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白薔薇の約束・6

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(でも……)
 ノエリアは怪我をしてしまった兄を、これ以上危険に晒したくなかった。それにカミラには兄が同行した方が、父との連絡も取りやすくなるだろう。
「どうかお兄様は、カミラ様と一緒にイースィ王国に戻ってください」
「ノエリア? 何を言っている」
「お兄様とライードさんでは、体格が違いすぎます。ライードさんが向こうの兵士と交戦したのであれば、こちらが偽物だとすぐにわかってしまいますから。それにお兄様がいた方が、お父様や他の仲間達と連絡を取りやすいかと」
 ノエリアの提案に、ライードも同意した。
 彼の怪我の具合が心配だったが、ノエリアの視線を受けたライードは、大丈夫だと言うように深く頷いてみせる。
 けれど兄は、その提案を受け入れてはくれなかった。
「お前ひとりを残していくことはできないよ。それに俺は、九年前の約束を果たさなくてはならない」
 そう言った兄の瞳には強い意志が秘められていて、それを見た瞬間、止めることはできないとわかってしまった。
 それは、兄とアルブレヒトが交わした誓い。
 兄はずっと悔やんでいたその誓いを、今こそ果たそうとしている。
「アルブレヒトが継ぐはずだった国を、あんな男の手に渡してはおけないと思っていた。それにロイナン王国の貴族でも、反国王派の者は多い。俺は、ひそかに彼らと連絡を取り合っていた」
 父はイースィ王国で。
 そして兄はロイナン王国で、ふたりの王に対抗するために長年動いていたのだ。
「他国で育った俺でさえ、あのロイナン国王よりはましだと思っていたくらいだ。アルブレヒトが生きていたと知れば、もっと多くの者が賛同するだろう」
 だからアルブレヒトに会い、彼らと引き合わせなくてはならないと、兄は言う。
 たしかにそれは、兄にしかできないことだ。
「今までアルブレヒトやカミラ王女殿下が受けてきた痛みに比べたら、これくらいは何ともない。むしろノエリアこそ、カミラ王女殿下と一緒にイースィ王国に戻ってほしいくらいだが」
 もちろん、そんなつもりはない。
 ノエリアは首を横に振る。
「お兄様ひとりでは、囮の役目は果たせません。それに私は今まで、ただ守られてばかりでした。どうか私にも、皆を守るために戦わせてください」
「修道院に入ると言ったり、囮になると言ったり。世間知らずでか弱いノエリアはどこに行ったんだ? それに、言い出したら聞かない。お前は、頑固だからな」
意趣返しのように、先ほど兄に告げた言葉を言われて、ノエリアは思わず笑ってしまう。
「お兄様ほどではないわ」
 兄の怪我は心配だったが、きっと兄も、アルブレヒトとの再会が待ちきれないのだろう。その気持ちがわかるだけに、もう反対することはできなかった。
 けれどカミラは、兄とノエリアが囮をすることを、最後まで心配して反対していた。それでも一刻も早く父と合流してほしいと言う兄の言葉に、とうとう頷いたようだ。
「ごめんなさい、あなたにこんなことを」
「いいえ、私が望んだことです。それに、早くアルに会いたくて」
記憶を取り戻したことを、早く彼に伝えたい。そう言うと、カミラは優しい笑みを浮かべた。
「そうね。きっとアルも喜ぶわ。気を付けてね。あなたに何かあったら、今度こそアルブレヒトは立ち直れないかもしれない」
「……はい。カミラ様もお気をつけて」
 カミラと衣服を交換し、彼女は銀色の髪を纏めてフードの中に隠す。
 ノエリアの方は、本来の金色の髪を隠して、銀の絹糸を多めにフードから垂らした。兄とライードは体格が違いすぎるので、ローブだけを交換したようだ。
 兄とノエリアに付き従っていた護衛はふたりいる。ひとりはカミラ達に付き添い、もうひとりがこのままノエリア達と同行することになった。
 先にふたりを送り出し、しばらくこの廃屋で休んでから、ノエリア達も出発することにした。
 少し休んだ方がいいと兄に言われ、少しだけ目を閉じる。

 そして、夢を見ていた。
 幼い自分が、帰りたくないと泣いて母を困らせている夢だ。
「お父様が待っているわよ」
 そう言われても、嫌だと首を振る。
「だってアルブレヒトと一緒に行けないもの。離れたくないの」
 母は驚いたような顔をしたが、やがてとても優しい顔で、ノエリアの頭を撫でてくれた。
「アルブレヒトのことが好きなのね」
「うん。大好き」
 人見知りのノエリアだったが、彼だけは初めて会ったときから好きだった。年上だが、まだ幼いノエリアを侮ることなく、きちんと相手をしてくれる。
「ノエリアの気持ち、わかるわ。私もお父様と別れたくなくて、どうしても一緒に居たかったの」
「お母様も?」
 そうよ、と笑った母は、振り返ってロイナン王国の王城を見つめる。
「私はここで育ったの。でもお父様と出逢って、この国を出る決意をしたわ。ノエリアもいずれ、私のように生まれた国を出ていくかもしれないわね」
「ここに住めば、アルブレヒトとずっと一緒ね!」
 はしゃぐノエリアに、母は困った様子だった。
「でも、お父様と私は一緒に行けないの。セリノもよ。ノエリアはひとりでこの国に行かなければならないわ」
 ひとりと言われても、まったく不安にならなかった。
「アルブレヒトが一緒なら、大丈夫よ」
 そう言ったノエリアに、母は少し寂しそうに、それでも嬉しそうに娘の手を握る。
「こんなに小さくても、運命の人と出逢うこともあるのね。ノエリア。それがあなたの幸せなら、私はあなたの味方だからね」
 自分の意志を間違いや誤解なく伝えられるように。
 そう言って、この国の言葉を日常会話だけではなく、しっかりと教えてくれた。
 とても優しい母だった。

