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記憶に眠る恋・10
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あの事件のとき、彼と一緒にいたのはカミラだ。だとしたらアルブレヒトの左腕の傷は、カミラを庇ったときのものなのか。
(大切って、イースィ王国からの客人として大切だという意味? それとも……)
アルブレヒトはカミラを、ひとりの女性として大切に思っているのだろうか。
そう考えた途端、胸がずきりと痛んだ。
考えてみれば、八年前。
十九歳だったカミラは、単独でロイナン王国に向かっている。そしてアルブレヒトの父であるロイナン王国の前国王は、そんな王女を自ら別荘に送り届けるほど歓迎していた。
(当時、まだ発表がなかっただけで、イースィ王国のカミラ王女殿下は、ロイナン王国の王太子の婚約者だったの?)
カミラのほうが七歳ほど年上だが、貴族の結婚ではそれくらいの年の差は珍しくはない。
そうだとしたら、婚約者だったふたりが八年もの間、運命をともにしていたのだ。
その間に強い絆が生まれたとしても、不思議ではないのかもしれない。
一度そう思ってしまうと、ふたりの親しさや何気ない会話がすべて、そういうものに見えてしまう。
でもそれを明確にするのが怖くて、はっきりと聞くことができなかった。
(私は……)
聞くのが怖いということは、アルブレヒトに恋をしているのだろうか。
そう自問してみても、答えは出ない。
失われた過去。
そこにあるはずの、アルブレヒトとの思い出を取り戻したい。そうすれば、自分の気持ちがはっきりとわかるかもしれない。
あの白薔薇の夢。
あれは本当にあった出来事なのではないか。
それを知りたくて、隣にいるアルブレヒトを見上げる。でも彼は、どこか遠くを見つめるような目をしていた。
それを見た途端。
さきほどから感じていた違和感が、ますます強くなる。
どうして彼は、こんなにも穏やかで、そして寂しそうな瞳をしているのだろう。
「アル」
不安に襲われて、その名前を呼ぶ。
「どうした?」
「ううん。でも何だか、あなたがいつもと違うような気がして」
不安を訴えると、アルブレヒトは笑みを向けた。
「ようやく悲願を果たすことができる。そう思うと、やはり感慨深くてね」
彼は立ち止まり、空を見上げた。
そう、八年にも及ぶ戦いが今、終わろうとしている。
アルブレヒトは王となり、この国の本来の姿を取り戻すだろう。
だが彼は、ノエリアが想像しなかった言葉を口にする。
「ノエリアとカミラを無事にネースティア公爵とセリノに託して、盗賊として殺されてしまった仲間達の名誉を回復する。それさえ叶えば、俺は満足だ」
(満足?)
王位を取り戻し、この国を元の平和で美しい国にする。
それが彼の目的ではなかったのか。
そう問おうとしたノエリアは、カミラの泣き出しそうな顔を思い出して口を閉ざす。
(ああ……)
長く続いた戦いと過酷な生活で、彼の心は本人が思っている以上に、疲弊しているのだろう。仲間を攻撃し続けたロイナン国王の作戦は、それだけアルブレヒトに効果的だった。
アルブレヒトの望みは、カミラとノエリアの無事と、死んでいった仲間達を盗賊などではなかったと証明することだけ。
彼自身の望みや未来への希望などは、何もない。
ずっと傍にいたカミラの声が届かなかったのに、自分の声が届くとは思えない。
そうだとしても、そんな卑劣な男のせいで彼が未来を諦めてしまうことが、許せなかった。
ノエリアは、アルブレヒトの手を握りしめる。
「ノエリア?」
ここではないどこか遠くに向けられていたアルブレヒトの視線が、ノエリアに移る。
「アル。間違えないで。彼らの本当の望みは、自分達の名誉を回復させることではないわ」
その瞳をまっすぐに見つめて、ノエリアは語った。
本当はアルブレヒトも知っているはずだ。きっと彼なら、それを思い出せると信じている。
「もうすぐそこだから、先に行くね。綺麗な景色を見せてくれてありがとう。今日のことは、一生忘れないわ」
そう言って、先を歩く。
アルブレヒトは立ち止まり、考え込んでいる様子だった。
そんな彼の姿を、ノエリアはしばらく見つめていた。
きっとアルブレヒトなら、卑劣なイバンの罠から立ち直ってくれると信じている。
それでも八年は長い。
まだ時間が必要だろう。
彼をその場に残して、ノエリアはひとりで歩き出した。邸宅までは一本道だし、迷うことはない。
