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白薔薇の約束・5

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「この奥に廃屋があるようだ。入口は閉ざされていて、窓からしか入れないが、そこで少し休もう」
 兄の言葉に頷き、手を引かれて、窓から朽ち果てた建物の内部に侵入する。
 建付けの悪い部屋の扉を、力を込めて何とか開き、中に入ろうとした瞬間。
 内部から大柄な影が飛び出してきて、そのまま兄を弾き飛ばす。
「……くっ」
「お兄様!」
 壁に激しく叩きつけられ、崩れ落ちた兄を守るように、ノエリアはその前に立ち塞がった。
「……ノエリア、逃げろ」
「待って、ライード。その人達は!」
「え?」
 兄がノエリアの名を呼んだ瞬間。
 奥から女性の声が、知っている名前を呼んだ。
 驚きながらも、兄を庇ったまま襲撃者を見上げた。
 目の前に立っていたのは、血に塗れ、それでも必死にカミラを守ろうとした、ライードだったのだ。
「申し訳ございません」
 血の滴る傷を放置したまま、頭を下げて謝罪するライードを、もちろん兄は許した。
「むしろよくここまで、カミラ王女殿下を守ってくれた。感謝する」
 ロイナン王国の兵士によって、ここまで追い詰められたカミラとライードは、何とか隙を見てこの廃屋に逃げ込み、カミラを休ませていたところだった。
 そして同じような理由でここに辿り着いたノエリアと兄を、追手だと思って攻撃してしまったのだ。
 満身創痍の様子を見ると、かなり激しい追撃を受けたのだろう。
 カミラだけは何とか守らねばと、先に攻撃を仕掛けてきた彼を責める気にはなれない。
 跪いたままのライードを立たせ、カミラを手伝って応急手当をする。カミラは傷の手当をしても大丈夫なのかとノエリアを気遣ってくれた。
「少しだけ、過去のことを思い出しました。だからもう大丈夫です」
 そう告げると、カミラは驚いたように目を見開き、それから心から安堵したように、深く息を吐く。
「……よかった。あなたが過去を思い出したのなら、アルも救われるわ」
「でも、もう……」
 過去を思い出しても、ノエリアはまだカミラとアルブレヒトが恋人同士だったのではないかという気持ちを、完全に捨てられないでいた。
 けれどカミラはノエリアの記憶が戻ったことを心から喜び、そして自分を守って傷ついたライードを、痛ましそうに、大切そうに手当をしている。そしてライードは、カミラの銀色の髪が血で汚れないようにと気遣っていた。
 その姿はまさに、寄り添い合う恋人同士のようだ。
(もしかして私は、本当に勘違いをしていたの?)
 戸惑うノエリアを、ライードから離れたカミラは不思議そうに見つめる。
「どうしたの?」
「いえ、あの。私、てっきりカミラ様はアルブレヒトと……」
 正直にそう告げると、彼女は心底驚いた様子だった。
「私とアルが? そんなこと、あり得ないわ。アルは弟のような存在だし、私はライードを愛しているの」
 はっきりとそう言い、背後に立っているライードに、甘えるように身を寄せる。
「あらためて言ったことはなかったけれど、気が付いていると思っていたわ。それにアルはずっと、あなたを愛していた。わからなかった?」
 言い聞かせるように言われて、ノエリアは組み合わせていた両手を握りしめた。
 彼の、自分を見つめる瞳の優しさ。
 触れるとき、ほんの少しだけ躊躇うこと。
 名前を呼んでくれるときの、甘い声。
 もちろん、気が付いていた。
 それでも臆病なノエリアは、それを親愛だと思い込もうとしていた。記憶が蘇った今でさえ、本当はカミラが好きなのではないかと考えたりしていた。
 そんなノエリアに、カミラは優しく微笑みかける。
「私が王城にいたときから、ふたりの親密さは聞いていたわ。九年前から、アルにはあなただけ。どうか信じてあげて」
「でも私は、アルブレヒトのことを忘れていました。彼がこんなにつらい思いをしていたのに、私は父や兄に守られて、平穏に過ごしていたのが……」
