
 皇族のひとりとして生まれたのならば、きちんとメリーサを抑え、ローレンを支えるという役割を果たすべきだった。
 それができないのなら、皇族の籍から抜ける道もあったはずだ。クリスが楽に生きられるなら、ローレンも引き留めたりはしなかっただろう。
 この国を出たいのだと、自分で伝えたら、それも叶ったかもしれない。
 それなのにクリスは、皇族のひとりとして生きる覚悟も、籍から抜けて臣民のひとりとして生きる覚悟も、この国から出たいのだと、自分で告げる覚悟も持てなかった。
 彼が選んだのは、メリーサとアデラを利用して、テレンスを始めとした多くの人たちを犠牲にしてまで逃げる道である。
 彼が理由として挙げていた宝石の販売権だって、逃げるための口実に過ぎない。
 能力とは違い、覚悟なら誰でも持てるはず。それなのに逃げ続けていたクリスが、アデラはどうしても許せなかった。
 クリスは何も言えずに、ただ項垂れていた。
「アデラ、無茶をするなと言ったばかりなのに」
 呆れたような声でそう言い、テレンスがアデラの腕を引いた。だが、クリスに強く掴まれたせいで、少し触れられただけで痛みが走った。
「……っ」
 小さく呻くと、テレンスは顔色を変えてアデラを連れだそうとする。
「アデラを医者に連れて行きます」
「わかった。後はこちらで処理する。ふたりとも、巻き込んでしまってすまなかった」
 そう謝罪するローレンに見送られて、アデラはテレンスに強引に馬車に乗せられてしまう。
 大丈夫だと言っても、まったく聞いてくれなかった。
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