だが、アジトにしていた邸宅が見えてきたとき。
ふいに横から飛び出してきた男が、ノエリアを腕に抱えて走り出す。
「!」
あまりのことに、悲鳴を上げることもできなかった。
男は、険しい山道を恐ろしいほどのスピードで駆け下りていく。
「は、離して!」
ようやく我に返って暴れると、男はノエリアを腕に抱いたまま、生い茂った背の高い草の影に身を隠す。
逞しい腕や俊敏な動きから、彼が相当訓練を積んだ者であることが察せられた。軍人かもしれない。
フードを深く被っているので顔はわからないが、若い男のようだ。
「ご無礼をお許しください、ノエリア様。私はセリノ様の手の者です」
彼は囁くようにそう言った。
「え、お兄様の?」
その言葉に、イバンの手の者だと思って抵抗していたノエリアの動きが止まる。
「はい。セリノ様はノエリア様が誘拐されたことを知り、多くの配下をこの国に送り込みました。私もそのひとりです。セリノ様は、国境の近くで待機しておられます。すぐに向かいましょう」
「でも、カミラ様が……」
もし兄からの迎えが来たら、カミラも一緒に連れ出してもらおうと思っていた。彼女が無事に父の保護下に入れば、きっとアルブレヒトも安心する。それにカミラの生存が公になれば、まずロイナン国王の悪事を暴くことができる。
だがアルブレヒト達はまだ、兄の配下と接触することができなかったようだ。
あれほど厳しく情報規制をしていたのだから、兄は、ノエリアは盗賊達に攫われたと思っている可能性が高い。
だから彼も、ノエリアがひとりになった瞬間を狙って接触してきた。
「カミラ様?」
「亡くなったはずのカミラ王女殿下にお会いしたの。私は王女殿下と一緒に帰国するつもりでした。証拠も、ここに」
ノエリアがふたりから預かった指輪を見せると、男は戸惑った様子だった。
「私では、判断することができません。それに、今から山に戻るのは危険です。ロイナン王国の手の者が、あの辺りを探索しています」
「そんな……」
「ここは一刻も早くイースィ王国に戻り、王女殿下のことは、セリノ様にお任せになられては」
「……」
ノエリアは、唇をきつく噛みしめる。
本当は、多少危険でも構わないから、アルブレヒトとカミラの元に戻り、状況を説明してからカミラと一緒に脱出したい。
けれど、もし本当にロイナン国王の手の者が近くにいるのなら、彼らのアジトに案内してしまうことになる。
それだけは、絶対に避けなくてはならない。
どうすればいいか迷っていると、山の麓の方から声がした。かなり遠いが、どうやらロイナン王国の騎士団のようである。
兄と接触しようと、王都近くまで足を伸ばしているというアルブレヒト達を追ってきたのかもしれない。
迷っている暇はなかった。
ノエリアは両手をきつく握りしめる。
(アル。ライードに、カミラ様。何も言わずにいなくなって、ごめんなさい)
きっと兄は、彼らを盗賊だと思い込んでいるから、痕跡は何ひとつ残さないようにと命じている。
アルブレヒトは兄が迎えにきてくれるだろうと言っていたが、ノエリアを連れ去ったのが兄の手の者なのか、それともイバンなのかわからずに悩むかもしれない。
でもそれを使える術を持たないノエリアは、ただ急いで兄と合流して、カミラの生存をできるだけ多くの人に伝えることしかできない。
「わかったわ。お兄様のところに連れていって」
男は安堵した様子で頷いた。
「では、こちらへ」
山を下りる道を指し示し、彼は周囲を警戒しながら先に進んでいく。
そして麓に辿り着くと、ひそかに待機していた馬車に乗せられた。馬車はそのまま、イースィ王国の国境に向かうようだ。
どのくらいで到着するだろう。
ここに来たときのことを思い出しながら、ノエリアは先を急がせる。
どんなに馬車が揺れてもかまわなかった。
ノエリアはいつのまにか、首にかけていたふたつの指輪を強く握りしめていた。
(大切って、イースィ王国からの客人として大切だという意味? それとも……)
アルブレヒトはカミラを、ひとりの女性として大切に思っているのだろうか。
そう考えた途端、胸がずきりと痛んだ。
考えてみれば、八年前。
十九歳だったカミラは、単独でロイナン王国に向かっている。そしてアルブレヒトの父であるロイナン王国の前国王は、そんな王女を自ら別荘に送り届けるほど歓迎していた。
(当時、まだ発表がなかっただけで、イースィ王国のカミラ王女殿下は、ロイナン王国の王太子の婚約者だったの?)
