12 / 58
12
しおりを挟む
それから、数日後。
王城で夜会が開かれ、アデラも父に命じられて参加することになった。
ドレスを新調し、テレンスから贈られた宝石で作った装飾品を身に付ける。
エスコートは、いつものように年上の従兄のエディーだ。
優しい彼は、アデラをひたすら気遣ってくれた。
ひとりにならないように、心無い噂が耳に入らないようにと、ずっと傍にいてくれる。
今日は従兄の好意に甘えることにして、アデラは彼とだけ踊り、それ以外の時間も傍にいてもらうことにした。
こうしていれば、噂好きな令嬢たちでも、こちらに近付くことはできない。
「アデラ、大丈夫かい?」
「ええ。でもひさしぶりだから、少し疲れてしまったわ」
「そうか。ちょっと風に当たろうか」
そう言って、エディーはテラスに連れて行ってくれた。
冷たい夜風が心地良くて、アデラは目を細める。
従兄がしっかり庇ってくれたから、思っていたよりも楽に過ごすことができた。
もう少しだけ滞在したら、今日は帰っても構わないだろう。
そう思っていると、ふいにホールが騒がしくなった。
何事かと思って振り返ると、そこには見覚えのある姿があった。
(……テレンス)
オラディ伯爵家の当主となったテレンスが、ひとりの女性を伴って姿を現したのだ。
その女性が彼の年上の従姉であることを、アデラも知っている。レナードがよく彼女の話をしていたのだ。
結婚したばかりなのに夫に先立たれた、かわいそうな従姉だと。
父も亡くなっていて、兄夫婦が爵位を継いでいるそうだが、その兄夫婦とも折り合いが悪いらしい。
だから実家に戻ることもできず、従弟のテレンスにエスコートを頼み、新しい縁談を探しているのだろう。
テレンスも爵位を継いで伯爵家当主となったからには、結婚しなければならない。
だが彼には、まだ婚約者さえいなかった。
ふと、アデラはテレンスの婚約者だったエリーという女性は、どんな人だったのだろうと考える。
彼の、どこまでも冷たく凍りついたような視線は、彼女の裏切りのせいではないか。
メーダ伯爵家の没落は、間違いなく彼の仕業だ。
おそらくエリーとテレンスは、正式に婚約していたのだろう。
それなのにエリーは彼を裏切り、他の男性と駆け落ちしてしまった。
だからテレンスは実家を没落させて援助を断ち切り、駆け落ちまでした相手との関係を悪化させた。
テレンスを裏切ったエリーは、溺愛していたはずの家族に売られ、望まぬ結婚を強いられてしまった。
彼女と駆け落ちした相手は、今どこで何をしているのだろう。
無理矢理別れさせようとしても、駆け落ちまでした相手だ。
そんなことをしても、ふたりの愛は深まるだけだったに違いない。
だからテレンスは、エリーの実家を没落させて援助を断ち切った。
レナードと同じように、ひとりでは何もできない貴族のお嬢様は、足手まといになったに違いない。
おそらくレナードとシンディーのように、喧嘩が増え、ひとりでも町で生きていける庭師は、エリーを捨てたのだ。
もしかしたら、他に女性がいたのかもしれない。その方が、エリーの絶望は深まる。
そんなことを瞬時に考えてしまう自分も、レナードの裏切りで随分変わってしまったと、アデラは自嘲する。
以前なら、こんなことは考えもいなかった。
そのレナードも、今では平民となって苦しい生活を送っている。シンディーとの愛は、もう欠片も残さずに砕けてしまったに違いない。
アデラを裏切り、嘲笑い、利用しようとしていたふたりだ。
(ああ……)
テレンスの憎しみと、自分の感情が入り乱れる。
アデラも、レナードとシンディーが憎かった。
だから、あの計画を実行したのだ。
そのことは、後悔していない。
悪行の報いは受けるべきだ。
それでも憎しみは、人を簡単に変えてしまう。
アデラも、以前の何も知らなかった自分には戻れない。
