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「……そんなことが」
アデラは呆然としたまま、そう呟いた。
シンディーがレナードの傍を離れてしまったら、結婚を支援の条件としたテレンスは、容赦なく支援を打ち切るに違いない。
彼の冷酷な顔を思い出して、そう思う。
そもそも援助でさえ、彼らを苦しめるための口実に過ぎない。
それでもそれを頼りにしているレナードは、何とかしてシンディーを連れ戻そうとするのだろう。
でも彼と違って町で暮らす術を見つけたシンディーは、そんなレナードから逃れようとする。
そうしてふたりの関係は、さらに泥沼になっていくのだろう。
その様子を想像してしまい、アデラは視線を落としてしばし沈黙する。
あのときテレンスに言ったように、彼らの不幸を喜ぶような気持ちにはなれなかった。
むしろ後味が悪いような、ひどく虚しいような、何とも言えない感情になってしまう。
「本当にアデラは、あのふたりを応援していたのね」
そんな様子を見て、友人のひとりが優しくそう言った。
「……ええ。まさか、そんな結末になるなんて思わなくて」
知っていたのだと言うこともできず、アデラは曖昧に笑ってそう答えるしかなかった。
「あなたが気にする必要なんてないわ。自業自得よ」
別の友人が、やや厳しい声でそう言い捨てる。
「いくら義兄妹になったからといって、血は繋がっていないのだから、他にやり様はあったはず。それなのにアデラの婚約者に収まったまま、好き勝手をしていたのよ」
「……そうね」
友人が言うように、彼らは自業自得なのだろう。
でも制裁に加担した人間として、ふたりがどんな結末を迎えるのか、それを最後まで見届けなくてはならないと思う。
「そういえば、噂で聞いたのだけど」
話題を変えるように、明るい声で友人が尋ねてきた。
「ティガ帝国でしか採れない、素晴らしい宝石を頂いたらしいわね」
「ええ、そうなのよ。テレンス様は慰謝料だと言って」
アデラは頷くと、髪飾りを外して友人に見せた。
慰謝料代わりにもらった宝石を身に付けるのは、気が進まなかったが、父はその宝石でいくつか、アデラの装飾品を作ってくれた。
宝石も細工もあまりにも美しくて、結局こうして使っている。
あの事件を忘れないためにも、これでよかったのかもしれない。
「まぁ、素敵だわ」
「なんて美しいの」
友人たちもうっとりとして、髪飾りを見つめている。
こんなに小さなものでも、大振りの宝石の何倍も高価なものだ。
今のところ、ティガ帝国でしか採掘できずに、鉱山も国で管理しているので、ほとんど国外には出回らないものだ。
今のところ父は売るつもりはないようだが、この宝石の美しさ、貴重さは知れ渡っているので、いくら出しても欲しい人はたくさんいる。
需要が高まっているため、値段はもっと上がっていくのではないかと予想されていた。
だから相談に乗ってくれたお礼だと言って、小さな宝石がついたネックレスを渡すと、彼女達はとても喜んでくれた。
ネックレスをつけて互いに褒め合い、宝石の美しさについて語ったあと、友人のひとりが思い出したように言った。
「そういえばテレンス様も昔、婚約を解消されてしまったことがあったそうよ」
「え?」
驚いて、思わず声を上げてしまった。
「まあ、どなたと?」
噂には目がない友人達の興味は、テレンスの過去に移ったようだ。
「正式に発表する前だったから、知らない人がほとんどのようね。でもティガ帝国に留学する前に、ある令嬢と婚約していたらしいのよ」
――きっとあなたなら、そう言うと思っていました。
そう言っていたテレンスの、彼らしくない穏やかな笑みを思い出して、アデラは心が騒ぐのを感じていた。
あのときのテレンスは裏切られた気持ちを知り、そうして復讐を果たした者の心を知っていた。
おそらく彼が婚約を解消したのは、相手の女性が原因だ。
「解消になった原因は何だったのかしら?」
ひとりがそう尋ねると、他の友人達も興味があるのか、最初にテレンスのことを告げた彼女に視線が集中する。
「それが、どうやらその令嬢は庭師の息子と恋人だったらしくて、ふたりで駆け落ちしたらしいわ」
「まぁ……」
「そんなことが」
声をひそめた友人の答えは、アデラが予想していた通りだった。
テレンスのかつての婚約者は、メーダ伯爵家の次女エリー。
両親に溺愛されていた、少し我儘で愛らしい令嬢だったらしい。
薔薇の花が好きで、よく庭に出て花を眺めているうちに庭師の息子と恋仲になってしまった。
それに気付いた両親はふたりを引き離そうと、彼女の婚約を決めたらしい。
