婚約者は義妹の方が大切なので、ふたりが結婚できるようにしてあげようと思います。

櫻井みこと

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 もしかしたら、これは恋ではないのかもしれない。
 ただ似た者同士が、これ以上傷つきたくなくて、ともに生きると決意しただけかもしれない。
(でも、それでもいいわ。だってテレンスを信じられるのは本当だもの)
 信頼できる相手であること。
 それが、恋や愛などよりも、アデラが一番求めるものであり、おそらくテレンスも同じだ。
「お父様に報告しないと」
「……そうだな。おそらく今夜のことはリィーダ侯爵の耳にも入るだろうから、私からもすべて説明しよう。アデラとの婚約を承知してもらうために、色々と手を打たなくては」
「お父様なら、大丈夫だと思う」
 深刻そうな顔をするテレンスに、アデラはそう答えた。
 父ならば、王太子が整えてくれた婚約というだけで、賛成しそうである。
 けれどテレンスは、一度アデラを裏切ったレナードの異母兄であり、殺人犯を妻にして世間を騒がせてしまったオラディ伯爵家の者だということが、気になっているようだ。
 どちらもテレンス本人にはまったく関わりがなく、しかも彼の優秀さは、この国の王太子だけではなく、ティガ帝国の皇太子も認めているほどだ。
 それなのに、アデラとの婚約を許可してもらうために、懸命になってくれている。その様子を見ると、胸が熱くなる。
(大切にしてもらうって、きっとこういうことなのね)
 テレンスがここまでしてくれるのなら、アデラも楽観視せずに、父にテレンスがどれだけ誠実で有能なのか、しっかりと説明しなければならないと思う。
「明日の午後から、リィーダ侯爵邸に行くつもりだ」
「ええ。お父様には、何とか時間を空けてもらうわ」
 アデラの婚約解消が知れ渡る前に、新しい婚約を整える必要がある。
 父は多忙だが、明日の午後には何としても屋敷にいてもらい、テレンスと話し合いをしてもらわなくてはならない。
 そんな話をしているうちに、馬車はリィーダ侯爵邸に到着した。
 父はまだ帰宅していないようだ。
 王城にいるのなら、あの騒動が耳に入るのも早いだろう。
「今日はもう遅いから、ゆっくりと休んで。また明日、会いに行くよ」
 テレンスはそう言って、アデラを屋敷まで送り届けてくれた。
「うん。おやすみなさい」
 何だか気恥ずかしくなって、アデラは小さな声でそう答えると、テレンスの馬車を見送ってから部屋に戻る。
 何だかたった一日で、すべてが大きく変わってしまった。
 クルトとの婚約は白紙撤回されそうだし、リーリアはもう二度と、アデラの前に姿を現さないだろう。
 そして、テレンスがアデラの婚約者となる。
 彼のことは以前から知っていたつもりだったが、本当のことは何ひとつ知らなかったのだと思い知った。
 元婚約者のレナードとは異母兄弟で、彼の母は夫が別の女性と駆け落ちしてしまい、失意の中で亡くなっている。しかも死後に、結婚そのものを無効とされてしまったのだ。
 身内にも容赦なく冷たい人だと思っていたが、そもそも彼は、父と異母弟を家族だとは思っていなかったのだろう。
 妹の結婚前に醜聞は避けたいと、姉の結婚を無効にした、母方の実家も身内だとは思っていないに違いない。
 テレンスにとって家族は、亡くなった母ひとりだけ。その母も、夫を恨み、毎日のように嘆く姿でしか覚えていない。
(それに比べたら、私なんて……)
 たしかに二度も婚約が解消されてしまったが、父はそれなりにアデラのことを愛してくれているし、母もそうだ。
 愛を知らないテレンスが、周囲に冷たくなってしまうのも当然だった。
 これからはせめてアデラが、婚約者として彼を大切にして、愛そうと思う。
 今のところは友愛に近いが、これからはどうなるかわからない。
(私たちの関係は、まだ始まったばかりだもの)
 着替えをして、ベッドに入り、そんなことを考えているうちに、いつの間にか眠ってしまったようだ。
 気が付けば朝で、アデラはしばらくぼんやりとしたあと、ゆっくりと朝食を食べる。
 父は在宅しており、アデラと話がしたいと言う。
「ええ、すぐに行くわ」
 伝えてくれた侍女にそう答え、アデラは軽く身支度を整えて、父の書斎に向かった。
「おはようございます、お父様」
 そう挨拶をすると、父は複雑そうな顔をして頷いた。
「昨日の夜会で、少し騒動があったようだな。クルトとの婚約を解消したというのは本当か?」
「はい。解消ではなく、白紙撤回です。王太子殿下がそう取り計らってくださいました」
「……そうか」
 父は、難しい顔をして頷いた。
 いくら王太子とはいえ、自分が調えた婚約を無断で解消されてしまったことに、不満を感じている様子だった。
「今さらどうしようもないが、クルトはその子爵令嬢に騙されていただけで、レナードのようにアデラを裏切ったわけではない。話し合いで何とかならなかったのか?」
 テレンスの懸念は正しかったのだと、アデラもようやく思い知る。
 だが父は、あの事件の全貌を知らない様子だ。ただ王太子殿下が介入して、アデラの婚約がまた解消されたとしか、聞いていないのかもしれない。
「話し合うだけ、無駄でした。あれほど騙されやすい人に、リィーダ侯爵家当主は務まらないかと」
 アデラは、クルトの以前の婚約者のことを父に説明した。あの頃から、彼はリーリアの思い通りになっていたのだ。
「彼女のクルトに対する執着も、かなりのものでした。あのままクルトと結婚したとしても、諦めなかったと思います」
 クルトもあれだけ騙されやすければ、リーリアではなくとも、別の女性に簡単に騙されて、アデラを裏切ったかもしれないと思う。
「次の婚約者も決めてくださったようだが。……テレンスか」
「彼は、とても優秀な人です」
 父の言葉に含まれていた懸念を感じ取り、アデラは意気込んでそう言った。
「彼の優秀さは、王太子殿下も認めておりました。それに、ティガ帝国の皇太子殿下も、テレンスの能力を評価していたようです。たしかにテレンスはあのオラディ伯爵家の当主ですが、爵位を譲る準備を進めていますし、以前の事件に関しては、彼は何の関係もありません」
 アデラの権幕に、父は少し驚いたような顔をしていたが、やがて優しく頷いた。
「テレンス本人には、何の不満もない。ただ、アデラとの相性が良くないのではないかと心配しただけだ」
「あ……」
 そう言われて、アデラは恥ずかしくなって俯いた。
 たしかに以前は、互いに親密とは言い難い関係だった。父はそれを心配してくれたのだ。
 それなのに、父も驚くほどの勢いで、テレンスを擁護してしまった。
「問題はなさそうだな」
「……はい」
 俯いたまま、こくりと頷く。
 今は父の顔を見ることはできなかった。
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