「……気分が悪いの。今日はもう、帰りたいわ」
従兄にそう訴えると、彼は急いで帰りの馬車を用意してくれた。
優しく丁寧にエスコートしてくれる従兄に縋って、アデラは屋敷に戻る。
エリーにもレナードにも同情はしない。
けれど、その没落した姿を見ても、心が晴れることはないだろう。
アデラの脳裏には、冷たい視線で会場を見つめるテレンスの姿が、いつまでも頭から離れなかった。
アデラを乗せた馬車は、気分が悪い主を気遣って、ゆっくりと進んでいく。
しばらくきつく目を閉じていたアデラは、王城が遠ざかると緊張が解けて、深く息を吐いた。
こちらに向けられた、人々の好奇の視線。
そして、かつて夜会で義妹のシンディーをエスコートしていた、婚約者だったレナードの姿を思い出す。
テレンスの冷酷な瞳。
没落したエリーと、家を追い出されたレナード。
たくさんのことを思い出してしまい、心が乱れている。
帰ったら父に頼んで、もうしばらく夜会は休ませてもらおうと思う。
婚約を解消したばかりなのだから、父もきっと許してくれるだろう。
少なくとも、アデラの次の婚約者が決まるまでは。
いつまでもこのままではいられないと、わかっている。
アデラはリィーダ侯爵家のひとり娘だ。
侯爵家を継いでくれる人を、婿に迎えなければならない。
その人はいずれ侯爵家の当主になるのだから、決めるのは父であり、アデラの意思がそこに反映されることはない。
もちろん政略結婚で、最初から愛されることなど望んでいない。
でも、せめて誠実な人であればいいと思う。
いずれテレンスも婚約し、結婚するだろう。
彼はどんな人を選ぶのだろう。
過去の憎しみを忘れるくらい情熱的な恋をして、幸せになってくれたらいい。そうすれば、アデラもきっとレナードの裏切りを、彼に対する複雑な感情をすべて捨て去ることができる。
心の奥底ではそんなことがあり得ないとわかっているのに、そう願わずにはいられなかった。
王城で夜会が開かれ、アデラも父に命じられて参加することになった。
ドレスを新調し、テレンスから贈られた宝石で作った装飾品を身に付ける。
エスコートは、いつものように年上の従兄のエディーだ。
優しい彼は、アデラをひたすら気遣ってくれた。
ひとりにならないように、心無い噂が耳に入らないようにと、ずっと傍にいてくれる。
今日は従兄の好意に甘えることにして、アデラは彼とだけ踊り、それ以外の時間も傍にいてもらうことにした。
こうしていれば、噂好きな令嬢たちでも、こちらに近付くことはできない。
「アデラ、大丈夫かい?」
「ええ。でもひさしぶりだから、少し疲れてしまったわ」
「そうか。ちょっと風に当たろうか」
そう言って、エディーはテラスに連れて行ってくれた。
冷たい夜風が心地良くて、アデラは目を細める。
従兄がしっかり庇ってくれたから、思っていたよりも楽に過ごすことができた。
もう少しだけ滞在したら、今日は帰っても構わないだろう。
そう思っていると、ふいにホールが騒がしくなった。
何事かと思って振り返ると、そこには見覚えのある姿があった。
(……テレンス)
オラディ伯爵家の当主となったテレンスが、ひとりの女性を伴って姿を現したのだ。
その女性が彼の年上の従姉であることを、アデラも知っている。レナードがよく彼女の話をしていたのだ。
結婚したばかりなのに夫に先立たれた、かわいそうな従姉だと。
父も亡くなっていて、兄夫婦が爵位を継いでいるそうだが、その兄夫婦とも折り合いが悪いらしい。
だから実家に戻ることもできず、従弟のテレンスにエスコートを頼み、新しい縁談を探しているのだろう。
テレンスも爵位を継いで伯爵家当主となったからには、結婚しなければならない。
だが彼には、まだ婚約者さえいなかった。
ふと、アデラはテレンスの婚約者だったエリーという女性は、どんな人だったのだろうと考える。