カミラのほうが七歳ほど年上だが、貴族の結婚ではそれくらいの年の差は珍しくはない。
そうだとしたら、婚約者だったふたりが八年もの間、運命をともにしていたのだ。
その間に強い絆が生まれたとしても、不思議ではないのかもしれない。
一度そう思ってしまうと、ふたりの親しさや何気ない会話がすべて、そういうものに見えてしまう。
でもそれを明確にするのが怖くて、はっきりと聞くことができなかった。
(私は……)
聞くのが怖いということは、アルブレヒトに恋をしているのだろうか。
そう自問してみても、答えは出ない。
失われた過去。
そこにあるはずの、アルブレヒトとの思い出を取り戻したい。そうすれば、自分の気持ちがはっきりとわかるかもしれない。
あの白薔薇の夢。
あれは本当にあった出来事なのではないか。
それを知りたくて、隣にいるアルブレヒトを見上げる。でも彼は、どこか遠くを見つめるような目をしていた。
それを見た途端。
さきほどから感じていた違和感が、ますます強くなる。
どうして彼は、こんなにも穏やかで、そして寂しそうな瞳をしているのだろう。
「アル」
不安に襲われて、その名前を呼ぶ。
「どうした?」
「ううん。でも何だか、あなたがいつもと違うような気がして」
不安を訴えると、アルブレヒトは笑みを向けた。
「ようやく悲願を果たすことができる。そう思うと、やはり感慨深くてね」
彼は立ち止まり、空を見上げた。
そう、八年にも及ぶ戦いが今、終わろうとしている。
アルブレヒトは王となり、この国の本来の姿を取り戻すだろう。
だが彼は、ノエリアが想像しなかった言葉を口にする。
「ノエリアとカミラを無事にネースティア公爵とセリノに託して、盗賊として殺されてしまった仲間達の名誉を回復する。それさえ叶えば、俺は満足だ」
(満足?)
王位を取り戻し、この国を元の平和で美しい国にする。
それが彼の目的ではなかったのか。
そう問おうとしたノエリアは、カミラの泣き出しそうな顔を思い出して口を閉ざす。
(ああ……)
長く続いた戦いと過酷な生活で、彼の心は本人が思っている以上に、疲弊しているのだろう。仲間を攻撃し続けたロイナン国王の作戦は、それだけアルブレヒトに効果的だった。
アルブレヒトの望みは、カミラとノエリアの無事と、死んでいった仲間達を盗賊などではなかったと証明することだけ。
彼自身の望みや未来への希望などは、何もない。
ずっと傍にいたカミラの声が届かなかったのに、自分の声が届くとは思えない。
そうだとしても、そんな卑劣な男のせいで彼が未来を諦めてしまうことが、許せなかった。
ノエリアは、アルブレヒトの手を握りしめる。
「ノエリア?」
ここではないどこか遠くに向けられていたアルブレヒトの視線が、ノエリアに移る。
「アル。間違えないで。彼らの本当の望みは、自分達の名誉を回復させることではないわ」
その瞳をまっすぐに見つめて、ノエリアは語った。
本当はアルブレヒトも知っているはずだ。きっと彼なら、それを思い出せると信じている。
「もうすぐそこだから、先に行くね。綺麗な景色を見せてくれてありがとう。今日のことは、一生忘れないわ」
そう言って、先を歩く。
アルブレヒトは立ち止まり、考え込んでいる様子だった。
そんな彼の姿を、ノエリアはしばらく見つめていた。
きっとアルブレヒトなら、卑劣なイバンの罠から立ち直ってくれると信じている。
それでも八年は長い。
まだ時間が必要だろう。
彼をその場に残して、ノエリアはひとりで歩き出した。邸宅までは一本道だし、迷うことはない。
だが、アジトにしていた邸宅が見えてきたとき。
ふいに横から飛び出してきた男が、ノエリアを腕に抱えて走り出す。
「!」
