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父はどうやら、テレンスにエスコートを頼んだようだ。
(まさか、こんなことになるなんて)
差し伸べられた手を取ることも忘れて、アデラは彼を見つめていた。
けれどよく考えてみれば、伯爵家以上の未婚の男性には皆、婚約者がいる。
一度きりとはいえ、さすがに婚約者のいる男性にエスコートを頼むわけにはいかない。
子爵家や男爵家の者ならば、まだ婚約者が決まっていなかった者がいたと思われる。でも父は、アデラのエスコートはクルト以下の男性では駄目だと思ったのか。
(たしかにテレンスには婚約者はいないし、彼自身がオラディ伯爵家の当主だけど……)
破談となった元婚約者の兄にエスコートしてもらうなんて、爵位が下の者よりも気まずい。
父は、そこまで考慮してくれなかったのだろうか。
「アデラ?」
そう声を掛けられて、我に返る。
夜会用の煌びやかな礼服を着たテレンスが、不思議そうにアデラを見つめている。
彼の手は、アデラに向かって差し伸べられたままだ。
美しい銀髪に、水色の瞳。
たしかに、クルトよりも遥かに人目を惹く華やかな容貌である。
少しだけ彼に見惚れていたアデラは、慌ててテレンスの手を取る。
「ごめんなさい。まさかあなたが来るなんて思わなくて」
間の悪いことに、レナードとクルトを彷彿させる色を避けて選んだドレスは水色で、テレンスの瞳と同じである。
これではまるで、彼に合わせたかのようだ。
(アクセサリーを、シルバーにしなくてよかった)
最後までどちらか迷って、結局ゴールドにしたのだ。もしシルバーにしてしまえば、完全に彼の髪と瞳の色を選んだことになっていた。そうなっていたら、また変に噂になっていたかもしれない。
彼に連れられて、侯爵家の馬車に乗り込む。
「リィーダ侯爵には、弟が申し訳ないことをしてしまったからね。私でできることなら、協力するつもりだよ」
向かい合わせに座ったテレンスは、静かにそう言った。
彼の表情は穏やかで、謝罪のために訪れたときとは別人のようだ。
「忙しいのに、ごめんなさい」
父が無理を言ったのかもしれないと、アデラは謝罪する。
アデラとは違い、彼は伯爵家当主だ。わざわざアデラのために時間を空けてくれたのかと思うと、申し訳なかった。
「いや。もうそれほど忙しくないからね」
その答えを聞いて、何だか嫌な予感がした。
「……本当に、当主を辞めるつもりなの?」
噂でそう聞いたことを思い出して、率直に口にする。
「君の耳にも入っているとは思わなかったな」
テレンスは、少し驚いたような顔をしたけれど、隠すつもりはなかったらしく、素直に頷いた。
「そう。従姉が身内と再婚して、オラディ伯爵家を継いでくれることになった。彼女の新しい夫は、とても優秀な人でね。私よりもずっと、当主にふさわしいだろう」
(あ、あの従姉の?)