彼の、どこまでも冷たく凍りついたような視線は、彼女の裏切りのせいではないか。
メーダ伯爵家の没落は、間違いなく彼の仕業だ。
おそらくエリーとテレンスは、正式に婚約していたのだろう。
それなのにエリーは彼を裏切り、他の男性と駆け落ちしてしまった。
だからテレンスは実家を没落させて援助を断ち切り、駆け落ちまでした相手との関係を悪化させた。
テレンスを裏切ったエリーは、溺愛していたはずの家族に売られ、望まぬ結婚を強いられてしまった。
彼女と駆け落ちした相手は、今どこで何をしているのだろう。
無理矢理別れさせようとしても、駆け落ちまでした相手だ。
そんなことをしても、ふたりの愛は深まるだけだったに違いない。
だからテレンスは、エリーの実家を没落させて援助を断ち切った。
レナードと同じように、ひとりでは何もできない貴族のお嬢様は、足手まといになったに違いない。
おそらくレナードとシンディーのように、喧嘩が増え、ひとりでも町で生きていける庭師は、エリーを捨てたのだ。
もしかしたら、他に女性がいたのかもしれない。その方が、エリーの絶望は深まる。
そんなことを瞬時に考えてしまう自分も、レナードの裏切りで随分変わってしまったと、アデラは自嘲する。
以前なら、こんなことは考えもいなかった。
そのレナードも、今では平民となって苦しい生活を送っている。シンディーとの愛は、もう欠片も残さずに砕けてしまったに違いない。
アデラを裏切り、嘲笑い、利用しようとしていたふたりだ。
(ああ……)
テレンスの憎しみと、自分の感情が入り乱れる。
アデラも、レナードとシンディーが憎かった。
だから、あの計画を実行したのだ。
そのことは、後悔していない。
悪行の報いは受けるべきだ。
それでも憎しみは、人を簡単に変えてしまう。
アデラも、以前の何も知らなかった自分には戻れない。
「……気分が悪いの。今日はもう、帰りたいわ」
従兄にそう訴えると、彼は急いで帰りの馬車を用意してくれた。
優しく丁寧にエスコートしてくれる従兄に縋って、アデラは屋敷に戻る。
エリーにもレナードにも同情はしない。
けれど、その没落した姿を見ても、心が晴れることはないだろう。
アデラの脳裏には、冷たい視線で会場を見つめるテレンスの姿が、いつまでも頭から離れなかった。
アデラを乗せた馬車は、気分が悪い主を気遣って、ゆっくりと進んでいく。
しばらくきつく目を閉じていたアデラは、王城が遠ざかると緊張が解けて、深く息を吐いた。
こちらに向けられた、人々の好奇の視線。
そして、かつて夜会で義妹のシンディーをエスコートしていた、婚約者だったレナードの姿を思い出す。
テレンスの冷酷な瞳。
没落したエリーと、家を追い出されたレナード。
たくさんのことを思い出してしまい、心が乱れている。
帰ったら父に頼んで、もうしばらく夜会は休ませてもらおうと思う。
婚約を解消したばかりなのだから、父もきっと許してくれるだろう。
少なくとも、アデラの次の婚約者が決まるまでは。
いつまでもこのままではいられないと、わかっている。
アデラはリィーダ侯爵家のひとり娘だ。
侯爵家を継いでくれる人を、婿に迎えなければならない。
その人はいずれ侯爵家の当主になるのだから、決めるのは父であり、アデラの意思がそこに反映されることはない。
もちろん政略結婚で、最初から愛されることなど望んでいない。
でも、せめて誠実な人であればいいと思う。
いずれテレンスも婚約し、結婚するだろう。
彼はどんな人を選ぶのだろう。
過去の憎しみを忘れるくらい情熱的な恋をして、幸せになってくれたらいい。そうすれば、アデラもきっとレナードの裏切りを、彼に対する複雑な感情をすべて捨て去ることができる。
心の奥底ではそんなことがあり得ないとわかっているのに、そう願わずにはいられなかった。
331
お気に入りに追加
5,689
あなたにおすすめの小説