「許せなかったのね。自分自身を」
 カミラは立ち上がり、泣き出しそうな顔で頷いたノエリアを、優しく抱きしめてくれた。
「アルはそれでよかったと言っていたわ。もしあなたがアルのことを覚えていたら、死んだと聞かされて絶望していたでしょう」
 たしかにそうかもしれない。あの頃の自分はとても弱かった。しかも母まで亡くしていたのだ。
「そんな悲しみをあなたに与えてしまったら、アルは今よりも、もっと苦しんでいた。ノエリアは後悔しているかもしれない。でも、あなたが幸せに暮らしていた時間は、アルにとっては救いなの」
 抱きしめているノエリアの髪を、カミラは優しく撫でる。
 まるで生きていた頃の、母のように。
「つらかった過去を忘れてしまうくらい、これからふたりで幸せになればいいわ」
「……はい」 
 その言葉にノエリアは、しっかりと頷いた。
 一度傾いてしまった国を建て直すのは、容易ではない。
 アルブレヒトが無事にイバンを倒せたとしても、平穏とは程遠い生活になるだろう。でもこれからは誰よりも近くで、彼を傍で支えることができる。そう思えば、怖いものはもう何もなかった。
 そんな未来を勝ち取るために、今は冷静に、迅速に動かなくてはならない。
「カミラ様、アルはどこに居ますか?」
「仲間達を連れて王都に向かったわ」
「王都に?」
「ええ。今までは、あの事件に巻き込まれてしまった仲間達を守るだけだったアルが、初めて自分から動いたの」
そう言ってカミラはノエリアを見つめる。
「あなたのお陰で、彼はイバンの呪縛を断ち切ったのよ」
「私は何もしていません」
 ノエリアは静かに首を振った。
 過去を乗り越えたのは、彼自身の力だ。
 そしてアルブレヒトが動いているのならば、こちらもきちんと役目を果たさなくてはならない。
(そのためには……)
 ノエリアは、窓の外の様子を伺っている兄を見る。
 ライードが気にしないようにと平静を装っているが、あの攻撃で壁に叩きつけられた兄は肩を痛めたようだ。このまま、足手まといのノエリアを連れて囮をするのは危険である。
 それに、こうして並んでみると背の高さは同じくらいだが、兄とライードでは体格が違いすぎる。今までは何とか誤魔化せていたが、これからは追撃が厳しくなり、接近を許してしまうかもしれない。
 そうなったら、本物のカミラとライードではないとすぐに気が付かれてしまうだろう。
 それに、ただ囮になることしかできないノエリアと違い、兄にはカミラを保護したあとにやらなくてはならないことがたくさんあるはずだ。
「お兄様、これからどうしますか?」
 まずはそれを聞いてみようとしてそう尋ねると、兄はカミラとライードに向き直った。
「カミラ王女殿下は、国境を越えてイースィ王国に戻ったあとは、王都には向かわずに、国境の町に留まり、父の迎えを待っていただきたいのです」
「ネースティア公爵の?」
「はい。ここでカミラ王女殿下にお会いできたのは幸運でした。今までのイースィ王国について、軽く説明をさせていただきます」
 そう言って兄は、カミラが行方不明になってからのことを、カミラとライードに話した。
 それは、今まで何も知らなかったノエリアにとっても、初めて聞く話であった。
「イバンがロイナン国王に即位してから、ロイナン王国の王家の血を引く者が襲撃される事件が相次ぎました。私も、何度か襲われています」
「えっ……」
 そんなに昔から兄は襲撃を受けていたのだと聞いて、ノエリアは青ざめた。
 数はそう多くはないが、カミラの母のように、ロイナン王家の血を僅かでも引いている者は、イースィ王国内の貴族にもいる。その者達が、次々と襲われていたらしい。中には命を落とした者もいると、兄は語った。
「私、知りませんでした……」
「何があってもノエリアにだけは、気付かれるわけにはいかなかったからね」
 たしかに兄が襲われたと聞けば、あの頃の自分であれば、恐ろしくてたまらなかっただろうと思う。
