婚約者は義妹の方が大切なので、ふたりが結婚できるようにしてあげようと思います。

櫻井みこと

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「どうして、いつもの部屋が使えないのよ」
 アデラはふと、女性の憤る声で目が覚めた。
 どうやら休憩室のすぐ前で、何か揉めている様子だ。
「申し訳ございません。そちらの部屋には今、滞在されている方がおりまして。奥のお部屋をご用意させていただきました」
 従業員の女性が、申し訳なさそうに対応している。
「嫌よ。私に譲れと言うの?」
「いえ、その……」
「今日、私が来るのはわかっていたはずでしょう? それなのに、どういうことなの?」
 感情的な声は、まだ若そうだ。
 奥に用意したという部屋は、ここよりも狭いらしく、女性はそれが気に入らない様子だった。
 きっと怒っている女性は、この店の常連なのだろう。
 急に訪れ、しかも今日限りの客かもしれないアデラよりも、常連の客のほうが店にとっては大切だ。
 気に入っている部屋が使えないからといって、こんなところで声を張り上げるのはどうかと思うが、ここは譲るべきだろうか。
(どうしようかしら……)
 まだはっきりと目覚めていない頭で、ぼんやりとそんなことを考えていたアデラは、急に部屋の扉が乱暴に開かれて、驚いた。
 まさか、そんな無作法なことをするとは思わなかった。
「あなた、さっさとここから出て行きなさい。この部屋は私が使うわ」
 そう言ってこちらを睨みつけたのは、声から察していたように若い令嬢だった。
 艶やかな黒髪に緑色の瞳の可愛らしい女性だが、こちらを睨みつける顔はとても険しく、その美しさを台無しにしている。
 可愛らしいけれど、性格が悪い。そういう女性に、つくづく縁があるようだ。
 きっと意中の男性の前では、可愛らしく振舞っているのだろうと、余計な想像をしてしまう。
「メリーサ様」
 従業員が慌てて彼女を止めようとしたが、メリーサと呼ばれたその女性は、止めに来た従業員にさらに怒りを募らせたようだ。
「既製品のドレスしか用意できないような女が、この部屋に居座るなんて図々しいのよ」
「……」
「私はあなたなんか知らないけれど、あなたは私のことを知っているでしょう? 今なら許してあげるから、早くどきなさい」
 あまりにも自分勝手な言い草に、アデラはやや呆然としてメリーサを見つめた。ティガ帝国の皇太子であるローレンは素晴らしい人物だったが、どこの国にも、こういう令嬢はいるようだ。
 きっと彼女は、高位貴族なのだろう。
 着ているドレスはとても上等なものだし、侍女をふたり、護衛もふたりほど連れている。けれど誰も彼女の暴挙を止めようとせず、ただ淡々と彼女に従っていた。
(甘やかされた我儘令嬢、というところかしら)
 しかも髪飾りに、テレンスが発見したというあの宝石を使っている。
 それを身に着けられるということは、彼女の家はかなり裕福なのだろう。
 テレンスがアデラに贈ってくれた宝石は、とても美しい。
 彼が発見者のひとりだと聞いて、なおさら思い入れがある。
 その宝石を、初対面のアデラに出て行けというような女性が身に着けていることに、不快感を覚えた。
「ドレスは完成しているかしら」
 これ以上、彼女を視界に入れているのは嫌だった。
 アデラはドレスを受け取ったらさっさと店を出て行こうと、どうしたらいいのかわからずに狼狽えている従業員に声を掛ける。
「はい。完成しております。ご迷惑をお掛けして申し訳ございません」
 深々と頭を下げる従業員は、アデラは微笑んだ。
「いいえ、あなたのせいではありませんから。ドレスを受け取ったら帰ります」
 アデラは侍女にもそう指示し、従業員がドレスを持ってきてくれるまで、ソファーから動かなかった。
 メリーサに追い出されるのではなく、用事が終わったから店を出て行くのだと示すためだ。
 アデラは、ティガ帝国の皇太子の招きを受けてこの国に来ている。いかに彼女が高位貴族の令嬢であろうと、こんな扱いをされる謂れはない。
 だがそれは、プライドの高そうな彼女を刺激してしまったらしい。
「あら、ごめんなさいね」
 わざとらしくそう言いながら、慌ててドレスを持ってきた従業員にぶつかった。
「あっ」
 慌てていた従業員は受け身も取れずに、その場で転んでしまう。
 テーブルに体をぶつけ、その上に置かれていたお茶が、ドレスの上に滴り落ちた。
 アデラの侍女と従業員が慌てて拾い上げたが、もう遅かった。
 仕上がったばかりの美しいドレスはお茶を吸ってしまい、染みになっている。
「あら、大変なことになっているわね」
 それを見て、メリーサは心底楽しそうに、くすくすと笑う。
「でもドレスを汚したのは私ではないわ。ぶつかったことに関しては、私は謝ったわよ」
 自分がぶつかってしまったのは従業員で、アデラのドレスを汚してしまったのはその従業員だと、そんなことを言うのだ。
「でも既製品のドレスなんて、たくさんあるもの。また買えばいいじゃない。でも、あなたには買えないかもしれないけれど」
 どうせ田舎貴族だろうと、アデラを侮っている様子だった。
「文句があるのなら、ピーラ侯爵家までどうぞ」
 そう言ってメリーサはアデラを押しのけて、部屋のソファーに座った。
「何をしているの。早く私のドレスを持ってきて。今日の帝城でのパーティに間に合わないでしょう?」
 どうやら彼女も、今夜のパーティに参加するようだ。
 小規模なパーティだと聞いていたが、皇太子主催ということで、参加したい者は多いのだろう。
 きっと、誰のために開かれるのかも知らないままに。
「いいのよ。行きましょう」
 アデラは抗議しようとする侍女を止めて、真っ青になって謝罪する従業員に大丈夫だと告げて、部屋を出た。
(ピーラ侯爵家の、メリーサ嬢ね)
 わざわざ名乗ってくれたのだ。
 それを充分に活用させてもらおうと、アデラは微笑んだ。
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