久しぶりに会った婚約者は「明日、婚約破棄するから」と私に言った
五珠 izumi
恋愛
「明日、婚約破棄するから」
8年もの婚約者、マリス王子にそう言われた私は泣き出しそうになるのを堪えてその場を後にした。

妹に正妻の座を奪われた公爵令嬢
岡暁舟
恋愛
妹に正妻の座を奪われた公爵令嬢マリアは、それでも婚約者を憎むことはなかった。なぜか?
「すまない、マリア。ソフィアを正式な妻として迎え入れることにしたんだ」
「どうぞどうぞ。私は何も気にしませんから……」
マリアは妹のソフィアを祝福した。だが当然、不気味な未来の陰が少しずつ歩み寄っていた。

《完結》愛する人と結婚するだけが愛じゃない
ぜらいす黒糖
恋愛
オリビアはジェームズとこのまま結婚するだろうと思っていた。
ある日、可愛がっていた後輩のマリアから「先輩と別れて下さい」とオリビアは言われた。
ジェームズに確かめようと部屋に行くと、そこにはジェームズとマリアがベッドで抱き合っていた。
ショックのあまり部屋を飛び出したオリビアだったが、気がつくと走る馬車の前を歩いていた。

初夜に大暴言を吐かれた伯爵夫人は、微笑みと共に我が道を行く ―旦那様、今更擦り寄られても困ります―
望月 或
恋愛
「お前の噂を聞いたぞ。毎夜町に出て男を求め、毎回違う男と朝までふしだらな行為に明け暮れているそうだな? その上糸目を付けず服や装飾品を買い漁り、多大な借金を背負っているとか……。そんな醜悪な女が俺の妻だとは非常に不愉快極まりない! 今後俺に話し掛けるな! 俺に一切関与するな! 同じ空気を吸ってるだけでとんでもなく不快だ……!!」
【王命】で決められた婚姻をし、ハイド・ランジニカ伯爵とオリービア・フレイグラント子爵令嬢の初夜は、彼のその暴言で始まった。
そして、それに返したオリービアの一言は、
「あらあら、まぁ」
の六文字だった。
屋敷に住まわせている、ハイドの愛人と噂されるユーカリや、その取巻きの使用人達の嫌がらせも何のその、オリービアは微笑みを絶やさず自分の道を突き進んでいく。
ユーカリだけを信じ心酔していたハイドだったが、オリービアが屋敷に来てから徐々に変化が表れ始めて……
※作者独自の世界観満載です。違和感を感じたら、「あぁ、こういう世界なんだな」と思って頂けたら有難いです……。

【完結】婚約破棄されたので、引き継ぎをいたしましょうか?
碧桜 汐香
恋愛
第一王子に婚約破棄された公爵令嬢は、事前に引き継ぎの準備を進めていた。
まっすぐ領地に帰るために、その場で引き継ぎを始めることに。
様々な調査結果を暴露され、婚約破棄に関わった人たちは阿鼻叫喚へ。
第二王子?いりませんわ。
第一王子?もっといりませんわ。
第一王子を慕っていたのに婚約破棄された少女を演じる、彼女の本音は?
彼女の存在意義とは?
別サイト様にも掲載しております

初耳なのですが…、本当ですか?
あおくん
恋愛
侯爵令嬢の次女として、父親の仕事を手伝ったり、邸の管理をしたりと忙しくしているアニーに公爵家から婚約の申し込みが来た!
でも実際に公爵家に訪れると、異世界から来たという少女が婚約者の隣に立っていて…。

【完結】王太子殿下が幼馴染を溺愛するので、あえて応援することにしました。
かとるり
恋愛
王太子のオースティンが愛するのは婚約者のティファニーではなく、幼馴染のリアンだった。
ティファニーは何度も傷つき、一つの結論に達する。
二人が結ばれるよう、あえて応援する、と。

最愛の婚約者に婚約破棄されたある侯爵令嬢はその想いを大切にするために自主的に修道院へ入ります。
ひよこ麺
恋愛
ある国で、あるひとりの侯爵令嬢ヨハンナが婚約破棄された。
ヨハンナは他の誰よりも婚約者のパーシヴァルを愛していた。だから彼女はその想いを抱えたまま修道院へ入ってしまうが、元婚約者を誑かした女は悲惨な末路を辿り、元婚約者も……
※この作品には残酷な表現とホラーっぽい遠回しなヤンデレが多分に含まれます。苦手な方はご注意ください。
また、一応転生者も出ます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる