婚約者は義妹の方が大切なので、ふたりが結婚できるようにしてあげようと思います。

櫻井みこと

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(うわぁ……)
 そんなテレンスの姿に、アデラは内心、令嬢らしからぬ声を上げる。
 助け船を出したと見せかけて、地の底に叩きつけるような発言は、さすがにふたりに同情してしまう。
 リーリアも、もう反論する気力を失ったように地面に座り込んだままだ。
 姉のときに上手くいったから、今回も大丈夫だと思ったのだろう。
 両親もクルトもリーリアを信じて、味方になってくれた。その経験が、彼女を増長させてしまったのかもしれない。
 だが彼女は王城の恐ろしさを、高位貴族に歯向かうとどうなるかを、知らなすぎた。
「つまりロドリガ子爵令嬢が、彼女の婚約を壊すつもりでリィーダ侯爵令嬢を陥れようとした。それにシダータ伯爵家の次男は簡単に騙されて、婚約者を蔑ろにしていた、というわけか」
 王太子も追い打ちをかけるように、そう言った。
「高位令嬢を陥れようとしたこと。王城の夜会で騒ぎを起こしたことの処分に関しては、後ほど言い渡す」
 リーリアはもう何も言えずに、ただ俯いて肩を震わせた。
 彼女はもちろん、ロドリガ子爵家にも、これからは厳しい目を向けられるに違いない。
 テレンス本人には何の非もなかったオラディ伯爵家でさえ、当主の座を譲らなければならないほどだったのだから。
「……私は、リーディ侯爵令嬢を蔑ろに、していたわけでは」
 クルトが震える声でそう言った。
 こちらはまだ、発言する気力があったようだが、それもテレンスに一笑される。
「長年の婚約者さえ信じられなかった者が、出会ったばかりのアデラを信じたとは思えないな」
 容赦のない言葉に、アデラもなぜか、居たたまれない気持ちになってしまう。
 今回、クルトがアデラをエスコートしなかったのは、アデラがそう仕向けたからだ。
「リィーダ侯爵は、娘を蔑ろにする者を後継者に定めるような方ではない。このままでは、私の弟の二の舞になるだろうね」
 テレンスはさらにそう言ったが、父は意外と世間体を気にする人だ。
 二度目の婚約解消はないと、アデラにも言っていた。
 もしクルトに非があっても、多少のことなら目を瞑るかもしれない。
(でも、さすがに今日のことが耳に入れば、考えも変わるでしょうね)
 今日は、王太子主催の独身貴族が中心となっている夜会だが、彼がそう発言したことは、すぐに父のもとにも届くに違いない。
 世間体を気にするからこそ、父が後継者としてクルトを選ぶことは、もうあり得ないだろう。
 そして、そうなるように仕向けたのは、テレンスである。
 彼が、父の本質を見抜いていないとは思えない。
 だから王太子の前でこう言われてしまえば、もう引けないことを確信した上で、こう言ってくれたのだ。
「ああ、そうか。リィーダ侯爵令嬢の最初の婚約者は、テレンスの弟だったな」
 王太子が、思い出したようにそう言った。
「ええ。彼女にも迷惑をかけ、世間を騒がせてしまいました。申し訳ないことをしたと思っております」
「まさかテレンスも、自分が留学していて不在の間に父親が再婚するとは思わなかっただろう。しかもその義母が殺人容疑で逮捕され、義妹と弟が不貞の関係になっていたとはな」
「そうですね」
 テレンスは、困ったように笑って頷いた。
「人生、何があるのかわからないものです」
「その件に関しては、テレンスに非はない。そんな理由で、ティガ帝国に移住する必要はないだろう。向こうの皇太子に誘われたと聞いたぞ」
「……ええ、そうです」
 やや気まずそうに、テレンスは頷いた。
 それを聞いて、さすがにアデラも驚く。
 向こうで誘ってくれた人がいると聞いていたが、それがティガ帝国の皇太子だとは思わなかった。
 しかも王太子は、それを苦々しく思っている様子である。
 常々テレンスは優秀だとは聞いていたけれど、そこまでとは思っていなかった。
「父のしたことを考えれば、仕方のないことです。もう爵位を譲る手続きも終わっております」
「爵位などなくとも、お前なら……」
 王太子は、何かを探すように視界を巡らせる。
(あっ……)
 目が合ってしまい、アデラは慌てて目を伏せて、失礼にならないように深くお辞儀をする。
 何だか、とても嫌な予感がした。
 そしてそれは、的中してしまった。
「そうだ。このままなら、リィーダ侯爵令嬢の婚約は解消されるだろう。向こうが元婚約者の妹の悪行を見抜けず、婚約者としての役割も放棄したのだから、婚約解消ではなく白紙撤回だな」
 それなら、婚約自体がなかったことになる。
 経歴に傷が付かずに済んだと、本来ならば安堵するところだろう。でも王太子の意図が察せられるだけに、素直には喜べなかった。
「殿下」
 テレンスもアデラと同じように、気が付いたらしい。
 止めようとするが、王太子は止まらなかった。
「お前がリィーダ侯爵令嬢と婚約すれば良い。たしかに彼女は弟の婚約者だったかもしれないが、こうやってエスコートをしているくらいなのだから、ふたりの間に禍根はないだろう?」
 王太子は、何とかしてテレンスの移住を阻止したかったようだ。
 それにはどこかの家に婿入りして爵位を継ぐのが一番だが、高位貴族は、もうほとんど婚約が決まっている。
 一日だけのアデラのエスコート役を探すのも、苦労していたくらいだ。
 だが目の前に、たった今、婚約が白紙撤回されたアデラがいた。
「……」
 さすがにテレンスも動揺している様子で、王太子の言葉にすぐに返答しなかった。
「それは、アデラの心情次第ですね。やはり私といると、弟のことを思い出すでしょうから。彼女には本当に申し訳ないことをしたと思っておりますので」
 そう言って、アデラを見る。
(こっちに丸投げしたわね?)
 アデラは軽くテレンスを睨んだが、申し訳なさそうに微笑まれてしまった。
「……婚約は家同士の契約ですから、私が決めることではございません。父の決定に従おうと思います」
 だからアデラも、そのまま父に丸投げすることにした。
「そんな、アデラ!」
 クルトが縋ろうとしたが、テレンスに阻止された。
「君はもうアデラの婚約者ではない。名前を呼ぶことも、触れることも、許されないよ」
「……あぁ」
 クルトが、アデラを見上げる。
 今になってようやく、自分が婿入りする立場だったこと。それを白紙にされてしまっては、行き場をなくしてしまうことに気が付いたのだろう。
 でも、すべてはもう遅い。
「せっかくなので、元婚約者の願いを叶えて差し上げたら如何でしょうか。妹と結婚して、ロドリガ子爵家を継いでほしいという、その願いを」
 それがリーリアの作り話であることを知った上で、アデラは静かにそう言った。
 このふたりの未来は、おそらくレナードとシンディーと同じものになるだろう。
 シダータ伯爵家からロドリガ子爵家に婿入りしても、もう何の利もない結婚である。
 それどころか、王太子の不興を買い、評判が最悪になってしまった子爵家だ。
 そんな状態で婿入りしたクルトが、今まで通りリーリアに優しくできるはずかない。
 さすがにそれがわかっているのか、リーリアの顔にも絶望が宿る。
 それを見ても、最初のときのように胸は痛まなかった。
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