「ノエリア?」
 記憶の中の母のように優しい声で名を呼ばれ、ノエリアは目を覚ました。
 少しだけ目を閉じて休むつもりが、いつの間にか眠ってしまったようだ。慌てて飛び起きようとしたが、兄に止められた。
「慌てなくても大丈夫だ。だが、そろそろ出発しなければ。行けるか?」
 少し心配そうな兄に、もちろん大丈夫だと頷く。
「ごめんなさい、お兄様。眠ってしまうなんて。あの、カミラ様は」
「昼の方が人に紛れて逃げやすい。無事にこの町から出たようだ。あとは俺達が、追手を引きつけなくてはならない」
 そう言われてほっとする。
 囮なのに疲れ果てて眠ってしまうなんて、もしその間にカミラに何かあったら自分を許せなかったに違いない。
 兄は周囲を探りながら廃屋の外に出ると、ノエリアの手を取り、窓から脱出するのを手伝ってくれた。
 敵に捕まらないように逃げなくてはならないが、囮なのだから、ある程度は姿を見せなくてはならない。
「あれは、ロイナン王国の正騎士ではないな」
 町の中を探し回っている兵士を間近で見た兄が、そうぽつりと呟いた。
「え?」
「おそらくロイナン国王の私兵だ。ロイナン王国の正騎士を使えば、アルブレヒトの顔を知っている者もいるかもしれない。だから、ずっと自分の私兵を使っていたのだろう」
 ロイナン国王イバンは、アルブレヒト達を盗賊と称して追い詰めながらも、けっしてその正体が知られないように、細心の注意を払っていたようだ。
 彼を追い落とそうと、何年も彼の周辺を探っていた兄でさえ、盗賊の正体に気付かせないほどに。
 それほど狡猾で用心深い男がなぜ、アルブレヒトを今まで生かしておいたのか。
 それだけは理解できなかったが、兄は、人を苦しめることに喜びを感じるイバンのような、歪んだ人間が存在することを教えてくれた。
 イバンは、子どもの頃でさえあれほど強く優しかったアルブレヒトを、未来を諦めるほど追い詰めた。
 ノエリアは、自分を盗賊の仕業に見せかけて殺す計画をしていたと聞かされたときよりも、激しい怒りを覚えた。
 誰かをこんなに憎んだのは、初めてかもしれない。
(この国の王は……。私の夫となる人は、絶対にあなたではない)
 その怒りが力となったのか、いつもよりも速く走れた。
 護衛の力を借りながら、適度に姿を見せて追われ、何とか町の外まで逃げることができたのだ。
 今は、森のすぐ近くにある人通りの少ない寂れた街道を歩いている。
 あとは国境とは正反対の方向に行き、適度なところで姿を晦ますだけ。
 そう思ってしまったのが、悪かったのか。
 少しだけ緊張が解けたせいで、足が震えて立っていることができなくなってしまった。
「無理はするな」
 そう言って、兄は街道の隣にある森の中に移動し、そこでノエリアを休ませてくれた。
 ふたりに付いてくれた護衛は今、周辺を探るためにこの場を離れている。
 幸いなことに、今はまだ追手の姿は見えないが、いつまでもこうしているのは危険だとわかっている。護衛が戻ってきたら、すぐにでも移動した方がいい。
 それなのに、身体が動かない。
「ごめんなさい……」
「謝る必要はない。むしろよく頑張った。あとは、迎えが来るまで休んでいた方がいい。イダが戻ってきたら、お前を連れて身を隠すように言っておく」
 護衛の名をあげて、兄はそう言った。
「お兄様、でも……」
 そう言いかけて、ノエリアは口を閉ざした。
 森の奥から複数の人間が、こちらを追い立てるように移動しているのが見えたからだ。
 兄もすぐに気付いたらしく、ノエリアを庇うように前に立ち、退路を探す。
 けれど、もう街道の方にも人が回り込んでいる。
 護衛がいない今、何とかふたりでこの場を切り抜けなくてはと思うが、ノエリアはもちろん、兄だって荒事にはなれていない。
「きゃあっ」
 兄に縋り、何とか逃げなくてはと考えていると、頭上の木から飛び降りてきた男に、腕を強く引かれた。
 まさか、そんなところから人が下りてくるとは思わなかった。
 兄は咄嗟にノエリアを守ろうと手を伸ばしたが、他の男に取り押さえられ、地面に押し付けられてしまう。
「……くっ」
 怪我をした肩をひねり上げられ、痛みに呻く姿に、血の気が引いた。
「やめて、乱暴なことはないで」
「……これは、驚いたことに国王陛下の婚約者の、ノエリア様ではないですか」
 リーダーらしい壮年の男が、わざとらしく驚いたようにそう言うと、ノエリアのローブのフードを外した。
「あっ……」
 金色の髪がふわりと広がる。
 震えながら、怯えたように見上げると、男は少しだけ口調を優しいものに変えた。
「盗賊に拉致されたと聞いて心配しておりましたが、何故こちらに? ああ、この男がノエリア様を浚った盗賊ですか?」
 そう言うと、兄の身体を乱暴に引き立てた。
「やめて!」
 ノエリアは涙声で叫んだ。
 兄の正体を明らかにすると、面倒なことになるかもしれない。ここはロイナン王国で、おそらく正式な手続きなしに入国している。
 でも、このままでは【盗賊】として殺されてしまう。
「私の兄です。私を助け出すために、ここまで来てくれたのです!」
「何?」
 さすがに男達は驚いた様子で、兄から手を離した。そのままノエリアにしたように、ローブのフードを外す。
 ノエリアによく似た、美しい容貌が露わになった。

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