 父が王太子であったソルダとノエリアの婚約を承知したのも、王太子の婚約者になれば、狙われることはないだろうと考えてのことだったのだ。
 そんな父の考え通り、ノエリアが襲われたことは一度もなかった。
「それらは、自分以外の王家の血を嫌うロイナン国王が犯人だと言われていました」
 こうして、横暴なロイナン国王の噂はイースィ王国の内部まで届くようになる。
 かつての美しく豊かなロイナン王国は、変わってしまったのだ。皆がそう思うようになるまで時間は掛からなかった。
 イースィ国王はロイナン国王の横暴に悩みながらも、両国の平和のために表向きは友好国を装っていた。
 ネースティア公爵家の娘であるノエリアを、ロイナン国王の妻にと望まれたときも、王太子の婚約者だと言って、断わろうとした。
 けれど王太子であるソルダのやらかしもあって、ノエリアの婚約は破棄されてしてしまった。その事実がある以上、ロイナン国王からの要請を無理に断れば、戦争になってしまうかもしれない。
 あのロイナン国王ならば、それくらいやりかねない。
 そんな周囲の不安の声もあって、仕方なく婚姻を承諾した。
 表向きはそんなことになっていると、兄は語った。
「けれど、すべては私の父。イースィ国王の企みだったのね」
 カミラの指摘に、兄は深く頷いた。
「はい。私だけでは調査できず、父と複数の協力者の手を借りて、ようやく判明しました。証拠も揃っています」
 それは八年間の、兄の戦いの成果だ。
 アルブレヒトと交わした約束を忘れず、何とか別の形で果たそうと、懸命に動いたからこそ知った事実である。
 それにカミラの証言が加われば、いくらイースィ国王でも言い逃れはできないだろう。
「これから長い戦いが始まると、覚悟をしていたのに。もう父を追い詰める証拠まで揃っているなんて。……劣等感に苛まれ、心を病んだ父の計画など、あなた達から見れば、こんなものでしょうね」
「いいえ、カミラ殿下の戦いは、おそらくこれからでしょう」
自嘲気味に笑ったカミラに、兄はそんなことを言った。
「これから?」
「はい。イースィ王国を建て直せるのは、カミラ王女殿下だけです。我々は、王位簒奪を行うつもりはありません。ですから国王陛下には、ご病気で政治が行えなくなり、譲位していただく予定です」
 それも、あながち嘘ではない。
 国王陛下は、心を病んでいる。
 退位したあとは、静養という名の幽閉になるのだろう。
「私が、女王に?」
 カミラは、呆然とした様子でそう呟く。
 けれど、すぐにこれからのイースィ王国について考えだしたようだ。
「そうね。もし私が女王を目指すのなら、戦いはこれからね。八年も行方不明になっていた王女を、果たして認めてくれるかどうか。もし父が譲位しても、愛妾と義弟は王城に残るでしょうから」
「ネースティア公爵家、スーノリ公爵家、そしてラッダー侯爵家は、カミラ王女殿下を支持します」
 父を含めた彼らは、国を支える重鎮達だ。
 そんな人達が味方であれば、血筋だけで、実家はもう没落している愛妾では対抗できないだろう。
「ソルダ殿下では王は務まりません。カミラ王女殿下が生きていたと知れば、父を含め、他の人達もすべてカミラ王女殿下を支持するでしょう」
 たしかに流されやすい、騙されやすいソルダでは、今のイースィ国王よりは少しはましか、というところだろう。
 けれど、カミラは生きていた。
 父達だけではなく、イースィ王国にとっても朗報だろう。
「ですが、まずはここを無事に乗り切ってからです。私とノエリアが敵を引きつけます」
 カミラは国境の町で父の到着を待ち、それから父とともに味方になってくれる高位貴族達と面談することになっているのだと言う。
 カミラの意志を確かめることなく進めていく父達を少し不安に思ったが、彼女は迷うことなく頷いていた。
 無事にイースィ王国に逃げ込むことができれば、カミラはもう大丈夫だろう。
 そのためにも、ノエリアは引き続き囮となって、追手を遠ざけなくてはならない。
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