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 会場から、優雅な音楽が流れてきた。
 そちらに少しだけ視線を向けたアデラは、ダンスをするよりも、こちらを見ている人が多いことに気が付く。
 あれだけ悲鳴を上げていたのだから、それも当然かもしれない。
(まさか、こんな騒ぎになるなんて……)
 こちらは様子見のつもりだったが、リーリアは今回も仕掛けてきた。
 もしアデラがひとりだったら、前回のように罠に嵌められていたのかもしれない。
 でも今回のパートナーのテレンスは、アデラを放置したりしない。
 傍から離れたのは、飲み物を取りに行ってくれたわずかな時間だけ。それもすぐに戻ってきてくれたので、リーリアの思い通りにならずに済んだ。
「ひとりで悲鳴を上げて、自分でワインを掛けるとは。なかなか変わった趣味だな」
 座り込んだままのリーリアに、テレンスが呆れたような声でそう言う。
 クルトに泣いて縋ろうとしていたリーリアは、あきらかに狼狽えていた。
「ち、違います……。これは……」
 助けを求めるようにクルトを見上げるが、彼はまだ困惑している様子で、リーリアに手を差し伸べることはなかった。
「まさか、アデラがやったとは言わないだろうね。たった今、飲み物を持ってきたところだ。アデラがワインを持っていたはずがない」
 その言葉通り、クルトはふたつのグラスを持っている。彼はそれを、こちらの様子を伺っていた給仕に手渡して、あらためてリーリアに向き直った。
 アデラとテレンスという組み合わせに驚いて、たくさんの人たちがふたりに注目していた。アデラが何も持たずにテラスに向かったところを見た人も、複数いたに違いない。
(あまり頼りたくはないけれど、友人たちも見ていたはず……)
 テレンスにエスコートされた経緯が聞きたくて、彼女たちがずっとこちらを伺っていたことは知っている。
 だから、今回はさすがに、彼女たちもリーリアの嘘には騙されないだろう。
「わ、私が持っていたものです。それを」
「いや、君はアルコールが苦手で、まったく飲めないと言っていた。それなのに、どうしてワインを?」
 そう言ったのはテレンスではなく、リーリアをエスコートしていたクルトだった。
 その言葉から考えると、彼はリーリアと共謀していたのではなく、本当に彼女の演技に騙されていたのだろう。
(それもどうかと思うけれど……)
 アデラの父から爵位を継いでリィーダ侯爵となるのならば、簡単に人を信じたり、騙されたりしてはならない。
 真実を見極めることは、大切なことだ。
 この程度で露見する嘘に騙されているようでは、とても当主は務まらないのではないか。
「ひどいわ……」
 クルトが味方してくれなかったことにショックを受けたのか、リーリアは泣き出した。
 ワインで汚れたドレスで、座り込んだまま泣きじゃくる姿は、たしかに哀れなものだ。
 しかしテレンスはもちろん、クルトもリーリアの矛盾に気が付いたようで、ただひとりで泣く彼女を見つめているだけだ。
「ひどいと言われても困る。見たままを話すと、君はアデラを陥れるために、悲鳴を上げて彼女を誘き寄せて、持っていたワインを自分で被っていた。おそらくアデラにグラスを投げつけられたと言って、彼に泣きつく予定だったのだろうが」
 テレンスが、会場からこちらの様子を伺っている人たちにも聞こえるように、はっきりとそう言った。
「そんなこと……、していません」
 もう言い逃れはできない状況なのに、それでも素直に認めることはできなくて、リーリアは震える声でなおもそう言う。
「この状況で、言い逃れができるとでも思っているのか」
 テレンスが呆れたように言うと、会場からこちらに誰かが歩いてくる気配がした。
「これは、何の騒ぎだ?」
 その声を聞いた途端、アデラとテレンスは頭を下げ、慌ててクルトも続く。
「……え?」
 リーリアだけが、呆然とその人を見上げていた。
「ケイン王太子殿下。お騒がせをしてしまい、申し訳ございません」
 テレンスがそう謝罪すると、この夜会の主催者である王太子は、気安い様子でテレンスの肩を叩く。
「いや、お前がこの国に残る気になってくれたのかと喜んでいたのだが、何だか揉め事のようだったからね。何があった?」
 ふたりの親しげな様子にアデラは驚いたが、それは周囲も同じ様子だった。
「パートナーの女性が、そちらの女性に絡まれてしまいまして」
 困ったようにテレンスがそう言うと、王太子はアデラと、そして地面に座り込んだままのリーリアを交互に見つめた。
「君の今日のパートナーは、たしかリィーダ侯爵家のご令嬢だったね」
「はい」
「この状況だけを見ると、絡まれたというよりは、絡んだように見えるが」
 王太子の言葉に、たしかにそうだろうと、アデラも思う。
 それに、可愛らしくて守りたくなるようなリーリアとは違い、アデラは少しきつめに見える顔立ちだ。
「彼女は悲鳴を上げてアデラを誘き寄せ、自分のドレスにワインを掛けて、それをアデラのしわざに見せようとしたようです」
 だがテレンスがそう報告すると、王太子は眉を顰める。
「それは、随分と悪質だな」
「……私は、そんなことはしておりません」
 リーリアはそれを否定して、ぽろぽろと涙を零す。
 アデラをおびき出し、歪んだ笑みを浮かべていた彼女とは、とても同一人物には見えないくらい、弱々しくて儚げな様子だった。
 けれど王太子もテレンスも、リーリアからすぐに視線を逸らす。
 クルトだけが、どうしたら良いのかわからないようで、狼狽えている。
「彼は?」
 王太子の視線がそんなクルトに向かうと、彼は慌てた様子で名乗った。
「リィーダ侯爵令嬢の婚約者なのに、この女性のエスコートを?」
 不思議そうに問われて、クルトは青い顔をして俯いている。
「喧嘩でもしたのでしょう」
 テレンスはあっさりとそう言い、アデラを見た。
「そのお陰で私も、彼女をエスコートする幸運に恵まれました」
 それは、アデラの価値を高めるために言ってくれた言葉だとすぐにわかった。
 彼がそう言ってくれたお陰で、アデラは婚約者に放置されていた哀れな女ではなくなる。
「そうか。とにかく、私の主催した夜会だ。揉め事を治めるのも、私の役目だろう。ここは王城だ。隠し事などできないということを、よく知っておいた方がいい」
 王太子がそう言うと、どこからともなく複数の人影が現れた。それは、『王家の影』と呼ばれる諜報部隊の人間だった。
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