あまりのことに、悲鳴を上げることもできなかった。
男は、険しい山道を恐ろしいほどのスピードで駆け下りていく。
「は、離して!」
ようやく我に返って暴れると、男はノエリアを腕に抱いたまま、生い茂った背の高い草の影に身を隠す。
逞しい腕や俊敏な動きから、彼が相当訓練を積んだ者であることが察せられた。軍人かもしれない。
フードを深く被っているので顔はわからないが、若い男のようだ。
「ご無礼をお許しください、ノエリア様。私はセリノ様の手の者です」
彼は囁くようにそう言った。
「え、お兄様の?」
その言葉に、イバンの手の者だと思って抵抗していたノエリアの動きが止まる。
「はい。セリノ様はノエリア様が誘拐されたことを知り、多くの配下をこの国に送り込みました。私もそのひとりです。セリノ様は、国境の近くで待機しておられます。すぐに向かいましょう」
「でも、カミラ様が……」
もし兄からの迎えが来たら、カミラも一緒に連れ出してもらおうと思っていた。彼女が無事に父の保護下に入れば、きっとアルブレヒトも安心する。それにカミラの生存が公になれば、まずロイナン国王の悪事を暴くことができる。
だがアルブレヒト達はまだ、兄の配下と接触することができなかったようだ。
あれほど厳しく情報規制をしていたのだから、兄は、ノエリアは盗賊達に攫われたと思っている可能性が高い。
だから彼も、ノエリアがひとりになった瞬間を狙って接触してきた。
「カミラ様?」
「亡くなったはずのカミラ王女殿下にお会いしたの。私は王女殿下と一緒に帰国するつもりでした。証拠も、ここに」
ノエリアがふたりから預かった指輪を見せると、男は戸惑った様子だった。
「私では、判断することができません。それに、今から山に戻るのは危険です。ロイナン王国の手の者が、あの辺りを探索しています」
「そんな……」
「ここは一刻も早くイースィ王国に戻り、王女殿下のことは、セリノ様にお任せになられては」
「……」
ノエリアは、唇をきつく噛みしめる。
本当は、多少危険でも構わないから、アルブレヒトとカミラの元に戻り、状況を説明してからカミラと一緒に脱出したい。
けれど、もし本当にロイナン国王の手の者が近くにいるのなら、彼らのアジトに案内してしまうことになる。
それだけは、絶対に避けなくてはならない。
どうすればいいか迷っていると、山の麓の方から声がした。かなり遠いが、どうやらロイナン王国の騎士団のようである。
兄と接触しようと、王都近くまで足を伸ばしているというアルブレヒト達を追ってきたのかもしれない。
迷っている暇はなかった。
ノエリアは両手をきつく握りしめる。
(アル。ライードに、カミラ様。何も言わずにいなくなって、ごめんなさい)
きっと兄は、彼らを盗賊だと思い込んでいるから、痕跡は何ひとつ残さないようにと命じている。
アルブレヒトは兄が迎えにきてくれるだろうと言っていたが、ノエリアを連れ去ったのが兄の手の者なのか、それともイバンなのかわからずに悩むかもしれない。
でもそれを使える術を持たないノエリアは、ただ急いで兄と合流して、カミラの生存をできるだけ多くの人に伝えることしかできない。
「わかったわ。お兄様のところに連れていって」
男は安堵した様子で頷いた。
「では、こちらへ」
山を下りる道を指し示し、彼は周囲を警戒しながら先に進んでいく。
そして麓に辿り着くと、ひそかに待機していた馬車に乗せられた。馬車はそのまま、イースィ王国の国境に向かうようだ。
どのくらいで到着するだろう。
ここに来たときのことを思い出しながら、ノエリアは先を急がせる。
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