新しい夫を探して夜会を訪れていたテレンスの従姉は、彼がオラディ伯爵を継がせようと思っていた人と再婚するようだ。
もしかしたら、テレンス、爵位を継がせるつもりで選んだ優秀な人間は、ひとりで爵位を継げるほど近しい血筋ではなかったのかもしれない。
そこで、事情があって新しい縁談を探していた従姉が、彼と結婚することにしたのだろうか。
若くして夫に先立たれ、嫁ぎ先を追い出されるようにして実家に戻った彼女は、兄夫婦と仲が悪く、そこにも長く居られなかった。だから、新しい嫁ぎ先を探していたと聞いている。
それが、本家であるオラディ伯爵家の夫人になるとは、彼女自身も想像していなかったに違いない。
「じゃあ、テレンスは……」
「私は、ティガ帝国に行くつもりだ」
彼は従姉夫婦に爵位を譲り、少し前まで留学していたティガ帝国に戻るつもりなのだと言う。
「……ずるいわ」
以前にもその噂を聞いたときに思ったことを、アデラは口にしてしまう。
アデラは貴族社会からも、リィーダ侯爵家からも逃げられない。
それなのにテレンスは自由になって、この国を離れようとしている。
それが羨ましくて、少し寂しい。
「アデラ?」
「私はこの国から、リィーダ侯爵家から逃げられないのに」
ここで弱音など言うつもりはなかった。
すべてを終わらせたテレンスとは違い、アデラはまだ戦いの途中だ。
リーリアとクルト。
このふたりと戦い、名誉を取り戻さなくてはならない。
(それなのに……)
テレンスも婚約者に裏切られ、復讐を果たした過去がある。
そして、アデラを裏切った実の弟に、制裁を下した。
自分と同じような境遇だと思うと、彼にはつい、本音を口にしてしまう。
でも、ここで弱気になっては駄目だと気付き、アデラは首を横に振る。
「ごめんなさい。今の言葉は忘れて」
「アデラ」
そんなアデラの名前を、テレンスは優しい声で呼ぶ。
「私で力になれるなら、何でも言ってほしい。何せ君は、私の義妹になるはずだったからね」
「……っ」
アデラがまた、『義妹』に悩まされているのを知っていて、そう言うのか。
思わず睨むと、彼は愉快そうに笑う。
「大丈夫だ。君が負けるはずがない」
「簡単に言わないでほしいわ」
父は何とか信じてくれたが、友人たちはまだ誤解したままだ。
別に勘違いされたままでも構わないと思うけれど、リーリアの思い通りになるのは悔しい。
「……でも、そうね。テレンスの言う通りだわ。あんな人たちに負けるわけにはいかない」
リーリアに陥れられたまま逃げたいと思うなんて、自分らしくなかった。
そう言って顔を上げると、テレンスはアデラを見つめて目を細める。
「それでこそ、アデラだ」
(まさか、こんなことになるなんて)
差し伸べられた手を取ることも忘れて、アデラは彼を見つめていた。
けれどよく考えてみれば、伯爵家以上の未婚の男性には皆、婚約者がいる。
一度きりとはいえ、さすがに婚約者のいる男性にエスコートを頼むわけにはいかない。
子爵家や男爵家の者ならば、まだ婚約者が決まっていなかった者がいたと思われる。でも父は、アデラのエスコートはクルト以下の男性では駄目だと思ったのか。
(たしかにテレンスには婚約者はいないし、彼自身がオラディ伯爵家の当主だけど……)
破談となった元婚約者の兄にエスコートしてもらうなんて、爵位が下の者よりも気まずい。
父は、そこまで考慮してくれなかったのだろうか。
「アデラ?」
そう声を掛けられて、我に返る。
夜会用の煌びやかな礼服を着たテレンスが、不思議そうにアデラを見つめている。
彼の手は、アデラに向かって差し伸べられたままだ。
美しい銀髪に、水色の瞳。
たしかに、クルトよりも遥かに人目を惹く華やかな容貌である。
少しだけ彼に見惚れていたアデラは、慌ててテレンスの手を取る。
「ごめんなさい。まさかあなたが来るなんて思わなくて」
間の悪いことに、レナードとクルトを彷彿させる色を避けて選んだドレスは水色で、テレンスの瞳と同じである。
これではまるで、彼に合わせたかのようだ。
(アクセサリーを、シルバーにしなくてよかった)
最後までどちらか迷って、結局ゴールドにしたのだ。もしシルバーにしてしまえば、完全に彼の髪と瞳の色を選んだことになっていた。そうなっていたら、また変に噂になっていたかもしれない。
彼に連れられて、侯爵家の馬車に乗り込む。
「リィーダ侯爵には、弟が申し訳ないことをしてしまったからね。私でできることなら、協力するつもりだよ」
向かい合わせに座ったテレンスは、静かにそう言った。
彼の表情は穏やかで、謝罪のために訪れたときとは別人のようだ。
「忙しいのに、ごめんなさい」
父が無理を言ったのかもしれないと、アデラは謝罪する。
アデラとは違い、彼は伯爵家当主だ。わざわざアデラのために時間を空けてくれたのかと思うと、申し訳なかった。
「いや。もうそれほど忙しくないからね」
その答えを聞いて、何だか嫌な予感がした。
「……本当に、当主を辞めるつもりなの?」
噂でそう聞いたことを思い出して、率直に口にする。
「君の耳にも入っているとは思わなかったな」
テレンスは、少し驚いたような顔をしたけれど、隠すつもりはなかったらしく、素直に頷いた。
「そう。従姉が身内と再婚して、オラディ伯爵家を継いでくれることになった。彼女の新しい夫は、とても優秀な人でね。私よりもずっと、当主にふさわしいだろう」
(あ、あの従姉の?)