その相手がテレンスだ。
エリーは、おとなしく従う振りをしていた。
テレンスとも何度か会い、このまま正式に婚約を決めようとしていた矢先、その庭師の息子と駆け落ちをしたのだ。
まだ正式に婚約を発表していなかったこともあり、その事実はメーダ伯爵家が隠蔽し、エリーは体調を崩して地方で療養していることになっていたようだ。
テレンスもその後すぐに、ティガ帝国に留学をしている。
娘を溺愛していたメーダ伯爵は、駆け落ちした娘を何とか探し出し、ふたりをこっそり、地方の領地に住まわせた。
娘のために屋敷を建て、侍女も何人か派遣して、生活費まで援助していたようだ。
「でも、メーダ伯爵家といえば……」
友人のひとりが声を潜めてそう言った。
アデラも同意するように頷いた。
メーダ伯爵家は一年程前に事業が失敗して、没落してしまったと聞いている。
テレンスの婚約について話していた友人も、大きく頷いた。
「ええ。噂の通りよ。他国に大きく展開していた事業が失敗して、多額の借金を背負ってしまったようね」
彼女がそこまで詳しいのは、婚約者がエリーの親戚だからだ。
メーダ伯爵家は、駆け落ちした娘を援助する余裕もなくなってしまった。
借金の返済のために、エリーの姉は裕福な商人の後妻となり、跡継ぎであった兄は、長年の婚約者との婚約を解消されてしまったらしい。
実家からの支援がなくなったエリーは、駆け落ちした庭師と町で暮らし始めたが、当然、長続きしなかった。
恋人と別れ、家に戻ったエリーも、援助と引き換えにどこかに嫁がせられたようだ。
「やっぱり不誠実な人には罰が下るのね」
友人たちはそう言って頷き合っていた。
でもアデラは彼女たちのように、素直にそう思うことができなかった。
エリーの末路と、アデラを裏切ったレナードとシンディーの姿が重なる。
そもそもメーダ伯爵家の事業はなぜ、急に失敗してしまったのだろう。
考えすぎなのかもしれない。
でもアデラは、すべてテレンスの復讐なのではないかと思ってしまう。
そして、彼がそこまでしたからには、エリーとはすでに婚約していたのではないか。
アデラは友人たちが帰ったあとも、庭に置いてある椅子に座ったまま、動けずにいた。
庭には薔薇が咲き乱れている。
エリーが好きだったというその花が、風に吹かれて儚く花弁を散らしていた。
アデラは呆然としたまま、そう呟いた。
シンディーがレナードの傍を離れてしまったら、結婚を支援の条件としたテレンスは、容赦なく支援を打ち切るに違いない。
彼の冷酷な顔を思い出して、そう思う。
そもそも援助でさえ、彼らを苦しめるための口実に過ぎない。
それでもそれを頼りにしているレナードは、何とかしてシンディーを連れ戻そうとするのだろう。
でも彼と違って町で暮らす術を見つけたシンディーは、そんなレナードから逃れようとする。
そうしてふたりの関係は、さらに泥沼になっていくのだろう。
その様子を想像してしまい、アデラは視線を落としてしばし沈黙する。
あのときテレンスに言ったように、彼らの不幸を喜ぶような気持ちにはなれなかった。
むしろ後味が悪いような、ひどく虚しいような、何とも言えない感情になってしまう。
「本当にアデラは、あのふたりを応援していたのね」
そんな様子を見て、友人のひとりが優しくそう言った。
「……ええ。まさか、そんな結末になるなんて思わなくて」
知っていたのだと言うこともできず、アデラは曖昧に笑ってそう答えるしかなかった。
「あなたが気にする必要なんてないわ。自業自得よ」
別の友人が、やや厳しい声でそう言い捨てる。
「いくら義兄妹になったからといって、血は繋がっていないのだから、他にやり様はあったはず。それなのにアデラの婚約者に収まったまま、好き勝手をしていたのよ」
「……そうね」
友人が言うように、彼らは自業自得なのだろう。
でも制裁に加担した人間として、ふたりがどんな結末を迎えるのか、それを最後まで見届けなくてはならないと思う。
「そういえば、噂で聞いたのだけど」
話題を変えるように、明るい声で友人が尋ねてきた。
「ティガ帝国でしか採れない、素晴らしい宝石を頂いたらしいわね」
「ええ、そうなのよ。テレンス様は慰謝料だと言って」
アデラは頷くと、髪飾りを外して友人に見せた。
慰謝料代わりにもらった宝石を身に付けるのは、気が進まなかったが、父はその宝石でいくつか、アデラの装飾品を作ってくれた。
宝石も細工もあまりにも美しくて、結局こうして使っている。
あの事件を忘れないためにも、これでよかったのかもしれない。
「まぁ、素敵だわ」
「なんて美しいの」
友人たちもうっとりとして、髪飾りを見つめている。
