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その存在は知っていても、こうして目にするのは初めてだ。
アデラは、いつの間にか止めていた息をそっと吐いた。
彼らは、王家の命令でしか動かない。
たとえ何を目撃しても、王家に命じられなければ真相を話すことはない。
そして王家は、基本的に貴族間の揉め事には介入しない。
まして、侯爵家なのはアデラだけ。他は伯爵家と子爵家だ。
それなのに王太子に声を掛けられ、王家の影を使わせたテレンスが、異質なのだ。
どんなに優秀でも、テレンスは伯爵家だ。学園で同級生でもなければ、王太子と親しくなる機会などなかったはずだ。
そして王太子とテレンスは、年がまったく違う。まして、二年もティガ帝国に留学していたのに。
「だ、誰なの?」
リーリアが怯えたように、王太子の傍に控える影たちを見ている。
その言葉から察するに、『王家の影』の存在すら、彼女は知らなかったのだろう。彼女が子爵家であることを考えても、あり得ることだ。
だからこそ、よりによって王城で、誰かを陥れようなどと考えたのかもしれない。
「テラスで起こったことを話せ」
王太子が命じると、影の中のひとりが口を開いた。
「はい。最初にワイングラスを持ったロトリガ子爵令嬢が、テラスに来ました。彼女は中の様子を伺いながら、リィーダ侯爵令嬢がひとりでテラスに足を踏み入れたことを確認して、悲鳴を上げました」
そして、その悲鳴を聞いたアデラが声のする方向に行こうとした瞬間に、彼女のために飲み物を取りに行っていたテレンスが戻ってきたこと。
アデラはテレンスが戻ってきたことに気が付き、ふたりで悲鳴を確かめに向かったことを報告した。
「リィーダ侯爵令嬢が自分の前に辿り着いたことを確認してから、ロトリガ子爵令嬢は悲鳴を上げながら、持っていたワインを自分のドレスに掛けました」
だが、アデラの背後にはテレンスがいた。
彼がすべてを見ていたことで、リーリアの企みは失敗することになった。
「……そうか。テレンスの証言通りだな」
王太子は頷き、嫌悪を滲ませた瞳でリーリアを見る。
「自作自演で、リィーダ侯爵令嬢を陥れようとしたのか」
「ち、違いま……」
「黙れ」
王太子は冷たくそう言い捨てると、視線をクルトに向けた。
「婚約者ではなく、別の女性をエスコートしていた理由は?」
「わ、わ、私は……」
クルトは声を掛けられただけで震えあがってしまい、うまく答えられない。
(どうしよう……)
アデラは困っていた。
それを提案したのはアデラだ。
でも王太子はクルトに聞いているのだから、アデラが代わりに答えたら失礼だろう。
どうしたらいいのか戸惑っていると、代わりにテレンスが答えてくれた。
「どうやら前の夜会で同じようなことが起こり、彼はアデラに、その女性に謝罪するようにと強く迫ったようです。ロドリガ子爵令嬢は、彼の亡き婚約者の妹だったようで」
同じようなこと、を強調してそう言ったテレンスの言葉に、王太子は反応した。
「……なるほど」
「アデラは、自分は何もしていないからと謝罪を拒み、それから仲違いをして、彼女の方から今回のエスコートを断っていたようですね」
どうしてそこまで知っているのかと、アデラは動揺する。
エスコートを頼みに行った父が、彼にすべて話してしまったのだろうか。
「その事件とは?」
「残念ながら、私は出席していなかったので、詳細は知りません。影の方が詳しいのではないでしょうか」
「ああ、そうだな」
テレンスの提案に、王太子は軽く頷いた。
「その騒動のことを話せ」
「はい」
答えたのは、最初とは別の影だ。
テレンスが提案してくれたので、クルトや友人たちの前で、あの前回の事件の真相も明らかになろうとしていた。
「今回と同じように、リィーダ侯爵令嬢がひとりでテラスに出た際、ロドリガ子爵令嬢が声を掛けました。ふたりは初対面のようでした」
そしてリーリアが、クルトを自分の姉の婚約者だと主張したこと。
アデラは、彼の以前の婚約者は亡くなったのだと諭したこと。
そんなアデラの腕を、リーリアが掴んだことを証言した。
「自分の姉が、亡くなる前に婚約者と結婚して家を継いでほしいと頼んだ。だからあなたには渡さないと言い、自分で悲鳴を上げながら、突き飛ばされたかのように背後に転がりました」
あまりにも正確な報告に、アデラでさえも手が震えた。
あの場にも王家の影は存在し、すべてを見ていたのだ。
だが、事実と違う噂が流れても、たとえそのせいでまたアデラの婚約が解消されてしまったとしても、彼らは王族の命令ではない限り、何も語らない。
「う……」
リーリアが何か叫ぼうとしたが、向けられた王太子の冷たい視線に慄いて、口を閉ざす。
これ以上は不敬罪になってしまうかもしれないから、それが正解だろう。
クルトが目を見開いてアデラを見ていたが、何度も伝えたのに信じなかったのは彼だ。
「ロドリガ子爵令嬢はリィーダ侯爵令嬢に突き飛ばされたと主張し、周囲もそれを信じたようです」
「それが原因ということか」
王太子は頷いた。
「婚約者の言葉ではなく、かつての婚約者の妹の言葉を信じたのか」
「……申し訳ございません」
クルトは肩を落として、消え入りそうな声でそう謝罪した。
リーリアのように否定や言い訳をしないだけましだが、今さら反省しても遅すぎる。まして彼は、最初の婚約者の言葉もまったく信じなかった。
「リィーダ侯爵令嬢とは、まだ婚約したばかり。長年の付き合いである元婚約者の妹を、信じてしまうのも仕方がないのかもしれません」
そんなクルトを、テレンスは庇うような言葉を口にする。
クルトは救われたような顔をして、テレンスを見た。
「ロドリガ子爵令嬢にしても、亡き姉の願いを何としても叶えたい。そう思って少し暴走してしまったのかと」
リーリアが、涙を溜めた瞳で顔を上げて、何度も頷いた。
「……ですが」
そんなふたりを見ながら、テレンスは声を落とす。
「長い間傍にいたのに、ロドリガ子爵令嬢の本質を見抜けず、簡単に騙されてしまったのは、問題かと」
「たしかにそうだな」
王太子は頷いた。
それは、アデラも思っていたことだ。
昔から自分の婚約者の言葉を信じず、リーリアのことばかり信じていたのだから。
「それに、ロドリガ子爵令嬢は、姉と仲が悪かったと聞いております。妹が、姉のものを何でも欲しがり、すべて奪っていたのだと。そんなことされた姉が、自分の婚約者を託すとは考えにくいですね」
アデラは、いつの間にか止めていた息をそっと吐いた。
彼らは、王家の命令でしか動かない。
たとえ何を目撃しても、王家に命じられなければ真相を話すことはない。
そして王家は、基本的に貴族間の揉め事には介入しない。
まして、侯爵家なのはアデラだけ。他は伯爵家と子爵家だ。
それなのに王太子に声を掛けられ、王家の影を使わせたテレンスが、異質なのだ。
どんなに優秀でも、テレンスは伯爵家だ。学園で同級生でもなければ、王太子と親しくなる機会などなかったはずだ。
そして王太子とテレンスは、年がまったく違う。まして、二年もティガ帝国に留学していたのに。
「だ、誰なの?」
リーリアが怯えたように、王太子の傍に控える影たちを見ている。
その言葉から察するに、『王家の影』の存在すら、彼女は知らなかったのだろう。彼女が子爵家であることを考えても、あり得ることだ。
だからこそ、よりによって王城で、誰かを陥れようなどと考えたのかもしれない。
「テラスで起こったことを話せ」
王太子が命じると、影の中のひとりが口を開いた。
「はい。最初にワイングラスを持ったロトリガ子爵令嬢が、テラスに来ました。彼女は中の様子を伺いながら、リィーダ侯爵令嬢がひとりでテラスに足を踏み入れたことを確認して、悲鳴を上げました」
そして、その悲鳴を聞いたアデラが声のする方向に行こうとした瞬間に、彼女のために飲み物を取りに行っていたテレンスが戻ってきたこと。
アデラはテレンスが戻ってきたことに気が付き、ふたりで悲鳴を確かめに向かったことを報告した。
「リィーダ侯爵令嬢が自分の前に辿り着いたことを確認してから、ロトリガ子爵令嬢は悲鳴を上げながら、持っていたワインを自分のドレスに掛けました」
だが、アデラの背後にはテレンスがいた。
彼がすべてを見ていたことで、リーリアの企みは失敗することになった。
「……そうか。テレンスの証言通りだな」
王太子は頷き、嫌悪を滲ませた瞳でリーリアを見る。
「自作自演で、リィーダ侯爵令嬢を陥れようとしたのか」
「ち、違いま……」
「黙れ」
王太子は冷たくそう言い捨てると、視線をクルトに向けた。