新しい夫を探して夜会を訪れていたテレンスの従姉は、彼がオラディ伯爵を継がせようと思っていた人と再婚するようだ。
もしかしたら、テレンス、爵位を継がせるつもりで選んだ優秀な人間は、ひとりで爵位を継げるほど近しい血筋ではなかったのかもしれない。
そこで、事情があって新しい縁談を探していた従姉が、彼と結婚することにしたのだろうか。
若くして夫に先立たれ、嫁ぎ先を追い出されるようにして実家に戻った彼女は、兄夫婦と仲が悪く、そこにも長く居られなかった。だから、新しい嫁ぎ先を探していたと聞いている。
それが、本家であるオラディ伯爵家の夫人になるとは、彼女自身も想像していなかったに違いない。
「じゃあ、テレンスは……」
「私は、ティガ帝国に行くつもりだ」
彼は従姉夫婦に爵位を譲り、少し前まで留学していたティガ帝国に戻るつもりなのだと言う。
「……ずるいわ」
以前にもその噂を聞いたときに思ったことを、アデラは口にしてしまう。
アデラは貴族社会からも、リィーダ侯爵家からも逃げられない。
それなのにテレンスは自由になって、この国を離れようとしている。
それが羨ましくて、少し寂しい。
「アデラ?」
「私はこの国から、リィーダ侯爵家から逃げられないのに」
ここで弱音など言うつもりはなかった。
すべてを終わらせたテレンスとは違い、アデラはまだ戦いの途中だ。
リーリアとクルト。
このふたりと戦い、名誉を取り戻さなくてはならない。
(それなのに……)
テレンスも婚約者に裏切られ、復讐を果たした過去がある。
そして、アデラを裏切った実の弟に、制裁を下した。
自分と同じような境遇だと思うと、彼にはつい、本音を口にしてしまう。
でも、ここで弱気になっては駄目だと気付き、アデラは首を横に振る。
「ごめんなさい。今の言葉は忘れて」
「アデラ」
そんなアデラの名前を、テレンスは優しい声で呼ぶ。
「私で力になれるなら、何でも言ってほしい。何せ君は、私の義妹になるはずだったからね」
「……っ」
アデラがまた、『義妹』に悩まされているのを知っていて、そう言うのか。
思わず睨むと、彼は愉快そうに笑う。
「大丈夫だ。君が負けるはずがない」
「簡単に言わないでほしいわ」
父は何とか信じてくれたが、友人たちはまだ誤解したままだ。
別に勘違いされたままでも構わないと思うけれど、リーリアの思い通りになるのは悔しい。
「……でも、そうね。テレンスの言う通りだわ。あんな人たちに負けるわけにはいかない」
リーリアに陥れられたまま逃げたいと思うなんて、自分らしくなかった。
そう言って顔を上げると、テレンスはアデラを見つめて目を細める。
「それでこそ、アデラだ」
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