こんなに小さなものでも、大振りの宝石の何倍も高価なものだ。
今のところ、ティガ帝国でしか採掘できずに、鉱山も国で管理しているので、ほとんど国外には出回らないものだ。
今のところ父は売るつもりはないようだが、この宝石の美しさ、貴重さは知れ渡っているので、いくら出しても欲しい人はたくさんいる。
需要が高まっているため、値段はもっと上がっていくのではないかと予想されていた。
だから相談に乗ってくれたお礼だと言って、小さな宝石がついたネックレスを渡すと、彼女達はとても喜んでくれた。
ネックレスをつけて互いに褒め合い、宝石の美しさについて語ったあと、友人のひとりが思い出したように言った。
「そういえばテレンス様も昔、婚約を解消されてしまったことがあったそうよ」
「え?」
驚いて、思わず声を上げてしまった。
「まあ、どなたと?」
噂には目がない友人達の興味は、テレンスの過去に移ったようだ。
「正式に発表する前だったから、知らない人がほとんどのようね。でもティガ帝国に留学する前に、ある令嬢と婚約していたらしいのよ」
――きっとあなたなら、そう言うと思っていました。
そう言っていたテレンスの、彼らしくない穏やかな笑みを思い出して、アデラは心が騒ぐのを感じていた。
あのときのテレンスは裏切られた気持ちを知り、そうして復讐を果たした者の心を知っていた。
おそらく彼が婚約を解消したのは、相手の女性が原因だ。
「解消になった原因は何だったのかしら?」
ひとりがそう尋ねると、他の友人達も興味があるのか、最初にテレンスのことを告げた彼女に視線が集中する。
「それが、どうやらその令嬢は庭師の息子と恋人だったらしくて、ふたりで駆け落ちしたらしいわ」
「まぁ……」
「そんなことが」
声をひそめた友人の答えは、アデラが予想していた通りだった。
テレンスのかつての婚約者は、メーダ伯爵家の次女エリー。
両親に溺愛されていた、少し我儘で愛らしい令嬢だったらしい。
薔薇の花が好きで、よく庭に出て花を眺めているうちに庭師の息子と恋仲になってしまった。
それに気付いた両親はふたりを引き離そうと、彼女の婚約を決めたらしい。
その相手がテレンスだ。
エリーは、おとなしく従う振りをしていた。
テレンスとも何度か会い、このまま正式に婚約を決めようとしていた矢先、その庭師の息子と駆け落ちをしたのだ。
まだ正式に婚約を発表していなかったこともあり、その事実はメーダ伯爵家が隠蔽し、エリーは体調を崩して地方で療養していることになっていたようだ。
テレンスもその後すぐに、ティガ帝国に留学をしている。
娘を溺愛していたメーダ伯爵は、駆け落ちした娘を何とか探し出し、ふたりをこっそり、地方の領地に住まわせた。
娘のために屋敷を建て、侍女も何人か派遣して、生活費まで援助していたようだ。
「でも、メーダ伯爵家といえば……」
友人のひとりが声を潜めてそう言った。
アデラも同意するように頷いた。
メーダ伯爵家は一年程前に事業が失敗して、没落してしまったと聞いている。
テレンスの婚約について話していた友人も、大きく頷いた。
「ええ。噂の通りよ。他国に大きく展開していた事業が失敗して、多額の借金を背負ってしまったようね」
彼女がそこまで詳しいのは、婚約者がエリーの親戚だからだ。
メーダ伯爵家は、駆け落ちした娘を援助する余裕もなくなってしまった。
借金の返済のために、エリーの姉は裕福な商人の後妻となり、跡継ぎであった兄は、長年の婚約者との婚約を解消されてしまったらしい。
実家からの支援がなくなったエリーは、駆け落ちした庭師と町で暮らし始めたが、当然、長続きしなかった。
恋人と別れ、家に戻ったエリーも、援助と引き換えにどこかに嫁がせられたようだ。
「やっぱり不誠実な人には罰が下るのね」
友人たちはそう言って頷き合っていた。
でもアデラは彼女たちのように、素直にそう思うことができなかった。
エリーの末路と、アデラを裏切ったレナードとシンディーの姿が重なる。
そもそもメーダ伯爵家の事業はなぜ、急に失敗してしまったのだろう。
考えすぎなのかもしれない。
でもアデラは、すべてテレンスの復讐なのではないかと思ってしまう。
そして、彼がそこまでしたからには、エリーとはすでに婚約していたのではないか。
アデラは友人たちが帰ったあとも、庭に置いてある椅子に座ったまま、動けずにいた。
庭には薔薇が咲き乱れている。
エリーが好きだったというその花が、風に吹かれて儚く花弁を散らしていた。
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