「婚約者ではなく、別の女性をエスコートしていた理由は?」
「わ、わ、私は……」
クルトは声を掛けられただけで震えあがってしまい、うまく答えられない。
(どうしよう……)
アデラは困っていた。
それを提案したのはアデラだ。
でも王太子はクルトに聞いているのだから、アデラが代わりに答えたら失礼だろう。
どうしたらいいのか戸惑っていると、代わりにテレンスが答えてくれた。
「どうやら前の夜会で同じようなことが起こり、彼はアデラに、その女性に謝罪するようにと強く迫ったようです。ロドリガ子爵令嬢は、彼の亡き婚約者の妹だったようで」
同じようなこと、を強調してそう言ったテレンスの言葉に、王太子は反応した。
「……なるほど」
「アデラは、自分は何もしていないからと謝罪を拒み、それから仲違いをして、彼女の方から今回のエスコートを断っていたようですね」
どうしてそこまで知っているのかと、アデラは動揺する。
エスコートを頼みに行った父が、彼にすべて話してしまったのだろうか。
「その事件とは?」
「残念ながら、私は出席していなかったので、詳細は知りません。影の方が詳しいのではないでしょうか」
「ああ、そうだな」
テレンスの提案に、王太子は軽く頷いた。
「その騒動のことを話せ」
「はい」
答えたのは、最初とは別の影だ。
テレンスが提案してくれたので、クルトや友人たちの前で、あの前回の事件の真相も明らかになろうとしていた。
「今回と同じように、リィーダ侯爵令嬢がひとりでテラスに出た際、ロドリガ子爵令嬢が声を掛けました。ふたりは初対面のようでした」
そしてリーリアが、クルトを自分の姉の婚約者だと主張したこと。
アデラは、彼の以前の婚約者は亡くなったのだと諭したこと。
そんなアデラの腕を、リーリアが掴んだことを証言した。
「自分の姉が、亡くなる前に婚約者と結婚して家を継いでほしいと頼んだ。だからあなたには渡さないと言い、自分で悲鳴を上げながら、突き飛ばされたかのように背後に転がりました」
あまりにも正確な報告に、アデラでさえも手が震えた。
あの場にも王家の影は存在し、すべてを見ていたのだ。
だが、事実と違う噂が流れても、たとえそのせいでまたアデラの婚約が解消されてしまったとしても、彼らは王族の命令ではない限り、何も語らない。
「う……」
リーリアが何か叫ぼうとしたが、向けられた王太子の冷たい視線に慄いて、口を閉ざす。
これ以上は不敬罪になってしまうかもしれないから、それが正解だろう。
クルトが目を見開いてアデラを見ていたが、何度も伝えたのに信じなかったのは彼だ。
「ロドリガ子爵令嬢はリィーダ侯爵令嬢に突き飛ばされたと主張し、周囲もそれを信じたようです」
「それが原因ということか」
王太子は頷いた。
「婚約者の言葉ではなく、かつての婚約者の妹の言葉を信じたのか」
「……申し訳ございません」
クルトは肩を落として、消え入りそうな声でそう謝罪した。
リーリアのように否定や言い訳をしないだけましだが、今さら反省しても遅すぎる。まして彼は、最初の婚約者の言葉もまったく信じなかった。
「リィーダ侯爵令嬢とは、まだ婚約したばかり。長年の付き合いである元婚約者の妹を、信じてしまうのも仕方がないのかもしれません」
そんなクルトを、テレンスは庇うような言葉を口にする。
クルトは救われたような顔をして、テレンスを見た。
「ロドリガ子爵令嬢にしても、亡き姉の願いを何としても叶えたい。そう思って少し暴走してしまったのかと」
リーリアが、涙を溜めた瞳で顔を上げて、何度も頷いた。
「……ですが」
そんなふたりを見ながら、テレンスは声を落とす。
「長い間傍にいたのに、ロドリガ子爵令嬢の本質を見抜けず、簡単に騙されてしまったのは、問題かと」
「たしかにそうだな」
王太子は頷いた。
それは、アデラも思っていたことだ。
昔から自分の婚約者の言葉を信じず、リーリアのことばかり信じていたのだから。
「それに、ロドリガ子爵令嬢は、姉と仲が悪かったと聞いております。妹が、姉のものを何でも欲しがり、すべて奪っていたのだと。そんなことされた姉が、自分の婚約者を託すとは考えにくいですね」
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